【1】また会えて嬉しいな

 今日は入学式。今日からいよいよ高校生だ。

 あさひ茉莉まつり、心機一転、ドキドキ女子高生ライフを楽しむぞ!


 なんていう心の余裕はなく、私は不安と緊張で今まさに吐き気を催しているところです。

 

 入学式前のざわつく教室。

 旭という名字の宿命、廊下側一番前の席に座り、私はひとり悶々と頭を悩ませていた。


 陰キャぼっちに片足の膝、いや、くるぶしくらいまで突っ込んだ私に、友達はできるだろうか。

 休日一緒に遊びに出かけるくらいの、あわよくば親友と呼べるくらいの友達ができたらいいな……。

 なんて考えると、不安で胃がひっくり返りそうになる。


 中学の頃は他人を避けて必要最低限しか喋らなかったし、そんなだからもちろん友達もいなかった。

 陰で『暗い旭』と名字を揶揄されていたことも知っている。

 朝日なのに暗い、ってやかましいわなんだそれ! ちっとも面白くねえよ!

 こちとら生まれつき心が曇ってんだ! ってやかましいわ!


 いけない、自虐に自分でツッコみ始めたらいよいよ根暗陰キャ街道まっしぐらだ。

 私はまだ片足のくるぶしまでしか陰キャじゃないんだ!


 はあ、とため息をつき、ハッとする。

 ダメだダメだ、こんなんじゃ中学の二の舞になるぞ。

 今日のためにイメチェンまでした。

 伸ばしきった髪をばっさり切り落とし、ゆるふわボブにした。髪色をダークブラウンにして、眉毛も整えて、メガネをコンタクトにして、お化粧まで覚えて……。


 深呼吸をし、ハンカチを両手でぎゅっと握りしめる。


 よし、次に教室に入ってきた子に陽キャバリのパリピな挨拶をするんだ。

 出席番号のアドバンテージを活かす時!


「最初が肝心……最初が肝心……最初が……」


 俯いて呟いていると、女の子二人組がおしゃべりをしながら教室に入ってきた。


 ここだ!


 勢いよく顔を上げる。

 あっ、キラキラ女子だ、やめとこう。二人でお喋りしてるし邪魔しちゃ悪いもんね。


 口をつぐみ、また俯く。

 今のは仕方ない。むしろ空気が読めてて私ってばすごいのでは。

 ファインプレーすぎる……。


 なんて言い訳を頭の中でこね回していた時だった。

 

 不意に柑橘系の香りが鼻腔をくすぐった。

 左肩に何かが触れる感覚がして、ふと気づくと一人の女子生徒が隣に立っていて、腰を屈めて横から私の顔を覗き込んでいた。

 左肩に触れていたのはその女子生徒の右腕で、制服が擦れ合う感覚に心臓が跳び跳ねた。


 ぱっちり二重の大きな目、真っ黒な瞳、高くはないが筋の通った鼻、ピンク色の薄い唇、ほんのり赤みがさした柔らかそうな白い頬。

 肩に垂らしたカントリースタイルのツインテールが、どこか純朴さを感じさせる。


 これは……せ、正統派美少女だー!


 っていやいや落ち着け私。

 まずこの状況をおかしく思わなければ。

 どうしてこんなに凝視されているのか。

 何かおかしな行動をしただろうか。もしかして自覚がないだけで挙動不審だった?

 っていうかずーっと私の肩とこの子が触れ合ってるんですけど!


 二十万年ぶりに感じる女の子の体温に思考が鈍くなる。

 やばい、頭がクラクラしてきたかも。吐きそうかも。


「旭さん?」

「えっあっはい! あああ旭です!」


 その子の声に反射的に答えると、女の子の顔がパッと明るくなった。


「やっぱりそうだ、私のことわかる?」


 そう問われ、女の子の顔をもう一度よく見てみる。

 うわっ、かわいすぎ、美少女すぎ。

 見ているだけで顔が熱くなりそうだ。

 しかし、残念なことに見覚えはない。

 

「えっと……」


 口ごもると、その子はクスりと笑いをこぼした。


「分からないよね、小五の時に転校して以来だもん」


 それを聞いて改めて考えるが、やはり思い出せない。

 なぜなら小学生の頃もぼっちだったからね!


 私が心の中で自虐するのをよそに、その子が自分を指差して、


影山かげやま柚愛ゆあ、って言われても思い出せないかな?」


 と名前を明らかにした。

 かげやまゆあさん……可愛い名前だ……顔も可愛いし、いい匂いだし……。

 じゃなくて! 申し訳ないが全然思い出せない。


 居た堪れなさに無言で目を伏せる。

 影山さんが、「気にしないで」と優しく微笑む。


 こういう時、社交性のある人はどういう返しをするのだろうか。

 やっぱり私には、そういうのは無理な話だったのだろうか。


 ひとりで落ち込んでいると、影山さんがおもむろに私の耳元に口を寄せてきた。

 耳を覆い隠す私の髪を、影山さんはその細い指に絡ませるようにすくい上げた。

 露わになった左耳に影山さんの吐息が微かにかかり、全身がゾクりと震える。

 

「また会えて嬉しいな」


 その甘い囁き声は、まるで電撃のように私の脳に響いた。

 影山さんが何事もなかったかのように隣の席に座り、小首をかしげるようにして私を見る。

 そして顔の横でピースし、


「隣の席だね、ラッキー」


 と悪戯っぽく笑った。

 

 一連の仕草のとてつもない破壊力にしばらくの間フリーズしてしまった。

 どれくらいの時間が経ったのかは分からないが、とにかく我に帰るまでに結構時間がかかったと思う。

 気がつくと、全身が煮えたぎるように熱かった。


 なんだこのフワフワキラキラ甘々スーパー美少女は! 

 ちょっとやばくない? あざとさカンストしてるよこれ!

 こんな距離感に耐性ないってば!


 とかなんとか考えつつ、必死にぎこちなく笑顔をつくり、私も控えめにピースサインを返した。

 ふん、私にだってピースくらいできるもんね! なめんなよ?


 その後すぐに先生が教室にやってきた。

 心臓がうるさく跳ね回るのがおさまらないまま、入学式が終わり、ホームルームが終わり、あっという間に放課後になった。


「き、記憶がない……」


 席に座ったまま頭を抱えていると、隣の席の影山さんがこちらを向いて小首をかしげた。


「私のこと?」

「えっあっ、いや違くて、入学式の記憶が……」


 両手を振って否定する。

 影山さんが口に手を当ててクスクスとおかしそうに笑う。


「あー、茉莉ちゃんずっとぽやーってしてたもんね」

「う、うん……て、えっ、私のこと見てたの? ってか呼び方……」


 色々なことに驚いて体がびくりとする。


「ずーっと見てたよ、茉莉ちゃん」

「えっ、あっ、どっ、だっ……」


 動揺しすぎて言葉すら出てこない。

 こんな陰キャ丸出しの挙動をしていたら、いくら優しい影山さんだって引いてしまわないだろうか。

 私の不安をよそに、影山さんは私の反応を、目を細めて見つめてきた。

 

「茉莉ちゃん、見た目はすごく変わったけど、中身は変わらないよね」


 その言葉に、まるで鈍器で殴られたかのようなショックを受けた。

 外見だけ取り繕っても、結局中身が変わらないと意味がない。そんなことは最初からわかっていた。

 だけど性格なんてそうそう変えられない。それもわかってはいたけど……。


 私が落ち込んだことに気がついたのか、影山さんは慌てて椅子から立ち上がった。

 すぐそばにしゃがむと、膝においた私の手に影山さんの柔らかな手を重ねてきた。


「悪い意味で言ったんじゃないんだよ。私は……好きだよ」


 「えっ」と声が漏れた。

 沈みかけた気分が吹っ飛んで、一瞬にして高揚感が全身を駆け巡る。

 

 わ、私、今初めて人として認められた気がする……!

 もしかしたら、こんな性格のままでも影山さんなら友達になってくれたり……?


 心の中で浮かれていると、なぜか影山さんが顔を真っ赤にして私から顔を逸らしていた。

 手はしっかり重ねたままで。

 影山さんの様子を不思議に思い、無言で見つめる。

 ちらと影山さんがこちらに視線を戻した。

 

「い、今のはそういう意味じゃなくて、えっと……」


 そういう意味じゃないって……嫌いじゃないけど友達としては一歩引かせていただきますということですか?

 自分の勝手な推測に思わずシュンとなる。


「トモダチ……」

「そ、そう! 友達! 友達としてね!」


 影山さんが私の手を強く握って友達という言葉を強調する。

 ふおお……手が熱い、これが友情というやつですか!

 そして私の心臓は今大暴れで大変なことになっている。今日の心臓は働き者だなあ。


 影山さんが「ふう」とため息をついた。ため息すらも可愛い。

 しゃがんだまま、私を見上げてくる。


「ね、茉莉ちゃん。私のこと柚愛って呼んで」

 

 唐突な要望に愕然とする。

 『名前呼び』、それは真に心の通じ合った者同士のみに与えられる名誉だと聞いた。

 それをさっき出会ったばかりの陰キャぼっちの私がいいんですか!

 そういうのってもっと段階を踏んで、慎重に進めていくものなのでは。

 

「嫌かな?」


 影山さんに上目遣いで潤んだ瞳を向けられる。 

 私はもはや無駄に考えることをやめた。

 半ば反射的にブンブンと何度も首を横に振っていた。


「い、嫌じゃないよ! えっと……ゆ、柚愛ちゃん……」


 柚愛ちゃんはパッと顔を輝かせ、私の左手を両手で包み込んだ。

 それを胸の前まで持ち上げると、キュッと握ったまま幸せそうに「えへへ」と微笑んだ。


「うん。これからよろしくね、茉莉ちゃん」


 どうして会ったばかりの私にこんなに優しくしてくれるんだろう。

 どうして私なんかにこんなに近づいてきてくれるんだろう。

 そんな疑問は、今感じているドキドキと幸福感の前には、とてつもなくちっぽけでどうでもいいことのように思えたのだった。


 

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