第5話 科学力の限界理論

 未来の、本当であれば、

「過去の歴史を知っている人」

 というはずの人から、

「本当は知らない。過去の歴史が信用できない」

 ということを言われると、正直、どう考えていいのか迷ってしまう。

「感覚が彷徨っている」

 と言っていいのだろう。

 ここまで来ると、さすがに未来にとどまっているのが怖く感じられた。過去に戻ろうという感覚が急激に強くなってきたが、前述の恐ろしさがないわけではない。

「果たして、飛び出してきた過去に戻れるか?」

 ということである。

 そして、もう一つ考えなければいけないのは、

「今現在の自分というのは、未来に滞在しているということから、元に戻るというよりも、過去に行こうとしているタイムトラベラーでもある」

 ということである。

 つまり、今のこの世界は、最初は未来であったが、未来から出発する時は現在という考えができないかということである。もう一つ気になるのは、

「未来にはタイムマシンもロボットも存在しない」

 ということであった。

 つまり、自分がタイムマシンを開発したから未来に来れたのであって、そのタイムマシンが未来に存在しないということは、このタイムマシンは、過去の世界で承認を受けなかったということなのか、それとも、自分が未来だと思ってやってきたこの世界は、自分たちの本当の未来ではないということなのか、それとも、自分が帰った元の世界において、タイムマシンを壊してしまい、タイムマシン開発をやめてしまって、結局三十年という時を経ても、タイムマシンの開発とロボット開発はできていないということなのであろうか?

 それを考えると、未来に来てしまったことを大いに後悔してしまった。

「知りたかったはずなのに、知らなくてもいいころを知ってしまった」

 という感覚なのか、

「そもそも、未来のことを知ることは大罪ではないのか?」

 という子供の頃の感覚に逆らって作ってしまったタイムマシンに対しての後悔であった。

 そう、確かに子供のことはタイムマシンに対して、

「作ってはいけないもの」

 という感覚も大いにあった。

 しかし、それはタイムマシンというものに対しての思い入れが大きかったからで、大きい思い入れであればあるほど、逆説も深い位置まで掘り下げることになるのだろう。

 それを思うと、タイムマシンに乗って、急いで過去に戻ろうという思いは次第に強くなってきた、

 だが、過去の、元いた場所に帰りつけたとして、自分は何をすればいいのかを考えていた。

 まず最初に考えたのは、

「タイムマシンを壊してしまおう」

 という思いであった。

 しかし、それは実に恐ろしい気がした。

 というのは、

「戻ってきたと思っている過去が、本当に自分が飛び立った場所であるという確証がなければタイムマシンを壊すのは怖い気がしたからだ」

 つまり、これは、少しでも違っているところを厳密に見つけ出さなければいけないという意味で、本当に違っていたとして、細部にわたるまで違っていることを検証しなければいけない。ただ、それは永遠にできないのではないかとさえ思うのだ。

 なぜなら、自分の記憶が間違っているかも知れないし、変な思い込みがないとも限らない、思い込みがあってしまうと、本当に間違っているのかどうか自分で納得できないのだから、一歩間違えると、

「交わることのない平行線」

 を描いてしまうのかも知れない。

 では、もし、過去の歴史が違っているとすれば、どうすればいいのか?

「また未来に戻って、そこからやり直す?」

 それは無理なことだった。

 狂ってしまった過去からいくら未来に飛んだとしても、そこに広がっているのは、

「狂ってしまった現在に対しての未来」

 であって、さっきまでいた未来ではないのだ。

 まったく違った未来になっている可能性だってあるのだ。

 となると、今度は過去の戻って、どこから狂ったのかを調べなければいけない。それこそ不可能だった。

 ここで考えたのは、少し違った感覚なのだが、

「慣性の法則」

 というものだった、

 慣性の報告というのは、いろいろあって、たとえば、

「ダルマ落とし」

 のようなものであったりが考えられるが、ここで松岡が考えたのが、

「電車の中での慣性の法則」

 であった。

 走行している電車の中でジャンプをすると、着地するのは、電車の中での飛び立った位置である。電車の中という一つの世界の中で動くものであって、決して外部の世界が影響するわけではない。つまりは、ジャンプして着地するまで、電車は前に向かって走っているわけだから、理屈で考えると、かなり後ろに着地するか、下手をすれば、連結部分の扉にぶち当たってしまう可能性だってあるではないか。

 タイムマシンが、この慣性の法則をどこまで網羅しているかということも大いに問題になってくる。

 タイムマシンの開発において、この問題も大いに検証すべきことだった。当然松岡ほどの男が考えないわけもなく、かなり前の方で考えていたことは間違いない。

 タイムマシンの外形や性能と言ったものを考えるよりも前にすでに考えていたくらいのことであった。

 慣性の法則における

「電車の中」

 というのが、タイムマシンだけの世界であるとすれば、タイムマシンの中から飛び出した自分は年を取ることはない、

 逆にタイムマシンの中で年を取るということになってしまうと、自分の年齢よりも過去に行くということはできなくなってしまう。存在自体がなかったことになるからである。

 だが、このことを考えると、いわゆる、

「過去に戻って自分お親を殺す」

 というタイムパラドックスは最初から考える必要はなくなるのだ。

 だが、この感覚はあくまでも、

「タイムパラドックスに対しての答えを、慣性の法則という発想で後付けした理屈ではあいか?」

 という発想に至ってしまう。

 つまりは、知っていることに対して後付けで理論づけるということで、一種の、

「後出しじゃんけん」

 のような形になってしまう。

 ただ、過去に戻って自分の親を殺すという考え方も、タイムトラベルという理屈がある仲で、恐怖を煽るための警鐘として、

「タイムマシンの開発など、してはいけない」

 という理屈が最初にあったとすれば、こちらも、

「後出しじゃんけん」

 という発想が生まれてきたという理屈も成り立つだろう。

 そういう考え方でいくと、タイムトラベルというのは、それだけ慎重に考えなければいけないことで、後出しじゃんけんであろうとも、少しでも危険なことは、どんなに姑息な手を使ってでも、妨害することであっても、やらなければいけないということになるのではないかという理屈も成り立つのであろう。

 ということになると、

「タイムマシンは作ってはいけない『パンドラの匣』だったんだ」

 ということになるだろう。

 それを作ってしまって、使用してしまったことで、ほんの少しの歪を最大に引き出したとすれば、その罪は重い。巨大なビルがいきなり崩れる理由として、シロアリの小さな穴が原因だったという話を思い出すくらいのものだった。

 しかし、やってしまったことは、もうどうすることもできない。戻ってきた過去がどうであれ、この世界で生きていくしかないのだ。

 だが、そう考えた時、もう一つの危惧が生まれてきた。

「この狂ってしまった過去に、もう一人の自分がいるのではないか?」

 という思いである。

 しかし、この思いは比較的恐怖ではなかった。これまでの発想があまりにも意識を超越してしまい、感覚がマヒしてしまうのではないかと思えるほどであったので、余計に感覚がマヒしているのではないかと思えてきた。

 というのおは、

「元々歪んでしまった過去という考えではなく、パラレルワールドの別の世界ということになるのだから、この世界にいる自分は、厳密には今考えている自分ではない」

 という考えだ。

 その時に浮かんできたのは、夢の世界だった。

 夢というのは、目が覚めるにしたがって忘れていくものであったが、その中であることとして、

「夢の中で、もう一人の自分が存在している」

 という考え方だった。

 夢の中では、主人公としての自分がいるのだが、夢を見ている自分が主人公になりきって、主人公目線ではないということだった。あくまでも、主人公の自分を観客として見ている自分がいて、そうでなければ、主人公が自分だと分からないだろう、

 鏡のような媒体か、水面に自分を写しでもしない限り、自分の顔を見ることなどできないからだ。

 違ってしまった過去というのは、そういう夢の世界と同じではないかと思うのだった。

 そう思うと、夢というものがどういうものなのかと、いつも考えているが、詰めの近くまできている発想だということを認識しながら、その先にある結界に阻まれて、絶対に超えることのできない何かにぶち当たってしまい、それが強ければ強いほど、

「夢に対して考えることは冒涜なのではないか?」

 と思うのだった。

 だから、

「夢は目が覚めるにしたがって、忘れていくものなのだ」

 ということになるのだろうと、感じていた。

 それを過去に戻った時に、違う世界に飛び出した時と同じ感覚になるというのは、無理もないことだと思っている。

 それは夢を考えた時、結界の先に、タイムマシンというものが見え隠れしていたことが分かった気がしたからだ。

 他の人にはまったく気づくことのないことだとは思っている。なぜなら、自分がタイムマシンの開発者だということだからだ。

 タイムマシンというものがどこまで信憑性のあるものだと考えることは、どんどん深みに嵌っていく自分を見ているようで、それが夢の発想に行き着くということまでは意識していたことだろう。

 慣性の法則を頭の中に描いてもいたはずだ。

 きっとそれらの発想が一つになり、何かの形が見えたことで、タイムマシンを開発できたのだろう。

 だが、そう考えると、タイムマシンの開発は、

「実は、自分の意志には関係なく、何かの力が働いたことで、自分が開発することになっただけではないか?」

 という思いである。

 タイムマシンを開発するというのは、誰でもよかったのではないか。ただ、この時代のこの時に完成するというのがミソであって、その時に行った未来、そこkら戻ってくる過去というのは、誰が開発したタイムマシンであっても、そこに違いはないのではないだろうか。

 つまりは、

「見えない力に踊らされているだけ」

 ということになるのだろう。

 そんなことを考えていると、

「人間なんて、しょせんは見えない何かに操られているだけで、実際にいるのは、ドールハウスのような箱庭なのではないか?」

 という発想である。

 昔、特撮で見た中で、ビルの屋上に、ソックリの形の世界を作っていて、

「あの太陽も空も、すべてドームに写した幻想なんですよ。一種のプラネタリウムと同じ理屈だと思っていただければ分かりやすいかと思います」

 と言われた。

 まるで本当の空のような気がしたが、それが特撮たるゆえんだったのだろう。それを見た時、外からまるでマジックミラーのように、外からは見えるが中からは外が見えないような仕掛けの場所であるかのような想像をした時、自分がその表にいて、中の自分を見ているような錯覚に陥った気がした。他の誰に聞いたわけでもなかったので分からなかったが、最初は、そんなことを思うのは自分だけだろうと思った派、本当は他の人も同じような思いをした人がいたのではないかと感じたのだった。

 タイムマシンを開発できたからと言って、自分だけが特別な人間だという意識があるわけではない、

「タイムマシンなんて、その気になれば、誰だって開発できるんじゃないかな?」

 と実際に途中から考えるようになった。

 そう考えられるようになったことで、開発へのプレッシャーがなくなり、吹っ切れたのではないかと思うほどだった。

 そんな思いがあったから、タイムマシンを開発し、未来に行ったのだ。開発するだけなら誰でもできるのだが、問題はそこからだ。

 どんな発明であっても、それをどのように使うかによって、その特性が問題となる。核兵器の問題だってそうである。

 核兵器の開発は、元々、

「核といわれる原子が分裂する時に、莫大なエネルギーを放つ」

 という理論が発表されたことで、それを兵器として使うのか、平和利用するのかということは、科学者の手を離れた問題だった。

 しかし時代は、帝国主義時代。世界大戦が起こり、そこから、ドイツなどの敗戦国の賠償問題に始まり、共産主義に台頭、さらに世界恐慌によるブロック経済の問題。それによって、

「持てる国と、持てない国」

 の格差が明確になり、戦争機運が高まってきたところに、ナチスの台頭があった。

 世界の覇権をめぐっても戦いは、核兵器にも注目が集まる。まず、ナチスが開発に乗り出したというウワサを突き止めた、アインシュタインが、亡命したアメリカで、当時の大統領である、ルーズベルトに、

「ナチスが核開発を行っている。アメリカもドイツよりも先に核を開発しないと手遅れになる」

 という手紙を出すことで、ルーズベルトは、核開発であるところの、

「マンハッタン計画」

 に乗り出したのだ。

 当時の科学者は、核開発というものに対して、まったく違和感がなかったという。科学者としての本能が、開発に携わることのできるという本懐が遂げられていることへの満足に浸っていたことだろう。

 アメリカという国は、当時、、

「モンロー主義」

 という考えがあり、

「アメリカ本国に関係のない戦争に、何を兵隊を出さなければいけないのか?」

 という考えであった。

 よほどの利権や、アメリカの誇りに訴えでもしない限り、世論が認めるわけもない。アメリカという国は。議会が承認しない限り、大統領令であっても、戦争を起こすことはできなかった。

 だから、参戦のための口実として、

「真珠湾攻撃を日本に仕掛けさせた」

 という考えが主流になっているのだ。

 アメリカが大陸から、太平洋艦隊の基地をハワイの真珠湾に移したことで、日本海軍が狙うのはハワイだということは分かっていた、

 もう一つの可能性としては、アメリカがアジアで権益を持っていたフィリピンだろうが、フィリピンには当然m危険を知らせる電文を送っていたことだろう。

 しかし、ハワイにおいては、敢えて知らせなかったという話もあるくらいだった、

 ただ、そもそも日本というのは、陸軍国である。海軍というのは、陸軍の作戦を陽動するくらいのイメージしかなかった。歴代首相を見ても、陸軍出身者が、海軍出身者に対して群を抜いて多いのも分かるというものである。

 ということで、陸軍の方は、めれー半島侵攻作戦を行っていたのだ。

 ただ、なぜ真珠湾の成功の方が大きく報じられたのかは分からない。敢えて、陸軍の動きを軍の機密として、大本営が抑えたのかまでは分からないが、これによってアメリカが参戦し、いよいよ核開発が現実味を帯びてくるのだった。

 ただ、実際に開発を行い、完成したその時には、すでにドイツは降伏していた。

 そういう意味では、核兵器を使う場所がなくなってしまったのだ。

 だが、彼らには戦後に起こるであろう、

「冷戦の問題」

 が残っていた。

 ここで戦争をアメリカ主導で終わらせ、その後の世界の覇権をアメリカが握るためにはどうすればいいかということを考えていた、当時の日本政府は、国体維持を最低限の条件として、第三国に講和を頼もうと目論んでいた。その第三国というのが、ソ連だというのはある意味滑稽な話であったが、当時日本は、

「日ソ不可侵条約」

 を結んでいたので、それを一縷の望みにしていたのだろうが、考えてみれば、ソ連という国は、

「不可侵条約」

 という言葉に信憑性のないことを一番知っている国だった。

 なぜなら戦争直前に結んだ

「独ソ不可侵条約」

 をヒトラーに締結からたった二年も経たないうちに破られてしまったのだから、本当に

「絵に描いた餅」

 のようなものだったに違いない。

 しかし、軍部の強硬派は、政府の意向とは別に。

「本土決戦」

 などと言い出して、焦土になってもいいという暴挙に立っていたのだ。

 グァム、サイパンが陥落(玉砕)し、テニアン諸島がアメリカの手に落ちた瞬間、日本が焦土になるのは決まったようなものだった。

 何しろ、B二九爆撃機の航続距離が、これでほぼ日本全土に広がったのだから、当然といえば当然だ。

 それでも最初は日本も善戦していた。爆撃が局地的な兵器工場などに向けてのものであれば、まだよかったのだが。本土爆撃ともなると、作戦は無差別爆撃に変わっていた。

「日本の街を焼き払う」

 という目的で開発された、M六九焼夷弾など、大いに威力を発揮し、ほとんどの土地が廃墟となってしまったのだった。

 その頃にはドイツも降伏していて、原爆実験が行われるところであった。

 アメリカの中には、日本に原爆投下に賛成する人は多かった。

「戦争を早く終わらせて。自軍の被害を最小限に抑えるため」

 という理屈であれば。国民は納得するというものだ。

 今でも、

「日本への原爆投下が間違っていたかどうか?」

 というアメリカの調査で、間違っていないとする人が過半数以上いるくらいである。

 ただ、これが冷戦における、

「自衛のための抑止力」

 ということを言い出して、核開発に歯止めがかからなくなると、その後に起こった、

「キューバ危機」

 という問題が勃発し、核戦争が現実味を帯びてくると、

「どちらかが、核のボタンを押すと、その瞬間、どちらの国も地上から姿を消すことになる」

 ということが明確になった。

 やっと、そのことに気づいたというべきなのか、そのせいもあってか、やっと、

「核開発というものを続けていけば、それは抑止力であるとともに、世界の終わりという危険と紙一枚を隔てただけの薄いものである」

 ということにやっと気づいたということであろうか。

 その時は事なきを得たのだが、その後の世界では、アメリカやソ連以外でも、核を持つという国が増えてきた。核開発競争の別角度での始まりである。

 しかし、いち早く核開発の危険性に気づいたアメリカなどが、他の国が開発しようとするのを抑止し始めた。国連に訴えて、決議をしたりするのだが、それは発展途上国からすれば、おかしな理屈だった。

「お前らが最初にやったことで、俺たちがその後に続こうとするのを抑制するというのはどういうことだ?」

 ということである。

 しかも、核兵器を失くそうとしても、一度作ったものは、その制御が難しい。廃棄物も簡単に廃棄することはできないのである。

 そんな状態になって、新たな核兵器に対しての問題が起こってくるのだ。

 生み出してしまった責任があるから、あるいは、最初にその被害をまともに受けた世界で唯一であるアメリカと日本は、これからどう進めばいいのかという問題があった。

 しかも、平和利用しようとして発電所を作ったりしたが、十年ほど前まではエネルギーとしての確固たる位置を示していたが、震災による発電所事故の影響で、人が住めなくなるという問題が出てきたことで、今でも、その問題の議論が戦われている。

 他の資源と言っても、日本は資源に乏しい国。致命的だと言ってもいい。

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