第2話 つかさの分岐点
令和三年の三月のある日、地下街にあるブティックに勤めている飯倉つかさは、友達の七隈敦子を地下街にある喫茶店に呼び出した。
七鞍敦子は弁護士をしていて、彼女にどうしても相談したいということがあったのだ。
本当であれば、弁護士との接見ともなれば、三十分五千円というのが相場なのだが、友達ということで、
「話によるかも知れないけど、とりあえず、この日の食事代くらいはごちそうしてくれてもいいかな? どうせ三十分くらいで終わるような簡単な話ではないんでしょう?」
と聞かれたので
「ええ」
と答えた。
つかさは、敦子の今までの経験から、よほどのことがない限り人に相談するようなことはないだろうと思っていただけに、つかさから、
「ちょっと相談したいことがあって」
と切り出された時、敦子は身構えてしまったほどだった。
敦子がそんなにまでつかさのことを知っているなど、思ってもみなかったのだが、やはり、
「持つべきものは友達」
というところであろうか。
敦子とつかさは、高校時代からの親友だった。実際には中学時代から一緒だったのだが、お互いに意識することはなかったのだが、高校に入ってから、急に仲良くなった。
二人とも成績が優秀で、地域でも有数の進学校と言われる女子高に入学できたのは、自分たちがいた中学から、三人だけだったのだ。
六人が受験して三人が落ちた。もちろん、六人とも成績優秀で、先生も、
「彼女たちなら大丈夫」
ということで、内申書も書いてくれていたのだろう。
しかし、蓋を開けてみれば、合格数は半分、さぞや推してくれた先生はガッカリしているのかと思いきや、職員室を通りかかった時、その先生が笑いながら話していたのは、
「まあ、半分が合格できたのだから、よしとしましょう」
と、堂々と他の先生に話をしていたのだ。
それを聞いた時、つかさは、
「しょせん、先生なんて、何割の生徒が合格するかのそのボーダーラインさえ超えているエバいいんだわ」
と思っていた。
一番は合格数、二番目は合格率、確かにたくさん優秀な生徒がいれば、合格数は十分に望める。合格率を優先し、本来なら内申書を書いてもらえるべき生徒に書かなかったら、分母は少なくなるので、確率は上がるかも知れないが、そのせいでせっかくの生徒の進路が閉ざされてしまうというのは、何とも言えないだろう。
本当に心配するのであれば、
「合格できても、ギリギリの成績では、まわりが皆優秀なので、それに臆して実力を発揮できなければ、何にもならない」
ということで、内申書を渋るならいいのだが、そうではなく、ただ合格率だけの考えであれば、それはまったく生徒のことを考えていない自分の成績だけしか見ていないと言われても仕方がないだろう。まるでどこかの政治家のようである。
そんな状態の中で合格した三人のうちの二人が、つかさと敦子だった。
中学時代の成績としては、つかさの方がよかったかも知れない、それでも、高校に入学してからの成績は、敦子の方がよかったのだ。
つかさは、進学校であるその高校に入学できただけで、ある程度満足していた。それよりも入学前まではクラスで一番と言ってもいいくらいの成績だったのに、入学してしまうと、分かり切っていたことだったはずなのに、自分の成績ではパッとしない。
確かに進学校に入学することは目標であったが、まわりのレベルについていくだけで精いっぱいならそれでもよかった。そこまで勉強が好きというわけでもなかったし、他人との競争に執着する人間でもなかったからだ。
それに比べて敦子は、
「高校入学はあくまで通過点」
と言っていた。
通過点だというだけあって、そこから先は猛勉強していた。
「私はここから有名大学に行くのよ」
と言っていたのだが、それを聞いたつかさは、
「有名大学に行って、将来何かやりたいことがあるの?」
と聞くと、敦子がいかにも戸惑いを見せていた。
「何かになりたいと思ってもいないのに、ただ有名大学に行きたいということのね?」
と、畳みかけるように聞くと、
「大学に入ってから考えるわ。今はとにかく、勉強を頑張るのよ」
「じゃあ、理数系なの? 文系なの?」
と聞かれた敦子は、それもまだ考えていないようで、
「とりあえず、今の目の前のことを精いっぱいやるだけなの」
というので、
「じゃあ、精いっぱい今を生きて、それで、有名大学に入学するというのね?」
というつかさに対して、
「その通りよ」
と、答えるしかなかった敦子は完全に、やられた感を拭えないようだった。
ただ、その話をしてから、一週間もしないうちに、
「私、将来何になるか決めたわ」
といきなり言い出して、つかさをビックリさせた。
「どうしたのよ。いきなり」
と聞き返したが、その時の敦子の表情は、数日前のいかにも追い詰められた時のような顔ではなく、何か吹っ切れたような表情から、
――この間から、ずっと考えていたんだ――
という思いを感じさせた。
それだけ敦子という女性が負けん気が強く、人から言われたことがショックであればあるほど、そこから逃げずにそのショックに立ち向かうという正義感や、実直なところがあるのだということを、思い知らされた。
そんな敦子がいうには、
「私、弁護士になろうかと思うの」
というではないか。
「うんうん、それは素晴らしいと思うわ」
今、敦子に感じたことを総合すれば、おのずと見つかる答えはそこに行きつくのだろうと思えた。一週間という短時間で決めれたのも、それだけ性格が一直線だからだろう。
「弁護士とは言ったけど、検察官かも知れないんだけどね。要するに法曹界に身を置きたいということね」
という。
「じゃあ、大学も法学部に進んで、その後は司法試験の合格を目指すということね?」
「ええ、そうよ。そして、それもまだ通過点。司法試験に合格してから、いろいろ経験することもあるでしょうからね」
と敦子の目はギラギラするほどに輝いていた。
それを見た時、敦子はきっと達成するに違いないと感じた。これが叶わないのであれば、世の中に達成できることなんかないのではないかと思うほどであった。
とはいえ、自分はどうなのだろう?
人には勝手なことを言っておいて、何になりたいなどと考えたこともない。そもそも、敦子のように、今を一生懸命に生きるということすら考えてもいなかった。どちらかというと、高校に入学できたことで、燃え尽きてしまったのかも知れない。
「燃え尽き症候群」
とでもいえばいいのか、目の前に何も目標がないことで、ボーっとしてしまっている自分がいるのに気付いていた。
「かといって、誰かを応援するというキャラでもないし、グレたとしても、別に面白い感じもしないんだよな」
と、つかさは思っていた。
それがつかさの根本的な考えだった。人に流されることもなく、かといって一本線が通っているわけでもない。成績もどんどん下降していったが、とりあえず落ちこぼれにはならなかった。落ちこぼれるほど、勉強が嫌いでもなかったからだ。
何とか卒業し、大学も一流と言われる学校には入ることができたが、そこでも何をやりたいということもなく、ある程度無為に過ごしていた。敦子の方は、目標が決まってから、目標に向かって自分で計画を立て、それを忠実に守りながら勉強し、第一志望の京大法学部に入学できた。
東大にしなかったのは、東京という街があまり好きでないことと、京大には自分の目指すべき尊敬する教授gいるということだったので、ちょうどよかったのだ。
「そんなに自分で自分を縛って、それで面白いの?」
と聞いたことがあったが、
その時に敦子は、
「そりゃあ、面白いわよ。だって、自分で脚本を書いて、自分で演じて、自分で監督も演出もするのよ。こんなにすごいことはないわ。それにね、これでだめでも後悔はしないもん」
と言っていた。
最後の言葉は、敦子の本心かどうか分からない。つかさに話を合わせてくれたのではないかとも思うのだ、とにかく見ている限り、
「非の打ちどころのない、完璧な人間」
それが敦子だった。
自分の知り合いにそんなすごい人がいるのだということは、大学生になってから、離れて暮らすようになってから感じた。
一緒にいる時は、そばにいて当然だっただけに、どんなにまわりが尊敬のまなざしを向けようとも自分とは対等だという意識があったが、離れてみると、どうしても他人事のように思えてくる。
それだけに、目線が下がってしまって、
「あんなに遠い存在だったんだ」
と、敦子がまるで自分の手の届かないところに行ってしまったような気がして、少なからずのショックを受けた。
それまでは、なるべく何事も気にしないようにして、
「自分が後悔しないように、言い訳が聞くくらいのところをうまく立ち回っていければいい」
というくらいの感覚でいたのだ。
そういう意味では言い訳が上手になっていたのかも知れない。
入った大学では、一流大学とはいえ、入ってしまえば、中学から高校に入学した時ほど、自分のレベルが影響してくることはなかった。
勉強の内容もまったく違うし、試験も高校までとは全然違う。
高校までは、設問に答える問題だったり、穴埋めだったりが主流だったが、大学の私見というのは実にシンプルで、
「○○について書きなさい」
という問題が一問出されるのが普通だったりする。
文章力も重要であるし、勉強した内容をどれだけ文章の中に織り交ぜ、辻褄が合わないような回答にならないようにしなければいけなかった。
だから、大学の試験は高校までと違って、
「暗記ではなく、想像力と、創造力が試されるんだ」
ということである。
ある意味、面接を筆記にしたような試験という見方もできる。面接でも、
「○○について、思っていることを話してください」
などというのもあったりする。
大学に入る時、面接もあったが、確かそういう質問だったような気がする。あの時は適当に答えたつもりだったが、面接官の人は興味深く聞いていたような気がした。表情を変えないのは面接官なのかも知れないが、興味を持って聞いてくれていると思ったことで、少なくとも、いい加減な回答はしなかったと思う。本当に感じていることを、自分の言葉で答えただけだ。それが、面接を受ける側としての、姿勢という意味では、いいことなのではないだろうか。
つかさは、筆記試験は、あまり自信がなかったので、合格できるか不安だったが、何とか合格できたのは、ひょっとするとこの面接がよかったからなのかも知れないとも思っていた。
だが、さすがにそれだけであるわけもない、筆記試験も、それなりによく、合格点に達していたのかも知れない。
大学を卒業することには、完全につかさと敦子の間では、明らかな差がついていた。それでも、敦子の方はよくつかさに連絡をくれたが、つかさの方はさすがに、大学時代にはそのすべてに返事を帰すことはなかった。
やはり、相手に比べて自分の方がレベルが低いというひけめと、どこか敦子の自尊心を助けているような気がして嫌だったのだ。
つかさの方としても、敦子には負けているが、大学生活としては、それほど悪いものではなかった。だが、就活になると、どうもうまくいかない。
「大学時代に何か自分でやり遂げたようなものがありましたか?」
という質問をされると、何も答えられなくなる。
確かに、大学時代を無難に過ごし、成績もさほど悪いわけではなかったのだが、人にはないような特化したものはなかった。ただ、無為に過ごしてきたということを証明したようなものだったが、就活において、それは致命的であった。
ほとんどの面接では第一次で落とされる。
一応は、一流大学という触れ込みがあったので、大学の名前だけでも、最終面接くらいまでは行けるのではないかと思っていたが、それは甘かった。
逆に面接官の方としては、
「一流大学を出ているのであれば、それなりに何かを残しているはずだ」
という意識を持って面接をしているようだ。
つまり、大学の名前が有利に働くわけではなく、却ってそのハードルを上げていることに、つかさは気付いていなかったのだ。
それでも、何度か面接を受けているうちに分かってきた。
「大学の名前を問題なのではなく、その看板を背負っているのであれば、それだけの成果があることを相手が望んでいるということだ」
と感じると、就活をするのがある程度きつくなってきた。
結局、どこからも内定がもらえずに、大学時代でアルバイトをしていたファミレスのウエイトレスのバイトをそのまま続けることになった。
まあ、時代としては、自分が就活をしていた時期というのは、リーマンショックの尾を引いていて、なかなか不況からの脱却ができない頃であった。したがって、就職浪人が何人もいて、アルバイトやパートで食いつなぐ人も多かった。
中には、
「パパ活」
なることをしている人もいたが、自分にはできないことだと思っていたので、最初から考えもしなかった。
お金を持っていそうな、少し寂しそうにしている金銭的に余裕のある相手との疑似恋愛の中で、お金を貰うという考え方だ。
調べてみると、パパ活と呼ばれるものは、一種の援助交際の中に含まれるものであるが、基本的には、食事やお茶が中心で、肉体関係は必須ではないというのが、パパ活の定義である。
そういう意味では、パパ活が自由恋愛なのかどうかは意見が分かれるところであるが、元々、交際クラブ、デートクラブというところがパパ活を支援しているいう点では、自由恋愛とは程遠いのではないかと思うのだった。
つかさは、そこまで自分の容姿には自信もなかったし、何よりも、それほどコミュ力があるわけではないので、男性と二人きりになった時、何を話せばいいのか、実際に困ってしまうだろう。
それを思うと、つかさは、普段から地味にしているし、目立たない存在になっていたのだが、そのせいもあってか、三十歳になるくらいまでは、誰もつかさを意識する人はいなかった。
だが、ある日、グラビア記者が街を歩いているつかさに声を掛けてきた。
「あの、ちょっといいですか?」
男を見た時、いかにもちゃらちゃらしているように見えたつかさは、咄嗟に身体を翻して反対方向に歩き始めたが、
「怪しいものではないんです、あなたの自然な姿を撮りたいと思ったんです。よかったら見てください」
と言って、デジカメの写真を見せてくれた。
そこには、いつ撮られたのか、自分で意識もしていない自然な表情の自分が写っているではないか。
「これ、私なの?」
というと、
「そうですよ。あなたです。どうやらあなたは自分の潜在している美しさに気づいていないようですね。でもね、あなたの素晴らしさはそういう素朴なところにあるんです。あなたは無意識に今のファッションを選んでいるんでしょうけど、それが実にいいバランスを保っているんです。もっというと、あなたのファッションがあなたの表情を形成していると言ってもいい。あなたは、今までに誰かから見られているという思いを抱いたことはなかったんですか?」
と言われて、
「ええ、もちろんありません。なるべくまわりに意識されないようにしようと、そればかり考えていたんですよ。私は人と話をするのが苦手なんです。だから、人から見られるのが嫌なんです」
というと、
「そうそう、そうなんですよ。あなたは、自分をネガティブに表現する時には饒舌になる。それは、なるべく自分のことを自分で分かっているということをまわりに宣伝したいという思いからなんですよ。自分には目立つ要素がないので、それくらいでしか自分を表現できないと思い込んでしまっているので、あなたは、そういうネガティブな世界に入り込む結果になってしまったんでしょうね」
というではないか。
「でも、どんなに頑張っても、私は人とちゃんと会話もできないので、だったら、身の程を知るしかないじゃないですか」
と、興奮気味に話した。
すると、男はそれを待ってましたとばかりにニヤッと笑って、
「そうなんですよ。あなたはそうやって自分が身の程を知っているということに満足しているだけなんです。つまりは自己満足することでせっかくの自分の性格を押し殺そうとする。きっと、自分のことを考えたり見たりすることが怖いんでしょうね」
というではないか。
――明らかに私に挑戦してきているんだわ――
と感じたが、すでにその時にはその男に踊らされていたようだった。
何を言っても、言いくるめられるような気がするのは、今までのコミュ力のなさだと思っていたが、実際にはそのことを自覚しながら何もしてこなかった自分が悪いのだということに気づかされたのだろう。
今までのつかさは、男性を怖いものだと思っていた。そして、そんな男性を操っているかのような態度を取っている女性を、さらに怖い存在だと思っていた。いわゆる、
「魔性の女」
という人なのであろうが、ただでさえ男性と話もできない自分が、そんな魔性の女に適うわけはない。
つまり、男性に話をできない以上に、誰が魔性の女なのか分からないだけに、女性に対しても話をしかけることなどできるはずもない。
特に女性というのは、男性に対してとは違い、同性であれば、相手が話しかけてこなければ自分が行くようなことはほとんどない。よほど何かの情報を得たかったり、利用できると思わない限りは自分からはいかないものだと思っていた。
となると、余計に同性の知り合いができるわけもない。
今までできた友達というと、敦子だけだった。他にもできたかも知れないが、ほぼ、その時だけの関係で、それ以上はないと言っても過言ではない。
もちろん、男性の友達がいたわけでもない。
だが、つかさは処女ではなかった。まわりの人はつかさのことを、
「処女だ」
と思っている人が多いかも知れないが、それはそれだけつかさのことをまわりの女性が誰も気にしていないからだということであろう。
少しでもつかさのことを見ている女性がいるとすれば、
「何言ってるのよ。あの人は処女じゃないわよ。見ていればすぐに分かるわ」
ということになるだろう。
実際につかさは知らなかったが、つかさに注目している女性もいて、
「できれば、近づきになりたい」
と思っていたのだが、それだけ、つかさという女性には人を寄せ付けないような、結界のようなものがあったのだろう。
だが、彼女が考えているように、つかさというのは女性としては、分かりやすいタイプのようだ。それは、きっと性格的には素直なくせに、下手に隠そうとすることで、余計に目立ってしまうというのが真相ではないかと思えた。実際につかさを気にしている女性からすれば、
「彼女って、本当に損な性格なのかも知れないわ」
と思われていた。
そんなつかさを気になった男性が、このカメラマンだった。
名刺を見れば、有名雑誌社専属のカメラマンということで、グラビア撮影と書かれていた。
「あなたを一目見て、この人だって思ったんですよ」
と彼は言う。
つかさにとっての、分岐点となるのだろうか。
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