第4話 娯楽とギャンブル

 八重子はその時から電話番号は変えていない。警察も、八重子から依頼は受けたが、正直に言って、なるほど、最初の数日は、警官が言っていた通り、見回りを強化していたが、一か月も経たないうちに、その頻度も徐々に減っていって、一か月後には、前に戻っているという体たらくであった。

 もちろん、これは、警察全部がそういうわけではなく、少なくとも都道府警警察単位であるだろう。

 もっと細かく、

「警察署単位」

 かも知れない。

 それだけ、警察というのは、いい加減ということなのかも知れない。

 そもそも自治体単位でやったことで、どうなったかというと、

「世界的なパンデミック」

 の時の病人の対応であったり、ワクチン接種なども、そのほとんどが、バラバラであったではないか。

 なぜか、日本(日本に限らずかもしれないが)という国は、ほとんどが、自治体単位で行っていることが多い。法律に関係することは、都道府県単位になるだろう。

 なぜなら、そのために、

「条例」

 というものがあるからだ。

 元々の根幹になる法律が全国にはあって、その土地にそぐうような条例が、法律を元に作られていることが多い。

 例えば、風俗営業と言われる、

「風営法」

 などがいい例ではないだろうか?

 風営法には、業種によっていくつかのパターンに分かれている。

 例えば、ゲームや娯楽に関してもものであったり、夜の、

「水商売」

 と言われる、飲み屋やスナック。

 さらには、そこに女の子がついて、さらに性風俗の様相が高くなるキャバクラであったり、ソープ、ヘルスのような、性的風俗のお店もある。

 極端にいえば、それらは、営業時間もまちまちである。

 ゲームセンターなど娯楽施設は、午前零時まで、さらに、お酒を提供する店は、深夜時間帯もOKだったりする。

 問題は性風俗店に関してであるが、

「店舗型」

 と言われる、客がお店を訪れるケースの営業は、基本、午前6時から午前0時までということになっている。

 なぜなら、風俗営業法が定める深夜時間帯というのは、

「午前0時から、午前6時まで」

 と決まっているのだ。

 だから、

「店舗側の性風俗店の営業時間というのは、深夜時間帯を除いた時間」

 ということになるのだ。

 ただ、これは、全国的な基準でしかない。風営法がそうなっているからと言って、絶対に午前6時から、0時までを営業時間と決まっているわけではない。

「風営法に定められた時間の範囲内であれば、それでいい」

 ということで、営業時間が明記してある法律は、風営法ではなく、各都道府県の条例ということになるのだ。

 他の刑法などと違って、

「条例の方が強い」

 という数少ない例ではないだろうか。

 ただ、この法律が生きるのは、性風俗営業の中でも、

「店舗型」

 と呼ばれるものだけである。

 つまり、数十年前から流行りだした、

「派遣型」

 と言われる、デリヘルなどというものは、

「24時間、営業が可能だ」

 というものである。

 これも、もちろん、営業時間は、その範囲内であれば、別にかまわない。だから、デリヘルに関しては、営業時間の違反などありえないということであろう。

 さらに、性風俗営業、特に、

「特殊浴場」

 と呼ばれるものは、結構ややこしい。

 都道府県によって、かなり営業できるところを制限しているからだ。

 例えば、

「中洲の1丁目だけ」

 などと、明らかに制限を受けているのだ。

 大阪などは、

「店を開いてはいけない」

 という条例があり、大坂には、ソープランドというものがなかったりするのだ。

 だから、皆、神戸の福原まで行ったり、滋賀の雄琴、岐阜の金津園などに行ったりしているのだ。

 これは都道府県の条例の問題ではないが、

「ソープランド」

 というのは、結構いろいろ規制がややこしいという。

 昔であれば、必ず、

「サウナのような施設がなければ、営業してはいけない」

 というものであったり、

「新しく、新規参入してはいけない」

 という法律もあるので、前の店が店舗を他に移したり、廃業した場合など、どこかの店が別館という感じで作った時、店のコンセプトを出そうと思い、思い切った改装はできないのだ。

 つまり、

「新店ではない」

 と思わせなければならないので、

「改装も、できるかぎり地味に行わないといけない」

 ということである。

 そうなると、店の営業も、こじんまりとしてくる。

「自治体や国は、そうやって、性風俗業界をいつの間にか衰退させて、そういう店を亡くしていこう」

 と考えているのかも知れない。

 そんなことを考えると、

「各都道府県の条例で、勝手にやっていいというのは、本当は、業界を衰退させようという思いを感じさせないようにしているからではないだろうか?」

 あくまでも、勝手な想像なので、実際のところは分からないが、

「新規参入させてはいけない」

 ということは、そういうことなのだろう。

 逆に、同じ風俗営業法に関係があるところでの、

「パチンコ屋」

 というのは、どうなのだろう?

 昔から、

「三店方式」

 などということで、実際には、ギャンブルなのに、法律としてはゲームセンターと同じ「娯楽施設」

 であるということは、どういうことなのだろうか?

 正直なところ、詳しいことは知らないが、そもそも、

「三店方式:

 などというものを編み出し、ギャンブルであるものを、娯楽施設という括りに強引に持っていったのは、警察だということだった。

 そのことを知っている人たちは、この曖昧な事実に憤っているに違いない。

 それを思い知ることになったのが、例の、

「世界的なパンデミック」

 の初期の頃のことだった。

 最初の頃は、新型ウイルスということで、その正体が誰にも分からなっかった。

 今でも、分かっていないわけだが、それは、

「ウイルスが変異を繰り返す」

 ということなので、しょうがないところではあった。

 半年や1年で、大きな感染者の増大による波を起こしたかと思うと、減少傾向にあれば、国民は、

「よし、これで危機を乗り越えた」

 と安堵するのだろうが、実はその間にウイルスは変異していて、

「別のウイルス」

 として、感染を広げていくのだった。

 そうやって、また、数か月で感染者が増え始め、また、規制が入ったりした。

 しかし、もう流行り出して、3年近くも経つと、そのウイルスの正体が分かっているわけでもないのに、あほソーリのアホ政府が、

「表にいる時は、マスクの必要はない」

 などといい、さらに、それまで行っていた、

「海外からの検閲」

 もほとんどしなくなり、

「水際対策」

 は、ザルだけではすまなくなったのだ。

 国民に対して、

「表でマスクをしなくていい」

 などといえば、いくら、その前後に、

「距離をとって」

 あるいは、

「人混みでは、マスクをして」

 と言っているとしても、マスゴミによる印象操作のように、

「自分たちに都合のいいところだけ切り取って解釈する」

 ということになる。

 これは、元々マスゴミが、

「自分たちさえ儲かれば」

 とでもいうように、売れる表題を考えることで、都合よく判断させるというテクニックを、無意識に国民に植え付けていたのかも知れない。

 そんな状態であれば、

「集団意識のなせる業」

 ということで、自分の意思というものをそれほど持っていないような連中は、マスゴミの情報操作のようなものに騙される形で、コロッと政府の口車に乗ってしまい、街を歩いていても、マスクをしていない馬鹿どもが溢れることになるのだ。

 マスゴミも、

「感染が拡大してきました」

 と、自治体などから発表された内容を右から左に受け流すように、ただ、原稿を棒読みするだけである。

 そんな状態で、国民が危機感を感じるわけなどなく、国民も、増えようがどうしようが、完全に他人事であった。

 きっと、自分が罹って初めて後悔するのだろうが、後の祭りというものである。

 何といっても、パンデミックが流行り出して丸3年が経ってきたが、皆ほとんど知らない、というか、ニュースなどで特集を組んだりしているが、放送する方にも、ポリシーが感じられないような内容で、視聴者につたわるわけはない。

 しかし内容は深刻なものだった。

 というのは、

「感染者が治ってからの後遺症に悩まされている人が、かなりの数いる」

 ということである。

 仕事の拘束時間だけでも耐えられないほど、頭痛や吐き気に襲われたりするという。

 しかも、それが、

「後遺症」

 であるということは会社の上司も分かっていることだろう。

 しかし、それを、会社の上司がハラスメントに利用したり、誹謗空将に利用したりするという。

 つまり、

「甘えるな。怠けたいからそんなこと言ってるんだろう」

 とか、

「感染したのは、お前の自業自得じゃないか」

 などということを言われたりするようだ。

 確かに、感染した人の多くは、

「どうせ、俺はかからない」

 あるいは、

「若い者は重症化しないんだ」

 と言って、ワクチンも打とうとせずに、感染対策も適当にしていた人は、自業自得であろう。

 しかし、伝染病など、どこで誰が罹るか分からないものなのだ。だから、一概に、

「皆悪い」

 と一絡げにして言えるものではないのだ。

 そういう差別的な言われ方が、3年も経った今でもいわれているというのは、実に情けない。

 本当は、国やその第三者委員会が、ウイルスの正体を全力で突き止め、国民を安心させればいいのだが、肝心の政府は、

「もう、パンデミックなんかどうでもいい。その影響で疲弊した経済を立て直す」

 ということの方に舵を切ったのだ。

 ということは、

「国民の命なんかどうでもいい」

 と言っているのと同じで、

「政府は国民を縛ることはしないので、死にたくなかったら、自己責任で行動し、自分の命が自分で守れ」

 と言っているのだった。

 それを、ノーマスクなどのように、

「国家が、マスクをしなくてもいいというのだから、今回のウイルスの山は越えたと言っているんだ」

 などというのは、大間違いだ。

 逆に、国家は、国民のことを見捨てて、自分たちの保身にだけ動いているということであった。

 だが、こんな現在ではあったが、流行り始めて、まだ最初の数か月というと、本当に何もその正体を分からなかったので、世界各国で、

「ロックダウン」

 が行われた。

「国民の行動の権利の部分の一定的なところを、政府が制限する」

 というもので、いわゆる、

「戒厳令」

 と同じだった。

 しかし、日本では、日本国憲法に明記してある、

「基本的人権の保障」

 というものが邪魔をして、さらに、

「平和主義」

 というものを謳っているということで、

「日本には有事はない」

 ということで、

「戒厳令」

 というものもないのだ。

 つまり、国家は国民に要請することしかできず、罰則を伴う命令を出すことが現行法ではできなかった。

 しかし、そのうちに、伝染病蔓延防止の観点から、いくつかの法律が出来上がり、実際に運営されたが、

「正直。その内容は、ひどいもので、どうも政府が楽をしようとでも考えているような内容も少なくはなかった」

 といえるだろう。

 そんな状態において、日本には、

「緊急事態宣言」

 なるものが一番厳しい状態であった。

 国民に対しての行動制限の要請、つまり、

「なるべく、家にいて、他府県をまたぐ移動はしないでください」

 と言っていた。

「そもそも、他府県をまたいではいけない」

 というのはどういうことなのだろう。

 隣の県に移動すると、その時点で感染でもするというのか、それとも、隣の県に入れば、罹っていないはずの自分が、病原菌のようにでもなるというのか?

 そんな、

「非科学的なこと」

 があるわけもない。

 どうせ、自治体が、

「政府に報告する数が増えるのに敏感になっているからだろう」

 自分のところが最低だったりすると、県のイメージが悪くなる。それは嫌だということになるのだ。

 そんなことを考えていると、

「他府県への移動は避けてください」

 となるわけで、

「感染するしない」

 ということには一切関係ない。

 そのことを、マスゴミもSNSで、いつも騒いでいる一部の連中が誰も問題にしようとしないのはどういうことだろう。

 野党も、どうでもいいようなことを国会で追及したりするくせに、こういうことは問題にしない。

 政治家も分かっていて問題にしないのだろうか?

 政治家がそんなに頭のいい連中の集まりだとは思えないが、要するに、それだけ、

「悪知恵が働く」

 ということなのだろう。

 そんな正体が何も分からない中で、しなければいけない対策として、

「緊急事態宣言」

 が発令された。

 店舗には、

「薬局やスーパーコンビニなどの、必要不可欠な業界以外は、休業を要請」

 していたのだ。

 確かに、最初の時は、皆分からずに、恐怖に駆られていたことで、受け入れることにしたのだ。

 だから、街中などは、まるで昔の正月のようだった。

 今は元旦から店が開いているので、こんな光景を見ることは、正月の間とはいえ、まずない。

 むしろ、正月は、人が多いイメージだ。

「初売り」

「福袋」

 などと言って、百貨店はごった返すのだ。

 緊急事態宣言中は、確かにほとんどの店は閉まっていた。

 しかし、その中でも、

「休業には応じられない」

 という店も多かった。

「いくら、補助金が出ると言っても、今までの一日の売り上げにさえ満たない補助金など、正直、何の役にも立たない。それだったら、店を開ける」

 ということだ。

 しかし、店を開けたからと言って、今までのように客が来るわけではない。ただ、閉めていてまったく来ないのを考えると、一人来ただけでも、全然違うという、

「性風俗の店」

 などは、休業はしていなかったようだ。

 そして、やり玉に挙げられたのが、パチンコ屋だった。

「一部の店で、開いている」

 ということが、問題になり、マスゴミなども騒ぎ出すし、国民の中の一部に、

「自粛警察」

 なる変な輩が一定数出てきたことでややこしくなったのだ。

「自粛警察」

 というのは、

「自粛をしていない人たちを政府が裁けないので、自分たちが批判することで辞めさせる」

 というような感じの連中ではないだろうか?

 正直、やつらは何がしたいのかよく分からないので、曖昧な解釈にしかならない。

 自粛警察が騒いでもどうしようもないのだが、自治体は

「要請に逆らうのであれば、店名を公表する」

 と言いだした。

 それでも、店側は、相当なジレンマを感じながら覚悟をもってやっているので、店名を公表されるくらいは気にもしていなかった。

 すると、店名を公表されることで、今度はパチンコ屋側が得をするという、想定外のことが起こったのだった。

 店名を公表するのは、

「公表されると、今後、普通の状態に戻った時、あの店は、休業要請に応じなかった店だということで敬遠されるだろう」

 と思うことで、

「店側もしょうがないから、休業しよう」

 と考えるのではないかと考えていたのだ。

 だが、店側の切羽詰まった状態は、そんなどころではなかった。

「今時点が危ないのに、そんな先のことを考えたりできるはずがない」

 ということで、強行した。

 ひょっとすると、店主は店じまいを考えているのかも知れない。

「店を閉めるにしても、倒産状態では閉めるにも閉められない」

 ということで、やむなくの営業を続けることだったのだ。

 だが、問題は、そこではなかった。

「ギャンブル依存症」

 と呼ばれる人がそれだけいるかということだ。

 いきなり店が休業して、どこにもいけなくなったギャンブル依存症の人は、何とか自分を抑えようとしてきたとして、そこに持ってきて、自治体が、自分のところのホームページに、

「休業要請に応じない店」

 ということで、店名を公表すれば、皆が殺到するのは当たり前というものだ。

 店名を公表された店は、その翌日から、開店前には、長蛇の列ができているというものだった。

 そのせいもあって、パチンコ屋は、何とか売り上げをキープできたことだろう。

 さすがに、休業要請に一度は応じたところが、

「二匹目の土壌を狙って、開店に踏み切る」

 というところはなかったようだ。

 それなりに、パチンコ協会から、通達。あるいは、罰則などが開店に際し、いわれていたのかも知れない。

 もう、こうなってしまっては、自粛警察には手に負えない。

 警察も、

「開いている店に客が押し寄せるのを、縛ることはできない」

 そうなると、想定外のパチンコ屋や、依存症の連中に対してだけ、有利に働いたということでなのだろう。

 何といっても、パチンコ協会からのコメントとして、

「うちの業界の自粛要請に対する協力度の高さは、群を抜いている。しかも、店内は換気が行き届いているので、感染者を出したことはない。ある意味、一番安全なところである」

 と、言っているのだ。

 それに間違いはないだろう。

 その通り、パチンコ業界は、数字だけを見れば優秀だった。

「しかし、なぜ、それなら、パチンコ屋だけが、やり玉にあがることになったのか?」

 ということが問題だったのだ。

 確かにパチンコ業界というのは、イメージが悪い。

 特に、

「三店方式」

 などというものがあるから、余計に曖昧で、今まではナアナアでやってきたことになっている。

 しかし、今回の問題で、一時期だったが、

「パチンコ屋の闇」

 という形でクローズアップされたことがあった。

 それが、前述の、

「三店方式」

 という、パチンコ業界と、警察との癒着だったのだ。

 本来なら、政府の中には、

「パチンコをギャンブルということにしてしまえばいい」

 と言っている人がいるが、それに反対するのが。

「やはり」

 というか、

「当然のごとく」

 問題は警察だったのだ。

 元々、そうやって、苦し紛れにやった対策を、

「いまさら変えるわけにはいかない」

 ということになるのだった。

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