第2話 いたちごっこ
昭和の頃であれば、
「美人局」
というものが、幅を利かせていた時期があった。
金を持っていそうな芸能人などに、女をあてがって、
「お兄さん、これから、どこか行きます?」
と言葉巧みに誘って、ホテルに入ることだろう。
だが、この時の男の心理がいまいちよく分からないのだが、
「お金があるのであれば、風俗のお店に行った方がいいような気がするのに」
と思うのである。
いわゆる、
「ポン引き」
というものであったり、一時期流行った、
「テレクラ」
などで知り合った素人と、ホテルへしけこむということであっても、
「タダ」
ということはない。
風俗に比べて高いのか、安いのか分からないが、どうせお金を払うのであれば、
「お店の方がいいのではないか?」
と思うのは、勝手な思い込みであろうか?
お店に行く方が、ちょっと考えれば安心な気がするのだ。
というのも、お店であれば、女の子のサービスは基本的にいいだろう。
今は大衆店や格安店などがあるが、昔は、マットなどは必ずあったではないか。
もし、お店が嫌であれば、デリヘルというのもあるはずだ。こちらも、店舗からの派遣なので、しっかりしているはずである。
デリヘルなどは、却って店側の方がリスクが大きい。
ホテルの個室や、客の家なのであれば、店の力は及ばない。女の子に何かされても、女の子側はどうすることもできないだろう。
以前は、Vシネマなどで、
「女の子をホテルの部屋に連れ込んだ後、もう一人か二人男が出てきて、女の子を羽交い絞めにして、好き勝手する」
ということだってあったではないか。
女の子の方も、ビデオを回され、それを元に脅迫されれば、どうしようもないだろう。
下手をすれば、学生とかだと、学生証を取られたりするだろうから、女の子が圧倒的に不利である。
それを考えると、店側のリスクは、デリヘルなどでは、大変であろう。
そんなことをする連中がいるくらいなので、
「美人局などは、とんでもないことになる」
といってもいいだろう。
デリヘルでは女の子を脅迫であるが、美人局は、
「金を持っている男がターゲット」
なのだ。
当然、行動パターンは把握していることだろう。
まずは女の子が、男に声をかけるか何かして、ホテルに誘い込む。その時、いくらという交渉はしておくのだろう。交渉に合えば、ホテルに入って、男がシャワーを浴びて、女の子に抱き着こうとした時に、美人局が入ってくる。そこで脅迫するわけだが、男側が危ないともし思っていたら、
「入口のところを気を付けておけば、防げるかも知れない」
というのは、男が入ってくるということは、少なくとも、
「玄関が開いていないと、男は入ってこれない」
部屋の玄関は、オートロックになっていて、締まってしまうと、フロントからの解除か、部屋の中から開けるしか手はないのだ。
だから、女はあらかじめ男が入ってこられるように、
「扉のロックが掛からない」
というようなことをしているはずだ。
「靴をひっかけける」
などしているはずなので、中に入る時、靴を扉に引っ掛けたりするような行動を取れば、今度はフロントに電話をするか何かをすればいいのだ。
しかし、男の側は、そんなことに気づかない。
「素人の女の子を抱ける」
ということに興奮していて、そこに2万や3万くらいは、いいと考えているのだろう。
しかも、女の子は、ほとんどの場合、手抜きだろうと思われる。
なぜかというと、お店であれば、リピーターになってくれるかも知れないが、ポン引きやテレクラの場合は、ほとんど、いや、すべてと言ってもいいくらい、一回きりになるだろう。
というのも、男の方が、同じ相手を嫌がるのだ。
素人の女の子を抱きたいと思うのは、
「たくさんの女の子と経験したい」
と思うからだろう。
そうでなければ、お店でいいからだ。
店の女の子だったら、いつも同じ店を利用しているのであれば、
「一周すると、また同じ子」
ということになる。
つまりは、それが、素人を抱く醍醐味なのだろう。
そうなると、女の子の方も、
「また選んでもらいたい」
と考えることもなければ、しかも相手は、
「素人の女の子を求めている」
のである。
そう考えると、
「女の子は手抜きをするだろうし、男を気持ちよくしようというサービス精神は皆無に違い」
それでも、なぜ、素人を求めるというのか、正直分からない。
そう、分からないだけに、男が何を求めて何を考えているのか分からない。ある意味、形式に則れば騙しやすいともいえるだろう。
だから、
「こういう金のある男は、自分の保身に走るから、お金を出す」
ということになるだろう。
しかし、これが、実は美人局側の盲点でもある。
美人局など、ちゃんとした組織が計画するようなことではない。たぶん、チンピラか、チンピラに毛が生えた程度の連中が、若さに任せて、売春感覚でやるのだろう。
だから、男もすぐに金を出すのだ。
だが、よく考えておかないと、素人が手を出す犯罪には、必ず大きな盲点がある。
それは、狙った相手が芸能人であったり、学者であったり、などの、
「著名な人物たち」
だからだ。
彼らは、守るべきものがあって、お金があるのだ。相手がチンピラだと分かると、お金を使って、こちらも
「その筋の人たち」
を動かし、相手を探すようなことをするだろう。
そして、
「彼らには守るべきものがあるのだ」
つまりは、犯罪者のチンピラたちは、そのあたりのことが分かっていない。
「目の前のお金が手に入ればいい」
ということだ。
つまりは、
「守るものがなく、計画性もずぼらな連中」と、
「お金を持っていて、自分を守らなければ今まで築き上げてきたものがある人は、必死で、そいつらからの被害を止めようとするだろう」
ということだ。
「チンピラたちは、言われることだけをやってお金をもらうだけなので、いくら、謝ったとしても、許してくれないだろう」
何しろ、彼らが被害者ではないからだ。
お金に見合うだけ痛めつけて、スマホの写真などを取り上げ、これ以上、何かすれば、警察にいうと脅迫してしまえば、やつらは、もう何もできないに違いない。
それを思うと、
「実に、浅はかで、まったく計画性のない。行き当たりばったりの計画だ」
ということだ。
せめて、調べるとすれば、ターゲットがお金を持っているかどうか、そして人気がどれほどなのか? ということだけで、すべてを把握したつもりになる。
そんな連中に、
「人を脅迫などできるわけもなく、痛めつけられるのも、自業自得で、誰も助けてくれないだろう」
すべての証拠は相手に握られているので、どうすることもできない。
「自分たちの頭の悪さを恨め」
ということであろう。
ストーカー関係から発展したような犯罪であったが、次のは、少し様子の違う犯罪だ。この犯罪も昔からあるにはあるが、現在は、科学の進歩とともに、その内容が違ってきている。
というのは、いわゆる、
「詐欺犯罪」
である。
昔と違って今は、パソコンやネットなどの普及により、今の詐欺犯罪は多様化してきて、さらに、その犯罪は、
「いたちごっこ」
の様相を呈していた。
昔の詐欺というと、詐欺集団が文章偽造などを行ったりという時代があり、それをへて、一番大きな詐欺事件として、昭和の終わり頃に起こった事件があった。
この事件は、いろいろな意味で注目され、想定していなかった殺人事件まで起こった。さらに、詐欺グループのやり口というよりも、やつらのターゲットに定めた人たちが問題でもあったのだ。
ある商事会社が、
「会社ぐるみ」
で関わっていた。
というよりも、この会社自体が、
「詐欺養成学校」
も兼ねていて、社員に詐欺の手口を教え込み、社員が実行したというのだ。
やつらのターゲットというのは、
「年寄り」
だった。
当時はまだバブル前で、バブルが弾けてからに比べて、まだまだ個人がお金を持っていた時代だ。
さらに、銀行に預けていれば、利子で少しは潤うくらいの時代で、今のように、
「預けようが、預けまいが、利子なんてあってないようなもの」
と言われる時代ではなかった。
しかも、
「年金を国家に消された」
などという信じられないような、バカげた事件の相当前なので、年寄りは、
「貯蓄もあれば、年金も十分にもらえる」
という時代だった。
定年は、通常は55歳、そして、年金も55歳からもらえたので、中には60歳まで園長して働く人もいただろうが、
「働かなくても、年金で暮らしていける」
というものだった。
今は、定年が60歳で、年金は65歳からしかもらえないので、65歳まで働くことは、基本的に当たり前のようになっているのだった。
しかも、貯蓄などできるほどの給料は貰っていないし、年金も、消されたりしたので、自分たちが貰っていた微々たる給料からさらに、かなり減った形でしか支給されない。
つまりは、
「明るい老後」
どころか、
「生き続けるほど、苦しくなる」
という時代である。
「一体、こんな時代に誰がした」
と、過去のソーリの顔を思い出していくと、次第に腹が立ってくるので、途中でやめてしまったくらいだ。
さて、そんなまだ老後に貯蓄もあれば、年金も貰えたという昭和世代の人たちは、その頃から、
「孤独な老人」
というのが増えてきた。
今の時代であれば、老人になっても、
「自分で楽しみを探して、生きていける」
であろうが、当時の老人はそうはいかなかった。
というのも、昭和の時代は、ある意味、
「働ける時期は、会社や仕事だけをやっていればいい」
という時代だった。
その証拠として、今はなくなりかけているが、かつては日本企業を代表するものとして、
「年功序列」
や、
「終身雇用」
という制度だったのだ。
つまりは、
「会社に入って普通に仕事をしていれば、ある年齢に達すれば、誰でも課長や部長になっていき、その分の給料も上がる」
というもので、さらに、
「辞めずに働いていれば、定年まで、その会社での椅子が約束された」
というようなものだからだ。
もちろん、高卒、大卒によって、その差は歴然なので、学生時代から、
「とにかく、勉強して、いい大学。いい会社の入る」
というのが、親が子供に求めるものだった。
当時の日本企業は、とにかく世界のトップクラスで、
「ベストテンに、7,8社が日本企業」
と言われたほどだったのだ。
今の時代では、ベスト30に、一社入っているかいないかというもので、昭和の時代と今とではどれだけ違うかということは分かるというものだ。
そんな時代の老人は、定年になると、魂が抜けたようになってしまい、もし家族と住んでいるとしても、家族から、
「邪魔者扱い」
にされるくらいだった。
「いうこと利かないと、老人ホームにいれるわよ」
などと、老人ホームをまるで、
「姥捨て山」
か何かと間違えているような感じである。
今であれば、老人ホームに入りたくても、お金がなくて入れない時代だ。それだけでも、時代の違いが分かるというものだ。
今の時代は、年功序列、終身雇用というのはなくなってきて、さらには、非正規で働く人が増えてきた。
会社が、正社員の割合を削り、安い給料で雇えるようにし、何よりも、
「いつでも首切りができる」
という便宜性から、非正規社員を雇っているのだった。
しかし、現場では、そういう非正規社員に、仕事を任せたとしても、その責任を取ってもらうことはできない。結局、残っている正社員に、非正規社員ができなかった仕事が回ってきて。さらに責任までこちらにあることになる。会社の都合で、責任や仕事を押し付けられることで、今度は正社員が、精神的に楽な非正規雇用に走ったというのも、無理もないことだろう。
会社を辞めて。非正規の派遣会社に登録する。アルバイト感覚なのだ。
昭和の頃には、聞いたこともなかった、
「派遣社員」
というもの、利便性だけで、会社としては、人も育たないし、ただ、
「その時だけよければいい」
ということなのだろう。
確かに、昭和の頃から平成になっても、結局は激動の時代。
「十年後には、どんな世の中になっているか、分かったものではない」
ということになるだろう。
昭和の終わり頃に結局、定年退職をすれば、完全に生活は変わってしまう。
今の時代であれば、
「お金があるんだから、悠々自適な生活ができて、いくらでも趣味もできるし、お金があるんだから、旅行にでもいったりすればいいんだ」
と思うかも知れない。
しかし、
「企業戦士」
と言われた時代を生きてきたことで、何も趣味もなく、
「寂しい老後」
という意味で、よく出てくるのは、
「盆栽いじりとしている爺さん」
というくらいだった。
当時は、今のように、ゲートボールがあったわけでもないし、55歳を過ぎて、元気でいられるという保証もなかった。
今であれば、還暦でも、いや、70歳を過ぎても、ゲートボールなどのスポーツをバリバリにやっている人がたくさんいるだろう。
それができない人たちで、配偶者を亡くしたりすれば、本当に一人になってしまう。それをこの会社は狙ったのだ。
老人に言葉巧みに近づき、親切という餌を与えておいて、信用させ、まるで、
「子供に面倒を見てもらっているようだ」
という安心感を与えられたのだ。
だから、老人たちは、すっかり騙される。中には女性の社員が、男性老人を、
「色仕掛け」
で騙すということもあったようだ。
そして、
「わしの養子にならんか?」
などと言わせてしまい、遺言状に、うまく自分に遺産が転がり込むように書かせるくらいは、ここまで信用させていれば、いくらでもできるというものだ。
なぜ、これが発覚したのか覚えていないが、内部リークだったのか、それとも、
「遺産目当てで、殺害があったのか?」
などということであろう。
しかし、マスゴミが騒ぎ始め、そして、それが、社長への強硬取材になった時、ちょうど、
「暴漢が入ってきて、社長を突き刺す」
などという、前代未聞の事件が起こった。
生放送で、社長を直撃しているところだったので、その映像が、ちょうど昼のワイドショーだったこともあって、全国に生放送されたということでの、
「前代未聞」
だったのだ。
これが、昭和の詐欺で、その内容もさることながら、狙う相手を絞るというようなことが横行していた。これも、一種の、
「世相を反映した犯罪だった」
ということになるのだろう。
2000年以降の詐欺は、そういうものではない。
どちらかというと、不特定多数をターゲットにし、被害者が騙されたということに気づくのは、
「お金を騙し取られてからだ」
ということになる。
これは昭和の犯罪でも同じだが、昭和では、
「あの時に、言葉巧みで言っていたのを、我に返るとおかしかったとどうして気づかなかったのか?」
という後悔があるが、今の詐欺はそうではない。
後で詐欺ということが分かっても、そしてその理屈を説明されても、一回で理解できないような、そういう意味で、
「巧妙な手口」
なのだ。
というのは、一種の、今でいうフィッシングであったり、なりすましと言われるようなもので、パソコンやネットの普及で、銀行や、お店に行かなくても、ネットで商品が買えるという便利な時代になったのだが、
詐欺というのは、そのネット販売を狙ってのものが多かった。
購入してから、支払いサイトに行くのだが、そこで、クレジットやカードの、IDや暗証番号を打つことになるが、そのID、暗証番号が盗まれるというものである。
というのも、購入してから、リンクボタンを押して。
「支払いへ」
というサイトに行くと、そこは、巧妙にできた偽サイトだったりする。購入はその時にできたとしても、情報は盗み取られていて、後になって、購入した覚えのないところから、請求が来るというものである。
何しろ、ほぼ同じサイトなのだからたちが悪いというものだ。
また、直接そのパソコンに侵入し、盗み出すという手口もあった。
ゲームなどのアプリをダウンロードすれば、一緒に、コンピュータウイルスが入り込んでしまうというものだ。
そのウイルスが、コンピュータの中で、悪さをし、ロックを掛けてしまったり、パソコン内の情報を勝手に相手に送信されるということもあったりした。
もちろん、アンチウイルスなどのソフトができあがり、それを使うことで排除もできるのだが、すると、相手もそのアンチウイルスに対抗する詐欺ソフトを作る。そうなると、こっちもまた、新たなアンチウイルスと作るという、
「前述のいたちごっこ」
の様相を呈してくるというものだ。
詐欺犯罪だけでなく、あまたも犯罪というものは、大なり小なり、
「いたちごっこ」
を繰り返すことになると言ってもいいだろう。
かつても、東西冷戦で行われていた、
「核開発競争」
などというものが、その代表例だといえるだろう。
そんな時代において、詐欺犯罪は、昔のように、
「老人をターゲットに」
というようなことはなかった。
そもそも、今の老人には、老人という意識すらないくらいで、しかも、一度かつて、そんな事件が起こっているのだから、しょせんは二番煎じ、うまくいくという可能性はかなり低いであろう。
今のそんな時代だからこそ、コンピュータやネットというのは便利であるし、一度開発してしまうと、それが古くなるまでは、十分に使えるだろう。
しかし、これらの世界は流動的で、
「数年に一度はバージョンアップをしなければいけない」
という業界でもあった。
そうでないと、
「古いシステム」
ということになり、今の人たちには受け入れられないに違いない。
そういう意味では、科学の発展があまりにも早いと、それを求める人間が、
「早いのは当たり前」
という発想になり、そういう意味では、
「いたちごっこがもたらした弊害だ」
と言ってもいいのではないだろうか?
そんな詐欺事件の、
「今昔物語」
を語ってきたが、今度は、また犯罪の質が変わってきている。それは、犯罪そのものというよりも、近年の犯罪とは切っても切り離せない発想という意味で、何を考えればいいのか、少し戸惑わせるものだと言ってもいいだろう。
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