第5話 フェロモンと同性愛
劇団の中で、前述のように仲良くなった新人の子がいたが、その子の名前を、竹内れいなと言った。
彼女とはよく一緒に食事に行ったり、稽古をするようになった。それまではほとんど一人で稽古をしていたのだが、それは、他の人に見られると恥ずかしいという思いと、緊張してしまうという思いとが交錯するからであった。
れいなは、菜々美より一つ若かったが、劇団では新人とはいえ、先輩である。年齢が一つ上でも、劇団員としては相手の方が上なので、相手を立てていたが、最初は向こうも年齢が下だということで、遠慮していたようだ。
それでもお互いに相手のことを気遣っているのがぎこちなかったのだが、それはお互いに忖度しているからではないかと思うことで、それぞれに相手を遠ざけようとしているというよりも、相手から遠ざかろうとしていることで言い訳をしているように感じたのだった。
しかし、最初はどちらが最初だったのか、歩み寄ったことで、距離が一気に縮まった気がした。
「へえ、そうなんだ。お互いに遣わなくてもいい気を遣っていたということなのかしらね」
と、菜々美がいうと、
「ええ、そのようですね。何か私もお姉さんができたような気がして嬉しいんです」
というれいなを見て、
「これで、関係性は決まったわね」
と、菜々美は感じた。
自分から、相手を、
「お姉さん」
と言ってしまったのだから、もう、その時点から菜々美はお姉さんである。れいなを包み込むような気持ちになって、れいなも身体を預けるように菜々美を受け入れようとする。
劇団の立場とは関係なく、二人の間には、姉妹に似た感情が芽生えていた。
これは親友に対してのものとは違っている。今まで親友などというものを持ったのはおろか、友達関係になった人もあまり今までいたことがなかっただけに、菜々美は劇団員に感じていた恥ずかしさや緊張が一気に解れてきて、れいなと話をしているこの自分というものが、
「天真爛漫な性格なのではないか?」
と思えるようになった。
自分のことを、どこか天然だという意識はあったのだが、天然ということの本当の意味がよく分かっていなかった。
他の人に、
「天然ってどういう人のことをいうのかしらね?」
と、白々しくも聞いてみると、
「自分では、真剣そのものなんだけど、どこかずれていて、まるで、ネジが一本外れているかのように見える人、でも、それでも憎めなく感じられる人というのが、私にとっては、天然と言える人なんじゃないかって思うんですよ」
と言っていた。
それは学生時代のことであり、誰かから、突拍子もない時に、自分のことを、
「あなたって、天然ね」
と言われたことがあった。
その時、その言葉が出る一瞬前、その場が固まってしまうほど、一瞬、何が起こったのか分からなかったが、急に相手が笑い出し、
「菜々美さん、やめてよ。本当に起こるわよ」
と言って、さらに、
「本当に天然なんだから」
と言われた。
その直前、つまり、固まった空気と笑い出す間に流れた空気が、あったことは分かっているがそれがどんな空気だったのか、菜々美には分からなかった。相手には分かっていたのだろう、それでないと、
「天然なんだから」
などという言葉が出てくるはずもない。
それを思うと、菜々美にとって、天然という言葉の意味が何なのか、そのうち分かることになるのだろうが、それはきっと、誰かに教えられて感じることに違いないと思うのだった。
菜々美と、れいなは、お互いに相手のことが手に取るように分かっていた。菜々美はれいながどうすれば喜ぶのか、れいなも菜々美がどうすれば喜ばすことができるのかが分かっていたようだった。
「まるで双子のようだね」
と団長がいうと、
「そんなことありませんよ」
と、声を揃えていう。
お互いに目を合わせると、照れたように俯く二人だったが、団長が見ていて二人とも喜んでいるようにしか見えなかった。
「そういえば、二人とも、双子のように似ていると、それぞれにいうと、まるで示し合わせたかのように、顔が似ていないのに? と聞いてくるんだ。それを思うと、おかしくてね。お互いに示し合わせているわけではないと分かっているだけに、余計に、楽しく見えてくる」
と、団長が言ったが、そんな団長を見るれいなの顔が、
「私は、この人のことが好きなの」
と言っているように見えて、微笑ましく感じられた。
菜々美は、団長のことを、好きではあるが、男性として意識をする感覚ではなかった。どちらかというと、
「お兄さん」
という雰囲気に感じられて、
「やっぱり、この二人はお似合いだわ」
と感じていた。
れいなの天然なところを、冷静な目で制しながら、
「しょうがないな」
と言って、笑みを浮かべて、これまた楽しそうにしている団長の顔が浮かんでくるくらいだった。
だが、団長はれいなのことを、妹以上には見ていないようだった。そのことをれいなに告白されて、
「そうなのね」
と呟いた菜々美だったが、自分がどうして団長のことをお兄さん以上に感じないのか、分かった気がした。
そこが自分とれいなとの一番の違いだと思った。
れいなは、自分の気持ちに素直になり、気を遣うところはしっかりと使いながらも、最後は自分の力を信じて、押してくるのだ。
しかし、菜々美の場合は、途中まで真剣に相手と接しているくせに、いざとなってくると、急に臆病になるのか、勢いが衰えてくる。それを相手の男性は冷めてきたように見えるらしく、
「せっかく、こっちがその気になってきたというのに、最後にはこちらの意向を無視して、自分でさっさと見切りをつける。いかにも女だなって思わせるところがあるんだ」
と男性に思わせてしまうらしい。
ただ、その女性らしいところというのは、本当は別れる時によくあることで、付き合っている。あるいは、これから付き合おうとしている相手とでは、女性らしさという意味では少し違っているように思えた。
だから、相手の男性は途中まではせっかくうまく付き合っていても、最後は自然消滅のようになってしまうのが菜々美だった。
だから菜々美は、
「私は今まで、男性とまともに付き合ったことがない」
と言っているが、実はいいところまで行っても、相手に誤解を与えることで、最後には自然消滅のような形になり、しかも、それを菜々美が認めたくないという思いから、
「男性と付き合ったことがない」
などということが平気で言えるのだった。
そんな菜々美のことを、団長はよく分かっていた。元々団員のことはよく分かっているつもりだったが、菜々美三関しては別だった。だが、そんな目に気づいたのか、今度はれいなが、菜々美に嫉妬するような気分になっていた。
ただ、菜々美との親友としての関係は崩したくない。そのため、ただの自分の予感というだけで菜々美のことを疑ったり、嫉妬したりというのは、菜々美に失礼だと思うようになっていた。
それがれいなの性格であり、天真爛漫で天然なところは、実は菜々美にもあって、その部分はお互いに見えないところにあったようで、そういう意味でのまさかの共通点だったと言えるのではないだろうか。
れいなが自分の気持ちに正直で天真爛漫なところがあることから、自分がれいなに惹かれていることに、最初の頃の菜々美は気付かなかった。
惹かれているというのは、れいなをオンナとして見ているからであり、それを認めたくないという思いが、れいなを意識している自分に気づいた時に、菜々美は感じたのだ。
男性を好きになったことが、あまりない菜々美だったが、こんなに簡単に女性だと好きになるのだと自分でもビックリしていた。
確かに、小学生の頃は、男子よりも女性によくモテたりした。
その傾向が中学に入っても変わらなかったことで、女性にモテることに違和感がなかったというべきか、感覚がマヒしてしまっていたのだろう。むしろ、女性が女性からモテることは当たり前のことのように感じていた。
菜々美は、よく告白をされていた。
「付き合ってください」
と正直に言ってくるのだが、付き合うということがどういうことなのかよく分からなかった。
中学の修学旅行では、だしぬけにキスされたこともあったくらいだ。
「何するの?」
と反射的に抵抗したが、相手の女の子はひるまない。
そう、菜々美に積極的な女の子はまったくひるむことはなかった。普段は可愛らしい女の子だと思っている子に限って、行動は大胆だった。主導権は完全に相手に握られていた。
だが、相手が求めるのは、男性役の菜々美だったのだ。女性と一緒にいる時は、凛々しくしかもたくましい。そんな菜々美を男子は、男性としての本能からなのか、あまり近寄ってくることはなかった。
それに比べて、ひっきりなしに女性が寄ってくる。押しの強さに負けて付き合ったりしたこともあったが、付き合い始めると、相手は従順だった。
――ネコって、あの子たちのようなのをいうのかも知れない――
と菜々美は感じた。
しかし、それを感じた時、ふと何かの矛盾を感じた。
「猫というのは、犬と違って、従順ではあるが、それは表面上だけで、実はわがままなものだ」
と言われているではないか。
菜々美に近づいてくる女性の大部分は、確かに従順だが、何を考えているのか分からない子もいた。
「私は男性には興味がなくて、菜々美さんに憧れているんです」
と言われて、菜々美もその気になっていた。
女性の中には、同性から好かれることを嫌がって。気持ち悪いと思っている人も多いようだが、菜々美は自分が男性からはモテないと思っているから、言い寄ってくる女性を拒否することができないだけだったのかも知れないが、実際に女性に言い寄られると、押し切られてしまった時、嫌な気はしなかった。
菜々美は、女性が醸し出すフェロモンに次第に惹かれていったのだ。
中学時代など、体育の授業で、着替える時の更衣室での匂いに、気が遠くなるほどの快感を覚えていた。香水の匂いがしてくるわけでもなく、女性独特の臭いが、密室に立ち込めていたのだ。
それを嫌がる人はいなかったが、フェロモンを異常に感じてしまい、その雰囲気に酔う生徒は確かにいたが、部屋を出ると、その余韻は消えているようだった。だが、その余韻を残したまま、その感覚はその日一日消えなかった。
お風呂に入っても消えることはなかった。抱きしめたくなる衝動に駆られながら、それができなかったのは、まだ理性が残っていたからだろう。
自分に酔っている時ほど、理性を強く感じることはなかった。それは強い思いに対しての反動が沸き起こってくることによって、隠された自分の本性が、強く表に出てくるのではないかと思ったからだった。
「レズビアン」
という言葉を、中学時代に初めて聞かされた。
友達の中には、異常性癖に興味を持っていて、独自にいろいろ調べていたようだが、そのうちに、一人で黙っていることができなくなったのだろう。聞きたくもないと思っていた菜々美に対して、
「性教育」
を始めたのだ。
しかも、いきなり強烈で、
「原始時代しか知らない人に、明治維新からの話を始めるようなものだ」
と感じさせられたものだった。
そんな中で、菜々美が気になった言葉が、
「気持ちいい」
という言葉であった。
その言葉を、まるで耳元で囁く、女色の女の子は、まず耳から刺激をして、麻酔に掛かってしまったかのような身体が、マヒしながら条件反射で身体あビクッとしている感覚を味わってると、胸を沢われても、どこを刺激されようが、感覚は同じだった。
すでに胸の鼓動は激しくなって、身体も熱くなってくる。そのくせ、汗が出てくるわけではないのだが、自分の身体から淫靡で厭らしい臭いが発散されていることに気づくのだ。どんなにきつい臭いであっても、自分の身体から発せられるものは気付きにくいものである。餃子を食べて、まわりは一律に、臭いと思っているのに、その臭いを感じないのは自分だけだというような感じである。
それなのに、自分のフェロモンの匂いを感じる。
「いい匂いだと思っているから、感じるのかな?」
と思ったが、そうでもないようだ。
しかも、他の人のフェロモンの匂いとは、どこかが違っている。同じ匂いでも、決してまじりあうことはないと言わんばかりのその匂いに、菜々美は気絶寸前になっていた。
まじりあって異臭と化すことも、十分気絶するに値するものだが、同じ匂いがまじりあうことがないのに、鼻腔を強く刺激しているにも関わらず、その強さに意識を失いそうになりながら、ギリギリ耐えている。それも、一種の快感なのだった。
匂いというものが、同性愛と密接にかかわっていることに、中学生の頃から気付いていたのかも知れない。その匂いに関する思いが、
「気持ちいい」
と言われた時に感じた思いを思い出させ、その時が自分の性の目覚めの原点だったように思った。
女性にばかり興味があると言っても、男性を毛嫌いしていたわけではない。ただ、男性からよりも女性から言い寄られたり、自分が意識する人が多いというだけで、男性に脅威がないわけではなかった、
むしろ、まったく知らない男性に興味がないはずもなく、ちょっとだけ中途半端に知ってしまった女性の魅力をもっと知りたいと思う方が、圧倒的に強いからであった。
男性と初体験をするよりも、女性と身体を重ねる方が早かった。男性との初体験は、
「儀式」
であり、女性と身体を重ねることは、
「禊」
だと思っている。
どちらが、自分にとって大切かと言われると、単純に比較できるものではない。ただ、儀式と禊の違いとして、どちらが先に進んだ時、思い出せるかというと、禊の方だと思ったのだ。
そもそも儀式ということであれば、
「運命に翻弄されているだけ」
という思いしか残らず、思い出そうという意識もないような気がする。
もし、思い出すのだとすれば、女性を身体を重ねる禊の最中に、どこか後ろめたい気持ちを抱いた時、儀式を思い出すことで、禊を自分の中で納得させ、禊がいかに大切であるかということを思い知らせるという意味での、一種の起爆剤のようなものではないかとお思うのだ。
それだけ、性というものが同性異性で壁があり、同性だけしか愛することのできない人には、異性を愛することはおろか、男女どちらでも行けるという両刀という意識がないのかも知れない。
「菜々美さんは、男にも感じるんですか?」
と言われたことがあった。
「ええ、そうよ。皆もそうじゃないの?」
と、それを言われるまで、同性を好きな人は、異性も好きなのだと思っていて、
「両刀は当たり前のことだ」
と感じていた。
だが、この時に、自分が抱いていた女の子が急に身体を固くして、身体が震えてくるのを感じると、それがどこから来るのか分からなかったが、急に不安が襲ってきた。まるで、足元がいきなり開いて、奈落の底に叩き落されるような気持ちになったからだった。
「菜々美さん、気持ち悪い」
という愕然とした言葉を浴びせられ、それからしばらく、女性不信に陥ったことで、この時言われた、
「気持ち悪い」
という言葉、思い出したくないという思いを、永遠に残してしまうのではないかと感じたのだった。
その頃からだろうか、瞬間的に記憶を失う時があるのを感じるようになったのは……。
ふとしたことで、覚えているはずのことを思い出そうとするのだが、思い出せない。だから記憶を失うという言葉とは少し違っている。思い出せないということと、忘れてしまうということは明確に違うことだという意識があるのだが、自分にとって思い出せないことが、忘れてしまったと感じることと、一緒になってしまっていたのだ。
その時期が、
「気持ち悪い」
と言われて驚愕してしまったことと関係があるのだろう、
何かを思い出すということは、思い出すきっかけがあるからなのだろうが、それは思い出そうとしているそのものではない。思う出すためのあくまでもきっかけになったことがあったからであって、思い出すのは複合した内容があってから思い出すのだ。
だが、思い出す中にも、本当は忘れていたのだが、思い出した瞬間、忘れていたということを、忘れてしまったかのようなことがある。つまり忘れていたはずなのに、その意識がないのだ。
そういう意味では、忘れてしまうことと、記憶を失うということをごっちゃにして、忘れてしまったこととして意識してしまうと、思い出す数の方が、今の理屈からいうと数は少ないはずだ。
だが、忘れてしまうことも忘れてしまっているので、実際には意識したことのないことだ。それを冷静になって考えると、笑いが漏れるほどにおかしな感覚になっていることがある。
「人間なんて、一度忘れてしまうと、それを思い出すなんて、奇跡のようなものだな」
と感じたことがあったが、それは、
「本当はほとんどのことを思い出しているのに。あるいは忘れてなんかいないのに、思い出せないことが多いと思うのは、意識せずに記憶として続いていることが多いからなのかも知れない」
と、前述の理屈から考えるのだった。
菜々美が、
「役者としてやっていくとすれば、一番のネックは、覚えられないことではないか?」
と思っていた。
セリフであったり、その場面場面の表情や態度に至るまで、自分で自分を形成するのが役者だと思っていた。
特に舞台ともなると、生で見てもらっているので、NGは許されない。しかも、毎回同じ演目で、一日に数回、それを開園期間中毎日演じることになるのだ。
何度もやっていると慣れてくるし、覚えてもくるだろう。そして、試行錯誤の中で、演技も完成されていくに違いない。
だが、それは、逆にいえば、最初の何回かは試行錯誤の真っ最中で、演技が一回一回違っても仕方がないともいえる。
何度も繰り返している方が、熟練はされるだろうが、それが果たして最高の演技なのかと言われれば難しい。表情にしても、同じ場面でもまったく違っていたかも知れない。
それが、菜々美には違和感として残ったのだ。
「セリフをいつも覚えている先輩たちが羨ましいし、どうしていつもブレることのない演技ができるのか、不思議で仕方がないのよ」
と先輩に聞いたことがあった。
「それはね。演技を重ねている時に、よく自分でも分からない何かの記憶喪失になることがあるのよ」
というではないか。
「それって、芝居中に?」
「ええ、そうなのよ。でもね、まわりから見ると別にそんなことはないの。自然だって言われる。それどころか自分が記憶喪失になったかと思っていたその部分の演技を、悪く言う人は一人もおらず、逆に、何か神が降りてきたかのように思えるくらいだって言われているのよ」
「へぇ、すごいですね。神降臨なんて、いかにも芝居にピッタリな気がしますね」
と、半分茶化したようにいうと、真剣な顔で、
「これって笑い事ではなく、真剣なのよ。あなたにもそのうちに神が降臨してくるはずよ。その時を忘れないようにすれば、一皮も二皮もその時に剥けるのよ。だから、あなたには、私の今の話を忘れないでほしいの。あなたを見ていると、忘れるという要素は感じないんだけどね」
と言われた。
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