第6話 金沢ゆかり

 声をかけてきた時のゆかりは、完全に松永を圧倒していた。

 松永としては。まるでそれまで眠っていた自分が彼女に叩き起こされ、意識がまだ朦朧としている間に勝手にいろいろ決められてしまっていて、気が付けば、自分に主導権はまったくなくなっていたという状態だった。

 小説の中では、何度も想像したような話であるが、それは、他の人の小説を読んだり、ドラマを見たりしてのイメージからであった。

 ちなみに、松永が他人の小説を読むということは、三十歳代までのことだった。あの頃は小説を漠然と書きながらでも、まだ先に待っているであろうものが存在していて、それを掴もうという思いがあったのかも知れない。

 だから、人の小説を読んでいた時期を、

「ついこの間までのことだ」

 と思うこともあれば、

「かなり昔のことのような気がする。子供の頃の記憶よりもはるか前のことのような気がするくらいだ」

 と思うこともある。

 それだけ、意識が不安定な時期だったのだろう。五十歳を過ぎて、記憶を伴う意識が曖昧になってきたのと、その時の意識が不安定な状態とでは場合が違う、昔の不安定さの根源は、心の中の不安にあったのだろう。

 それも、

「言い知れぬ不安:

 とでもいえばいいのか、前に広がるのは、末広がりの暗黒のように見えたのだった。

 ゆかりは、松永のことを考えようとしているのか、それとも、自分の気持ちを表に出しているだけなのか、後者であれば、

「天然」

 と言っていいだろう。

 その日は、ゆかりの私の小説に対しての意見を、一方的に話しまくっていた。その様子を見ていると、彼女が本当はどちらなのか、すぐには分からなかった。

 今までが、本当は誰かと話をしたいが引っ込み思案で話題もないし、どういう話をしていいのか分からないと言った女の子だったのかという場合である、

 この場合にもさらに、二つが考えられる。

 同い年の人とは話題が合わないが、年上であれば、話しやすいと思っているタイプなのかということと、本当に、誰とも話が合わないと思っている場合である。

 前者は少し違うような気もした。

 もし、年上とだけ話ができるのであれば、会話の主導権は相手にあり、彼女は自分から話すということをしないのではないかという考えであった。

 というのも、彼女が年上から可愛がられるタイプに見えたからであった。

 年上の男性が、まるで愛玩動物のような気持ちで見ていれば、見ているだけでいいという思いとは裏腹に、引っ込み思案な女の子であれば、

「おじさんがどんどん話をしてあげる」

 という孤独を感じているおじさんであれば、どんどん話をしてくれるからだ。

 もし、そこで女の子の方がまくし立てるようにしてしまったら、どちらに主導権があるのか分からずに、すぐにぎこちなくなるのではないかと思うからであった。

 だから、松永に対してあれだけのまくし立てるような言い方をするのだから、引っ込み思案ということはないだろう。いくらファンだとは言っても、初対面である。引っ込み思案なら、あそこまではないはずではないだろうか。

 そうなると、彼女はただ、天然なだけであって、ひょっとすると、松永のことを年上という意識はないのかも知れない。

 そもそも、年齢という概念が欠如しているのだとすれば、何となく考え方の違いも分かってくるのではないかと思うのだった。

 その日、喫茶店に寄って、ゆかりの話を訊いていた。

 本当に嬉しいのか、まくし立てるような言い方には、遠慮や気を遣っているという表現はどこにも当てはまらないように見えた。

 松永は終始面食らっていたが、最後の方では、彼女の話し方が本当に面白く(実際には笑うところではないのかも知れないが、人とのかかわりがあまりないことで、笑いのツボが松永には分からなかった)、ずっと顔の筋肉がほころんでいたのではないだろうか。

 その証拠に、翌日になると、顔の筋肉が痛かった。最初はなぜなのか分からなかった。また老化の一種ではないかと思ったほどだったが、

「あんなにニコニコしたのっていつ以来だろう?」

 と思い、意識しての笑顔でないにも関わらず、翌日に痛みを感じるということは、それだけ苦笑いすらもしたことがなかったという証拠であろう。

 その日入った喫茶店は、ゆかりの馴染みの店ということだった。病院から少し離れたところにある、まるで昭和を思わせる喫茶店だった。白壁が目立つ佇まいに、中に入ると木目調の建て方が、レトロな雰囲気を醸し出していた。

 さらに、コーヒー専門店のような香ばしい香りが、木の柱にしみついているようで、建物全体が湿気を帯びているようだった。

――大学時代には、こんな喫茶店ばっかりだったのにな――

 と、最近では、喫茶店というのはすっかり鳴りを潜めてしまっていて、チェーン店になっているカフェがほとんどなので、懐かしさが第一印象だった。

 ゆかりは年齢的に昭和を知っているはずはないので、きっとレトロというよりも、アンティークなイメージを持っているのかも知れない、ひょっとすると、この店にオルゴールでも置いていれば、あたかも、

「骨董品屋さん」

 というイメージを感じさせ、逆に昭和を知っている松永には違和感が感じられるかも知れない。

「私が、この喫茶店をよく利用するようになったのは、松永先生のおかげなんですよ」

 とゆかりは言った。

「どういうことなのかな?」

 と正直ピンとこなかった松永は聞き返した。

「先生の作品には、こういう昭和の喫茶店をイメージさせる描写がいくつも出てきたんですよ」

 というではないか。

 確かに、自分の作品には、喫茶店のイメージが強く、今でも日の当たることのない作品の中には、昭和レトロな喫茶店を登場させることが多かった。

 特にクラシック喫茶などのように、ただ、イメージとしては大学時代に駅前に乱立していた喫茶店を思い出して書いていることが多いからだった。

 大学時代には、それなりに友達もいて、一緒に喫茶店に行くこともよくあった。その中の一人が佐久間だったのだが、咲間はその中でも特別な存在だったのだ。

 お互いに将来の話ができる友達の中でも数少ない相手だったのだが、佐久間も同じだと言っていた。

「大学時代って、一人はこうやって将来のことを話す相手がいるというもんじゃないのかな?」

 と佐久間は言っていたが、当時佐久間は下宿をしていたので、よく泊りに行き、ビールやつまみを買い込んで、夜通し将来のことについて語り合ったことも何度かあったのを思い出していた。

 昭和レトロな喫茶店に連れてきてくれたことも、ゆかりに対しての特別な思いを抱いた理由の一つだったのではないだろうか。

 しかも、ゆかりは、本人が忘れかけている自作小説のことをいろいろと思い出させてくれる。

 正直、そんな昔の小説の内容など覚えているはずもなかった。

 ずっと途切れることもなく、今は毎日書き続けるようになったが、それは毎日の生活に張りがないことで、最初は抑揚をつけるつもりだったのだが、生活の一部になってしまうと、抑揚を感じなくなった。

 つまり、同じ時間に何があったのかというのが曖昧になり、それが昨日のことだったのか一昨日のことだったのか、下手をすれば、今日のことなのかすら分からなくなっているほどだ。

 これをマンネリというのだろうとは思うのだが、充実感のようなものはある。ただ、作品を一つ書き上げても、満足感というものはほとんどない。どんどん次を書こうという思いがあるからなのだと理解しているが、それは少し寂しい気がしている。

 年間を通して書いた数はかなりのものなのだが、最近では、とりあえず、出版社の担当に見せてみて、まずいい評価がないのが分かったうえで、別の名義、つまりペンネームを使って、素人がアップしている無料投稿サイトを使用し、しれっと、作品をアップしていた。もっとも、松永聡などという小説家がいることはあまり知られていないだろうから、松永名義でもバレることはないだろう。少し寂しい気はする。

「でも、僕の小説をそんなにたくさん読んでいるわけではないんでしょう?」

 と聞くと、

「いえ、先生が無料投稿サイトに投稿していらっしゃるのも知っていますよ。出版社の方に見せて、それで出版の許可が出なかったことで作品が世に出ないのはもったいないと思われたんだと思っていました」

 と言われ、少し複雑な気持ちになって。

「まあ、そうなんだけどね。でも、よく分かっているね?」

 と聞くと、

「私は先生という作家は、作品を生み出すということに一番の重きを置いておられる方だと思っているんです、人に読ませたいだとか、ましてや売れる作品を書きたいなどという考えではなく、何もないところから新しく作り上げたいという純粋な芸術家的な発想で作品を書いておられるのだと思っているんです。だから私は先生が好きなんです、確かにプロともなると、人に読んでもらいたいだとか、売れる作品というのが、必要になってくるとは思うんですが、基本は書くことですよね? それを忘れてしまっては、実際に売れる作品を書きたいと思って書いていて、実際に売れている作品であっても、私は好きになれないんですよ」

 とゆかりは言った。

「どういうことなんだい?」

 と聞くと、

「どこか、二番煎じのような気がするんです。どこかで見たような作品であり、読者によっては、軽く読めるから、安心だという人もいるんだと思いますけど、私はそれでは嫌なんです。つまり、どこまでも薄っぺらくて、しかも書き手の、いかにも『売れる作品』という殿様商売的な上から目線と、『人に読んでもらいたい』などというようなあざとさが見え隠れする作品は、読みたいとは思いません。そもそも、読んでもらいたいのであれば、上から目線というのは考え方が矛盾していますよね。今の出版界にはそういう作品が多すぎる気がして、読みたいとは思えないのが多いんですよ。特に人気のある無料投稿サイトによくある異世界ファンタジー系のような作品であったり、いわゆるライトノベルは、私の中では小説とは認めていないくらいですね」

 と彼女は自論を爆発させていた。

 彼女は続ける。

「ケイタイ小説などというジャンルが出てきてからなのか、ライトノベルと呼ばれるものは流行り出してからなのか、一番気に食わないのは、読みやすいという理由なのかどうか分からないんですが、やたらと空白があって、まるで何かの字数稼ぎでもしているのではないかと勘繰ってしまいそうな作品ですね。あれには苛立ちを感じます。そして、もう一つ感じるのは、これも読みやすさという意味なんでしょうか。やたらとセンテンスが短い? 一つの文章が短すぎて、名刺で文章が終わってしまっているのもあるでしょう? 唐丹の若者言葉をそのまま小説にしているようで、見ていて恥ずかしくなるくらいなんです。確かに純文学のように、必要以上に文学性を生かした文章がいいとは一概には言いませんが。文章を短くするにも限度があると思うんです。それを思うと、今の小説は読む気にもならないんです。だから本屋に行っても、見るのはどうしても昔の作品。しかも、昭和の初期の頃だったりとか見たりしますね」

 と言っていた、

「昭和の初期というというと、戦前瀬後とかの時代ですか?」

 と松永が聞くと、

「ええ、その頃の時代の作品も好きだったりしますよ。最近のライトノベルを文庫本でみたことはないんですが、どんな形になっているんでしょうね? サイトでは見たことがあったので、そこでは、本当に数行開いていたのでビックリしたんですが、イメージとしては、そこに挿絵などがあれば、まるで幼児向けの絵本のように見えるんですよ。もし、そうだったら、大の大人が、子供の読む、絵本を読んで、文学作品を読んだような気になるのかというのが、苛立たしいんですよね。しかも、ライトノベルなどというジャンルが流行って、なまじ文学賞などを受賞したりするものだから、猫も杓子も右に倣えで、しかも、これなら自分にでも書けると思うのか、愚策が世間に無為に放出され続けた気がして仕方がないんです。中には、ライトノベルだからという理由で売れたのもあるのではないかと思うと、文学性も感じることができないそんな作品を評価した連中に、何を根拠に選んだのかということを、詳しく聞いてみたいものです」

 とゆかりは言った。

 癒しを与えてくれ、松永の作品を褒めちぎっていたゆかりが、ここまでライトノベルや最近の(いや、最近には限らないが)売れる作品に対して苛立ちを通り越して、怒りを抱いているとはいささか不思議であった、

 いや、苛立ちを抱いている人は結構いるのではないか、それを口するかしないかというだけの違いであって、怒りをぶつけるその言い方に、

「他の人なら不快感を抱くのではないか?」

 と思ったが、松永は賛同するしかなかった。

「そうだね、僕もその通りだと思う」

 と、他の人であれば、その言葉はただの相槌に過ぎないだろう。

 しかし、心底そう思っている松永は、逆に、

「ゆかりは、僕の言葉を代弁してくれているんだ」

 というくらいに感じていた。

「ゆかりちゃんは、自分で思ったことを正直に言えるんだね?」

 と、松永は感じた通りのことを言ったが、これは決してディスっているわけではなく、本心からであった。

「ええ、そうなんです。私は思っていることを言わないと気が済まないタイプなんだって思うんです。だから結構誤解されることもあって、損をしてしまうこともあるんはないかと感じているんですが、それもしょうがないのかなって思います」

 と言った。

 ゆかりに限らず、ここまで正直に、そしてハッキリと断言するように自分のことを言えるというのは大したものだと松永は思っていた。

「ゆかりちゃんは、本当に断固とした態度がそこまで取れるということは、揺るぎない理念や精神のようなものがあるんだろうね?」

 と聞くと、

「私、両親を幼い頃に亡くして、施設で育ったので、その影響があるのかも知れません。だから、人によって態度が極端なんです。本当に心配してくれる人と、単純に、育ちが悪いと思う人の態度がですね。最初は皆、心配したような口調で言ってくれるんですけど、本当に同情だけの人だと、私からすぐに離れていきます。きっと重たいと感じるんでしょうね。話しているとそれだけで、億劫な気分に陥るのかも知れない。それだと本当の気持ちって伝わらないでしょう? それがネックになるんじゃないかって思うんですよ。結界のようなものを自分で設けてしまうのか、それはマジックミラーのようなもので、自分からは見えるけど、相手からは決して見せないベールのようなもので、しかも悪いことにこちらから見えないのだから、本人にも見えることはないだろうという暗示のようなものを掛けてくるので、勘違いをしてしまうのではないでしょうか? そうなると、こちらは純粋であればあるほど、相手がまったく分からなくなってしまう。あざといというのは、そういうことをいうんでしょうね」

 と、ゆかりはいう。

 そういう言われ方を最初に訊かされると、伏線つきでの言い分なので、

「ただの同情だけは勘弁してほしい」

 と言っているようなものである。

 松永が黙っていると、

「私ね。やっぱりどこかが歪んでいるんだって自分でも思うんですけど、これは今まで誰にも話したことがないことだったんですが、松永さんには話せるような気がするんです。いや、逆に松永さん以外には話せないことなので、松永さんにこれを話して、今後嫌われてしまっても、それは仕方のないことだというくらいにまで思っているんですが、訊いていただけますか?」

 とゆかりは言った。

 それなりの覚悟のものなのだろう。松永は、無言で頷いた。声を出さなかったのは、どういう抑揚で声を発すればいいのか、結論が出なかったからだ。ゆかりはそれを見て、覚悟を決めたようだ。

「実は私、都合のいい女なんです。病院内のある先生と不倫をしていたんです。今はもう別れてしまったんですが、先ほど言ったように、私は両親をほとんど知りません。父親に対する憧れのようなものがあったんでしょうね。正直今もその気持ちが消えたとは言えないので、また他の男性から父親を感じると、似たようなことをしないとも限らないと思うくらいなんですが、それでも、その先生に私は限界を感じたことで、別れを切り出し、別れることができました。でも、男というのはどうしてああなんでしょう? 私が都合のいい女であるときは、あれだけ毅然とした態度だったのに、私が別れを切り出すと急にうろたえてしまって、他の人にバレてもいいから、私をがむしゃらに説得をしようと試みるんです。同情できないわけではないんですが、今までの敬意から見ると、どう考えてもみすぼらしいとしか思えない。だから、却って、自分の決断が間違っていると思えなかったので、しっかり別れることができたんですけどね」

 とゆかりは言った。

 なるほど、施設で育ったのに、大学まで行けるというのは、それだけ努力家だということなのだろう。しかもそれだけではなく、覚悟しなければいけない時にはキチンとできる、そんな女性でもあったのだ。

 でも、不倫というのはいただけない。それほど優秀な女性が不倫などという、どこからどう考えても、

「百害あって一利なし」

 ともいうべき不倫に手を添えてしまい、足を洗うことができないのか、理解に苦しむところである。

「どうして、不倫なんか?」

 と聞くと、こちらの気持ちを理解してのことなんか、誰からも同じ質問をされるからなのか(もっとも、不倫をしているなど、そういろいろな人に言いふらしているとは思えないが)、

「何ですか? その金太郎飴のような質問は? どこを切ってもその質問しか出てこないとでもいいたげですね?」

 と苦笑いをしながら話していたが、

「不倫ってね。しようと思ってするものではないの。でもね、それが不倫だと気付いた時にはやめられなくなってしまったんじゃなくて、やめたくないの。そんな心境になってしまっているのよ」

 というので、

「それは深みに嵌ってしまったということなの? いわゆる、逃れられないということなど? それとも、不倫をしている自分に酔っているのかな?」

 と聞くと、

「うーん、そちらも、ちょっと違う気がするんだな。不倫だって最初から気付いていない場合と、途中で気付く場合があるでしょう? 私の場合は、最初から分かっていたんだけどね。でも、途中で、ひょっとすれば、不倫をやめることができるかも知れないと思う時があるのよ。そして、その時に、やめるとすれば、今しかない。だから、今が見極めの最初で最後のチャンスだってね。でも、そう思えば思うほど、やめたくないの。ここでやめてしまったら、ここまで不倫をしてきたことが水の泡になりそうな気がするのよ」

 というではないか。

「えっ、いやいや。水の泡になるなら、最初から何もなかったことになって、却ってそっちの方がいいんじゃないの? だって、未練も残らないし、変な気持ちの中のしこりだってなくなるわけでしょう? それが一番いい解決方法じゃないの?」

 と松永は言った。

「そうなのよ。皆そう思うでしょう? ひょっとすると、不倫を続けていた二人が、ふたりとも不倫をやめたいと思っているとすれば、普通だったら、後腐れなくどうやって別れられるかが問題だってね。でも、本当はそうじゃないのよ。不倫ほど未練が残るものはないの。そして未練を残したいのよ。だって、不倫をしてしまう。不倫に陥ってしまうというのは、それだけ何かの理由があるということよね? だって、皆不倫はわるいことだって分かっているんだから、陥る前は何があっても、不倫になど陥らないと思うはずなのよ。それなのに、陥ってしまう。だったら、別れる時に、不倫に陥る原因となったことが解消されていなければ、おかしいわけでしょう? 本末転倒というべきか。それを思うと、不倫から抜けた時、不倫をしていなかったということになってしまうと、最初から何もなかったことになって、その時間を無為に過ごしたことになる。それって、傷つくことよりも、ひょっとすると厳しいことなんじゃないかって、私は思うんですよ」

 と、ゆかりは言った。

 なるほど、ゆかりは自分たちとは違った人生、自分たちよりも少なくとも厳しい人生を歩んできたのだから、当然、我々よりも厳しい考えを持っていると言えるのではないだろうか。その証明がこの不倫に対しての考えであり、ゆかりという女性を理解するうえで重要なのではないかと思った。

 そういう意味で、本当なら誰にも知られたくないことであり、本当に好きな人になら隠しておきたいような事実を松永に話して、しかも、自分の本心ともいうべき考えを言ってくれたのだから、松永を好きだという気持ちは最初からあったのではないかと考えるのは自然ではないだろうか。

 金沢ゆかりという女性と知り合い、そしてこれからどのようにこの関係を育んでいくのか想像しただけで楽しくなってくる。

「小説で描いてみたいな」

 と思うほどのキャラクターであることには違いないが、果たしてこれまで人とのかかわりを徹底的に拒否してきた松永に、どういう関係性の相手としてゆかりと接すればいいのか、なかなか答えは見つからなかった。

 不倫をしていたと聞かされた時、

「いとおしい。お互いの癒しになればいい」

 と思ったのは確かだったが、そこから気持ちが変わっていったのかは、話をしていて、話の内容に圧倒されたのか、気付くまでもなかった。

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