第5話 篠山医療センタ-

医療センターのリハビリ会場は1階受付の直ぐ後ろに理学療法の島があり、リハビリベッドや平行棒が均等に整列している。

 そこに片麻痺患者や高齢者が歩容の確認の為にスローなテンポで歩行していた。

「クローヌスは脚が冷えた時や疲れた時に出やすいんですよ?アキレス腱ではなくて、アキレス腱の裏側にある後脛骨筋が不正な収縮をするからガクガクするんですよ?内反尖足がある人に多いんですよ、心配要りません。ОCSCSS術で、直ぐに改善するのでね。」

 佐和鳶一縷が他の片麻痺患者に説明しているのを静かに聴いている上善寺恋音(じょうぜんじれのん)だったが・・・。

 恋音も同じ症状だったから気に病んで聴いていた。

「イチ先生は凄いんだよママ?」直美が車椅子から見上げる恋音を観ていた。

「教えてくれる事は一々身体の勉強になる事ばかりなんだよ。」

車椅子の恋音をじっと見ていた直美は、充実していそうな顔面を持っていた。

「そうだねえでもイチ先生なんて呼んじゃダメだよ恋音?」

「ちゃんと佐和鳶さんて名前があるから佐和鳶先生って言わなきゃ?」

フーッ!と長く息を吐き「説教臭い!」と、口を尖らせた。

「自分はイチさんと呼んでるクセに。」プイと横を向いた。

 やれやれと言う風に困った顔をして、理学療法の島へ車椅子を押して行った。

やっと一縷の脳裏に恋音(れのん)が見えて来た。

 これが絶頂点だったのかな?水面に小石を投げたら小さな波紋が小波となって、やがて津波

となりイチルを飲み込み水底に彷徨う一縷は暗中模索の中でもがき、出口を求めていた。   岐阜医療センターに恋音が運ばれて来たのは8年前の梅雨入り間近の6月の事だった。

カルテは交通事故、加害車両は不明、県警の調書には被疑者逃亡と書かれていた。

 所謂轢き逃げだった。

「待て、卑怯者!」れのーん! 直美は、倒れた恋音を抱き抱えながら涙交じりの叫び声を張り上げたのは久しぶりだった。

 岐阜医療センターリハビリ会場では、一縷が恋音の骨盤リハビリを任されていて緊急手術終了後に主治医のリハビリ許可後腰椎強化、股関節ストレッチ、脊椎強化等々理学療法に於いて訓練を行っていた。

「恋音くん何処か痛い所は無い?」起立筋の確認後、腰椎アライメント調整を独自で行い股関節に繋がる太股の裏側から膝蓋に通じる薄筋を優しくマッサージしていた。

 自称筋肉アナリストの一縷は仕事にストイックで、無駄口を叩いた事の無い正確無比な男だった。

 人間性が誠実な為、多くの女性が放って置かなかった。

直美も然り、息子の恋音の事故には取り乱し、錯乱状態とも言える行動を起こしPT一縷に窘められ、正気を取り戻していた。

 救命救急センターの受付には終了時間など無かった。

深夜の待合室には、誰一人直美以外姿が無かった。

 そしてその慟哭は院内の隅々までまんべんなく届いていた。

「恋音が死んだら私生きて行けないわ!」医療センターの正面玄関を入るとテーブル2基と椅子4座が整然と並べられていた。

 喫茶コーナーで日中は見舞い客やリハビリの時間待ちをしている入院患者がコーヒーを楽しみ談話の華を咲かせているのだが、時刻は、午前零時を回り強者どもも夢のあとと言った方が早いが、戦があったわけではない。

 その突き当たりを右に曲がり血圧計やマスクの自販機の横にソファーがセットされていたが、その中にポツンと、直美の姿があった。

「今は息子さんの緊急手術が行われていますから。さ、どうぞ4階のオペ室の隣の準備室に行きましょう。」4階のオペ準備室への入室を促すイチルは神のように優しく直美を包み込んでいた。

「私は、佐和鳶一縷と言います。理学療法士です。

多分息子さんのリハビリ担当になると思います。」二人は向かい合っていた。

 非常用ライトの中、直美の輪郭だけ頼りに胸中の想いを打ち明けていた。

安心し切った声色で直美は恋音の全てを委ねていた。

「ご丁寧にどうもありがとうございます。上善寺直美と言います。看護師です。」

「普段はグループホームのケアマネージャー兼ナースですが、社会福祉士の職域も持ってます。」

 交錯する2人のシンパシー。

両手が空いていて身体を支えて掴むものは何も無かった。

貴方の優しさを心の襞に絡めたかった。

 契の定めに身体を預けた2人の寂しさの欠片を補い心通わせる男と女のララバイが、何処からとも無く聴こえていた。

「エレベーターは明るいね?」何でイキナリ馴れ馴れしいの?ま、良いか・・・。

「ところで一縷の意味は何ですか佐・和・鳶・さ・ん?」意地でも為でしゃべらなかった。

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