第4話 容疑者逃亡

俗に言う肩甲骨が離れていたからだったが、半日前のイチルは違っていた。

 生き生きとして、理学療法士としての職責を果たしていた。

「外旋の癖を直しましょう。八束さん?

右肩と左足の爪先を線で結んでください。

 その線に沿って左膝を上げましょうそれで、この外旋は無くなって左足が振り出しの時、正常に伸展出来ます。」八束孝(やつかたかし)の左膝を摩りながら言う。

 気付かなかったけど僕の心にはいつだってナオが居たんだ。

今更言っても言い訳になる。一縷の回想は僅か半日前のものだった。

腹を膨らませて息を吸う。次に口を窄めて息を吐く。細く長く息を吐いた。

腹と背中が着くぐらい息を吐いた。

 ・・・。

 医療センターのリハビリ会場は1階受付の直ぐ後ろに理学療法の島があり、リハビリベッドや平行棒が均等に整列している。

 そこに片麻痺患者や高齢者が歩容の確認の為にスローなテンポで歩行していた。

「クローヌスは脚が冷えた時や疲れた時に出やすいんですよ?アキレス腱ではなくて、アキレス腱の裏側にある後脛骨筋が不正な収縮をするからガクガクするんですよ?内反尖足がある人に多いんですよ、心配要りません。ОCSCSS術で、直ぐに改善するのでね。」

 佐和鳶一縷が他の片麻痺患者に説明しているのを静かに聴いている上善寺恋音(じょうぜんじれのん)だったが・・・。

 恋音も同じ症状だったから気に病んで聴いていた。

「イチ先生は凄いんだよママ?」直美が車椅子から見上げる恋音を観ていた。

「教えてくれる事は一々身体の勉強になる事ばかりなんだよ。」

車椅子の恋音をじっと見ていた直美は、充実していそうな顔面を持っていた。

「そうだねえでもイチ先生なんて呼んじゃダメだよ恋音?」

「ちゃんと佐和鳶さんて名前があるから佐和鳶先生って言わなきゃ?」

フーッ!と長く息を吐き「説教臭い!」と、口を尖らせた。

「自分はイチさんと呼んでるクセに。」プイと横を向いた。

 やれやれと言う風に困った顔をして、理学療法の島へ車椅子を押して行った。

やっと一縷の脳裏に恋音(れのん)が見えて来た。

 これが絶頂点だったのかな?水面に小石を投げたら小さな波紋が小波となって、やがて津波

となりイチルを飲み込み水底に彷徨う一縷は暗中模索の中でもがき、出口を求めていた。   岐阜医療センターに恋音が運ばれて来たのは8年前の梅雨入り間近の6月の事だった。

カルテは交通事故、加害車両は不明、県警の調書には被疑者逃亡と書かれていた。

 所謂轢き逃げだった。

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