第4話 男の裏切り

 聡美がそれでも田舎に帰ってきたのは、江上と付き合い始めてある程度になって、聡美は江上からプロポーズされた。

 江上は、

「僕は三年間付き合って、それでも気持ちが変わらなければその人と結婚しようと思っていたんだ。だから、結婚が早いとか遅いとかはあまり関係はない。ただ、知り合って三年というと、二十代後半くらいには早くてもなるわなと思っていたので、そういう意味ではちょうどいい時期なのではないかと思っているんだ」

 ということであった。

 聡美としても、付き合い始めてから、最低でも一年は相手を見極めるのに必要だと思っていたので、三年付き合ってきたが、一度も、

「結婚してほしい」

 という話をしたことはない、

 結婚を匂わせたこともないし、だから彼も付き合いやすかったのかも知れない。

「後から思えば、三年というのは、ちょうどいい期間だったのだろうな」

 と思ったほどだ・

 ただ、江上は基本的に、

「結婚する場合、家族には祝福されたいよな」

 ということを言い始めたのは、プロポーズされてからのことだった。

 付き合っている時、結婚観はおろか、結婚という言葉を使ったことがなかっただけに、家族についての考え方も話したことがなかった。

 もし、最初から分かっていれば、付き合うのをやめていたかも知れない。家族への確執は、聡美にとっては、それくらいのレベルのものだ。

 しかし、結婚の気持ちが固まってしまっているだけに、家族の確執を理由に、結婚を思いとどまるには、

「時すでに遅し」

 だったのである。

 江上の両親への説得は、全然問題はなかった。彼の両親にも気に入ってもらえたことで、聡美は嬉しさがこみあげてきたが、その反面自分の家族を思うと、心は沈んでいくしかなかった。

――とにかく、江上さんを連れて、説得に行かなければいけない――

 と思った。

 説得できないからと言って、早まったことはしない方がいい。いわゆる、

「できちゃった婚」

 はしてはいけない手段の筆頭であり、最終的にこの方法には、平等性がなくなってしまうということを思い知ることになるのだった。

 確かにできちゃった婚というものを最終手段として使う人はいる。結婚を反対されるのが分かっているので、どうすればいいかということで、子供という奇声事実を作ることで結婚に踏み込む。その手段を持って結婚する夫婦が増えたが、これが理由はどうか分からないが、結婚したはいいが、離婚してしまう夫婦が増えたのも事実だった。

 不公平があるとすれば、この部分である。

 結婚が最終目的だとして、考えるのであれば、この方法も最終手段としては、ありなのかも知れない。

 しかし、結婚に反対された時点で、男の方が次第に冷めていった場合はどうであろうか?

 女は頑なに結婚を望んでいたとしても、男にその気がなくなってくれば、子供ができたとしても、相手がひどい男であれば、開き直って、

「あの子は本当に俺の子なのか?」

 と言い出す人もいるかも知れない。

 中には、

「堕してくれ」

 という男だっているだろう。

 理由としては、

「今の自分たちの経済力で子供は育てられない」

 という経済的な理由を挙げれば、男としてはいくらでも何とかなると思うかも知れない。

 もし、その希望が叶わないのであれば、離婚もやむなしと言われてしまうと、女は男を取るかも知れない。

「彼は一人しかいないけど、子供は後からでも作れる」

 と説得されれば、それに応じる女性もいるだろう。

 もし、女性が、妊娠したことで、男も自分と同じように父親として腹をくくってくれると思っているとすれば、男の方では、そこまで思わないやつだっていることだろう。

 これをいい機会にして、別れることも視野に入れる男もいるだろうし、そうなると、男としては、どちらかというと、他人事でいられるからだ。

 よほど男の方も女性を愛していない限り、結婚を迫られるわ、親への説得がうまくいかないとなれば、子供を作るという最終手段に感嘆に訴えるわで、次第に億劫になってくることもあるだろう。

「普通に付き合っていって、お互いに嫌いにならずに、ある程度の時期がくれば結婚すればいい」

 という程度にくらいしか結婚に対して思っていない男性であれば、子供ができて、堕胎してくれなければ、別れるということくらいのことは平気でできるのではないだろうか?

 結婚というのは、子供を盾にしてするものではないだろう。結婚の手段として子供を使うというのは、本当はやるべきではないと男は思うに違いない。そうなれば、そろそろ億劫になってきた相手と別れる口実がうまい具合にできるというものだ。

 しかし、この場合はお互いに、どっちもどっちではないだろうか。

 結婚を迫られるのも男としては嫌なのも分かるが、女性が一途に男性を思っているその気持ちを踏みにじる行為として、明らかに卑怯である。

 男とすれば、別に身体に子供がいるわけではない。女の身体の中に、自分の子供だと言っているが、実際にはどうだか分からない子供がいるのだと自分で信じ込んでしまえば、いくらでも、自分は悪者になれるとでも思っているのだとすれば、自己暗示にかかりやすい男ほど、女を捨てることができる男なのかも知れない。

 聡美は。それくらいのことは分かっていた。だから、できちゃった婚だけはありえないと思っていた。

 男の方から、できちゃった婚を言い出すわけもなく、女の方でも考えにないのだから、最初からその考えはなかったと言ってもいい。

 だが、聡美の正攻法のやり方で、海千山千の田舎でずっと育った母親を説得できるはずはない。

 理屈ではなく、昔からの田舎に存在するルールであったり、秩序というものを頑なに守り、信じている母親を説得することは、少なくとも、田舎の生活に見切りをつけて、逃げ出したという意識を持っている聡美にできるはずはなかった。

 そんなことは誰よりも聡美自身が分かっていることであって、母親も分かっているだけに、余裕をもって反対できるのだと思うと、聡美の気持ちの中で、どうすることもできないというやるせなさが、渦巻いているのだった。

 ここまで来ると、

「もう、お母さんの承認なんていらないわよね? だって、私たち二人とも成人しているんだから、個人の意見で結婚できるんだからね」

 と聡美は江上に話した。

 だが、江上の返事は、想像とは違った。

「確かに君の言う通りなんだけど、でも、結婚というのは二人だけの問題というわけではなく、家同士の結び付きでもあるんだ。できる限りのことをやって、説得してみるのが、結婚なんじゃないか? もし、駆け落ち同然で結婚したとしても、その末路は知れている気がするんだけどね」

 というのであった。

 それを訊いて、聡美も、自分がキレてしまっていることに気が付いた。説得できない八方ふさがりだと思ったが、実際にはまだ何も説得を試みていないような気がした。

 少なくとも心を入れ替えて母親の気に入るような娘になれば、結構の許可くらいは出してくれるだろう。何も、本気で母親に従うつもりはない。相手に従っていると思わせればそれでいいだけだった。

 それに彼の言う通り、家族に背を向けたまま結婚するというのは、

「できちゃった婚」

 の正当性を認めるのと同じで、その方法を取らなかった自分としては、やはり正攻法での説得を試みるしかなかった。

 ただ、母親のいうことを百パーセント聞いているわけではないという欺く気持ちだけは持ったままであるが、それでも、母親を欺ければ、こちらの勝ちだった。

 いや、勝ち負けが問題ではない。

「目標達成のためには手段は択ばない」

 という意識であるが、これは明らかに矛盾している。

「できちゃった婚」

 と最初から否定したうえで母親を欺こうというのだから、そこから無理があったのだ。

「7じゃあ、僕は仕事があるので、東京に帰っているよ。君も大変だろうけど、頑張ってくれ。俺たちの未来が掛かっているんだからな」

 と言って、江上は励ましてくれた。

 最初、あれだけナヨナヨして見えた男が、ここまで頼りがいのある男になるというのが、聡美にとっての誇りであった、

 それは、

「きっとまわりも、彼のことを、気持ち悪い男だ」

 と、聡美が思ったのと同じ感覚を持ったに違いない。

 しかし、ほとんどの人はその気持ち悪さから、彼に近づく女性はいなかった。確かにイケメンだが、だからと言って、一緒にいれば、相手が頼りないだけに、お互いに女のようなものであり、しかも相手がここまでナヨナヨしていれば、レズであれば、自分が男役を演じることになり、性別は逆転してしまっているかのように思うに違いない。

 そうなるのが分かってしまうと、そんな男への気持ち悪さを拭い去るどころか、考えれば考えるほど、泥沼に入り込んでしまうのであった。

 だから、彼を誰ももうまともに見ようとはしない。会社ではイケメンとして通っているのだろうが、

「会社の女性たちは、もう僕を男だとは見てくれていない」

 と言っていた。

「それが昔から嫌だったけど、一人でも自分を男性として見てくれる人がいれば、これほど安心感が与えられるのかということを分かった気がする。その思いがあれば、僕は男に戻ることができる。いや、却って君のように強い視線で僕を見ている人が一人の方が、より視線を強く感じられるのかも知れない」

 と、江上は話を続けたのだ。

 そんな江上が、自分を励ましてくれている。母親との平行線を改めて感じた聡美は。心が折れかけていた。

「高校の時はそんな母親が嫌で嫌でたまらないから、逃げ出したんじゃないか。またもう一度親子関係を取り戻そうとして、結婚という目標があるだけに、きっかけとしてせっかく、取り戻せる機会を得ることができたのだから、このタイミングに、何かの意味があるのではないか」

 と思ったのだ。

 彼が東京に帰り、自分一人で親を説得しなければならないと思った時、そのパフォーマンスを使うしかない。相手に、自分が改心したとでも思わせるだけの行動を示すしかないのだろう。

 そういう意味では、一人暮らしをしてきたことは役に立った気がする。一人で家にいては分からなかったことでも、一人で暮らしていると自然と身につくこともあれば、自分なりに調べてできるようになることもあるのだ。

 そのあたりは母親も認めてくれているようだ。

「聡美は、一人暮らしをしただけのことはあるようね」

 と、素直に褒めてはくれないが、これだけの言葉でも、今までのように一緒に過ごしてきた間に感じたことのない思いができるというものだった。

 もっとも、一緒に暮らしている時にも同じような感情を抱かせてくれるような言動はあったのかも知れないが、それはまだ自分が子供だったからなのか、一人暮らしをすることで自然と身についたことなのか、自分でも成長を自覚してもいいのだと思うようになっていた。

 だが、あくまでも、それは親が子供に感じる普通の感情で、まだまだハードルが高いのは分かっていた。これくらいのことで、母親が納得してくれるなど、思ってもいない。

 だが、これ以上、何をすればいいというの、家事手伝いはもちろんのこと、近所づきあいにも積極的に参加するようになった。

 いくら、結婚という目標のためだけに行っているパフォーマンスだとしても、人と付き合うのが思ったよりも楽しいということに、いまさらながら思わされた。

 特に、田舎の方は都会に比べて閉鎖的だという意識があるからか、比較的近所づきあいの上手な母親の娘だという意識が分かりにあるとしても、ずっと付き合っていれば、メッキであれば、剥がれる運命にあると言ってもいいだろう。

 しかし、実際にメッキが剥がれるということはなかった。ある程度までくれば、それまで半信半疑に見えたまわりが、次第に気持ちを瓦解させてくれているような気がしていた。たくさんの人がいて、少しずつ瓦解していくのだが、皆が心を開いてくれる瞬間は、それほど差があったわけではない。

 申し合わせているわけではないだろうに、判で押したように同じ時期だったのは、それだけ、田舎の人の感性は似ているということなのか、その基準が低いのか高いのかは分からないが、同じ時期だというだけで、すごいと思う聡美であった。

 もし、それまでの半信半疑の間にこちらが挫折してしまっていれば、二度とまわりの人と心を通わせることなどできないような気がする。

 心を通わせるということは、ここでも、結界が存在し、その壁をぶち破れるか破れないかが問題になるのだ。

 ほとんどの場合、その結界を見ることなく、途中で挫折というのがパターンなのだろうが、結界の存在に気づいた時点で、ここまで来たという自信が自分には漲っている。そうなると、結界をぶち破ることは、そんなに難しいことではないだろう。

 結界と呼ばれるものが、なかなかぶち破ることができないものだという思いから来ているのだとすれば、それは結界を見ることもなく、おじけづいてしまったことで、

「結界すら見ることができなかったという。屈辱をまわりに自らが知らせるまでもないのではないか」

 という思いから、見えもしない結界の存在を勝手に肯定しているのではないだろうか。

 そのため、結界の本当の存在を見た時、すでに勝負は決していたのかも知れない。結界さえ見えてしまうと、結界というのは、ぶち破るほどのものではなく、近づいただけで、まるで自動ドアのように、ハンドフリーで、開けることができるほど、緩いものなのかも知れないと思うと、乗り越えて見えてくる光景も、結界が見えた瞬間から、想像できているというものではないだろうか。

 そんな結界というものを、いかに意識するかということが、人を説得するための自分を作るためには必要なのだろう。

「人を説得するということは、自分自身を納得させることだ」

 という言葉を聞いたことがあった。

 これも、

「タマゴが先か、ニワトリが先か?」

 という言葉と同じで、どちらが先なのか分かりにくいものである。

「自分自身を納得させるために、人を説得する」

 と言っても、考え方としては、大差のあることではない。

 ただ、タマゴとニワトリの関係のように、どちらが先でも結果は同じというわけではない。きっとどちらが先なのかハッキリしないと、進めない道なのではないかと思う。しかも、道を間違えてしまうと、後戻りができるわけではないので、一発勝負である。

 そういう意味で、自分を納得させるということで派生する思いは、危険と隣り合わせだとも言えるのではないだろうか。

 人を説得することがその先にあることだとすれば、至難の業という言葉を遥かに通り越しているのではないかと思うのだった。

 何とか、母親の怒りを買わないように一緒にいることができるようになっていった。

 秘訣があったわけではなく、ただ、怒りを受けることに慣れてきただけのことだった。これは、小学生の頃に苛めに遭っていたことが幸いしたといえる。

 苛めと言っても、露骨に何かをされるというわけではなく、無視されることが多かった。助けてもらえそうなことまで無視をされるので、そうなった時のショックは普通に大きい。助けてもらえることが当たり前だという本能があるだけに、大きなショックが自分の中に蓄積していた。

 そのショックはただ残像として残っているわけではなく、次第に大きくなっていく。記憶が薄れていく中なので、大きくなっていくという意識はないのだが、なかなか消えてくれないことが、トラウマになっていくのだった。

 そんな時、本能が感じるのは、

「慣れてしまって、感情をマヒさせてしまえば、ショックをショックと思わなくなるかも知れない」

 ということであった。

 その思いが、次第に、苛めに遭った時には、

「慣れてしまって感情をマヒさせることでやり過ごすしかない」

 という思いに結び付けていくのだった。

 何かの禍が自分に襲い掛かってきた時、どうすれば一番いいのかということに、正解などない、しいていえば、最初に考えたことが効果を生めば、それが正解であることになるし、何度もいろいろやってみて、やっと見つかったことであれば、一番なのかどうかは分からないが、正解の一つなのだろうと考える。

 正解が一つなのか、一つでないのかということを考えた時、自分の中でどのような結論付けをするかによって変わるのだと、聡美は考えた。

 だが、この考えが自分だけのものなのか、他の人も同じ考えなのかまでは分からなかったが、少なくともここまで考えることができるのは自分だけではないかと思っていた。

 その理由は、

「自分がいじめられっ子だから」

 であった。

 いじめられっ子だからこそ、考えてしまう。苛める方は苛める方で、

「なぜ、自分がその人を苛めなければいけないのか」

 ということを考えているだろうと思っている。

 苛める方にだって、苛めるだけの理由がなければ、ただの悪者となってしまうからだ。

「ただ、ムカつくから苛めている」

 ということであっても、それは立派な理由になるだろう。

 もちろん、苛められている方とすれば、溜まったものではないのだが……。

 しかし、苛めている方としても、自分で納得できるものでなければ、これほど後味の悪いものではないはずだからである。

 苛められている方は、

「どうして、苛めるの?」

 と聞きたいのは当たり前のことで、苛めの理由がハッキリとしないと、ただの悪者だということは分かっている。

 だから、苛めている自分に理由がなければいけないのだった。

 なぜ、苛める自分に理由を求めるのかというのには、もう一つ理由がある。それは、

「苛めという行為が行われる中で、一番悪いのは苛めている自分たちではない」

 という思いがあるからではないだろうか。

 これは、苛めがなくなって苛めをしていた人との話の中で出てきたことだった。ちなみに今では自分を苛めていた人が唯一小学生の頃から今でも友達であった。この事実が、一番自分が悪いわけではないという理屈の答えに近づいているのであった、

 そう、苛めというのは、苛めを行う加害者と、苛めを受ける被害者だけで成り立っているものではない。その他すべての第三者である傍観者が一番の罪作りだということである。そういえば、法律関係の中で、よく、

「第三者」

 という言葉が出てくるが、法律ではそれだけでは成立しない。なぜなら、

「善意の第三者」

 という、頭に「善意の」という言葉がついてくる。

 つまり、ただの第三者というのは、善意の人とは違う、極悪人としての認識が、苛めに関しては位置づけられていると考えてもいいのではないか。言い方を変えると、

「第三者がいなければ、苛めなんて、この世に存在しないのかも知れない」

 ということである。

 極論であるが、

「第三者というのは、苛めている人よりもたちが悪い。なぜなら、自分で手を下しているわけでもないくせに、人に苛めをさせて、高みの見物をすることで、自分のストレス発散につなげている」

 と言っても過言ではないだろう。

 それは学校の先生にも言えることで、苛められる方も、苛める方も、最初の数回だけが苛めとして成立していて、そこから以降は世間の目に操られているだけだと思っているのではないだろうか。

 そんな状態の中、せっかく彼が満足してくれるような結果にめどが立ってきたと思った矢先のこと、彼となかなか連絡が取れなくなり、挙句、

「もう、これ以上待つことはできない」

 という主旨の内容のメールが届き、結局彼からの連絡も途絶えてしまった。

 聡美としては、彼に裏切られたという感覚が生まれ、足元がパカっと割れてしまい、奈落の底に叩き落された気がしたのであった……。

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