鈴の音


 季節は冬の終わり。心身の休息を求めて大企業を辞めた俺こと宿木吐夢は、北海道の山奥にある夜染村で今なお絶賛療養中だ。幾分暖かくなってきたとはいえ、まだ山肌には雪が降り重なるように残っていて、その景色から春の訪れは感じられない。だがそれでも、時折吹く風が春の匂いを運んで来て、俺は季節の移り変わりを実感する。

 もう夜染に来てから半年が経った。時間の流れは早いものだが、それでも社会人時代より世界はゆっくりと回っている。毎日起きてから何をするか考え、村を当てもなくぶらぶら散歩したり部屋の気になる場所を掃除してみたり、時にはボランティアで役場で仕事をしたりなんかもする。

 分岐のない一本道だった人生が、今じゃ毎日枝分かれして瞬間瞬間が刺激に満ち溢れていた。ここでは毎日決まった時間に出社して終わりもしない大量の仕事を繰り返し繰り返し夜中までする必要なんてないのだ。道端に咲く綺麗な花や山並みを染める夕焼けを立ち止まって眺めていられるのは、この上ない贅沢な時間だった。

「んー、なんだか頭が重いなあ」

 俺はベッドから起き上がると頭を軽く揺らす。俺が仕事を辞めるきっかけになった車の自損事故。その時頭を強く打った衝撃で何故か寝覚めが悪くなってしまったのだ。理由は今でもわからない。医者にも相談してないしね。どうも悪い夢を見てる気がするんだけど…。俺はちらつく女の影をゆるゆると振り払う。

 俺はこの部屋に満足している。このホテルの入居者募集はスマホの広告で偶然見つけた。運命と言ってもよいかもしれない。自分の年齢と同じ32階から眺める景色には感慨深いものがあった。

「部屋の移動、考えないとな」

 俺も夏には33歳になる。せっかく年齢と同じ階に住めた訳だし、家賃はお高くなるが一つ上の階へ引っ越すのもいいかもしれない。無職とはいえ、労働基準法ガン無視の残業を何年も続けたお陰で幸い蓄えには困らない。今は先のことを考える必要はない。なんなら34階だって…。いや、あそこは確か立ち入り禁止だったか。まあ、あれだけ豪華な扉を見れば住んでみたくなるというものだ。

 部屋の中は20畳ある広いスペースにベッドと机が一つだけ。テレビもパソコンもない。スマホもあるにはあるが、回線を繋いでいないのでただのハリボテだ。とにかくそういうものから離れたかった。仕事を辞めてここに入居が決まった時、一切外部との連絡は断つと決めた。両親は既に亡くなっているし、これといった友人もいない。おまけに無職なので何一つ困る事はなかった。

 高校時代は空気だったし、反骨精神で合格した某有名私大でも結局友人は出来なかった。親の死に目にも会えない程仕事に忙殺され、残ったのはこの身一つ。まあ、事故の後遺症でそれすらも揺らいでいるんだけど。

 そんな殺風景な部屋でいつも何をしてるかと言えば、特に#何もしていない。__・__#この部屋には寝る時以外長くいたことがない。音や影がね。俺に何かを思い出させるんじゃないかと時折不安になる。ぼーっとしていると突然脳裏に過るものがある。事故、女、衝突。そんな時にふと上を見上げると、決まって天井の空調がごおおおおおと唸り声をあげるんだ。ほら、今だって。聞こえるかい、この音。いや、思い出させるんじゃない、吸い取られているのかもしれない。余計なもの、都合の悪いものはあの穴から吸い取られているんだ。俺は頭を押さえて逃げるように部屋を後にした。


 俺は気分転換にロビーにいく事にした。古株の住民は基本的に部屋よりもロビーにいることが多いので、やることがない時は下で雑談をして過ごしていた。雪国だけあって、このホテルのロビーにはど真ん中に暖炉を取り入れた円形の休憩場所があった。その周りを囲むように置かれたソファに座り、燃えている薪をただ眺めているのが俺のお気に入りだった。

 俺は薄暗い廊下を歩いてフロア中央のエレベーターへ向かう。古ぼけた絨毯が敷かれた床が時折ぎしぎしと軋む音がする。いや、#振り子のようなもの__・__#が揺れる音か。俺はまたしても何か浮かびそうになったが、天井にあるダクトが音を立ててそれを忘れさせた。

 俺が今住んでいるのはただのホテルのじゃない。寂れたリゾートホテルだ。リゾート計画の頓挫により既に外部の管理会社も手を引いていて、今は役場が直接管理している。管理といっても時々作業着姿の男たちが何かを確認しに来るくらいで、基本的にはほったらかしだ。ホテル内はお世辞にも綺麗と言えないけど、比較的新しいホテルなので最低限の状態は保たれていた。せいぜい壁や床の染みが人の顔に見えるくらいだ。自室は勿論自分で掃除するし、廊下やロビーといったよく使う所は住民たちで手分けして掃除しているしね。何せこのホテルの住民は、多かれ少なかれみんな時間があるのだ。因みにロビーの奥にはゲームコーナーや大浴場、レストランやバーなどが揃っているのだが、全く掃除していないらしく誰も使おうとしない。お土産コーナーにも勿論何も置かれていない。少し勿体なくも感じるが、そこまで贅沢を言ってはいけないか。ああ、そういえば卓球台だけはササキ親子が時々遊んでいるっけ。


 フロア中央でエレベーターの到着を待っていると、不意に既視感に襲われる。ありきたりな光景のはずなのに、以前に見たことがあると感じる。エレベーターに乗り込むと、その感覚はより一層強くなった。ごとごと揺られながら俺はぼんやりと液晶パネルに表示された数字が減っていくのを眺めていた。現在から過去へと、俺自身が若返っていくような気持ちになる。けれど、いつも過去を振り返っても仕事の事しか思い浮かばないまま下に到着してしまう。それ以外の記憶は俺の中ではもう曖昧だった。


 エレベーターを降りると、いつになくロビーがざわついていた。

「狼が、狼が、狼が」

「大丈夫だぜ、すずよお。ほら、深呼吸深呼吸」

 黒いメイド服姿の#山中鈴__やまなかりいん__#がパニック状態でカウンター前の長椅子に顔を埋めていて、それを源波義政、通称ゲンさんが優しく宥めていた。長身で強面のゲンさんが笑顔で女の子を慰めている様子は側から見れば逆に怖い。

「おはよう、鈴さんどうしたの?」

「あー。なんか朝からずっとこんな調子なんだよね」

 カウンターから少し離れた休憩スペースで小説を執筆していた角谷詠人が手を止めて言う。

「詠人よお、おめえちょっと冷たいんじゃねーかあ。なんかすずに声かけてやるとかよ」

「いやだって、ゲンさんが何回聞いたって答えてくれないじゃん。こういう時は落ち着くのを待ってからの方が良いでしょ」

 パニック発作のようなものだろうか。いつも穏やかでにこやかな顔が明らかに強張っていて、目は虚で視線も定まっていない。時折何かに怯えた様に振り返ったり、そうかと思えば顔を伏せたりと終始落ち着かない様子だ。普段静かに昔話や童話の本を読んでいる鈴さんからは想像もつかない姿だった。

「鈴さん、どうしたの?何かあった?」

 俺は努めて優しく鈴さんに声をかけた。

「ああ、ああ、トムさん。狼が、狼が…」

「狼がくるの?」

 鈴さんは他人を童話や昔話の登場人物だと思っていて、周りもそれに合わせて会話している。俺も最初は戸惑ったけど、慣れたらある程度コツもわかってきた。そもそも鈴さんはお喋りなタイプじゃないから、会って2、3言葉を交わすと直ぐにロビーの定位置(ロビーの真ん中にある暖炉のそば、童話を読む鈴さんと炎は絵になる)に戻ってしまう。

 鈴さんの中で何の話が選ばれるかは毎日変わる。昔話や童話は数あれど、選ばれる話にも緩い法則があって、鈴さんが好きな話の頻度が多いこともわかってきた。やはり「桃太郎」や「オオカミ少年」、「赤ずきん」といった日本昔話、イソップ寓話、グリム童話の中でもメジャーなお話が多かった。

「お、おお、おおかみが…」

「大丈夫、大丈夫。ほら、落ち着いてゆっくり深呼吸して…」

 俺は以前鈴さんにしてもらったように彼女を落ち着かせてみる。流石に膝枕は出来ないけど、代わりに彼女の両手をしっかりと握る。

「おおかみ…が…オオカミ…ああ…手…暖かい…」

 鈴さんはよっぽど疲れていたのか、落ち着くとその場で深い寝息を立てて寝てしまった。

「おい詠人、見たかあ?これだよこれ。流石はトムだぜ」

「俺にはみんな見てる前であんな恥ずかしい真似出来ないね」

「はは、俺は鈴さんにいつもこうやって助けて貰ってたからね。…それで、鈴さんはいつからこんな風に?」

 これまで鈴さん自身はストーリーテラー的な位置付けで、昔話に自らは関与していなかった。きっと何かこうなるきっかけがあったに違いない。

「俺あ毎朝4時にはロビーにいるわけよ。んで6時前にはすずも降りてきて、まあちょいと挨拶したらお互いそれぞれゆっくりするのが日課よ」

「ゆっくりってどうせお酒でしょ。ベロベロの時の情報なら正直信憑性ないなあ」

 まさかゲンさん、いつも早朝から昼までずっとお酒飲み続けてるのか。もう60近いのに体は大丈夫なんだろうか。

「うるせえ詠人、酒は俺の生涯の友なんだからよ!何だっけか、ああそうそう、で、今日は6時過ぎても来ねえからどうしたかと思ったら、エレベーターから降りてくるなりこれよ」

 ゲンさんは赤い顔を更に赤らめながらそう話した。

「まあまあ、朝から飲み過ぎは体に毒だよゲンさん。まあ結局の所、こうなった理由は分からないわけか…」

 鈴さんは何かしら精神の病気を抱えていたようだけど、もう1年近く住んでいてこんな事は初めてだった。

「トムまでそんな医者みてえなこと言うなよせち辛えなあ。理由つっても何せ急だったからな。昨日のすずの様子も別に普通だったと思うしよ」

 確かに、昨日ロビーで見かけた鈴さんに特にいつもと変わったところは見受けられなかった。

「そもそも狼って誰なんだろ。というか人なのかな?鈴さんが俺たちに話す時によく出てくる「狼」や「鬼」は、実際に何も起きた事ないけど」

 例えば俺が鈴さんにあなたは「赤ずきん」だから「狼」に気をつけろと言われたとしても、それはあくまで鈴さんにとって世間話なのであって、もちろん現実世界で何か起きる事はなかった。これまでのところは、だけど。

「さあ、どうだろうね。普通、イソップ寓話における狼といえば悪役の象徴だよね、言わずもがな。問題は鈴さんに取っての悪役が誰な

のかってところだけど」

 詠人がつっけんどんにそう言った。詠人は少し前に投稿した小説が文学賞の最終選考で落ちてからというもの、いつも以上に毒舌で不機嫌だった。自分なりに随分手応えがあったらしい。俺も詠人#先生__・__#と呼ぶのを楽しみにしていたのだが。最終選考にいくだけで凄いと思うのだが、詠人は全く満足していないらしい。こんなホテルで毎日毎日小説を書き続けているわけで、それだけ本気で小説家を目指しているという事なのだろう。

「悪役かあ。現実にいるとしたら…ストーカーとか?」

「ああ、すずは可愛いもんなあ。でもよ、このホテルに越してくるやつは居ても、尋ねてくるやつなんてまずいないだろお」

 ゲンさんの言うことは最もだ。ここの住人に会いにくる人間は今までただの1人も見たことがない。いや待てよ、そういえば俺を知っている女が居たような…。

「まあそれすらわからないよ。何かのきっかけで過去のトラウマがフラッシュバックしたのかもしれない。何せ鈴さんの過去は誰も知らないからね」

「鈴さんの過去か…。そういえば鈴さんっていつからここに?」

「さあ?俺がここに来た時にはもういたから」

 後ろに結った長髪を弄びながら、気怠げな声で詠人は言う。

「ゲンさんは知ってる?」

 詠人は俺より1年長く住んでいて、ゲンさんはそれより更に前だったはずだ。ここに越してから何か分からないことがあっても大体ゲンさんが教えてくれた。

「ここで一番の古株はすずだからなあ。俺も長い事ここに住んでるけどよ、越して来た時からあそこの暖炉で本を読んでてさ。なんか訳ありだとは思うけどよ、身の上話なんかしたことないんだわ。いつから居たのかも分からねえ。まあ、こんなとこに若い姉ちゃんが一人で住んでるぐらいだ、なんか事情があったんじゃねえかな」

 その後みんなであれこれ推測してみたけど、結局 鈴さんがパニックになった理由は分からずじまいだった。

「それにしても鈴さん全然起きないね。どうする?このまま考えた所で埒が明かないよ」

「きっと昨日は眠れてねんだろ。このままじゃあ可愛そうだからよ、取り敢えず部屋まで運んでやろうぜ」

「そうだね、そうしよう。じゃあ運ぶのは俺と…ゲンさん?」

「まあ、俺はちょっとね…。力ないし」

「だから冷てえなあ。二人で運ぶんだからいけるだろうよ。こんな年寄りに任せて…」

「まあまあ、ここは俺たち二人で行きましょうよ」

 俺はこれ以上詠人を刺激しないように会話を終わらせると、ゲンさんに手伝って貰って鈴さんを背負った。背中に感じる鈴さんは柔らかくも予想以上に軽く、普段の栄養状態が少し心配になった。考えたらご飯を食べてるところ見たことないんだよな。歩き出すとふわりといい匂いが辺りに漂ってきて、俺は俄然やる気が出た。

「顔、にやけてるよ。変なことしないようにね」

「おいおい誰が」

 細い目を更に鋭くしながら釘を刺してくる詠人に苦笑いをしながら、俺はエレベーターへと向かった。流石、小説家は洞察力が違うなあ。


「おはようございます」

 エレベーターを待っていると、丁度下りのエレベーターからササキ母が姿を現した。

「おはようございます」

「おお、おはようさん」

 おや、今日は珍しくササキ息子がいないなと思ったら、いつの間にかもう目の前に迫っていて、聞いてもいないのにどんどん喋り出した。

「今日は息子は風邪気味で寝ているんです。だからちょっと自販機で飲み物でも買おうかとロビーまで降りてきたんですよ。あれ?背中に背負っているのは山中さんですか?見たところ寝ているようですが…。ああ、これからお二人で部屋まで送って上げるんですね。でも山中さんは女性だし、部屋に男二人が入るのはもしかしたらよく思わない可能性もありますよね、どうでしょう、部屋の前まで送ってくれたら私が中に入って寝かせますよ。こう見えて結構力持ちなんです私」

 聞いてもいないのに次から次へ。相変わらずこちらが話す暇もないほどのマシンガントークだった。あまりの勢いに普段おしゃべりなゲンさんですら閉口してしまうほどだ。それなのに何故か目だけは笑っていないんだよな。

「わかったわかった。なら鈴のことはあんたとトムに任せっからよお。そんじゃま、よろしく頼むぜえ」

 多分ゲンさん、面倒だから逃げたんだろうな。取り残された俺は道中ササキ母の一人ラジオを聞き流しながら鈴さんの部屋へとたどり着いた。鈴さんは30階の108号室に住んでいる。このホテルはどの階も部屋番号が101から始まる変な作りだが、そのお陰で俺の名前と同じ部屋(#106__トム__#)と出会えたんだよね。鈴さんの部屋は…煩悩の数と同じだ。俺は背中に鈴さんがいることを急に思い出して少し焦る。

「あ、ここが鈴さんの部屋ですね。鍵は…どうやら空いているみたいです。さあ、まずは私が入りまして、もし見られたら嫌だと思うものがあれば避けますから。わあ可愛いお部屋!正に女の子って感じですね。おや?写真がありますね、これは…お母さん?かな?あっといけないいけない、ちょっと待っててくださいね。えーっと…うん、これなら大丈夫だと思います。さ、入って入って」

「うわ、ちょっとまだ心の準備が…」

 躊躇う俺はササキ母にぐいぐいと押され、半ば強制的に部屋に入ってしまった。

「ほらほら、あそこにベッドがありますよ。それにしても本当に可愛らしい部屋ですよねー。私も娘がいたらこんな部屋だったのかなあって思いますね。それから…」

 俺はできるだけ見ないように薄めで部屋に入る。それでも目に入る鈴さんの部屋の中は、ピンクや白を基調とした可愛らしい内装で、全体的に子ども部屋のような印象を受けた。ベッド付近に置いてあるものも絵本やぬいぐるみばかりだった。

「じゃあおろしますよ」 

 ササキ母のサポートを受けながら、俺は鈴さんを起こさないようにそっと優しく布団に寝かせる。

「…よしっと。これで山中さんは無事に送り届けられました。ミッションコンプリート、ですね!」

「はは、そうですね、ありがとうございました」

 ササキ母は結構気が利いてノリの良い性格なんだな。今回もこうして率先して手伝ってくれているし。

「いえいえ、こちらこそ。それじゃあ」

 こうやってすやすや寝てるすずさんを見てしみじみと思う。仲良くなったと思ってたけど、結局俺は鈴さんのこと何にも知らないんだなあ。というかゲンさんも、詠人も、誰のことも知らないな。ここは事情がある人たちが来るからあまり詮索してはいけないと思っていたけど…。

 表情から見るに、今はどうやら安心して眠れているようだ。鈴さんの事をもっと知りたいし、いつもの笑顔を守りたい。俺はそう固く胸に誓った。


 鈴さんを部屋に送り届けた後、俺はササキ母にお礼をしてロビーへ戻ることにした。ササキ母は一旦息子の様子を見に部屋へ戻るそうだ。帰る直前までマシンガントークが止まなかった。けれど、白目を飲み込むほどの大きな黒目と全く笑わない表情にももう随分と慣れてきて、不思議と嫌な感じはしなかった。最初に受けた暗く節目がちな印象から大分変わったけれど、単に人見知りで警戒心が強かっただけなのかもしれない。

 ロビーに戻るとそこには誰もおらず、辺りはしんと静まりかえっていた。正面にある真鍮の丸時計を検めるともう正午になっていた。ゲンさんも詠人も昼食を食べに部屋に戻ったのだろう。俺は一人暖炉の前のソファに腰掛ける。

「ここで鈴さんはいつも本を読んでるんだな」

 誰が焚べたのか暖炉は既に薪が燃えていて、近づくとパチパチと木が爆ぜる音が聞こえてくる。

 いつも穏やかな鈴さんは、その笑顔の裏で本当は何を考えていたんだろう。毎日顔を合わせるのに、鈴さんに話しかけられて満足して、それ以上踏み込まなかった自分がいる。ここの住民はみんな訳ありで、踏み込んじゃいけないものを抱えている。でも、それでも俺にもっと何か出来ることがあったんじゃないか?

終わりのない自問自答を繰り返していると、ふと目の前の影が伸びた。

「こんにちは」

 顔を上げるとそこに居たのは鈴さんだった。

「鈴さん!もう大丈夫?落ち着いた?」

 上ずった声の俺とは対照的に鈴さんは落ち着いて見えた。

「うん、大丈夫。…隣りいい?」

 鈴さんは俺の座っている場所を指してそう言った。

「ああ、ごめん!ここは鈴さんの特等席だったね」

「ありがとう」

 ぽんっと鈴さんが勢いよく座ると、直ぐにふわりと甘い香りが俺を包んだ。ちらりと見えた横顔は、いつもより大人びて見えた。今日に限ってはボブ金髪にメイド服姿が少しアンバラスな気がした。

「…」

 隣に座ってからしばらく無言の時間が続いた。俺は視線をどこに向けていいかわからずに鈴さんの手元をぼんやりと眺めていた。その間、鈴さんも黙って手の中の絵本を見つめていた。

 薪が爆ぜる音が2人の間を取りなしている。不思議と、嫌な感じはしない。しばらくして先に口を開いたのは鈴さんの方だった。

「あー…なんかさ…、改めて見るとこの格好は恥ずかしいなあ」

「え?」

 俺は驚いて思わず顔を上げる。鈴さんが普通の話をしてるのを聞いたのはこれが初めてかもしれない。

「その…好きで着てると思ってたけど」

「好きだよ。こういう服着るの、子どもの頃からの夢なんだ」

 そう言って鈴さんはその場で立ち上がると、レースの裾を持ってくるりと一回転して見せた。金色のボブヘアがふわっと持ち上がりばさりと落ちた。

「どう?」

 青い大きな瞳が俺を真っ直ぐに見つめている。

「あ…」

 その姿はさながら童話の中から飛び出してきたお姫様のようで、俺は思わず見惚れてしまった。

「やっぱり変…かな」

「いやいや、その、凄く…似合ってる」

「ふふ、ありがとう」

 鈴さんは悪戯っぽく笑った。

「あのさ、なんていうか…」

 俺が何て聞くべきか逡巡していると、それを察したのか鈴さんの方から答えてくれた。

「あ!そっか、そうだよね、ごめんなさい。私、久しぶりで少し舞い上がってたかも。これが、私。本当の私」

 今までの鈴さんとは全く違う、普通に会話してころころと表情を変える鈴さん。まるで一つの体に2人の人間がいるみたいだ。

「それはつまり…二重人格とかそういうこと?」

「うん、そうだと思う。一応眠っていても記憶はあるんだけどね。だからトムさんのことも勿論知ってるよ」

 確か、解離性障害だったか。過度なストレスから主人格を守るために性格の全く違う別人格が生まれる。俺の中では記憶を引き継ぎながら頻繁に人格交代するイメージだったが、主人格が滅多に出てこないなんて、過去に余程のストレスを、それこそ人生を諦めるほどのものを受けたんだろうか。

「私が出てきたのは本当に、本当に久しぶり。もう出ていかないものだと思ってた。色々つらくて、たくさん我慢して我慢して、でも限界で…。多分お父さんが来るから、色々刺激になって戻って来れたんだと思う。彼女のお陰で私の心も少しは回復してたのかな。でも、お父さんのことを思い出すと…今も怖い…」

 鈴さんは両腕を抱えてぎゅっと握り締めた。その体は小刻みに震えている。

「無理して話さなくていいよ」

「…ううん、話したいの。いつまでも私のままではいられないから。多分すぐ元に戻っちゃうと思うし」

「そんな、せっかく戻れたのに」

「そもそも戻れたことが奇跡なの。…どうしたって過去は変えられないから。次に戻ったらきっと二度と出てこれない。そんな予感がするんだ。だからトムさんには聞いて欲しい。覚えていて欲しい。目の前の私のことを」

「初めて話すのに、どうして」

「言ったでしょ、記憶は共有してるの。トムさんはいつも私に優しくしてくれた。私の話を真剣に聴いてくれた。それに、変わる事のない私たちには未来のあるトムさんは眩いほどの光なの」

 鈴さんの目は真剣そのもので、覚悟を決めた顔だった。この話が終わったら、もう目の前にいる鈴さんには会えないかもしれない。それ程までの覚悟が伝わってきた。鈴さんの最初で最後の願いだ。俺も全力でその気持ちに応えなければいけない。

「お父さんは公務員でお母さんは専業主婦だった。私は一人っ子で、生活も安定していたし、きっと周りから見れば何不自由なく暮らしているように見えたと思う」

 鈴さんは、ゆっくりと言葉を噛み締めながら話し始めた。

「お父さんは一言で言えば神経質な人だった。完璧主義者で、自分の中に確固たるルールがあって、それにハマらないとすぐ怒る。でも手をあげるわけじゃない。もっとねちっこく、言葉だけで人格を否定するようなことを、延々と。口を開けば駄目。無駄。何故分からないんだ…の三連発。その日の機嫌にも左右されるし、お世辞にもいい父親じゃなかった」

「でも反対にお母さんは優しかった。仕事をしていなかったのも良かったのかも。寝る前にお話も沢山呼んでくれたし、絵本もたくさん買ってくれた。勿論お父さんには内緒でね。バレたら捨てられるから。お父さんは仕事で遅いことが多かったから、お母さんと毎日2人で楽しく過ごしていたの」

「お母さんの事が大好きなんだね」

「勿論!暖かくて甘えられて…私の、生きる理由だった」

 母親の話をしている時の鈴さんは、とても満ち足りた顔をしていた。

「その頃はまだ、耐えられないほどじゃなかった。お母さんが入れば私はそれで良かった。

風向きが変わったのは、お父さんが異動してから。支所に飛ばされて…あ、これは本人が言ってた事。家にいることが増えたせいか、父の私に対する#教育__・__#があまりに度を越してきたの。小学校からはおもちゃもだめ、遊びに行くのもだめ、テレビや漫画もダメ。休日も何処にも行けずに勉強勉強勉強」

「それはまた…随分と極端だね」 

 そこまでいくともはや軟禁に近い。遊びたい盛りの女の子には耐え難い苦痛なのは想像に難くない。

「きっとお父さんが大学受験に失敗しているからだと思う。当時は学歴による差別も普通だったみたいだし。いつも世間体や見栄、地位や栄光とか、外面ばかり気にして常に余裕がなさそうで。まるで自分の人生の失敗を、私に取りかえさせようとしてるみたいだった」

 子は親を写す鏡とは言うが、親をまさに鏡にさせようとしたのだろう。

「結局私の教育方針を巡って大喧嘩して、中学の時に両親は離婚したの。今まではこっそり庇ってくれてたけど、お母さんは流石に見てられなかったんだと思う。私、あの頃は全然ご飯食べられなくて、どんどん痩せていって。お母さん面と向かってお父さんに反論したの。このままじゃ鈴が死んじゃうって。その時が初めてだったんじゃないかな。あの日の事は毎日夢に見る。お父さんの怒号とお母さんの涙。散乱した食器にひっくり返ったテーブル…。お父さんの怒りが爆発して…。はあ。お母さん、を…。はあっ。無理、矢理、追い、出して…っああ」

「大丈夫!?ゆっくり深呼吸して…そう。無理しないで。凄く辛そうだよ」

「大丈夫…。はあ。続けさせて…。私が消える前に」

 それは叫びに似た囁きだった。鈴さんはまるで命を搾り出すように話をしていた。俺は以前そうしてもらったように、座席に置かれた鈴さんの手に自分の手をそっと重ねた。

「あ…。ありがとう…。トムさんの手、暖かいね」

 重ねた手は氷のように冷たく、俺は思わず身震いした。

「ゆっくりでいいよ。無理しないで。俺はずっとここに居るから」

 鈴さんはしばらくもう片方の手を胸に当てて深呼吸していたが、やがて落ち着きを取り戻すと再び話し始めた。

「ふー…。大丈夫。よし、じゃあ続きを話すね。…えっと、どこまで話したかな。そう、ある日突然お母さんが追い出されて、そのまま2度と会えなくなっちゃった。私は勿論お母さんについていきたかったけど、お父さんはそれを許さなかった。お母さんは仕事してなかったし、親権争いをしたら相当不利だったわけで、きっとお母さんも泣く泣く私を諦めたんだと思う」

 どれだけ愛情があっても、養育するだけの環境…つまりお金がなければ簡単に引き離されてしまう。愛する娘を守るための離婚が、逆に虐待を悪化させてしまうなんて皮肉なものだ。

「それからは友達も作れなくて、娯楽もなくて、1人家でお父さんに怯えながら過ごす日々だった。お母さんと会う事も禁じられていた私は、学校には通ってたけど、誰にも相談できなかった。そしてある時私の心が悲鳴をあげた」

「そこでもう1人の鈴さんが産まれたってこと?」

「ううん、実は最初は演技だったんだ。一生お母さんに会えないなら、もうどうなってもいいやって。自暴自棄になって、最後に困らせてあげようと思ったんだ。だからお父さんが1番嫌がること…心の病気に#なったフリ__・__#をしようとした」

 世間体を何よりも気にする親が、自分の娘が精神疾患になったと知ったら発狂ものだろう。受験失敗どころか、働くことすら出来ないかもしれないのだから。

「でもそれがいつしか…自分を堰き止めていたものを壊すきっかけになっちゃった。お父さんの慌てふためく顔と、色々な煩わしさから解放された私は、このまま永遠に病気でいたいと願って…。気づいたら本当にそうなっちゃった」

「いつの間にか入れ替わってたってこと?」

「そう…だね。まあ、そうなるかな」

 鈴さんはそこで少し言葉を濁したけど、俺は敢えて聞き流すことにした。あまり踏み込みすぎても鈴さんの負担になるだけだ。

「お父さんは、きっと私を連れ戻すつもりでいるんだと思う。当時は世間体を気にして病院にも連れて行かなかったし。娘が錯乱して出奔したなんて、お父さんからしたら到底許せない事だから。本当に悲しい人。夜染に来てまでそんな事をするなんて」

 鈴さんの父親はきっと自分の考えに囚われてしまっているのだろう。自分にとっての幸せが、誰かにとっても同じとは限らないのに。

「はああ…。初めて人に話したけど、緊張したな。でも聞いてくれる人がいると違うね。心が軽くなった気がする。ありがとう、トムさん」

「こちらこそ。話してくれてありがとう」

 鈴さんの顔はさっきと打って変わって晴れやかだった。

「沢山話したらなんだか疲れちゃった。一度部屋に戻ろうかな」

 鈴さんはそう言って立ち上がろうとしたが、よろけて椅子に尻餅をつく格好になった。持っていた童話集がばさりと床に落ちる。

「大丈夫?部屋に戻れそう?」

「うん、なんとか。急に立ち上がったから立ちくらみしただけ」

 鈴さんが本を拾いあげた時、背表紙の隙間から、何かが床にカランと落ちた。

「あ、これ…」

 それは小さな紫色をした鈴だった。少しメッキが禿げて錆び付いていたが、光沢派失われていなかった。鈴さんはそれを大事そうに拾い上げると、懐かしむように見つめていたが、不意に目から涙が溢れだした。

「これ、これ、母との思い出の鈴なんです。お父さんからみつからないように隠して、そのまま行方不明になっちゃって。もう見つからないんだと思ってた」

「そうだったんだ。それは本当に…見つかって良かったね」

「はい…。この鈴、特に高価な物でもなくて。縁日でくじが外れて、残念賞で貰ったんです。でも、お母さんが人生で一度だけお父さんに内緒で縁日に連れてってくれて。絵本と一緒で私の大切な宝物なんです」

 鈴さんの震える手に呼応するように、小さく澄んだ音がロビーに響いた。

「綺麗な音だね」

「そうでしょ?私の名前みたいだねって。この音を聞いてると、不思議と頭の中がすっきりするんだ」

「音を聞いたら…?」

 そういえば、神社にある鈴の音は邪なものを祓い、なおかつ心を引き止める力があると聞いたことがある。

「じゃあそろそろ行くね。なんだかもう眠くって」

「うん、またね。……あ、ちょっと待って!」

 俺の言葉に鈴さんは軽く振り返る。

「その鈴、これからはいつも身につけたらどうかな?ほら、鈴って魔除けにもなるっていうし」

「あ、それいいかも!せっかく見つかったし、今度は無くさないようにしないとね」

 鈴さんは鈴につけられた赤い紐をしっかりと腕に結んだ。

「よし、と。これで安心だね。ありがとう!それじゃあまたね。おやすみなさい」

「うん。おやすみ。ゆっくり休んで」

 その挨拶はきっと、永遠の別れを意味するのだろう。だが、神社にある大きな鈴には到底及ばないとしても、思い出の鈴なら魔除けだけじゃなくて、もしかすると鈴さんの心も留めておけるかもしれない。確証なんてないけど、そうであって欲しい。遠ざかっていく鈴の音に俺はそう願いを込めた。


「探偵に探させてようやく見つけたぞ」

 男はホテルに入って来るなり無遠慮にそう叫んだ。

 少し草臥れた黒のダブルのスーツに茶色のコートをきたサラリーマン風の男だ。真ん中で分けた髪はうっすらと白髪混じりで、黙っていれば人の良さそうな顔立ちをしている。だが、それとは対照的な瞬きの多さと時折繰り返すまゆげの不随意運動が、男の隠しきれない神経質さを如実に表していた。

 ホテルのロビーでは1人の女性が静かに暖炉で本を読んでいる。

「あら、こんにちは羊さん」

「やはりここにいたか。今すぐ帰るぞ」

 男は女の腕を乱暴に掴むと、無理やり引っ張って行こうとする。性別は違えど2人の顔立ちは何処となく似ていて、特に大きな二重の目は取り換えても気づかない程だった。

「羊さん羊さん、そんなにあわてて」

「いいか?二度と私の前でその話しをするな」

 男は女の話を遮ると、そのままホテルの出口まで引きずって行った。

「ああ、痛い。何でそんなに慌てているのですか羊さん。まだ狼はいませんよ」

「うるさいぞ!止められないならせめて口を閉じていろ。さっさと行くぞ!」

 男は大胆にも女を担ぎ上げると、背負いながらホテルを出て行った。

「大丈夫、すぐに戻ってこれますよ」

 エントランスの扉が閉まる瞬間、女は誰にともなくそう呟いた。


「くそっ歩きにくい山道だな。おい、ちんたらしないで早く来い」

 山中正義は悪態を吐きながら一人娘の山中鈴の手を強く引く。全く、出来損ないの娘を連れて山を下るだけでも大変だというのに、何なんだこの道は。くねくねと曲がって先が見通せないし、除雪も全然されていないじゃないか。降り積もった雪は重くべったりとしていて、正義が一歩進むごとに纏わりついて足を引っ張って来る。

 まあいい、後は帰るだけだ。逃げた分だけこれからしっかりと教育すればいい。鈴はというと、黙って正義に付き従っていた。その顔は全くと言っていいほど生気がなく、能面のようだった。

 しかし周りを見ても雪と枯れ木ばかりだな…。目印になるものが無さすぎて、この道で本当にあっているのか心配になってくる。それに何より音が無さすぎる。冬の山というのはこれ程までに静かなものなのか?

 正義と鈴が雪を踏み抜く音だけが辺りに響く。うねりを繰り返す山道と何処までも変わらない景色が正義の不安と疑念を少しずつ膨らませていった。

「いいーあっ。ぎゅいいいいいい」

「うおっ」

 何処からかいきなりバサバサと黒い鳥が飛んできて正義の行く手を阻んだ。威嚇するかのように顔の周辺を飛び回り、正義は必死に手を振り回してその鳥を追い払おうとする。

「何だこの…くそっ、離れろ畜生めっ!」

 至近距離のせいか黒い鳥はのっぺりとしていて、全体像を捉えることができない。しばらく黒い鳥と格闘していた正義だったが、やがて黒い鳥は自ら飛び去っていった。

「はあ…はあ…。何だったんだあの鳥は…。おい、行くぞ!」

 正義は怯えてその場に縮こまっていた鈴を無理やり引っ張り起こすと、再び手を強く引きながら歩みを進めていく。

 こんな村は一刻も早く出なければ。

 夜染を出るには必ず村の中心を突っ切ってトンネルを通らなくてはならない。山を降りた後もしばらく歩き続けなければならないので、出来る限り体力を残しておきたかった。

「はあっ…はあっ…何だか、やたらと…息が切れる、なっ…」

 雪だけでなく空気までも湿り気を帯びていて、いちいち顔に張り付いてくる。山の上だから酸素が少し薄いのか?健康のために毎日職場まで走って通勤しているし、体力には自信があったはずなのだが。ふと振り返ると、鈴の方も苦しそうに肩で息をしていた。

「ちっ。…仕方ない。あそこの太い木の幹で少し休憩するか。出発までに息を整えておけよ」

 ここで怪我でもされては村を出るのが一層厳しくなる。正義は腕を組みながら太い木の幹に寄りかかり、鈴は俯きながらその場にしゃがんだ。

 ざくっ…。

「急に冷えてきたな」

 ファーのついた厚手のダウンは寒さを完璧に防ぐ一方で、体に熱を貯めてしまう。歩くのをやめたせいで、汗が乾いて寒かった。少しでも体力を回復させようと、正義はその場まで目を閉じる。

気休めだとしても、休まないよりはマシだろう。

 ざくっ…ざくっ…。

「おい、じっとしていろ。逃げようなんて思うなよ」

 微かな足音が聞こえ、正義は薄めを開けて鋭く鈴を牽制したが、鈴はその場にしゃがんだままだった。

 どうやら気のせいだったようだ。疲れで感覚が過敏になっているのかもしれない。正義は再びその場で目を閉じると、これからの事を考える。

 戻ったらすぐに逃げ出さないように鍵をかけねばな。今こんな僻地の山で苦労しているのは、自分の油断が招いた結果だ。次はこうならないようにしっかりと教育しなければいけない。大分遅れてしまったが、このくらいの年齢ならいくらでもやり直しが効く。まずは昔話…アイツのくだらない考えを忘れさせるところから始めるとするか。

 ざぐ…。

 今度は目の前ではっきりと足跡が聞こえた。

「おい、わかっているぞ!」

 正義は目を開けて勢いよく拳を振り上げたが、目の前の鈴はまだしゃがんだままだった。

 ざり…。

 今度は後ろから足音が聞こえる。恐る恐る振り返るが、やはり誰もいない。そこにはただ、足跡があるだけだ。

「誰だ…?」

 ざくっ…。ざぐっ…。ざくっ。

 目の前に誰もいないなのに、足跡だけが雪の上に次々と出来上がっていく。右、左、右、左。交互にゆっくりと、だが確実に近づいてくる。正義は金縛りにあったように、その場から動くことができないでいる。

 ざくり。

 足跡が目の前で止まった。目の前に何かがいる。生暖かい息が顔を撫で、正義はようやく我に帰る。

「う、うおおおおお!」

 正義は鈴を担ぎあげると、一心不乱に山道をかけおりた。背中に乗せた鈴は異様に軽く、リュックサック程度の重さにしか感じられなかった。

「はあ…はあ…。ここまでくれば…」

 しばらくして振り返ったが、どうやら足跡は追ってこないようだった。正義は安堵したが、それでも走る事をやめなかった。何故だか疲れないのだ。予期せぬ出来事の連続でドーパミンが大量分泌されて、ハイになっているのかもしれない。

 この村は何かおかしい。まるで村全体が俺を拒絶しているようだ。動けるうちにできるだけ早く進まないと、帰れなくなる気がする。

 そんな弱気な事を考えている自分に気づき、正義は苦笑する。これではまるで幽霊を恐れる子どもじゃないか。

 その時、脇にある藪の中から不意に黒い影が飛び出してきた。

「うおっ、今度はなんだ!」

 急に止まった事で背負った鈴が危うく吹っ飛びそうになり、うええと背中から変な声が聞こえてくる。

「ぴっぴっぴっ…」

 何やら変わった鳴き声だが、よく見ると小さなリス…のような見た目の小動物だった。

「なんだ、ただのリスか。全く驚かせおって…」

 正義はリスを足蹴に追い払う。その途端ひょおおおおと強い風が吹いてきて、正義が蹴った雪が自分の顔に張り付いた。風はそのまま止む事なく吹き続け、辺りの視界は一気に悪くなった。

「ぷわっ…。ぶぅっ。これだから山は…」

 正義は片手で顔の雪を払い除けると、下だけを見て歩いていく。幸い真新しい誰かの足跡があって道に迷う心配は無さそうだった。

 しばらく足跡を頼りに進んでいくと、一本の木に行き着いた。後ろに目をやると、背中の鈴にはうっすらと雪が積もっている。

「ここに何かあるのか?」

 辺りを見回しても枯れ木しかない。何処かでこいつも道を間違えたのか。正義は舌打ちをすると元きた道を引き返そうとした…のだが。

「こんにちは」

 正義の体がビクッと痙攣した。声のする方を振り返ると、そこに女が立っていた。長身でサングラスをかけた女だ。何故かジャンバーの類いを着ておらず、手足は枯れ枝のように細かった。

「…誰だお前はっ!?」

 正義は酷く狼狽していた。だって、さっきまで誰もいなかったじゃないか。

「誰?そうね、私は宿木吐夢の…。まあいいか。あれに#道を逸らされたのね__・__#」

「あれ…?」 

 枯れ木の上に1匹のリス…のような生き物が止まってこちらをじっと見つめている。

「ぴっ…ぴっ…ぴっ…」

 思い出したくもないことを思い出させるような不快な鳴き声だ。正義はリスをもう一度追い払おうと足元の雪を掴む。

「そこ、気をつけたら?足跡だけ見ていたら…」

 女が指を指すと同時に足元が崩れ、正義は腰まで埋まってしまった。

「うおおお!?」

 何故だ?確かに足跡はあったのに、何故ここまで埋まる!?

 脱出しようともがけばもがくほど正義の体は雪の中に沈んでいく。鈴が背中に乗っていることで余計な重みが加わっているに違いない。

「おい、さっさと俺の背中から降りろ!」

 振り落とされないように無我夢中でしがみついていた鈴は、正義の怒声でようやく自分の置かれた状況を理解した。正義が埋まっているのをチャンスとみるや、鈴は背中から飛び降りて駆け出した。

「おい待て、勝手に行くな!止まれ。聞こえないのかっ!」

 鈴はぐんぐんスピードを上げて遂には曲がり角の先で見えなくなった。やっとの思いで雪の中から這い出ると、既に女も何処かへ消えていた。

 くそっ、まさかこの期に及んで逃げるとは。…いや、わざわざこんな辺鄙で気持ちの悪い村まで逃げたんだ。こうなる事はわかりきった事じゃないか。どうせ道は一本しかない。ゆっくりと捕まえようではないか。

「これは…お仕置きが必要だな?」

 正義はわざと大きな声でそう言うと、鈴の後を追ってゆっくりと雪の中に消えていった。


 ロビー中央の暖炉を囲むように、ホテルの住民が一同に介していた。源さん、詠人、安樂夫妻、ササキ親子、そして俺。暖かい炎が照らす心地よい空間にいながら、全員の表情は真剣そのものだ。何せこれからは鈴さんの奪還作戦なのだから。地図を広げてみんなへ指示を出しているのは意外にも詠人だった。

「このホテルから下に降りようと思ったら道は一本しかないね。ここから…ここまで」

 気だるそうな詠人の指が流れるように上から下へと地図をなぞる。こうやって上から見るとくねくねした迷路のような道だ。

「両側に枯れ木があるからここの住民なら普通は迷わずに降りて行ける。大体距離にしたら3キロ弱かな。でも、知っての通り山の天気は変わりやすい。多分途中ですぐ吹雪になるんじゃないかな」

 全員が地図に齧り付きながら詠人の話を黙って聞いている。がらんどうのロビーは詠人の少年のように高い声がよくとおった。

「歩き慣れていない奴は必ず道を見失う。特に…この辺りでね」

 山道のちょうど真ん中に、道幅も広く少し開けた場所があった。

「この辺りは木々がほとんどないから強い風が吹いて地吹雪が起きやすいんだよね」

 夜染の山は歩き慣れていても迷ってしまう。一本道の境目なんて降り積もる雪と悪天候により、瞬く間に曖昧になってしまうのだ。かく言う俺もこの道には何度も泣かされたものだ。ひょっとすると、いつだったか俺が倒れた場所もこの辺りだったのかもしれない。待てよ、そういえばあの吹雪の中で、何か大事なものを見たような…。

「トムさん。ちょっとトムさん聞いてる?」

「…え?ああ、ごめんごめん」

「全く、トムさんが要の作戦なんだからしっかりしてよ。いい?トムさんにはこのルートから山を降りて貰うよ」

 詠人が示したのはホテルを出てすぐ右にそれた所にある薮だった。

「ここ…ただの薮じゃないの?」

「いや、実はここに道があってさ。獣道のようで違う、まあ言ってしまえば裏道だね。僕たちは惑いの道って呼んでいる。傾斜がキツいから注意しないと滑り落ちるけどね」

「毎日のように歩いてるのに全然わからなかったな」

 惑いの道とは大層な名前だ。むしろこの先間違って迷い込んでうっかり滑り落ちないように今聞いておいてよかった。何せ俺の頭痛はいつ何処で襲ってくるかわからないのだ。倒れてそのまま下まで真っ逆さまなんて事が起きかねない。

「あそこは危ねえからなあ、色んな意味で。間違って入る奴がいないように一応入り口は塞いでんのよ」

「危険が伴うけどそれくらいは織り込み済みだよね?多少無理はしないと追いつけないよ。その代わり、休まずこのルートから下山できれば先に降りれる筈だよ。あっちは先行してると言っても鈴さんを連れてるわけだしね」

 そうだ、父親がどれだけ動けたとしても、鈴さんを蔑ろにしては意味がない。少なくとも鈴さんはそれほど動ける方じゃないはずだ。

「まあ、それでも結局は机上の空論なんだけどね。山の上は電波もないし、基本みんなスマホもドローンもないからさ。始まってしまえば指事を出すことも様子を見ることさえ出来ないし、どうしても待ち時間が長くなるだろうね。それでもやる?」

 詠人はそう言って俺をじっと見つめる。一見棘のあるようで、目の奥は優しい光を放っている…気がする。

「みんな、ごめん!俺、どうしても鈴さんをたすけたいんだ!俺、後遺症でよく倒れちゃうけど、そんな時鈴さんはいつも助けてくれた。その恩を少しでも返したいんだ。俺も頑張るからどうか一緒に手伝って欲しい」

 俺は無理を承知でみんなに頭を下げた。鈴さんの命がかかってるとはいえ、みんなにわざわざホテルから村の中心部への往復を強いるのだ。だが、どれだけみんなに嫌われても構わない。割れるような頭痛の後、現実と地続きの悪夢の中で でもがいている俺に、鈴さんはいつも寄り添って声をかけてくれた。まるで母親のようなその行動にどれだけ救われたことか。例え1人になろうと俺はやる。

「勿論手伝いますよ。私たちだって鈴さんには色々と助けてもらいました。鈴さんが何度も声をかけてくれたから、人見知りの私たちはここでこうして話せてるのです。何よりあんなに可愛い鈴さんにもう会えなくなるだなんてそんなこと」

「僕も絵本読んでもらった!それに困ってる人が居たら助けるのがヒーローなんだよ!」

 意外にもササキ親子が一番に声を上げてくれた。

「はは、君は俺のヒーローだよ。ありがとう。お母さんもありがとうございます」

 不覚にも少しうるっときてしまった。

「あれ?トムさん泣いてます?いいんですよ隠さなくて。人は涙の数だけ強くなるんです。悪いものを体の外にデトックスして」

「私たちも協力させて貰いますよ。ね、あなた。鈴さんは優しいものね」

 延々と続きそうなマシンガントークを遮って安樂博子さんも協力の意を示してくれた。

「すずさん…?」

「ほら、あのお給仕さんの格好した可愛らしい女の子が居たじゃありませんか。東家でも声をかけてくれて」

「ああ…」

 虚な目をした巌さんの口元から、涎がつうっと垂れて長椅子を濡らす。

「ごめんなさいね、主人は夕方以外は調子が良くなくて。でも今から向かえば丁度良いわね。今日も綺麗な夕日が見られそう」

「ゆうひ…」

 巌さんはその単語が全くわからないといった風に繰り返し呟いている。

「あの、くれぐれも無理だけはなさらずに。これは俺のわがままなので」

 高齢の安樂夫妻がホテルから中心部まで往復するのは相当キツいだろう。ましてスピードが重視されるこの局面だ。急いで怪我でもしようものなら合わせる顔がない。

「ええ、お気遣いありがとう。私たちの出来る範囲でね。これでも毎日東家に夕日を見に行ってるんですよ。歩かないと足腰が弱ってしまいますから」

「本当にありがとうございます。凄く心強いです」

「いえいえ、助け合いですよ」

「なあトムよお、俺たちはお前の味方だ。お前が困っていりゃあ助けるのは当たり前よ」

 源さんが酒を見つめながらそう呟く。こんな時にも酒を手放せないのが源さんらしい。

「でもよ、すずだって大事な仲間だ。そうだろ?すずの救出はお前の為であってそうじゃねえ。ここにいる全員があのクズをぶん殴りてえと思ってんのよ」

 源さんの酒瓶握る手に力が入る。筋骨隆々で巨躯の源さんが力を込めると、途端に瓶がミシミシと悲鳴をあげる。

「それは源さんだけでしょ」

「いえ、私もぶん殴りたいと思ってますよこれはもう戦争というかカチコミですカチコミ。実は私恥ずかしながらああいうのに憧れがあって、少し気分が高揚しています。これでチャカでもあれば完璧なんですが」

「はあ…。あのさ、ササキさんは一回口閉じて貰える?」

「はっ。私ったらすみません」

 詠人のひと睨みでササキ母は慌てて口を閉じる。詠人はこんな時でも通常運転のようだ。それにしてもササキ母もすっかり天然キャラみたいな扱いになったな…。

「あー…とにかくよ、お前が謝る必要は全くねえってことだ」

「そうですよ!一緒にタマ取っちゃいましょう!」

「いや、殺してどうするのさ…」

「あ、間違えました、私たちにも協力させてください!」

「あははっ」

 このホテルの住人はなんていい人たちなんだ。本当に嫌な顔一つせずにこんな面倒なことを引き受けてくれて…。口煩い誰かさんとは大違いだ。

「みんな…本当に、ありがとう…!」

 俺はみんなに心からお礼を…。待て、俺は今何を…。口煩い誰か?一体誰のことだ?

「さ、まずはトムさんに頑張って山を降りてもらうよ。トムさんはとにかく村の出口のトンネルの前で構えてて」

 詠人の声にハッとなって我にかえる。いけないいけない。余計なことは考えずにまずは目先の事に集中しないと。

「山で遭難してる可能性もあるし、探しながら行った方が」

「いや、探しながら歩いてて先に抜けられちゃうのが一番ダメなパターンでしょ。このルートから走れば彼らよりまず間違いなく先に着く。後は待っていれば絶対にこの村から出ていく事はないよ」

 確かに詠人の言うことはもっともだ。夜染は険しい山に囲まれた村だ。この村への出入りするには必ずトンネルを通り抜けなければならない。だが…。

「じゃあ他のみんなは?」

「他のルートを手分けして探す」

「万一怪我でもして動けなくなったとありゃあ寝覚めがわりい。山は俺に任せな!」

 俺の不安を察したのか、源さんが詠人の説明を捕捉してくれた。

「そ、だからトムさんは安心して駆け降りるといいよ。もちろん、急ぎすぎてトムさんが怪我しちゃ目も当てられないからね。それに、誰かの声が聞こえたり、何かが見えても気にしちゃいけないよ」

「え、それどういうこと?」

「とにかく気をつけてってこと。ほら、こうして話してる間にもどんどん時間は過ぎてる」

「あ、ああ…。そうだね、肝に銘じておくよ」

 よくわからないが、今はただ、頭痛が起きないことを祈ろう。

「よし、それじゃあトムさんはもう出発しちゃって。失った時間は二度と戻らないからね」

「了解。絶対に捕まえてみせるさ。みんな、一緒に鈴さんを取り戻そう」

「おー!あれ、ちがいました?」

 俺の号令に、みんなが神妙な面持ちで頷いた。…1人を除いて。俺はその場で軽く柔軟をすると、マラソンランナーよろしく雪山へと走り出した。あいにく外は曇りで、強い風が降り積もった雪を巻き上げて視界も悪い。だが、今の火照る体には悪天候くらいが丁度良い。俺は深呼吸ひとつ気合いを入れると、道なき道を駆け降りる。


 勢いよくホテルを飛び出したトムと対象的に、残った住民達は落ち着いていた。

「さてと…。みんな協力ありがとう。じゃ、頃合いをみて各自持ち場についてあげようか」

 角谷詠人の号令で住人はすぐさま散り散りとなった。ロビーに残ったのは詠人と源波義政だけだ。

「トムのやつ、追いつけると思うかあ?」

 彼らは話しながらロビーにある#2人の定位置__・__#にそれぞれ座る。

「今のままなら無理じゃない?走って追いつける差でもないし」

 話しながら詠人はリュックからパソコンを取り出してテーブルの上に置いた。

「だよなあ。何せあいつは頭が固えからなあ」

 義政もまた、スーパーのビニール袋から日本酒の瓶とつまみのあたりめを取り出して目の前に並べていく。

「いやいや、普通の人ならそんなもんでしょ。でもトムさんはいざとなれば変化を恐れない。まあ、自己が曖昧だから影響を受けやすいのかもしれないけどね」

「それがトムのいいところだけどよ、見ててなーんか危なっかしいんだよなあ」

 2人の距離は会話するには不自然なほど開いていて、なおかつ互いに別々の方向を向いているが、特に喋りにくさは感じていないようだった。

「でも正直トムさんが羨ましいよ。まだまだこれからって感じでさ」

 詠人は虚空を見つめながら目を細める。

「でも今回は流石にちいとばかし厳しいんじゃねえか?少しくらい変わったとしてもよ」

「トムさんはパレットに垂らした二色の絵の具なんだよ。あと一混ぜするだけで全然別な色に変わっちゃうようなね。望むならいくらでも、それこそ色も形も変え放題さ」

 義政の不安を一蹴して詠人は笑う。その顔にはトムへの羨望心が垣間見えるのは気のせいだろうか。

「ああ、それでこうやって決起集会開いたわけか」

「そ、トムさんはきっかけさえあればね。ただ、一旦混ざっちゃうと元の色に戻すのは相当大変なんだけどさ。かといって今のままだらだら行くのもよくない。ちゃんと混ざりきってるわけでもないから、感情や性格がブレてきちゃう」

「最近は特にそうだもなあ」

「中々調整が難しいよ。片割れの事もあるし」

「ああ、近頃出てきたあれかあ…あ」

 会話の途中で不意に詠人と義政の体がぴたりと動きを止める。

「…っと、もう時間切れか。トムさんが居ないとすぐこれだ。全くやりにくいのなんの」

「仕方ねえ、それが俺らの業よ。ここまでやれることに感謝しねえとな」

 2人はうんざりした顔でそう呟いた。

「ま、トムさんが本気で願えばうまく行くさ。その為にわざわざ盛り上がる舞台を用意して上げたんだからね」

 詠人はパソコンを起動させると、いつものように小説を書き始めた。さっきまでの生き生きした表情が嘘のように、能面のような顔でカタカタと一心不乱に何かを書き続けている。それに呼応するように源さんも虚空を見つめながら再び無言で飲み始める。


 ようやく山を降りて来られた正義だったが、結局その間に鈴を見つける事は出来なかった。まさか道を間違えて行き倒れているんじゃないだろうな。そうなると私の監督不行き届きになってしまう。だが、何処にいるかもわからないのに冬の山の中を探し回るのは自殺行為だ。逃げた方向からして山を降りたのは間違いない。あの時点で村までは大凡半分くらいだったはずだ。

「しらみ潰しに探して行くしかないか」

 あいつは昔からわかりやすい性格だ。捻くれた場所には隠れないだろう。この村にある施設をしらみつぶしに当たるのが近道か。幸い村の出口までは一本道だ。少なくとも村から逃げられる心配はない。

 役場も近いからか歩道もしっかりと除雪され、歩きやすさが山中と段違いだった。こんな不気味でオンボロな村だ。どうせ大した財源もないから見えるところ以外は手を抜いているのだろう。

 ここから一番近い施設は…このアスレチックか。正義はホテルのロビーから拝借したボロボロのパンフレットを広げる。見たところアスレチックはかなりの広さがある。こんな寂れた村に観光用の巨大アスレチックとはなんて趣味の悪い冗談だ。心の中で悪態をつきながらも、正義の足はしっかりと目的地へ向かっていた。

 アスレチック目前で、少し大きな茶色い屋根の東家が見えてきた。正義は念の為中を確認しようと近づく。

「まさかここにいるなんて事は…。おっと、失礼しました。ちょっと人を探していましてね。私は東京都で公務員をしてます山中正義と言います」

 中に予想外に老夫婦が座っていて、正義は取り繕うように自己紹介をする。2人は素人目に見て身なりが良く、着ている茶色の皮のコートにしろ持っているバックや杖にしろ、どれもいかにも高級そうだった。

「あらあらご丁寧にどうも。私は安樂博子と申します。こちらは夫の巌です。山中というと…もしかして山中鈴さんのお父様でいらっしゃいます?」

「あ…。娘をご存じでしたか。いやはやお恥ずかしい。どうにも出来の悪い娘でしてね。全く親の心子知らずと言いますか、こんな村にまで飛び出してしまいまして困ったものですよ」

 正義は肩をすくめてそう言ったが、安樂夫婦の反応は思っていたものと違っていた。

「そうでしたか。鈴さんは普段から優しくてとってもいい笑顔をするんですよ。この村の空気が凄く合ってるんだと思います。私はこの村に望んできたものかと…」

「とんでもない。家出を繰り返してたまたま行き着いただけですよ。全く…いい高校、いい大学に行くのはこのご時世当たり前の事ではありませんか。そうでなければ社会に出てからどれだけ苦労するか…。娘はそれがわかっていない」

 学歴によって早々に出世コースから外され、自分より仕事の出来ない人間がどんどん上にいく。そうやって常に辛酸を舐めてきた正義にとって、それは何よりも重要なことであり、話も自然と熱を帯びていく。

「まあまあ。高学歴が必ずしも正しいとは限らないのではありませんか?」

「ははは。はははははっ!…ご冗談を。失礼ですが…あなた方は退職前どんなお仕事を?臨時職員や清掃員のような学歴など関係ない仕事ならいざ知らず、高学歴で安定した職に就くのが正しいに決まっているではないですか」

 正義は不快感を隠そうともせずにそう言い放った。怒りを抑えているのか、右の眉毛がピクピクと不随意運動を繰り返している。

「今日も夕陽がきれいだ。あなたは夕陽に感動した事はあるかな?」

 今まで黙っていた安樂巌が緩慢な動作で立ち上がると、夕陽を見つめながら口を開く。

「いきなり何を…」

「彼女は…この村の景色を初めて見た時に涙を流したそうだ」

「はっ。そんな感傷に浸る暇があるならさっさと帰ってくればいいものを…。全くもって無駄なものですよ」

「同じだな」

 巌は静かにそう呟いた。

「…何がです」

「私は…認知症でね。段々と自分が失われていくんだ」

「はあ」

「あなたの娘さんも…同じだ」

「同じ?私の娘が認知症だとでも?」

 正義はこれ見よがしに顔を歪ませる。

「ああ…本当にいい夕陽だ。私はね」

「さっきから何を言ってるんだあなたは!私の娘をそんなものと一緒にしないで頂きたいっ!」

 巌の話を遮るように正義が声を荒げる。対する巌は相変わらず夕陽を見つめたままだ。

「親の考えを無理矢理押し付けられ…その他の全てが否定される。そうすると人は徐々に自分というものを失っていく。同じ事だ。…同じ事なんだよ。彼女の涙は…決して悲しみなどではない」

「あんたたちの話は不愉快極まりないっ!人の娘を愚弄して…。失礼させてもらう!」

 もう我慢の限界だったのだろう。正義は机を激しく叩いて乱暴に立ち上がると、近くの雪を蹴飛ばしながら東屋を去って行った。

「あらあら、あんなに怒って…。あなたの言葉が響いてくれてるといいのだけれど」

「変わらないさ。過ぎ去った過去は変えられない。カセットテープのように巻き戻しては再生を繰り返すだけだ。それに気づかないままこの村に来るとは…皮肉なものだ」

 安樂夫妻は寄り添い合うと、沈みゆく夕陽をいつまでも見つめていた。

 

「ここがアスレチックか…」

 東屋を離れて歩くこと数分、正義の目の前に大きなアスレチックが姿を表した。

 森の一角、木々の隙間を縫って大小さまざまなコースが円を描くように配置されている。夏場は鬱蒼と茂る木々が太陽の光と視界を遮り、さぞかしこの世界にのめり込めることだろう。こんな所に来る物好きがいれば、の話だが。最も今は枯れ木ばかりで視界も開けみる影もないが。ちらりと見回した感じでは誰もいないようだった。

 念のため一周くらいはしておくか。正義は木でできたアーチ型の入り口を通り抜ける。木の柱は所々腐りかけ、掠れた文字で「ようこそアスレチックへ」と辛うじて読むことができた。入り口でこれならアスレチック遊具なんて危なくて近寄れないな。

 ところが、入り口をくぐってみると遊具は思いの外綺麗だった。足場が擦り減っていたり、一部が割れていたりと所々使い古された感じはあるが、問題なく使用できそうだ。心なしか空気も澄んでいる気がする。

 正義が首を傾げながら辺りを見回していると、少し遠くの遊具にちらりと動く影が見えた。

「おい、そこにいるなら早く出てこい!」

 正義の声に呼応するように影が動いたかと思うと、果たして現れたのは見知らぬ少年だった。

「おっと…。君は…この村の子どもかな?」

「そうだよ!」

 少年は元気よくそう答える。坊主頭で恐竜のトレーナーを着た活発そうな印象の子だった。腰には変身ベルトのようなものが巻かれている。

「そうか。ならあそこのホテルに住んでる山中鈴という子を知ってるかな?」

 正義は光り輝くホテルを指差しながら張り付いた笑顔でそう聞いた。景色に何か違和感を覚えたが…まあ些細なことだろう。

「うん、僕その子の事知ってるよ!アスレチックで僕に勝ったら教えてあげる!」

 少年は満面の笑みでそう言った。

「ぼうや、私は今急いでいるんだ。知っているならすぐに教えないと…」

 途端に正義から笑顔が剥がれ落ちる。

「ステージは全部で30あるからね。よーしじゃあスタート!」

 そう言うや否や少年は正義の話には耳も貸さずもうスピードで駆け出した。

「お、おい!待て!…はあ」

 仕方がない。自慢じゃないがこう見えて体力には自信がある。見たところ木で出来たさまざまな短いコースを一つ一つ踏破していく類いのようだ。正義の傍には「1」と書かれた立て札がある。山道にはあれだけ雪が積もっていたというのに、アスレチックの周りはしっかりと除雪されていた。

「全く…。人の話を全然聞かないはな。どうやらあの少年にも教育が必要なようだ」

 正義はダウンを丁寧に畳んで傍に置くと、その場で肩を鳴らし全身軽くストレッチしてから少年に負けじと駆け出した。季節外れの少年の格好に違和感を覚えていたのだが、この場所はどういう訳か暖かい。もしかしたらオールシーズン利用できるような工夫がなされているのかもしれない。寂れた村には全く無用なものだが。

 まずはいつだったかテレビで見た湾曲した壁をかけ登るアレだ。といってもあくまで子ども用に作られていて、高さは2メートル程度の簡単なものだった。

「ふんっ」

 正義は一気にギアを上げるとそのまま難なく登りきる。

 さあ、一方的な鬼ごっこの始まりだ。

 勢いそのままに吊るされた3つの鉄の球体の上を渡りきり、ボルダリングの壁を登ってからクリフハンガーよろしく一本のロープにかけられたフックで池の上を滑り降りる。

 …ところが、正義が絶好調なのはここまでだった。

「はあ…はあ…」

 何なんだあの少年は…。一つ一つが短いとはいえ、用意されたコースは腕やら脚やらとにかく全身を使わなければいけない。その上で先行する少年を追って急いで通過しなければならず、既に下山で足を酷使していた正義はものの数個で続かなくなってしまった。反対に、もう半分近くまで来たというのに、先を行く少年のペースは全く落ちる気配がない。差が#全然縮まらないのだ。__・__#

「くそ…。何故そのペース配分で体力が持つんだ…。あり得ないっ!」

「ここでは出来ると思ったら出来るんだよ。おじさんは頭が固いね~」

 こちらを振り返った少年は、あれだけのスピードで走りながら涼しげな顔をして汗ひとつかいていない。

 吊り下がった等間隔の輪の中を少年はピーターパンのように高速ですり抜けていく。

 今、空中を飛んでいなかったか?

 正義も遅れて輪の中に侵入するが既に太ももはパンパンに張っていて、とてもじゃないが早く動けない。腕と足をガクガクさせながらゆっくりと少しずつ渡っていくしかなかった。

「あははは!そんなんじゃいつまで経っても教えられないよ~」

 少年は次のコースであるロープで出来た蜘蛛の巣の坂を最も簡単に登りきると、上から勝ち誇ったように正義を見下ろした。

「はあ…はあ…くそっ!降りてこい!大人を舐めると痛い目を見るぞ…!」

 正義は少年を見上げて怒鳴りつける。

「僕は正義のヒーローだからそんなのへっちゃらだよ!」

 少年は腰についている変身ベルトを光らせる。回転するベルトのういぃぃぃんと耳障りな効果音が正義の神経を逆撫でした。

「はっ。何だそれは。そんな子供騙し…。正義のヒーローだって?君は一体何歳だ?いつまでそんな幼稚なものを信じてる?」

「むうっ。ヒーローはいるよ!ヒーローはね、困ってる人を助けるんだ!あの人は困ってた僕を助けてくれたから、今度は僕が助ける番だ!」

「そんな物ただのおもちゃだ。ヒーローだってな。そろそろ現実をみたらどうだ?」

 正義の右の眉がピクピクと痙攣を繰り返す。

「うう…そんな、こと…」

 少年はぐっと堪えるように拳を握り締めるが、その目には溢れんばかりに涙が溜まっている。

「ふん。都合が悪くなった途端泣くのか?まさか泣けば許してもらえると思ってないだろうな。これだからガキは…」

「ひぐっ…。うっ。うあああああああああ!」

 アスレチック中に少年の泣き声が洩れ響く。

「どうしたの急に泣いて…。あら?あなたはホテルに居た山中鈴さんのお父さんですね」

 後ろから声がして振り返ると、灰色のトレーナーに紺のジーンズを履いたラフな格好の女性が立っていた。少し俯き気味のためか顔はよく見えない。

「ああ、あなたがこの子のお母さんですか。実はホテルから連れ出した途端に困った事に娘がいなくなりましてね。それで今まさに探してたんですが…。この子が居場所を知ってるというものでね。言っちゃあ悪いが少ししつけを。娘の命がかかっているというのに、ゲームなんてくだらないもので勝負を挑んできまして。ことは一刻を争うんだ。お母さんからもきつく言い聞かせて下さい」

 正義からの説教を受け、少年の母親は俯いたまま勢いよく話し出した。

「おやおや、面白い事をおっしゃいますね。あなたはうちの子に勝負を挑んで負けたんですよね?それで悔しくて虐めたんですか?いい歳した大人が?」

 母親から当然謝罪を受けると思っていた正義は、唖然として一瞬固まってしまった。

「…なんだと?お母さんね、こっちは大事な娘が居なくなってるんだぞ?それを虐めだなんて、ふざけるのも大概に…」

「ふざけてませんよ」

「ふざけてるだろう!」

 正義は大声を張り上げるが、母親は正義の威圧をものともせずに、ずいと一歩前に出る。

「いいですか?そもそもホテルから無理矢理連れ出したのは誰ですか?何で鈴さんが逃げたのか考えましたか?あなたが社会的にどれだけ偉いのか知りませんが、それイコール優れているという事ではありませんよ。あなたは自分が貴族かなにかだと思ってるんですか?」

 ぐいぐい前に出る母親に逆に正義の方が気圧されてしまい、思わず後退りした。

「こんな所まで追いかけて自分勝手な都合で連れ戻そうとして無関係なうちの子も巻き込んで」

 母親は更に前にでる。もうお互いの距離は目と鼻の先だったが、母親は相変わらず少し俯いていて、これだけ近いのに容貌は要として知れない。立板に水で早口で一気に捲し立てる母親に、正義は反論を言う暇もなかった。

「挙句思い通りにならないからって怒鳴りつけて子どもの考えを全部否定して、自分の価値観を押し付ける。これのどこが教育なんですか?はいとしか言わない自分用の洗脳人形でも作りたいんですか?」

「お前!言っていい事と悪いことがあるだろっ」

 頭に血が昇った正義はつい母親の胸ぐらを#掴んでしまった__・__#

「うっ…」

 顔を上げた母親の、土気色の肌に異様に大きな黒目がこちらを覗いていた。濁った目はさながら死人のようで、その顔からはなんの感情も読み取れない。目の前に居るのは本当にさっきまで俺が話していた人間なのか?

「あなたこそ、都合が悪くなれば怒鳴ることしかできない」

 体から汗が噴き出る。これは根源的な恐怖だ。人間ではない何か。

「うああ」

 正義は2、3歩後ずさると、脱いだダウンの事も忘れてアスレチックから逃げ出した。アーチを出た途端に凍てつくような寒さが全身を襲い、正義は立て続けに2つくしゃみをした。北風と雪山が正義の事を高みから嘲笑っていた。


「言っちゃったねお母さん」

「ふふふ、上手くいったね。さあ、後はトムさんのお手並み拝見といきましょうか」

 滑稽な男の後ろ姿を眺めながら、少年と母親は悪戯っぽく笑い合った。


 やっとの思いでアスレチックの林を抜けると、次に見えてきたのは夜染役場だった。黒い箱形の建物は周囲の自然から浮いていて、どことなく異質な感じがした。

 ここまでの娘探しは全て徒労に終わってしまった。それどころか会う者会う者が正義を不快な気分にさせた。もうそろそろ日が沈んでしまう。そうなれば見つけ出すのは困難になってしまう。流石の正義にも少し焦りが見え始めた。見つかるまで何日でも泊まり込むつもりで来たが、こんな不快な村からは一刻も早く抜け出したかった。

 役場の中を一通り見て回ろうと建物に近づいた時、入り口の側にあったスピーカーを見てふと正義にある考えが浮かんだ。

「村内放送…か。役場に依頼して村中に尋ね人の放送をかけてもらうのはありかもしれん」

 公務員はそろそろ就業の時間だった。こんな寂れた村に残業する社員は皆無だろう。急がなければ本当にこの村で宿を探す羽目になってしまう。

 急足で中に入るとたちまち温風が全身に吹き付けられ、正義は生き返る思いだった。おんぼろホテルと違い役場の中は真新しく、ほんのり木の匂いがした。小さい役場だからか、入り口に案内の者はいなかった。

「なになに…。総務課、観光課…住民課…。放送関係はどこだろうな。とりあえず総務課に行くか」

 何処であろうとわからなければ総務だと相場が決まっている。案内表示を一瞥すると、正義は目的地まで急いだ。総務課は正面の廊下をまっすぐ進み、突き当たった場所にあるらしい。辺りは静まり返っていて、役場を訪れている者は正義以外いないようだった。

「なんだここの職員は…。たった一言の挨拶もないのか?自らが公務員であるという自覚と責任が足りないんじゃないか?」

 正義が濡れた靴で歩くたびに灰色の樹脂で出来たタイルの床が鳴る。それなのに職員の誰一人顔をあげようとしない。正義はイライラして次第に足音が大きくなっていった。総務課に着いたら一言説教してやらねばな。

 総務課に着くやいなや正義は真新しい白いカウンターにべったりと手をつくと、大きな声で職員を呼びつけた。

「君、ちょっと聞きたいことが!」

 にも関わらず、職員は誰も顔をあげようとしなかった。

「村内放送のことで聞きたいんだが!」

「おい!聞いているのか!?」

 どれだけ怒鳴り散らしても、職員たちは正義の方を見向きもしない。

「さっきまで挨拶がないのは百歩譲っていいとしよう。だが自分の部署に用事がある者まで無視するとは一体どういう了見なんだ?ええ?おいそこのお前、聞こえてるだろ!」

 新手のクレーム対策なのか、どれほど声を荒げても職員は一向に来なかった。

「…どうかしましたか?」

 ああ、ようやくまともな奴がいたかと振り返ると、顔面蒼白で何かを必死に堪えている風の女が立っていた。名札には上寺御仏と書かれている。

「あなだは…ホデルのっ。住民でわあっ、ありまぜ、んね」

 上寺は何度も餌付きながやっとの思いで言葉を絞り出した。正義は女の態度を不審に思いながらも、先を急ぐ故、このまま要件を聞く事にした。

「そうだ。娘を探しにこんな村までわざわざ来たんだよ。山中鈴という娘だ。役場に来てないか?」

「…山中鈴ざんうえっ。こごには来て、いまぜっ」

 よほど具合でも悪いのか、全身が小刻みに震えている。力を込めすぎてへの字になった唇からつうっと血が垂れる。いくら急いでいるとはいえ、これには正義も我慢の限界だった。

「…はあ。さっきから何なんだ君たちは。ここは役場で君たちは公務員だぞ?来客に挨拶もしない。顔も上げない。呼んでも返事をしない。挙句の果てになんだ君のその顔は。ふざけてるのか!?だいたいな…」

「うぷっ。ぐううっぷ。ごっ…」

 上寺の頬がリスのように膨らんだり閉じたりしているが、正義はそんなことお構い無しに話し続ける。

「…私も公務員なんだよ。いいか?我々の給料は税金だぞ?いついかなる時も住人の模範となるべきだろう!」

「ああ…。おええええええええ」

 正義が熱弁しながら一歩前に出た瞬間、上寺は堪えきれずに正義の目の前で盛大に嘔吐した。

「…は?な、な…」

 突然の事に頭が追いつかない。さっきまでの怒りも忘れ、正義はただ呆然とその場に立ち尽くすしかなかった。

「…うえっぷ。ぺっ。…かっ。ふう…。ずみまぜんが…。他を、当だって、くだざい…ね」

 下を向きながら膝をつく神寺の様子を案じてか、顔を伏せてさっきまで見向きもしなかった職員達が一斉に駆け寄ってくる。

 正義は居心地が悪くなって職員が来る前に逃げるように役場を後にした。


 気づいたら俺はトンネルの前にぼうっと突っ立っていた。あれ?確か俺は…。雪山を走って走って鈴さんを連れ去った父親に追いつくことだけを考えて、例えどんな犠牲を払ったとしても鈴さんを取り返すと念じて…。それから、どうしたんだっけ?

 朧げに雪山を走る自分の姿が浮かんでくる。だが、それ以上思い出そうとするとざらりとした何かが邪魔をして上手くいかなかった。これがランナーズハイというものだろうか。

「大丈夫、俺はきっと間に合ったはずだ」

 俺は自分にそう言い聞かせる。一心不乱にそれこそ記憶が飛ぶくらい走り続けたのだ。俺はまだぼやけた頭をゆるゆると揺すると、その場で静かに目を瞑る。

 ドッ。ドッ。ドッ。ドッ。

 静寂の中で自分の心臓の鼓動がやけに大きく聞こえる。まるで何処かの祭囃子だ。規則正しく脈打つ心臓の太鼓と神輿が、脳へと続く道に詰まった異物を力強く押し流し、頭の中の砂嵐を取り去っていく。それと同時にさっきまで忘れていた記憶が断片的に浮かび上がる。

 ドッ。

 何度もバランスを崩しながら急勾配の斜面を必死に下る自分。

  ドッ。

 吹き溜まりに足を取られて前のめりに転倒する自分。

   ドドン。

 斜面を転げ落ちていく様を木の影から覗いている顔の見えない女。

    ドンッ。

 地面に横たわる自分と古びた家屋で何か言い争っている男女。

    ドンッ。

 火を囲んで踊る丁髷で上半身裸の村人達と、手を組んで厳かに祈りを捧げる巫女。

   ドッ。

 丁髷男たちが担ぐ神輿の上に置かれた大きな縦長の桶と、それを空から眺めるだけの自分。

  ドドン

 太陽の光さえ届かない暗い森の中に掘られた深い穴と、そこに埋められる桶。涙を流す痩せ細った担ぎ手達。

 ドドドン。

 暗い。真っ暗で何も見えない。何も聞こえない。無だ。ここには何もない。苦しみも、恐れも。俺は本当に存在しているのか?

 ドドドドドドドド。

 目の前で鈴さんを引きずる男と、それを待ち構える自分。

        ドンッ!

 


「ようやくトンネルまで戻ってこれたか…。これで不快な村ともおさらばだな。ん?………………はあ」

 鈴さんの父親は俺に気づくなりこめかみと額を抑えて深いため息をついた。指の間から大きな二重の目がこちらをぎょろりと睨みつける。血走って見開いた目はいまにも飛び出してきそうだ。右の眉と左の頬がピクピクと動いている。ひと目見ただけで神経質そうな、そんな顔と所作だった。

「さっきからどいつもこいつも…。村中駆け回ってやっとの思いで娘を見つけ出したというのに、一体何度私の邪魔をすれば気が済むんだ」

 正義の鈴を掴む手に自然と力が入り、鈴は苦痛に顔を歪めた。

「今すぐ鈴さんを離してください」

「そもそもお前は誰なんだ」

「私は宿木吐夢といいます。鈴さんと同じホテルの住人です」

 はっ!と父親はあからさまに鼻で笑う。

「お前もか。人生の敗者共が揃いも揃ってこんなところ虫のように群がって…。全く眩暈がする。これを引き留める価値が何処にある?お前たちは他人よりまず自分の心配をするべきだろう」

 父親は吐き捨てるようにそう言うと、鈴さんを乱暴に引き寄せる。

「自分の娘なんですよ…?なんでそんなぞんざいな扱いができるんですか!」

「今どき高校を出ていないばかりか、働いてすらいない人間に、何の価値がある?こんな奴らを養う為に我々は税金を収めてるわけじゃない。生活保護…精神疾患…ニート。働きもせず金を得て資源を食い散らかすような輩は社会にとって害にしかならない。お前もそうは思わないか?」

 清々しい程の優生思想の塊だ。男の言ったような状態に至るには勿論様々な事情があって、どれもそんな人たちを救うセーフティネットだというのに。

 男の鈴さんを見る目は、その辺のゴミを見る目と同じだ。決して自分の家族に向けていいものじゃない。

「以前は私も無職が恥ずかしい事だと思っていました。うつ病なんか弱い人間がなるものだと」

「そうだ。わかってるじゃないか」

 勝ち誇ったように笑う男の顔は酷く歪んで見えた。いや、本当に歪んでいるのか?目の前にいるのにどうにも輪郭が定まらない。

「でもそれは大きな間違いでした」

「…何?」

「自分がそうなって、しかも死にかけてようやくわかったんです。それは死ぬ一歩手前の、体からの最後のサインだったんだと。決して心の弱さなんかじゃない。まして恥ずかしいなんて。それに、どんな病気にも必ず原因があって」

「原因だと?へらへらへらへら笑いながら訳のわからない御伽話を垂れ流すこれにも原因があるというのか?はっ!馬鹿馬鹿しい」

 男の激しい口調に合わせて全体像が何度も歪む。もしかしてこの現象は、男の感情の揺らぎからきているのか?

 例え男がそう考えるに至った原因があったとしても、その考えを俺は到底容認できない。

「あなたは鈴さんが何故そうなったのか、一度でも真剣に考えてみた事があるんですか!」

「そんなもの考える必要もない。……もういいか?こっちはお前たちのように暇じゃないんでね」

 男は話を切り上げて先へ行こうとする。その間も、鈴さんは張り付いたような笑みを浮かべてただ黙って立っていた。

「通しません。あなたが忙しいかどうかは関係ない。鈴さんは、僕たちの大切な仲間なので」

 俺は両手を広げて男の道を塞いだ。目の前にいるのは死にかける前の俺だ。かつての俺が見たら、他人のためにここまでしている自分に驚くだろうな。人は一人では生きられない。そんな当たり前のことに気づかせてくれた仲間を、絶対に連れて行かせはしない。

「しつこいなお前も。いいか?これは家族の問題だ。部外者が口を挟むんじゃない。わかったら今すぐそこをどけ」

 男は俺を押し退けて通ろうとするが、俺もまた男を押し返す。

「議論すらしないんですね…。あなたは鈴さんの人生を強制することで、鈴さんの心を殺してるんです。学歴、経歴、資格…。そんなもの見栄以外の何者でもない!何より、働く事だけが正解じゃないんですっ!」

 俺も、そうだった。この男のように直接的じゃないにしても、多くの部下が心を病むのを気に留めもしなかった。無理な指示をした事だってある。

 辞めて行った者たちは皆一様に生気のない顔をしていて、俺の選択や無関心が多かれ少なかれ彼らの人生を狂わせていた。

 疲れているのに無理やり呼び出して送迎させたり、わざと余計な手間をかけさせたり。そんな時でもあの人は笑顔で…。

「随分とお花畑な理論だな。言っただろ?働かないことをよしとしてるようなやつと議論するほど暇じゃ無い」 

 男は鈴さんに向けていた濁った目で俺を見ている。冷静な声のトーンとは裏腹に、男の輪郭は原型を成していないほど醜く歪んでいた。

「おい、いくぞ」

 男のようなものは話を切り上げて、立ち塞がる俺の間を強引に通ろうとする。男のようなものが鈴さんの腕を強く引っ張った拍子に、ブレスレットの紐が切れ、紫色の鈴が地面に落下した。

 ちりぃぃぃん。りぃぃん。辺りに小さく澄んだ音が響く。その瞬間、鈴さんから笑顔が消え、男の輪郭の揺らぎが収まった。

「どうした」

 り…。

 ここまでされるがままだった鈴さんの足が止まる。男は自分の足元に転がった鈴の事など気にも留めていない。

「私は…行きたくない…」

 落ちたすずの行方を気にかけながら、鈴さんは声を搾り出す。

「いいから早くしろ。お前の意見は聞いていない」

「鈴さん、こっちに!一緒に帰ろう」

「お前は黙ってろっ!」

 鈴さんに差し伸べた手を男がはたき落とす。思い通りに行かない状況に男は明らかに苛立っていた。

「くそっ!この村にいるとおかしくなりそうだ。お前らは揃いも揃って一体どういう価値観をしてるんだっ」

 りり…。

「違う…。おかしいのは…あなたの方」

「…何だと?………もう一度言ってみろ!」

 りい…。

 男の大声に鈴さんの体がビクッと反応する。

「そ…そうやって、すぐに、怒って…」 

 俯いて両手を抱える鈴さんの体は小さく震えていた。鈴さんは今、目の前に立つトラウマの塊に懸命に抗おうとしているのだ。

「聞こえないな、さっきからぼそぼそと。言いたいことがあるなら、はっきりと俺の目を見て言ってみろ」

「鈴さん、俺がいる。俺たちがいる。何も恐れることはないんだ。もう鈴さんは1人じゃ無い」

 鈴さんに詰め寄ろうとする男と、それを阻止しようとする俺。3者の交差する動きにすずが踊る。

 りいぃ。りりぃ…。り…ん…。

「ちっ、うるさいな」

 男は苛立って辺りを見回し、音の原因とみるや足元のすずを踏み潰した。がきいっと金属の擦れる鈍い音がして、鈴は簡単にひしゃげてしまった。

「あ…」

 鈴さんは男を押し退けて慌てて鈴を拾い上げた。突然の事に男はよろけて尻餅をつく格好になった。

「親に向かって何をする!」

 すずが壊れて溢れ出した黒い何かによって、男は文字通りぐにゃぐにゃの丸い塊に成り果てていた。

「あなたは私の父親なんかじゃない!」

 鈴さんは唇を強く噛み締めて男を睨みつける。

「お…お前、さっきから何だその口の利き方は…!」

「この鈴は、お母さんの大切な形見なんだ!今まで散々お母さんやわたしを虐げてきて…。その上で思い出まで奪うなんて絶対に許せない!」

 鈴さんは不定形の物体を押し退けて俺の横に立つ。男は初めて見る鈴さんの抵抗に気圧されていた。

「くそっ…アイツといいお前といい…。半端な学歴ではこの社会では生き残れないっ!どいつもこいつもそれが何故わからないんだ…!お前たちの為に俺がどれほど時間を割いたと思ってる…?社会に出て苦労するのはお前らなんだぞ!」

 男が漏らした言葉はぐにゃりと形を変え、男を写す鏡となった。

「それはあなたの苦労です。あなたがどれだけ辛かったかはわかりませんが、鈴さんに押し付けるものじゃない」

「押し付ける、だと?なにを馬鹿なことを。俺は娘のために」

「トムさん、ありがとう。ここからは私に言わせて。…すうっ。私は、もう、あなたの言いなりにはならないっ!」

 鈴さんはその場で深く息を吸い込むと、村中に響き渡るほど大きな声で叫んだ。声の振動が男を覆う黒い何かを吹き飛ばす。

「なっ…」

 ここまで明確な拒絶は初めてだったのだろう。先程尻餅をつかされた事といい、鈴さんの思わぬ抵抗に男は何もいい返せずにいた。結局この男は弱者には強く、強者には何もいい返せないような矮小な人間だったのだ。今、鈴さんはこの男にとって強者となった。

 ともすれば、俺もそうなっていたかもしれない。平日から土日まで、栄養ドリンクを胃に流し込んで出社し、夜中まで誰とも会話せず仕事をする。繰り返しだ。声を発するのは部下のミスを指摘する時だけ。死ぬまで繰り返しだ。そうしていつか振り返った時に気づくのだ。ああ、俺の人生なんだったんだろう、と。そうなればもう、他人のせいにするしかない。目の前で萎む男のように。

「…帰るぞ」

 しばしの沈黙のあと、男が独り言のように呟いた。その声は掠れて聞き取るのがやっとだった。

「いやです。もう私の家はここなんです」

「もう終わりです。これ以上は警察を呼びますよ」

「ちっ。お前など絶縁だ。好きにしろ」

 男にはもうさっきまでの威勢はなく、精一杯の捨て台詞を吐くとトンネルの奥へと消えていった。凛とした鈴さんの佇まいとは対象的に、その後ろ姿は酷く小さく見えた。

 男が完全に見えなくなったあと、緊張の糸が切れたのか鈴さんは脱力してその場にへたり込んだ。

「鈴さん!?ほら、掴まって」

「あはは。気が抜けちゃいました…」

 俺は慌てて鈴さんを助け起こす。鈴さんの身体の震えはまだ止まっていなかった。

「ありがとう。トムさんがいてくれなかったら、私はあの場で潰れて連れて行かれてたと思う」

「…いや、鈴さんが自分で乗り越えたんだよ。俺は少し手伝っただけ」

 トラウマの克服に周囲のサポートは勿論大事だが、本人が立ち上がれなければそれは叶わない。全ては目の前で父親と相対し、怒声に震えながらも決して折れなかった鈴さんの頑張りだ。

「それでも、感謝してもしきれないよ…。本当に…こんな日が、来るなんて…」

 鈴さんの目から大粒の涙がこぼれ落ちた。鈴さんがここに居るのは、あの男から逃れる為だった筈だ。けれど、どれだけ遠く離れても、根本が解決しない限り常にあの男の影が付き纏う。本当の意味で平穏に暮らすことはできないのだ。

 だが、あの男の影は今目の前で小さくなって消えた。だから…。

「これからはもうお父さんに怯えなくていいし、好きに生きていいんだよ」

 その言葉に鈴さんは少し困った顔をした…ように見えた。

「ううん、私はもう充分。それにもう遅すぎるよ。それよりも、トムさんこそ自由に生きて」

「そんな事ないよ!鈴さんなんて俺より全然若いんだし、まだまだこれからだよ」

「…トムさんは優しいね」

 夕陽に照らされて鈴さんの涙がきらきらと輝いている。その横顔は、思わず見惚れてしまうくらい綺麗だった。

「その…もしよければ、これからも一緒に…」

「え?」

「いや、何でもない。帰ろう。俺たちの家へ。みんなが待ってる」

 俺は取り繕うようにそう言うと、鈴さんに手を差し伸べる。

「はい!」

 鈴さんは泣きながら笑った。

 これだ。この自然な笑顔で十分なんだ。

 ホテルまでの長い道のりも、鈴さんと一緒ならあっという間な気がした。


「おかしいな…」

 山中義政は壁に手を突きながら暗いトンネルの中をそろそろと進んでいた。トンネルの中だから暗いのは当たり前だ。寂れた村だ。行き交う車などないだろう。そのせいかわからないが、トンネル内に明かりの一つもない。しかし…。

「こんなに長かったか?」

 さっきまで夜染村で受けた屈辱と怒りもとうに冷めた。どれだけ叫んでもこの暗闇が全て飲み込んでしまうのだ。もう体感で何時間も歩いている気がしていた。

 ここに来た時はもっと苦労せずに…。いや、待て。そもそも私はどうやってこの村に来た?こんな北海道の山奥の村まで…。

 ひょうとトンネル内を生暖かい風が吹き抜ける。後ろを振り返ると、もう明かりは見えなくなっていた。

 探偵に調査を依頼して、程なくして連絡が来た。娘の居場所として示されたのはこの村だ。そこから直ぐに行動に移した…はずだ。

 普通に考えれば東京から飛行機だろうな。その後はレンタカーか。なら乗ってきた車は何処だ?帰りの飛行機のチケットは。…駄目だ。何も思い出せない。記憶が曖昧だ。

「おっ」

 突如体を支えていた左手の感触がなくなり、義政の体はバランスを失って転倒した。

「くそっ…。この村に来てからろくな事がない」

 待避所か点検用か、とにかく壁が凹んでいる場所があったようだ。義政は手や膝についたざらついたものを祓うと直ぐに立ち上がった。再び歩き出そうと壁に手をやるが、不思議なことにその壁が見つからない。転ぶ前まであったはずの壁まで忽然と消えていた。義政を戸惑いが襲うが、それすらも端から暗闇に飲み込まれていく。

 しばらく途方に暮れていると、遠くの方から微かに足音が聞こえてきた。

「よかった、人がいたか。おおぉういいい」

 声は反響せずにそのまま暗闇へと吸い込まれていった。返事の代わりに足音がどんどん近づいてくる。

 靴音だけが一人歩きしているのか、近づいてくる音と対照的に全く人の気配が感じられない。それでもしばらくすると義政の前で足音が止まった。目の前がぼんやりと明るくなり、暗闇にぼうっと人の姿が浮かび上がった。

「…女の子?」

 目の前には古めかしい格好をした子どもが立っていた。いわゆる巫女のような白い着物に赤い袴を履いている。

 手に持った提灯の炎が目の前でゆらゆらと揺れている。

「君も夜染村の子なのか。これ以上大人を怒らせる前にさっさとここから出してくれ。もううんざりなんだ、あいつにも、こんな村にも…自分の人生にも」

 男の問いかけに女の子は悲しそうにこちらを見つめている。

 ひょおおおおとトンネル内に風が強く吹いて、女の子の持つランタンの灯りがかき消された。

 その途端、義政から#全ての感覚が失われた__・__#。

 五感や意識すらも、等しくトンネルの闇に飲み込まれていく。そうか、そうか、私は…。

 しばらくその場に立ち尽くしていた義政だったが、やがてまた無言で歩き始める。宛のない出口に向かって男の体は闇の中に溶けていった。


「おはようございますトムさん。おにぎりはしっかり持ちましたか?」

 次の日ロビーで会った鈴さんは、元の語り手に戻っていた。何となく予感はしていた。思い出の鈴が壊れた以上、元の鈴さんを現実に留められるものは何もない。でも、彼女はトラウマだった父親に最後に打ち勝つ事ができたんだ。彼女の言葉とその勇気を俺は絶対に忘れない。

 正直に言うと鈴さんと初めて色々な事を話せたからもう会えないのは残念だけど、目の前の鈴さんが鈴さんである事に変わりはない。

「…おはよう。持ったよ、ちゃんと転がりやすい形でね!」

 俺は努めて明るく応えると、ホテルのエントランスへと向かった。

 今日はこれから夜染役場で倉庫の仕分け作業があるのだが、実は少しだけ気が重い。役場の職員は上寺御仏さん以外挨拶はおろか会話すらしてくれないし、上寺さんにしても俺を見るだけで嘔吐する始末。

 だが、鈴さんが声をかけてくれた事で、その気持ちも幾分か和らいだ。

 早速助けられちゃったな。

 りぃん。りぃぃん。

 ホテルを出ようとした時、ふと、後ろから小さく澄んだ鈴の音が聞こえてきた。

 優しくて暖かくて、まるでお母さんが愛する娘を呼んでいるみたいだ。

「トムさん、ありがとう」

「え」

 すぐ後ろで、鈴さんの声が聞こえた気がした。驚いて振り返ると、エレベーターの前で鈴さんが俺に悪戯っぽくウインクをして見せた。

 腰には男に潰された筈のあの紫色の鈴が光っている。

「すずさ…」

 彼女は俺の言葉を遮るように、微かな鈴の音を残してそのままエレベーターの中に消えていった。

 もしかして、思い出の鈴は一個じゃなかったのか。

「ははっ」

 嬉しいやら気恥ずかしいやらで俺の感情はぐちゃぐちゃだ。

 いつもの苦虫を噛み潰したような上寺さんの顔も、眼前でされる嘔吐ですらも、今なら笑顔でいれるような気がした。

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