第23話 脱出行(2)

「先に道を開けよう。奴らだけなら何とかなる」


 ラミレスの言葉に、だが奇妙な沈黙が落ちる。

 下層の冒険者にとって神捨て人タンジュの方が不定の汚濁エヴィルスライムより対処しやすい。

 人型をしており、人の急所がダメージになる相手なら、ここにいる冒険者なら問題ないはずだった……


「おいっ、なんだ、何かあるのか?」


 不可解な仲間の様子に、ラミレスがきょろきょろ皆の顔を見回し、声をかける。

 だが、その反応が無い。

 通路の先を見つめて、うめき声をあげたり、ぶつぶつ言ったりしているだけだ。


「おいっ、ベイズ、お前も何だ?」


 僕も、体が小さいからか両肩を持ってゆすりながらラミレスが聞いてくる。

 それは正解だ。

 僕は、いささか生死にまつわる考えが人とずれている。

 だから、皆のようにを見かけても多少は冷静だ。

 それでも……つらいなあ……友達がアンデッドになって向かってくるのは……


「知り合いだ。恐らく皆の親しい、死んだ知り合いがあの中にいる」

「くっ、そういうことか……まったく、どういう手管だ?」


 嘆くラミレスが皆を押しのけて前に出る。


「俺も行くぜ」


 ドイルも後に続く。


「俺たちの出番だな」


 トミーが弓を構える。

 つまり、サイオンでの活動が浅いパランデラ出身の3人は、あの中に知り合いがいない。そうではない残り全員は、知り合いがそこにいた。

 僕の場合はまず、前で剣を構えているジョージ、そして昔に中層で僕をかばって死んだ冒険者のラダーダ、あとは小さいころにたまに話した顔見知りの墓守の老人の姿が見える。

 そして、他の冒険者もきっとダンジョンで死んだかつての仲間の姿を見つけたのだろう、積極的に前に出ようとする者はいなかった。


「ベイズ、頼む」

「……わかりました」


 まずは、エヴィルスライムを何とかしないといけない。

 僕は、全力で魔術を行使する。

 思い浮かべるのは炎のイメージ、ではなく、もっと効率よく魔術を発生させるための炎紋。魔法師が使う立体的な炎の紋章を、柔軟性を犠牲にして効率化し、魔術使にも使えるように簡略化した平面状の紋章だ。

 炎紋によってごくごく微小の炎がこの世界に顕現する。それは、赤ん坊のやわらかい肌にぶつけてすらやけどを与えることが難しいほどの熱量だが、詠唱により魔術に方向性を与える。


『フラ(炎)……』


 これは保険だ。炎紋であれば間違いなく炎の魔術が発動するが、詠唱によっても炎であると再定義することで暴発を防ぐ。


『……サルバ(100倍)……』


 倍率100倍。

 単にこの微小の炎を100倍にする、というわけではなく、魔術として相手に打撃を与えられるサイズを1倍としたときの100倍ということだ。だから実際に原始魔法の小さな火種からすると5万倍とか10万倍の威力だろうが、呪文の規定として1100倍、ということになっている。


『アルシェ(多数の矢)』


 そして現れた多数の矢――実際には前後に細長い球体だが――は数としては100もないだろうが、その合計の威力は炎の矢100個分になる。

 僕の詠唱を聞いていた前衛が左右の壁際に避ける。

 そして発動。

 ゴオオッと燃える音を立てて炎の矢が前方通路に放たれる。

 細かい制御はできないため、中には壁に当たったり素通りしたりで役に立たないものもあったが、それでも通路に広がっていたエヴィルスライムの多くに当たって燃え上がる。

 だが、さすがに密度が高い。

 僕はさらにもう一度さっきの手順をなぞり、炎の矢を最大出力で放つ。

 およそ、エヴィルスライムの7割ぐらいを葬り去ったところで、他の魔術師も動き出す。

 良かった。

 僕の魔力だとこの規模の魔術はあと一回撃てるかどうかだった。

 ここで皆が追撃してくれないと突破は難しかったところだ。


「ここにいるのはアンデッドだ、モンスターだ、しっかり思い出しやがれ!」


 ラミレスが大声をあげる。


「結界、切れます」

「打って出る!」


 そう言って、ラミレスが剣を構えて前に出る。

 道はまだ燃えているスライムが残り、魔力塊に変化したものも転がっている。

 足元に注意しながら、ラミレスはタンジュの一団に斬りこんでいく。

 そこにドイル、トミーが続く。

 動揺していた他の冒険者も、それに続くが勢いがない。

 むしろ、ラミレスに続いた僕が追い越してしまう。


「スライム、任せます」


 そう言い残して僕は前方の3人を支援するために前に出る。

 たとえモンスターだとわかっていても、いざ剣を交えるとなったら鈍るだろう。

 それだったらうちのチームで始末してしまった方が早い。

 僕は、いざというときの結界や治療に余力を残しておかなくてはいけない。

 だが、聖ビスハイストの退魔の聖跡ならばまだ使える。

 そして足場を整えることもできる。

 僕は、残ったスライムに炎の矢を当てていく、1発ごとだが、すでに多数の矢を放って安全な方向はないし、その魔力もない。

 通路の真ん中に転がった魔力塊を端に蹴飛ばし、スライムをつぶし、そうして前線に追いつく。


「うらあ!」


 ラミレスが力で敵を弾き飛ばす。

 冒険者風の鎧を着た、男の姿をしたタンジュは後ろに飛ばされ、後続を巻き込んで倒れる。


「死ねっ!」


 すでに死んでいるアンデッドだが、ドイルは気合とともに斜めに切り上げる。

 剣を振り下ろそうとしていた敵は、ドイルに脇から切り上げられて深い傷を負う。傷口からほどけ始めているのを見ると、あれはもう倒したということでいいだろう。

 だが、倒れる体のその後ろから次の敵がやってくる。

 今度は、大斧を持った重武装のタンジュだ。前に組んだラウルのチームのギランと同じ武器、そして金属鎧を纏ったそれは、走り込んでドイルに体当たりをする。


「ぐあっ」


 今度はこちらが弾き飛ばされてきて、僕めがけて飛んでくる。

 だめだ、受け止めてあげたいが、つぶれる。

 それより、この重量級の敵を止めなければ。

 僕は、炎の矢を詠唱もそこそこに敵の顔面目掛けて放つ。

 そこだけは、全身の中で比較的防御が薄い。

 土気色でよく見れば生者であるはずもないのだが、それだけ一層怖い。表情も恐ろしい。だけど、見知った顔ではないことで容赦する気持ちも湧いてこない。

 威力は倒すのには不十分だったけど、何とかいったん引いてくれた。


「わりぃ」


 復帰したドイルが、後ろから肩を叩いて前線に復帰する。

 誰かに受け止めてもらったのだろうか、恐れていたより復帰が早く安心する。

 ちょうどそのタイミングで山なりに火矢が飛ぶ。

 これは魔法ではなく実際の弓で撃ったものだ。

 トミーか、あるいは他の斥候か……

 火種は持ち歩いていなかったが、冒険者であれば火種のまじないぐらい自前で作れて当然だ。

 そして、他の冒険者も、遅ればせながら僕の前に行く。

 これなら僕は下がった方がいいか……

 そう思った僕の横を、ホリーが駆け抜けていく。


「私がっ!」


 彼女の目線を追うと、それは懐かしい姿、ジョージだった。

 当時の孤児院の仲間では一番体が大きかったはずだ。

 だけど子供の中で、だ。

 今のホリーだけでなく僕よりも小さく見える。

 そして今はその小さな体を利用して、相対しているタンジュの後ろから、要所で剣を突き出してラミレスをけん制している。

 うまい。

 そう思ったが、よく考えると、彼は孤児院の中でも冒険者指向だった。

 もし、あの事件が無かったら……あるいはあの事件を生き延びていたら……

 きっとジョージはパランデラかサイオンか、どこかのダンジョンで今頃戦っていたかもしれない。冒険者として……

 だけど、今彼はモンスターとして、この場で僕たちの敵としてその剣技を使っている。

 悲しいが、それが現実だ。

 ホリーが前に出た、ということは彼女はジョージを、いやジョージの姿を借りたアンデッドモンスターを自分の手で倒す決意をしたということだ。

 それは、彼女が今後も冒険者としてやっていくのに絶対に必要な決意だろう。

 ならば、僕はそれを後押しする必要があるだろう。

 聖ビスハイストの聖句を詠唱する。


『列伝三章二十三節に曰く、聖ビスハイスト、邪悪なるものに面し、その姿を光と化し、全ての邪悪を退ける』


 光があたりに広がる。

 それは、今頭上で輝いている光の魔術の光と同じようで微妙に違う。

 光の魔術はランプの炎、あるいは太陽を想像するためかやや赤みを帯びている。

 それに対して聖なる光はやや青っぽい。

 それは、聖教会の聖職者が身に着ける祭服の色合いが青いことと、もしかすると関係があるのかもしれない。

 その光は、今相対しているタンジュ達の動きを若干鈍らせる。

 そしてそれは、熟練の冒険者にとっては十分な隙だった。

 ラミレスは相対している戦士を切り捨てる。

 ドイルは、重装戦士の首を剣で貫く。

 そして、ホリーは頭上からの一振りでジョージの肩から心臓あたりまで刃を食い込ませる。

 3体のタンジュが床に倒れるのが同時だった。

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