第10話 清悟集

「おう、元気にやってるようだな」

「お久しぶりです」

「そっちの嬢ちゃんも」

「はい、アルフがお世話になっています」


 探していたら、ちょうど町を歩いているトーマスさんに出くわした。

 いつものごとく、斜め後ろにグレッグさんがにらみを利かせている。

 場所はダンジョン街の東門を出たところ。

 ちょうどトーマスさんのなわばりなので、彼も気楽に出歩いているようだ。

 他の場所ではそういうわけにはいかない。

 あるときやたらと大勢で、しかも手に手に棒を持って物々しい様子で移動するトーマスさんを見たので、通りがかりの人に聞いたところ、東の『蜘蛛』という組織と話に行くのだとわかった。

 旧市街、帝国街、ダンジョン街の外は現在5つぐらいの組織が分かれて治安を維持しているようで、それぞれの組織が反目、時には協力して町を治めている。

 サイオンは都市全体の支配者というのがいない。

 厳密にはいるのだが、ダンジョンができたことでちょっと変な状況になり、現在町長は旧市街のみをなわばりにして、その外は放置状態となっている。


「ああ、あの子か……あんまり直接は会わねえが……どうだ?」

「問題ないと思います。仕事は熱心にやっているようで」


 グレッグさんが答える。

 内部のことに目を光らせているのはこの筋肉の塊のような人なのかもしれない。


「そうか……まあしばらくは下働きだから、気長にな、本人にもそう言っといてくれや」

「はい、よろしくお願いします」


 きっと嫌になったりうまくいかないこともあるだろう。

 その時には僕たちがしっかり見て励ましてやらないと……そう思った。


「で、それだけか?」

「実はですね……」


 僕は、本来の要件である部屋を借りたいということをトーマスさんに話した。


「……なるほどな、確かに今は家不足だ。いや、建ててはいるんだが、宿屋や商店が多いからな」

「やっぱりダンジョンですか?」

「そうだな、いきなり来たものもいるが、遠方からだと準備や後始末に時間がかかって、ようやく最近になって来たものも多い。しばらくは宿不足が続きそうだな」

「難しいですね……それで考えたんですが……」


 近所の部屋を借りたいことを話す。


「ああ、なるほどな、あそこは不人気だからな……」


 実際に、屋根と壁があるだけ、その壁も薄いし夏は暑く、冬は寒い。

 しっかり作られた家のとは雲泥の差がある。

 

「いいぜ、あそこを管理してる奴を遣るから、そいつと話してくれや」


 そこで後ろからグレッグさんが声を上げる。


「トーマスさん、あそこを管理してる奴なんていませんぜ?」

「あれ? そうだっけ? そうか、家賃は上がってきていると思ったが……」

「家賃だけは私が部下をやって徴収しています」

「たしかに、いつも違う人ですね。でもちゃんと見回ってくれてますよ」


 一応、だまし取られてはいけないのでちゃんと確かめるのだが、トーマスさんの部下には違いないが毎回来る人が違う。


「その時だけな。一応勝手に住まれたら困るからな」


 グレッグさんは一見体の大きさから単なるトーマスさんの用心棒だと思う人も多いが、実際には仕事のかなりの部分を肩代わりしている腹心だ。


「ちゃんと人をつけるか……できそうなやつというと……いや、失礼した。近いうちに担当を決めるからちょっと待ってもらえるか?」

「ええ、大丈夫ですよ。急ぎません」


 トーマスさんとグレッグさんは、あれこれ相談しながら歩いていく。


「じゃあ、行こうか?」

「うん」


 僕たちはそれと別れてダンジョン街に入る。



「あ、あれも……」

「後にしよう」

「うん、でも場所を覚えておかないと……」


 さっと通り抜けるつもりだったが、ノーラが普段来ない店でいろいろ立ち止まって気を取られてしまうので、なかなか進まない。

 だが、どうせ帰りも同じ道を戻ってくるのだから、今買っては荷物になる。

 ダンジョンに関係が無い一般人は、ダンジョン街にはめったに入らない。

 人込みがひどいし、道を歩く人も武器を持っていて怖そうだからだ。

 ノーラも普段の買い物は、ダンジョン街を東に出たところの繁華街を使う。

 値段はそちらの方が悪いが、中に入った方が品ぞろえは良い。

 食器や調味料、石鹸や布など、普段手に入らないようなものがたくさんあるので、目移りするのも仕方ないかもしれない。

 僕は、はぐれないようにノーラの手を引き、人込みをかき分けて進む。


「大丈夫、そんなに怖い人はいないよ」


 怯えが手から伝わってくるので、ノーラに声をかける。

 人込みに入ると店を見る余裕もなく、必死についてくるので、かえって進みが速くなった。

 ほどなくして、西門に着く。


「やっぱり雰囲気違うね」

「うん、でも表通りを外れるとちょっと危ないから注意してね」


 あくまでトカゲの団とこどもの国の中立地帯になっているのは表通りだけだ。


「それで、どこにあるの?」

「ああ、あれ、ほら」

「本当だ、十字がある」


 正確には双十字だ。

 神様が試練、問題として与えたシンボルは2つの十字だった。

 その2つを持って、神への返答、自らの立場の表明を行ったのが各宗派の始まりだ。

 友愛派は、十字のそれぞれを人と定義し、手をつなぐ人々を表現した。

 巡礼派は、各地の聖地を自らの足で移動するための二本の足を表現した。

 蓄積派は、知を積み上げ、天上を目指す姿勢を、縦につなげることで表した。

 そのように各宗派が互いに違った立場で、だが同じ神の教えを守っているのが双十字聖教ということになる。


「じゃあ、入ってみましょう」


 今度はノーラが僕の手を引いて自由教会の中に入る。

 そこには、意外な人がいた。


「あれ? ベイズじゃないか」

「ドイル? 何でここに?」


 失礼な話かもしれないが、信心深いようには見えない。

 いかにも前衛よりの冒険者という感じで、強さと金と、後は女性……は意外に純だが、俗世のことしか頭の無い印象だった。

 お祈りに教会に足を運ぶタイプには見えなかった。


「いやあ、ちょっと頼まれごとをされてさ……ここにいる人に渡せって言われて預かり物を持ってきたんだけど」

「へえ」

「でも誰もいねえし……」

「……そうだね」


 相変わらず薄暗い礼拝所だったが、少なくとも見える範囲には誰もいない。

 

「しばらく待ってたんだけど誰も来ねえし」

「ここ、自由教会で誰も常駐はしていないみたいだよ」

「じゃあ俺は一体何を頼まれたんだ……」

「間違いじゃないの?」

「いや、ちゃんと教会って言われたし……」

「そのときのドイル、すごくきっちりした格好していたとか?」

「そんなわけねえ、俺はいつもこの格好だ」


 革の防具がごつごつした服装で、足もごついブーツだ。この格好の彼を見たところで、帝国街に立ち入ることができると勘違いするわけはない。

 だから、その人が言った教会は帝国街の伝統派のそれではなく、ここの自由教会で間違いない。


「ねえ、ベイ兄さん、この人は……」

「ああ、最近冒険を共にしているドイル」

「よろしく、そっちは妹?」

「事情は話したでしょ、一緒に住んでいる子の一人でノーラ」

「ってことはホリーとも顔見知りか……よろしくな」

「ホリーの知り合い?」

「それどころか……追いかけてパランデラからやって来たぐらい」

「へえー、へえー」


 事情を理解したノーラは、それまでと違う目でドイルを観察する。

 さっきまでは僕の冒険者仲間として、そして今はホリーの相手としてどうかだ。

 聞いてみた。


「お眼鏡には適った?」

「うーん、まだわからない」

「そうだよね」

「おい、何こそこそ話してんだ」

「ごめんごめん、でも、ここでいい印象を与えておいた方がいいかもよ」

「う……それはそうだな」


 慌てて髪をとかして身だしなみを整えるドイル。

 両手を開けるために持っている本を預かってあげた。

 あれ?


「ねえ、ドイル。この本ってドイルの?」

「いや、それだよ。ここに持っていけって言われたの……」

「ちょっと見ていい?」

「いいんじゃないの? 減るもんじゃなし」

「ちょっと暗いな」


 僕は、光のまじないを唱え、部屋を明るくする。

 明るくなって見ても、やっぱり部屋には誰もいない。

 手元の本を見る。

 青い装丁の古ぼけた本だ。

 飾り文字で読みにくいが、タイトルは……


「清悟集? 聞いたことないな」


 中をパラパラ見ると、なんか意味不明だった。

 教会の各聖書の内容の抜粋のようだったが、簡略版の聖書よりもさらに記述が薄い。そもそも話がつながっていない。

 ただ、珍しいのは『創世話』『化身伝』『聖者列伝』に加えて、一般向けの聖書では完全に除外される『神威解題』の内容まで後ろの方には含まれているようだ。

 あれは神論の問答なので、普通に読んでも意味不明なのだ。

 そのまま最後までページを繰って、最後の奥付に目を通して、僕は思わず声を上げてしまった。

 ノーラもドイルもびっくりしている。

 

「何よ?」「なんだ?」

「ほら、これ……」


 僕が指さした場所には、持ち主の名前が書かれていた。

 公共の本ではなく、個人所有だったということだ。

 そして、その名前は……クリフォード・サッカリー。

 クリフ神父のフルネームで会った。

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