第9話 自由教会
「おや、地元の方ですか?」
声に振り返ると、白髪の旅装束の男の人がいた。
「ええ、冒険者をしています」
胸の双十字を見たのか、その男の人も双十字を出し、重ね、斜めにずらして示す。
二本の足を表す巡礼派のシンボルだ。
自分も鎖につながれた二つの十字を両手でひとつずつ持ち、まっすぐ持って左右の端を合わせる。
足も一緒に合わせると伝統派になるので、紛らわしくないように十字を正立させるのが重要だ。
互いの宗派を確認して、それでようやく失礼のないやり取りができる。
「旅の僧、ロブル・コーターと申します」
「前の教会の孤児院でお世話になっていました、ベイゼルと申します」
皆ベイズとしか言わないし自分でも名乗らないが、教会の名簿にはその名前で載っていた。相手が僧侶ということで、正式に名乗ることにしたのだ。
「それはそれは、大変だったでしょう」
この町のダンジョンの成り立ちについては伝わっているらしい。
それも当然だろう。
伝統派以外の諸派にとってはこの町にあった友愛派の教会は最東端の拠点だったのだ。
ここは帝国と西方との結節点だ。
それは昔からそうなっている。
北は大森林ダンジョン、南は山岳ダンジョンで人類や動物にとって東西の交流が行える狭い回廊なのだ。
東側が帝国一強になって統一目前の現在では、ここより東では伝統派以外の双十字聖教の拠点は、小国に残されているものだけでほとんどない。
そういう意味で、かつてここにあった教会は重要だった。
「やはり西から?」
「いえ、東から戻ってまいりました」
「帝国内ですか? 大変でしたでしょう?」
「まあ、あまり町には寄りませんでしたからな」
それではむしろ自然派か調和派ではないのか?
これは、あまり突っ込んで聞かない方がいいかもしれない。
何かの密命を受けて旅をしているのかもしれないと直感した。
「私はお役に立てないですが、ダンジョン探索はうまくいきそうですか?」
「今のところは安定していますね。押したり押し返されたりですが、状況は悪くないように思います」
「なるほど……それにしてはここに誰もいないのが不思議に思います。まさか、皆伝統派の教会に?」
「さあ、僕もここに教会ができているというのを今日初めて知ったので……」
「おや? この町では友愛派がまだいらっしゃるのでは?」
「信者ということならまだ多いと思いますが……」
かつての教会があったころは、その関係で友愛派が多かった。
というか、町に住んでいる時点で友愛派か伝統派ぐらいだ。
帝国外では友愛派が主流になるのは当然だった。
「いえ、友愛派の聖職者の方を見かけたもので……」
「そうなんですか?」
ダンジョンができて大きくなったサイオンの町を隅々まで知っているわけではない。
だから知らないところに双十字教会の聖職者がいてもおかしくないが、友愛派が、ということだったらもしかして教会を再建する話になるのかもしれない。
今となっては関係ない、ともいえるが、それでもうれしいものだった。
「ええ、その方がここを作ったようですよ」
「へえ……わざわざ自由教会を……いえ、そっちの方がいいと判断されたんでしょうか……」
大きな教会を建てるほどの労力はかけられないということだろうか……ならば本山から送られてきたわけではなさそうだ。
話し込んでしまったので、いつしか外が暗くなっていることに気付いた。
僕はいとまを告げて、自由教会を後にする。
――そうかあ、友愛派の人が……
もしかして、ダンジョンにも来てくれるだろうか?
それより、教会の再建の方が大事だろうから、難しいかな?
そんなことを考えながら、僕は家路を急いだ。
◇
「やっぱりなかなか難しいみたいだぜ」
アルフが夕食時に言い出したのは、転居先のことだ。
普段から街を歩く僕には何のことを言っているのかピンときた。
「やっぱり……って人が増えてるってこと?」
「そう。だから大工の仕事は多くて、そこは助かっているらしいけど、空き家はすぐ埋まっちゃうみたいなんだ」
確かに費用的にはそこそこ見通しが明るいが、そもそもの物件が無いと話にならない。
「ねえ、この辺りでいいんじゃない?」
ノーラがそんなことを言い出す。
「この辺り、ってこの並びの部屋ってこと?」
「そう、近所を歩き回るけどけっこう空きがあるかなあって……」
サイオン外壁沿いに建てられているこの長屋は、壁に沿って長く連なっているが、町の中で最も貧しい者たちが住む場所だ。
町の中心から遠く、建った当時は周りに何もなかった。
奥が外壁なので建材が節約できる、ということで手っ取り早く建てられたのだが、当初はダンジョン崩壊と円環壁の建設などで家を失った人が仮に入居するために使われた。
だが、その人たちも新しく住居を手に入れて引っ越していき、今は空きが目立つようになっていた。
普通なら勝手に住み着くものがいるのだが、そのあたりはトーマスが部下を使って管理しているらしく、不審者は見かけない。
「今の部屋が月に銀貨1枚だから……2部屋、いや3部屋ぐらい借りる?」
仮にホリーが戻ってくるとなると2部屋でも狭いかもしれない。
できればそろそろ男女は分けたいと思っていたことも考慮すると、一つは共同生活の場にして男部屋、女部屋とするのがいいだろう。
「そうね……でも3倍よ?」
「月に銀貨3枚だろ? 今なら問題ないと思う」
今日の稼ぎは二人で金貨に迫る勢いだった。
さすがに今後は中層に足を踏み入れると考えると、僕一人でも支えられるし、貯金もできる。
そこにホリーやアルフの稼ぎがあれば、いざというときにも何とかなるだろう。
「そうね、じゃあ明日トーマスさんのところに行ってみるわ」
「あ、僕もついていくよ」
アルフの仕事の様子も聞いておきたいし……本人がいるから口には出さないが。
「そうそう、今日なんだけど、いつもと違う道で帰ったんだけど……」
そこで僕は、思い出して自由教会のこと、聞いた話をみんなに話す。
「あ……」
アルフが何かに気付いたように声を上げる。
「何?」
「いや……絶対嘘か勘違いだと思ったんだけど……仕事仲間から聞いたんだ……神父さまらしい人を見たって」
「え? それって……」
神父さまはダンジョン発生に巻き込まれて死んでいる。
間違いないはずだ。
あの時地下室に逃げた僕たちを残して、教会は崩れ落てしまった。
地面の揺れが収まり、半ば生き埋めになっている僕らが何とか外に出てみると、あの大きな穴、ダンジョンに周囲は飲まれており、周囲の建物も更地になってしまっていた。
「5年前、とかじゃないよね?」
ノーラが聞く。
3年前以前ならみんな生きていたのに、と考えたのだろう。だけど……
「いや、つい最近だって」
「旅の神父さんとかじゃないの?」
「そうかもしれないけど……聞いた話だと眼鏡をかけていて、左手が無かったって……」
クリフ神父は若いころの事故で片腕を失っていた。
同じ事故で視力も落ち、眼鏡を愛用していた。
神威の使い手である彼でも治せなかった古傷らしく、日常生活はもう慣れて不自由そうな感じは受けなかった。
探せば、眼鏡に片腕の人も世界のどこかにいるだろうけど……
「仕事でケガをしたときに、その人に治してもらったらしい」
「でも、そうだとしたら、その時に神父さまかどうかわからなかったの?」
「だって、仕事場にこの町の出身の人なんていないぜ」
そうだった。
トーマスはダンジョンができて以後に現れたし、今、町のこの辺りにいるものの大半は、元から住んでいた者ではない。
クリフ神父の顔を知っている者も、旧市街ではそれなりにいるだろうが、ここいらでは少数だった。
「明日行ってみましょうよ」
ノーラが提案する。
外出するついでに、その自由教会を訪ねることになった。
もしかしたら、神父さまに会えるかもしれない。
だけど、生きていたらなぜ今まで姿を隠していたのか……
他の教会の人たちで生き残っている人はいるのか……
いろいろと疑問な点は出てくる。
それでも、かすかな希望を持っていいのだろうか?
食卓を片付け、寝台を準備しながら、僕はずっと考え続けていた。
そしてその考えは横になってからも頭を支配していた。
なかなか眠れない。
だが、明日のことも考えて休まないといけない。
無理やり考えを振り払うと、目をつぶってじっとする。
それでも結局、寝入ることができたのはかなり経ってからだった。
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