第218話 未知の冒険(本編 完)

 リリー・・・この世界のヒロインで、私の大事な友達。


 (まぁ、いつかきっと会いに来てくれるでしょ)


 私はテーブルの上の、すっかり冷めてしまったお茶をグイッと飲んだ。


 見上げると、空はまるで水に青インク落としたかのように透き通っている。私は一昨年に仲間達とピクニックをした日の事を思い出した。


 (ふむ・・・行ってみるか!)


 「お兄様、ちょっと滝まで行ってきます」


 別荘の中で手紙を書いているクラークに声をかけると、彼は大慌てで、


 「ま、待ちなよ、アリアナ!僕も行くから。一人で行くと危ない・・・」


 「では先に行ってますので、後から来てくださいな」


 相変わらず過保護なクラークを残して、私は一人で遊歩道を歩いて行った。


 森は以前と変わらず、優しい木漏れ日を私に落す。近くであんな恐ろしい事があったなんて信じられないくらいだ。


 滝の洞窟の奥深くに存在した闇の神殿。


 あの騒動の後、皇国は調査団を作って神殿を調べつくした。神殿への入り口は洞窟だけでは無かった。離れた山の中腹へとトンネルが掘られていて、組織の者はそこから出入りしていたのだ。


 (じゃないと毎回あの洞窟を通るんじゃ、大変すぎるもんなぁ)


 今はその入り口も厳重に封鎖され、常時見張りが置かれている。神殿から洞窟へ抜ける通路も塞いでしまったと聞いた。


 そしてトラヴィスが神殿から持ち帰った書物―――蘇りの精神魔術の記録書——―その最後の頁には、全く知らない女性の名前が記載されていた。日付は2年前、私がこの世界にやって来た日と同じ。


 私はその女性の名前を心に刻み付けた。これは私が背負わなきゃいけない十字架だ。生きている限り絶対に忘れてはいけない。


 (マリオット先生・・・)


 先生の恋人が生きていたとしたら、彼はあんな事はしなかっただろうか?それとも・・・


 考え事をしながら歩いているうちに滝の音が聞こえていた。私は逸る気持ちで滝へと降りる小道を、小走りで降りて行く。


 「おお!」


 イルクァーレの滝は今日も、滝つぼを薄紫に染めて輝いていた。太陽の光に透けた木々の葉が風に揺れて、空の色とのコントラストも素晴らしい。息を飲むほど美しかった。


 「いいね~!やっぱり観光地にしなくて良かった!」


 この場所には人が溢れない方が良い。お金は入ってこないけど、自然のまま残した方が価値があると思い直したのだ。


 (アリアナのお母さんは、この滝で二人で出会った人は運命の人だなんて言ってたけど)


 思い返すと、この滝で出会ったってわけじゃないけど、二人っきりになったのは3人いる。


 クリフ、ディーン、イーサン。


 (確かに3人とも、ある意味では運命の相手とも言えなくもないか)


 ディーンはそもそもアリアナの婚約者だったし、クリフの事件が無かったら、イーサンとも出会わなかった。そして3人がいなかったら、私は今ここにこうして居られなかっただろう。

 でも、それは他の仲間達全員に言える事だ。


 (二人っきりで会ったんじゃなくても、この滝に一緒に訪れた仲間たちは、全員私にとっては運命の人だな、うん)

 

 しばらくぼんやりと景色を眺めていて、もう少し滝の方へ近づこうとした時、ふと後ろに人の気配を感じた。


 クラークがやっと追いついて来たのかと思い、私は振り返った。


 「遅かったですね、お兄・・・」


 お兄様と言いかけて、私は驚いて口をぽかんと開けた。


 (え・・・?)


 小道を降りて来たのはクラークでは無く、明日来る予定だったディーンだったからだ。


 「・・・やぁ、リナ」


 「ディーン!?えっ?来るのは明日って・・・それにどうしてここに?」


 「さっき別荘に着いた時にクラーク殿に聞いたんだ。リナが滝に行ったって。・・・一人で来るなんて、危ないじゃないか」


 ディーンが軽く私を睨む。


 「あ、後からお兄様も来るって言ってたし、それにもう闇の組織は無くなったから・・・」


 「それでも女性の一人歩きは感心しない。次からは気を付ける様に」


 「は、はい!分かりました」


 心配性の兄が一人増えた気分だ。


 「だけど驚いた。来るのは明日じゃ無かったのですか?」


 私がそう聞くと、


 「元から一日早く来るつもりだったんだ。明日だと皆もやって来るから、君と二人っきりになれないだろう?」


 (んぐっ!)


 そんな風に言われて、心臓の鼓動が早まる。多分もう私の顔は真っ赤になってるだろう。


 (ぐ、ぐいぐい、来るなぁ・・・)


 だけどこんな風に狼狽えてばかりはいられない。私は彼にちゃんと伝えなきゃいけない事があるのだ。


 「・・・あ~、あのディーン」


 「ん?」


 「きょ、今日は良い天気ですね」


 「うん、そうだね」


 「あ、明日も良い天気だと良いですね」


 「・・・うん、そうだね」


 ・・・ヤバい、緊張して天気の話しか出てこない。他の話をしなくちゃ。


 「え~っと、滝が奇麗ですよね」


 そう言うと、ディーンがぼそりと言った。


 「・・・この滝はなんだかクリフに似てるよね」


 (おっ!話題が繋がった)


 嬉しくなって、話を続けた。


 「あ、ディーンもそう思いました?私の思う精霊イルクァーレのイメージは、そのまんまクリフなんですよね」


 「うん・・・。それで君は妖精シーリーンのイメージにぴったりだ・・・」


 「え、ほんとですか!?」


 (前にクリフにも言われたけど、そうなのかな?)


 ちょっと・・・いや、かなり嬉しくなって照れていると、ディーンの顔が少し曇った。


 「・・・意味わかってる?」


 「は?」


 ディーンはため息をつくと、


 「前に君とクリフがダンスパーティで踊った事があったよね?」


 「え?あ~、はい。1年の時と2年のダンスパーティでも踊りましたよ?」


 それが何なんだろう?


 「私は・・・面白くなかった」


 「え?」


 (ダンスが下手だったって事?)


 さらにキョトンとしていると、ディーンは、


 「君とクリフがお似合い過ぎて、嫉妬したって言ってるんだ・・・」


 耳を赤くして「全部言わせるな」と言って横を向いた。そのしぐさが可愛くて・・・


 (ん、ぐはっ!)


 心臓がヤバい気がした。この人は私の息の根を止めに来てるんだろうか・・・?


 (ぐいぐいが・・・ぐいぐいが凄い・・・)


 私は沖に上がった魚の様に酸素が足りない気がして、深呼吸を繰り返した。


 (駄目だ!このままじゃ、話が進まない。それにディーンは・・・)


 別にこんなぐいぐい来なくたって、良いんだよ。


 私は滝の音に耳をすませた。なんだかその音が、「頑張れ」って言ってるような気がして、私は「よしっ!」と覚悟を決めた。


 「・・・私も多分、嫉妬したんですよ」


 「えっ?」


 「ディーンとリリーが踊った時・・・お似合い過ぎて泣きました」


 「ええ!?」


 ディーンの珍しく焦った声に、私はくすっと笑ってしまう。


 「ヘンルーカの気持ちも分かったの。私もきっと、精神を引き裂かれても貴方のそばに居たいと思うだろうな」


 そう言うと彼は息を飲むように黙り、真顔で私を見つめた。


 「ディーン・ギャロウェイ。私、多分貴方に恋してると思う」


 ディーンが目を見開いた。そして、少し赤い顔で苦笑しながら


 「多分・・・なのか?」


 「う~ん・・・いえ、十中八九そうかと・・・」


 ディーンが「あはは」と声をあげて笑う。その笑い声に胸がほわっと温かくなる。そして苦しいくらいに嬉しくなった。これはきっとアリアナと私の二人の気持ちなんだろう。

 私はディーンの深い藍色の瞳を見つめて言った。


 「これからも、私の婚約者でいてくれます?」


 ディーンは嬉しそうに微笑んで、私の頬に手を添えた。


 「もちろん・・・喜んで、リナ」


 柔らかい滝の音と、木々の葉擦れの音が祝福してくれている様だった。



 「アンファエルンの光の聖女」のモブ悪役令嬢アリアナは断罪の上、婚約破棄される予定だった。

 でも今、アリアナは私と一緒に、ゲームを超えた世界を生きていく。新しい未知の冒険と共に。



 本編 —完―

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モブ系悪役令嬢は人助けに忙しい 優摘 @yutsumi

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