第65話 悔し涙
目の前にの事に思考が追い付いて来ない。
「どうして・・・」
(なんで、ここにイーサンが!?)
イーサンは私が誘拐された時に逃げて以来、完全に姿をくらませていた。皇国の調査機関や警察庁は、今もこの闇の魔術の使い手を追っている筈だ。
私は固まったまま動けず、ただイーサンと視線を合わせている。
(どうする?・・・逃げるのは無理。クラークが来るまで時間を稼ぐしか・・・)
「そんなに睨まないでよ。情報をあげようと思って来たんだからさ」
「情報?」
「そう、皇太子は暗殺されるよ」
「えっ!?」
イーサンは笑みを顔に浮かべたまま、一歩近づいた。
「正確には暗殺しようと狙ってる者がいるってコトだけど」
「そんな、だってクリフの事件は解決したんじゃ・・・」
イーサンはまた一歩近づく。私は思わず、後ろに下がった。
「皇太子を消したいと思ってる奴は、他にもいるからねぇ。皇国を潰すには手っ取り早い」
彼はまた一歩近づいた。つられて下がった私は、自分が滝つぼの近くに立っている事を忘れていた。
「あっ・・・」
下がった途端、足を滑らせてしまった。
(落ちる!)
だが瞬く間に近づいたイーサンに手を掴まれ、一気に引き寄せられた。腰を抱かれて、驚くほど近くにイーサンの顔があった。
(んなっ?!)
さすがに攻略者の一人!甘く整った顔にドキリとする。だけどそんな事を一瞬思ってしまったのも悔しい。
慌てて離れようとしたが彼の身体は全く動かない。イーサンの小柄で痩せた身体の何処にそんな力があるのだろう?彼は片手で私の顎を掴み、真剣な眼差しで私の目を覗きこむようにした。
「やっぱり・・・、お前の中には二人いる」
「えっ!?」
「一人は弱いから、お前に抑え込まれてるんだ。それに・・・もう半分以上溶け合っている。」
(ど、ど、どういう事!?。二人って・・・。もうしかしてアリアナの事!?)
「そ、それって・・・」
詳しく聞きたいと思った。だけど私とアリアナの関係をどう説明しようと、言葉を必死で探すがテンパって思考がまとまらない。
(ど、どうする?前の世界とか、乙女ゲームとか、こんな事言ったって信じて貰えるかどうか・・・)
私がぐるぐるしているとイーサンは、先程の真剣な顔とは打って変わって、年相応の無邪気な顔でにっこり笑った。
「ねぇ、情報を教えたんだから、ご褒美くれる?」
「へっ?」
彼はゆっくりと顔を近づけた。
(は?)
彼の唇が私の頬に触れた。でも頬と言ってもすごく唇に近い場所で、もしかしたら少しかすめていたかもしれなくて・・・。
「なっ!?・・・ななな、何を!?」
私は一瞬ポカンとしたが、次には怒りと羞恥に頭が沸騰した。イーサンを引き離そうと、渾身の力で暴れた。でも彼はビクともしない。
「こ、このエロガキっ!」
私はイーサンに向かって右手を振り上げた。でもそれは空しく中を切る。もう片方の手も振り上げたが、それは途中で彼の手で掴まれてしまった。
「離してよっ!・・・離せっ、このばかっ!」
悔しさに私の目から涙が零れ落ちた。こんな奴の前で、泣きたくなんか無いのに。
「口が悪いよ。公爵令嬢はそんな言葉使わない」
噛みついてやろうかと思った時、イーサンはくっくと笑いながら、私から身体をスッと離した。私は反動で前のめりになったが、すぐに頭を上げて彼を睨みつける。
「イーサン!」
(この野郎!絶対殴る!)
なのにさっきまでへらへら笑っていたのに、彼はもう真顔だった。その目の強さに私は少し気おされる。
イーサンは私をゆっくり指さした。
「いいか、皇太子はこれからも狙われる。皇国の為にお前に何か出来るのなら、せいぜい動いてみるが良い」
そう言葉を残して、彼は岸壁の中に溶ける様に消えてしまった。
後は滝の流れる音しか残されていない。私はその場でへたりと座り込んでしまった。
「な・・・何を言って・・・」
苛立ちに手元にあった小石をイーサンの消えた岸壁に投げつけた。石はカツンという軽い音を立てて転がった。
「ただの、モブの悪役令嬢なんだってば、私は!何をしろっていうのさ!?」
もちろん、どこからも何も返事は無かった・・・。
しばらくの間、私は滝の裏に座り込んでいた。悔しさに涙が止まらなくて、自分があんな奴のせいでダメージを受けていると思うと、腹が立って余計に涙が出た。
「アリアナ!?どうしたんだ!」
「・・・っ!」
振り向くと、青い顔をしたクラークが駆け寄ってきていた。
「何があった?!」
そう聞かれた途端、
「う、うわーん!」
大泣きしてしまった。
クラークは私を抱きしめて、背中を撫でて慰めてくれる。
「大丈夫・・・もう大丈夫だよ」
優しい声に気持ちが徐々に落ち着いてくる。
(そうだ、泣いてたって事態は何も変わらない。そんな事、痛い程分かってるじゃ無いか・・・)
クラークは優しい手で頭を撫でながら涙を拭ってくれた。私は一瞬迷ったが、イーサンに会った事の顛末を話した。大泣きしたせいで、しゃっくりが止まらない。
(ううう、いい年して恥ずかしい。だけどコレだけはちゃんと伝えないと・・・)
「イ、イーサンは・・・皇太子が・・・また狙われると言いました・・・。」
クラークの顔色が変わり、それを見て私は唇を噛みしめた。
クラークは黙ったまま私を抱き上げて、急いで別荘へと戻った。そしてすぐに領都に居る父へと事情を知らせる早馬を手配した。
「念のためにアリアナの部屋にはシールドを張る」
私を部屋に連れて行くと、真剣な顔で魔術を施し始めた。クラークはその後も私の傍から離れず、食事も部屋まで運ばせ、私達は一緒に居ながらも特に会話も無く、黙ったままただ寄り添っていた。
(クラークは私が誘拐された時に、一回イーサンと対峙しているもんな)
闇の魔術の使い手である彼の恐ろしさを身に染みて知っているのだ。
夕方になって、驚く事に領都から両親が駆けつけてきた。
「大丈夫か!?アリアナ、クラーク!?」
アリアナの父も母も、私達を見るなり駆け寄って抱きしめてくれる。その温かさにホッと気持ちが緩んだ。
アリアナ父はクラークと一緒に別荘中にシールドを張り、別荘の周りは父が連れてきた兵士達が夜通しで警備する事となった。
アリアナ母は「今日は一緒に寝ましょうか?」と言ってくれたが、「大丈夫ですよ」と私は断った。イーサンが再び現れる事は無いだろう。
「もう落ち着きましたから」
母は心配そうにしながらも部屋を出て行った。
明日は、領都の屋敷に皆で移動する。その方が警備もし易いだろう。
(この別荘ともお別れか・・・)
私はしばらくソファに座って窓の外を眺めていたが、ゆっくりとベッドの中に潜り込んだ。アリアナ母には悪かったが、私は一人になりたかった。皆にこれ以上心配かけたくなかったから。
うつ伏せになって、布団を頭まで被った。両手をベッドに何度も叩きつけて、私は身体を震わせた。
(この世界でも、私はそうなのかよ!)
自分の無力さと弱さが悔しくて、声を殺して泣いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます