第62話 滝の音
どれくらい時間が経っただろう。私はやっと涙が止まり、鼓動も通常の速度に落ち着いてくるのを感じた。そしてそれと同時に、自分が思いっきりディーンに抱きついている事にやっと気付いたのだ。
(や、やばっ・・・!)
恥ずかしさに一気に頭に血が上って行った。
「すみません!・・・う、わわっ・・・」
「危ない!」
慌てて体を話した途端、私は馬から落ちそうになり、ディーンが再び体を支えてくれた。
「・・・す、すみません」
恐らく耳まで真っ赤になっている。喉がカラカラで上手く声が出せない。
「ご迷惑をかけて・・・」
「いや、大丈夫。もう一頭の馬を探そう」
ディーンの声は冷静だ。彼にとっては何て無い事ないのだろう。
(か、勝手にしがみついて、勝手に意識して、13歳の男の子相手に・・・)
羞恥心で顔が爆発しそうだった。
ディーンは私を自分の前にちゃんと座り直させてくれると、馬をゆっくり進ませ始めた。
私はまだ緊張でカチカチだったが、自分があんな高い崖から馬と一緒に駆け下りて無事だった事に安堵した。
そして、嫌いであろうアリアナを命がけで助けてくれたディーンに対して感謝の気持ちが沸いて来た。
(すみませんじゃなくて、ありがとうだったな・・・)
そう思うのに、どうにも話しかけ辛い。私とディーンの関係はそれほど気安いものじゃないのだ。
少し行くと、滝の音が聞こえてきた。
(こんな所まで戻ってたんだ!)
崖を走り降りた事で一気に下山したと言う事か!
(みんな心配しているだろうなぁ。特にクラークは・・・)
きっと急いでこちらに向かっている事だろう。
森を抜けるとイルクァーレ滝の姿が目の前に見えた。
「あっ、あそこに!」
滝の近くの水辺で馬は水を飲んでいた。どうやらもう落ち着いているようだ。
「良かった」
私はホッとして肩の力を抜いた。
ディーンは馬に乗ったまま滝へと続く小道を降りた。そして先に馬を降りると、私の手を持って乗っていた馬から降ろし、木陰に座らせてくれた。
その紳士的な所作には思わず感心してしまう。さすが公爵子息、さすが攻略者の一人だ。
「馬を見てくる」
そう言って水を飲んでいる馬に近づくと、怪我をしていないか調べ始めた。
(そうだよなぁ・・・私を乗せてあんな崖を駆け下りたんだもん。それに暴れていたしなぁ・・・)
何となく責任を感じてしまう・・・怪我してないと良いけど。
しばらくすると、
「大丈夫そうだ。少し蹄に傷があるけど、これくらいなら・・・」
もう一頭の馬にも水を飲ませながら、怪我をしていないか様子を見始めた。
(優しいな・・・)
真面目でお堅い優等生。だけど心の中は誠実でとても優しい。それが彼のゲームでの設定なのだから。
アリアナを断罪するのだって、リリーの為の優しさなのだ・・・。そんな彼を私は自分の都合で縛っている。
(・・・今の私とディーンの関係はいびつだ)
パーシヴァルの言う様に、もう彼を解放してあげるべきなんだ。でないと私は彼とは友人になる事も出来やしない。
(アリアナお願い!。ディーンには、また助けて貰ったよ。・・・もう、充,分だと思わない?)
私はゆっくりと立ち上がり木陰を出た。近づく私に気付き、ディーンは真っすぐに私を見た。
「・・・どうした?」
私はまず、彼に頭を下げた。
「あの・・・助けて頂いてありがとうございます。命の恩人です。それでその・・・こんな時になんですが、大事なお話があるのです」
「・・・何?」
「あのですね。その、私達・・・」
婚約を解消しませんか?と言おうとした途端、声が出なくなった。
(ま、また!?。ちょっと、アリアナ!?)
どうして!?やっぱりまた邪魔をするのか!?
でも、今度は息が苦しくなる事は無かった。そして驚く事に私の口から、私では無い誰かが言葉を発し始めたのだ。
「・・・ディーン様・・・」
(えっ)
「・・・ディーン様に初めてお会いした時・・・こんなに、きれいな男の子がいるんだって思い、一目で好きになりました・・・」
(えっ?えっ?)
「そして、こんなにも優しくて素敵な人が自分と仲良くなってくれたなら、私は友人など居なくても幸せになれると思いました・・・」
(これって・・・・・・アリアナ!?)
「あさはかでした・・・。あさはかで・・・ただ、ディーン様をご不快にさせてしまいました。お許しください・・・」
そう言ってアリアナはゆっくりと頭を下げた。ディーンは何も言わない。柔らかい滝の音だけが聞こえてきた。
私は胸が熱くなった。
(よ、よ、良く頑張った!アリアナぁ~~~!!!)
あんなに、我儘で、傲慢で、ディーンに執着していたアリアナが、ここまで人の気持ちを考えられるようになったのだ。
(アリアナ!あなたの気持ちは無駄にはしないよっ!)
私は顔を上げてにっこりと笑った。目じりから涙が一筋零れ落ちた。アリアナが流した涙だった。
ディーンを見ると凄く驚いた顔をしていた。そりゃそうだろう、いきなりこんな事言われたらびっくりするよな。
私はアリアナの後に言葉を続けた。
「え~っと、ですから婚約はディーン様のご都合の良い時に解消してください。公爵家同士の約束は気にしなくても大丈夫です。私がちゃんと父に説明いたしますので!」
思わず握った拳は不要だったかもしれない。
ディーンは怪訝そうな顔でしばらく黙っていたが、私に顔を向けると、
「リガーレ公爵の事は?」
と聞いていた。途端にズンッと気持ちが重くなる。
「ぐっ・・・、いえ、大丈夫です!自分で何とかします!」
ディーンにこれ以上迷惑はかけれない。ロリコン親父は怖いが、とことん逃げ切ってやる!
「そうか・・・分かった」
ディーンは一言だけそう言うと私に背を向けた。滝の流れを眺めているようだ。
すると滝の音に混じって遠くの方から『アリアナ~』と呼ぶ兄の声が聞こえてきた。
「みんなが降りてきたようです!」
「ああ」
ディーンはまだ滝を見ている。
「あの・・・、行きませんか?」
「君に・・・」
「え?」
ディーンの声は小さくて、なんて言ったのか・・・最後の方は滝の音に消されてまった。
でも振り向いたディーンの顔は、今までで見た中で一番優しく微笑んでいた。
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