第1話


俺は婚約者のことが大好きだ。

いつでも一緒にいたいし一秒だって離れたくない。

早く結婚したいと毎日思っている。

だから婚約者のいない学園生活なんて何の意味もない。

それでも俺が学園に通っているのは、せめて卒業だけはしてくれと彼女の父親に泣きつかれたからだ。


「はぁ、シャル…学園なんて行きなくない。なんでシャルのいないあんな所に行かなきゃならないんだ。離れたくないのに……。学園なんて吹っ飛んでしまえばいいんだ。」


愛するシャルロットをぎゅうぎゅう抱きしめながら首筋に顔を埋めて不満を漏らす。

シャルロット自身の甘い香りを胸いっぱいに吸い込む姿はなんとも変態くさいがこれが二人の通常運転。

婚約したてのお互いが8歳のころからこの調子なので、周囲の者たちもすでに慣れたものだ。

むしろ無理やりにでも離してしまうと何をされるか分かったものじゃない。

恨みを晴らそうとするかの如く、陰湿な嫌がらせをお見舞いするのだ。


エドガーという名のこの男、婚約者のためにひたすら魔法を使い続けた結果、18歳という年齢ですでに極めてしまったほどだ。

元々才能があったのだろう。

通常学園で学ぶべき魔法の使い方を独学で習得し、入学前にはだいたいのことを身につけていた。

しかも今じゃ誰も手足が出ないほどになってしまうなんて誰が想像できただろうか。

全てはこの腕の中にいる愛するシャルロットへの愛故だ。


シャルロットは自分に抱きつく愛しい婚約者のいつも通りの突飛な発言に軽く笑みを溢し、嬉しさで胸がいっぱいになる。

抱きしめ返す手を持ち上げてさらさらな彼の髪の感触を楽しむように撫でた後、その頭に頬ずりをした。


「仕方がないわ、エド。学園を卒業することがお父様との約束でしょう?吹っ飛んでしまえばいいだなんて冗談でも言うものではないわ」

「それは……ごめん。せめてシャルと一緒に通いたかったよ。シャルとの学園生活を楽しみにしていたんだ。」

「私だって。兄たちが学園に通えるのに私だけ通えないなんて思ってもみなかったわ」

「陛下は過保護すぎる……シャルのことは俺が守るのに」


抱きしめる腕を弱めてシャルロットと見つめ合う。

目元を赤らめて幸せそうに微笑むその表情は自分だけのものだ。

胸を満たす甘い感情に浸っていると、どこからともなく「ん゛ん゛っ」と咳払いがした。


「エドガー様、そろそろお時間が……」


部屋の隅に控えていたシャルロットの侍女が慣れたように口を挟む。


今朝の逢瀬の時間切れだ。


ちなみに外出する際にエドガーに従者がつくことはない。

誰よりも強いから足手纏いになるものはいらないし、頻繁に転移魔法を使用するためひとりの方が身軽なのだ。

屋敷に帰ればちゃんといるので問題ない。

目を離している隙に何かやらかさないかとハラハラさせてしまっているようだが、そんなこと自分の知ったこっちゃない。

なのでシャルロット側の侍女たちがふたりのストッパー役だ。


抱擁をといた二人はまるで戦地へと向かう騎士とそれを見送る妻のごとく悲壮感を醸し出して見つめ合っている。


「名残惜しいけど行かなくちゃ」

「いってらっしゃい。先生たちに迷惑のないようにね。」


触れるだけの口づけをすると、名残惜しい気持ちを耐えてエドガーは学園へと転移した。


 ◆


エドガーは頭が良い。


才能があった上に地頭も良かったのだろう。

それも18歳で魔法を極めれるほどに。


シャルロットが講師から授業を受けるというので、ほとんど押しかけの体で共に授業を受けることにした。

初めのうちは諫められたが、何度も押しかけるうちに黙認されることになった。

それはそうだろう。

断っても追い出しても、気付いたら王女の隣にいるのだ。

あまりにもしつこいので出禁を願ったらその直後、エドガーから漏れ出た魔力によって怪奇現象のようなものが発生した。


身体が何かに伸し掛かられているようになり、身動きがとりにくくなった。

そして何処からか「パチパチッ」と音が鳴り、屋敷の壁が「パキッ」「ミシッ」と鳴り、窓ガラスに「ビシビシッ」とヒビが入った。

しかもなんだか薄暗いし肌寒い。

なんだどうしたと大人たちがおろおろしている中、シャルロットが言ったのだ。


「エド、漏れてるわ、しまって?」と。


瞬間まるで何事もなかったかのように身体が解放された。


皆が顔を青くして言葉を失っていると、そんな周囲の反応を気にも留めないふたりが話し始める。


「さすがにお城が崩れてしまうわ」

「シャルだけは守るから大丈夫」

「そういう問題ではないのだけれど……お城が崩れていたらどうしてたの?」

「もちろん僕の邸で一緒に暮らすんだよ」

「素敵!エドガーと暮らせるの?そしたら毎日一緒ね!でも結婚式では皆に祝福してほしいからそんなことしちゃダメよ!」

「…シャルが悲しむことはしないよ。多分」


少々不本意ながらもシャルロットの言葉に頷くエドガー。


その一連の流れを目の当たりにした侍女と護衛たちは同じ事が頭を過った。


『彼を否定したら死ぬ』と。


幸いエドガーは王女の言葉なら聞き入れるらしい。


エドガーの手綱は王女にお任せするより他はない。

これは決してエドガーの教育的指導を諦めるわけではない、と自分たちに言い聞かせた。


こうして徐々にエドガーに琴線スレスレを見極める術を身につけていった。


 ◆


エドガーは魔法に関してはもはや教師に教わることなどない。むしろ教える側として特別講義をしてほしいと頼まれたが他を当たれと即答した。

そんなことをすればシャルロットとの時間が減る。

考えるまでもなかった。


ある意味教師泣かせのエドガーはすでに授業を受けなくてもよい状況なのだ。

むしろ授業に出ると教師が緊張して普段の実力を発揮できないらしい。

エドガーの頭が良すぎて教師として立つ瀬がないと泣きつかれた。

授業免除が教師公認なのがたいへんありがたい。

それならば早く卒業させてほしいと頼んだが、それは無理だと断られた。

なんでも「卒業したら即結婚」と約束したため、娘を早々嫁に出したくない陛下がごねたらしい。

まさか入学して三か月もしないうちに、学ぶことがなさそうだから卒業したいだなんて言う人間が現れるとは思いもしなかったのだろう。

渋々承諾させられたエドガーは八つ当たりとばかりに残りの学園生活を魔法に費やした。

おかげで今では自他ともに認めるほどの実力者だ。

国で一番強い自信がある。


そんなわけで最近はよく授業をさぼるエドガーだった。


人気のないベンチを見つけたので、今日は猫の姿になってさぼることに決めた。

天気もよく昼寝をするのにぴったりだ。

暖かな日を浴びて愛しのシャルロットを思いながら目を閉じた。


微睡んでいると、かすかに人の声が聞こえた。

授業中だというのにさぼっている男女がいるようだ。

教師公認の自分はもちろん除外である。

声のする方を辿ると、どうやらこの旧校舎の中かららしい。

気にも留めずに再び眠りにつこうとするも、なにやら徐々に声が艶めかしいものになってきた。

どうやらこんな所で致している不届きものどもがいるようだ。

小さな音ひとつ拾うこの猫の耳を恨めしく思った。

他人の情事を覗く趣味なんて持ち合わせていないエドガーは不快に思い、別の寝床を求めてその場を去った。



その日を皮切りに、エドガーの行く先々で非常に不快な出来事が起こり悩まされるようになった。



ある日は鳥の姿になって学園校舎裏の森で森林浴をしながら木の上に留まっていた。

猫ほど耳が発達していないため、目が覚めた時にはすでに近くでおっぱじめている声がするではないか。

もう少し奥まった木の陰に隠れるようにして女が木に背を預けて男はガツガツと腰を振りまくっている。


なんなんだコイツ等は

授業中だぞ

学園だぞ

何しに来てるんだお前等は

先日のアイツらもだ

盛りに来るだけなら学園に来るなよ


気分を害したエドガーは鳥の姿のままその場を去った。


 ◆

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