泣き出しそうな僕を許して
オレが家を出る時に燕は言った。何があっても、唯光を守ると。だけどオレも南も、分かっていた。唯光は多分、長くないのだと。医者が匙を投げる程の病。理不尽を感じないと言ったら嘘だ。でも、どうしようもない。何より唯光自身が、言葉にせずともいずれ来る死を受け入れている。だから、オレは燕に、少しでも長く……唯光の側に居て欲しいと伝えたんだ。それが唯光の望みだと、知っていたから。
「燕、唯光に何かあったのか」
「……落ち着いて話せる場所はないか」
オレの問いには答えず燕は汗を拭う。きっと外では出来ない話だ。振り返って、困惑する楓蓮の顔を見る。楓蓮は一言「大丈夫」と頷いてくれた。
☆
燕を連れてやってきたのは、奉公人として間借りしている楓蓮の屋敷の一角にある、オレの部屋だった。母屋から離れた、ちょうど人通りの少ない、角の部屋。畳四畳半の狭い部屋でも、二人で落ち着いて話すには充分だった。
「……姫が、死んだ」
「……そう、か」
覚悟はしていたつもりだった。もう長くない、だから残された時間、せめて唯光が幸せでいられるようにと奉公に出たつもりだった。それでも、後悔が次から次へと湧いてくる。燕から背を向け、唇を噛み締める。それは唯光の兄としての、最後の意地だった。
「……それだけじゃないんだ。軍人が、姫を連れていった」
「……は?」
どういうことだ、と逆上しかけた時、不意に南のことを思い出す。認めたくはないが、あいつもオレもそれなりに短気な方だ。唯光のことに関しては特に。だから、オレより先に事態を知った南がどういう行動に出るか、想像出来てしまった。
「まさか、南……!」
「置き手紙と一緒に姿を消してな……姫が連れて行かれたのはこの街の駐屯地だ。おそらくは南も……」
「詢基と拓史は?一緒にいるのか?」
「多分な。二人の家に行ったが姿が見えなかった」
皺だらけの手紙には懐かしい字に走り書きで、「ゆかりが軍にさらわれた、いってくる」と綴ってあった。
詢基がいるなら、南が駐屯地に押しかけようとしても絶対に止めてくれる。拓史がいるなら尚更だ。あの怪力には勝てないんだから。落ち着け、大丈夫だ。なら、オレに何が出来る?燕は、何の為にここに来た?どうやって唯光を、取り戻す?
「……嵐。俺には、お前達にも……陸さんにすら、伝えずにいたことがある」
目の前にいる男は、よく見知った顔の癖に、今日に限って突拍子のないことばかり言う。だけど、それを言うならオレだって、いつもみたいに茶化してやることも出来ない。ああ、オレもこいつも、唯光が死んで参ってしまったんだろうか。
☆
燕に言われて駐屯地近くにある神社にやってくる。元々部屋には殆ど私物を置いてはいなかったから、もうあの屋敷に戻れなかっとしても……大丈夫だろう。心残りはあるけど、楓蓮に想いを告げる前でよかったとも思う。神社に人気はない。元は人が賑わう神社だったけど、近頃軍人たちが殺気立っているためか、街の人はあまり家から出てこなくなってしまった。
だからこそ、オレや燕には……都合がいいのだろう。燕は砂利を踏み締める。同じ筈の音が、全然違う気持ちで響く。それでもオレは、知らなければいけない。何故唯光の遺体が軍に攫われたのか。燕が何を隠してきたのかを。
「俺は、能力者だ」
能力者。最近よく耳にする言葉だった。人を石に変える異能。どこからともなく雷を落とす異能。街を氷漬けにする異能。他にも、何の異能かは知らないが、能力者が駐屯地に自首してきたとか、指名手配の異能者がいるとかいう話を聞いたことがある。半ば眉唾ものだと思っていたが、こいつは本気でそんなことを言ってるのか?跳躍し過ぎた話につい、疑ってかかってしまう。すると、燕は境内の裏手にある背の低い小さな樹を指差し、一瞥した瞬間、燕の左腕を音を立てながら電気が這って、人差し指から放たれたそれは、雷となって落ちた。オレは、何も言えなかった。理解が追いつかなくなって、目の前の出来事を認めた方が手っ取り早いことに気づく。
雷の能力者。少なくともオレがもっとガキのころから噂はあった。まさか目の前の男が、そうであるとは思いもしなかったけど。そもそも、能力者がなんなのか、よく知らない。
「……姫も、能力者のようだ。だから、軍は姫を連れ去ったらしい」
「……唯光は、死んだんだろ」
「俺も一度、死んでいる」
生き返ったとでも言うのか、と問おうとしたが、その前に燕がオレを見て頷く。そんな馬鹿げたことがあってたまるか。まだ疑う心は残っていたが、それ以上に、オレは燕がどういう人間なのか知っていた。唯光が、何故燕を好きだったのか、知っていた。
「……お前の力があれば、唯光を助けてやれるんだな?」
「ああ。姫は絶対助け出す」
燕の強い意志の意味がやっとわかる。燕は、例え化け物だと言われても、自分の全てを受け入れられなくても……唯光を助ける為なら、目を逸らしてきた化け物である自分を認めてやる、と腹を括ったのだ。そして、多分。燕はその力で南とオレも守ろうとしている。こんなことになったら、今住んでいる場所はおろか、生まれ育ったあの家にも戻れない。当たり前に享受していた毎日が、無くなってしまう。
覚悟していたとしても、燕の覚悟を知っても、胸の真ん中に空いた風穴のような喪失感は拭えない。何の為に頑張って来たのか、分からなくなってしまいそうだ。
「オレは父さんみたいにはなれないんだな……」
そう、つい口を衝いて出てしまって、すぐに後悔する。オレが家族を支えたかったように、形は違えど燕だってオレたちを守ってくれた。これは、燕の誇りを汚す言葉だ。益々自分が情けなくなってくる。燕の顔を、見ることは出来なかった。
「……悪い、忘れてくれ。それで、燕。オレはお前についていけばいいんだな?」
「……ああ。今は散り散りになるのは避けたい。危険だがついてこれるか?」
「まあ、死なねえよう頑張るさ」
しっかりしろ、どんなに不甲斐なくても、オレは唯光の兄貴なんだ。だったらオレも、覚悟を決めないと。それに、南のことも……必要ないかもしれないけど、考えてやらないといけない。
必死に考えを巡らせる。だけど結局、答えはまとまらない。ただ一つ、楓蓮への想いはここに置いていかなければならないことだけは、はっきりしていた。
Squall02
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