嵐の前触れ、災禍の男
父さんと母さん、双子に姉貴の南とオレと、4歳年下の妹の唯光。それから幼馴染の詢基と拓史。父さんが拾ってきた燕という男。それがオレの全てだった。大好きだと、声を大にして言うことは照れ臭いから出来ないし、大好きなだけでは決してないから、こんなことは絶対言わないけど、それでも確かに大切だと思える。あいつらは、それぞれ姿も考えも違うけど、同じなのは、オレの誇りだということ。これも、口が裂けても言えない。
だからだったんだと思う。臆病で、情けない心を持ったオレが、家族や幼馴染から離れることを選べたのは。オレの誇る人たちの心が千々になるのを、黙って見てはいられなかった。そういう自分を認めてはじめて、オレはオレ自身の心の中に誇りを見つけられた。
奉公に出て、知らない土地に立つのはそりゃ少しは怖かったけど、あいつらに会えないことを不思議と寂しいとは思わなかった。ちょっとつまんなかったけどな。
でも、オレが頑張れば南が詢基と、拓史といることが出来て、唯光が南と燕に守ってもらうことが出来て、燕からこれ以上大切なものを奪わずに済む。父さんたちの守りたかったものを壊さずに済む。それは多分、自己犠牲なんかじゃなくて、オレが選んだ、オレ自身の幸せなんだろう。そんなこと南に言えば「ばっかじゃないの」と一蹴されそうだから、これも言わない。
故郷での日々を思い出しながら、唯光に宛てた短い一文を綴った手紙と共に仕送りを同封し、投函する。事故なく無事に届く様に念を送って帰ろうとした時、後ろから控えめに砂利を踏む音が聞こえた。
「っ」
「あ……嵐君、こんにちは」
振り返った先にいたのは奉公先の屋敷の一人娘の……楓蓮だった。本当なら、呼び捨てにすることも出来ないくらい家格が違うけど、奉公先の旦那様と奥様からは、オレと楓蓮が同い年なこともあって、寛容過ぎるくらいの待遇を受けている。街一番の商家のお嬢様というのは、本人の人格に関係なく人を遠ざけてしまうらしい。
「楓蓮。手紙ならオレが出すのに。その為の奉公人だろ」
「今はお仕事中じゃないから。それに、私もこれくらいはね」
するりとオレの一歩前に立ち、少し厚手の茶封筒を投函する。旦那様の手紙だろうか。尚更オレがやるべきことだろうに。口にこそ出さなかったけど、顔に出ていたのだろう。楓蓮はオレを見てかすかに笑っていた。多分、楓蓮は知らないんだろう。だって告げていないから。
楓蓮とこんな風に話す日々を、嬉しいと感じていること。余りにも身分違いの想いを抱いていること。それを告げれば全て壊れてしまう。旦那様と奥様の信頼、楓蓮との穏やかな時間、故郷にいる家族の平穏、オレの心の誇り。楓蓮が密かに想っている人のこと。渦巻く嵐の様な想い。伝えたい、伝えられない、伝えたくない、知りたい、知りたくない、何も、知らない。踏み込もうとする度臆病になっていく。小さな誇りが揺るぎそうになる度、口を引き結んで踏みとどまる。危うい生き方だと、オレだって分かっている。
(なんでこんなに、好きなんだろう)
「……嵐君?大丈夫?」
心底心配そうに楓蓮がオレの顔を覗く。直視なんて出来なくて思わず顔を逸らすと、視界の端に映る楓蓮が不安そうな仕草をしていた。
だけどその罪悪感は、正面から現れた予想外の人間の存在の衝撃で塗り替えられた。
「…………………………燕?」
オレに向かって一人で走って来るその姿に、何かが起きたことに気づかされる。だって、燕の側に、唯光がいない。それは警鐘を鳴らすには充分なことだった。オレの決意なんて、一瞬で砕いてしまいそうな予感すらする。
「嵐君、あの方は……」
「あいつは……オレの、オレたちきょうだいの……」
一瞬にも永遠にも感じる前後不覚の中、燕の顔がはっきり見えるくらいの距離で、あいつは立ち止まる。父さんと母さんが消えた日を思い出す。けれど、燕の目はあの日とは違っていた。
強い意志。それでいて何かを悟り、諦めたような影を落としていた。
Squall01
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