ちっぽけでも、本当のこと
小さな頃から、世界で一番大切な女の子が側にいた。その子の側にいて、その子を守るのは俺にとって掛け値無しに当たり前のことで、きっと多分、自分で自分を守ること以上に出来てしまうことだ。
笑顔でいて欲しい。泣かせたくない。幸せでいて欲しい。そのためならなんだって出来る。なんでもしてやりたいと思う。それが、俺が生きる理由だった。
俺と幼馴染の彼方が生まれ育ったのは丘の上にあるこの辺りでは一番大きな街。軍の大きな駐屯地もあり、戦争が始まると街全体が殺気立つ。俺はこの空気が苦手だった。彼方は声に出したりしないけど、時折遠くを見るように、悲しそうに目を伏せる。
戦争は嫌いだ。彼方をこんな顔にさせるから。戦争は嫌いだ。俺は弱くてちっぽけで、彼方を守る力なんてないんだと……自覚させられるから。
俺たちは逃げた。訳も分からないまま、だけど確かなのは、彼方を何に変えても守らなければならないと心の奥底から叫びが聞こえる。
分かってる。分かってるんだよ、そんなこと。
「ゆう、が」
彼方のか細い声が、全身を走る痛みが、今にも身体を押し潰してしまいそうな重みが、何度も意識を手放しそうになる俺を、現実に呼び戻す。だめだ、今俺が潰れたら、彼方をこの瓦礫の下で死なせてしまうことになるだろ!痛い。腕を貫く鉄筋から伝った血が水溜りを作って、彼方の柔らかい髪を汚す。そこだけ異様に熱をもって、自分の身体ではないような気持ちになる。だけどその痛みこそが、俺の心を未だに生かし続けていた。
あっという間のことだった。何が原因かも分からない。俺に理解出来たのは、生まれ育った街が戦場になって変わり果てて行く中、彼方と取り残されたってことだ。逃げ道を探している間に逃げ道を失って、崩れた建物から抜け出せずにいた。
だめだって、彼方を守らなきゃ。それだけが、俺が願い続けてきたことだろ、もうちょっとだけでいいから、頼むから、彼方を、彼方だけでいいから、誰でもいい、助けてやってくれよ。
声にならない願い。届く訳もなく……それどころか、辺りには生の匂いがまるでない。みんな死んでしまったのか?父さんと母さんは?彼方の両親は?街の、優しかったみんなは?みんな、みんな死んでしまったというのか。
ああ、そんな現実を、彼方には知らせたくない。
ままならない現状に歯軋りをすると、奥歯が砕ける音がした。口の中に血の味が広がる。その全てに腹が立って、鉄筋に貫かれた身体に力を込める。彼方は死なせない。思いとは裏腹に、生きている証の色が狭い視界を埋め尽くす。
「雄鎧……!もういいよ、腕、血が……痛いのに、苦しいのに、これ以上は雄鎧、死んじゃうよ……!」
涙を目にいっぱい溜めてさ。違うんだ、泣かせたかった訳じゃないのにな。柄じゃないけど涙を拭ってやろうとして、腕がもう、動かないことに気づく。だめだ、それじゃあ、彼方を守れない。
たった一つ抱いた願いさえ許されないなら。どうして、神様とやらは俺の世界に、彼方を住まわせたのだろう。こんな残酷なことの為だとしたなら、俺は。そう頭の中に過ぎった時、誰かの声が聞こえた気がした。化け物になれ、と言われた気がした。
世界に裏切られたなら、世界を裏切ってしまえばいい。とても単純な話だ。彼方の悲しむ顔を思い浮かべながらも、その惨い言葉を否定していない自分がそこにいた。
この言葉を否定したら彼方を救えないと、分かっていた。
化け物。
例えば俺が化け物だったとしたら、彼方を守れるだろうか……少なくとも、こんな瓦礫くらいは、どうにか出来るだろうか。現実を知らせずこの街を抜け出して、彼方と二人で生きられるだろうか。
彼方の幸せを、見届けることが出来るだろうか。
なんだ。かんたんな、ことじゃあないか。
何を迷っていたのだろう。俺は最初から、そうすべきだった。俺が化け物になったとしても、それで彼方を守れるなら、この選択が最善だろう。
答えに辿り着いた昂揚感。だけど、小さな不安が頭を掠めた。
(俺が化け物になっても、彼方は変わらないでいてくれるかなあ……)
朧げに、何かが滴った気がした。血なのか何なのか、もうそれすら分からない。
奇妙な感覚だった。ああでも、もう、大丈夫だ。
根拠のない自信と共に、俺は意識が離れていくのを感じた。
不安も昂揚も押し殺して、心の奥深くへ、沈んでいった。
Yuuga01
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