ぼくの反対側

姫に出会ったのは、俺が青年になりつつあった頃。お姫様と言っても、身分としての、本当のお姫様ではない。在り方の話だ。彼女……海風唯光は、俺の恩人、海風陸の末の娘に当たる。

化け物の力を手に入れた俺は、随分長い間当て所なく放浪していた。化け物の身体は死に難く、栄養を摂取せずとも飢えることはなかったし、雨の中何日もの間野宿をしても、病気ひとつしなかった。最初はどうにかして死のうと思っていたのに、何年も経つ内に、それも無駄なのだと諦めた。

陸さんは、俺が掃き溜めの街の道端でやる気もなく腐っていた時に、現れた。

薄汚い身なりを見下げるでもなく、俺の素性も問うこともせずに。


「ああ、あと10年もしたら、しっかりした体つきになりそうだ。どうだろう、うちに来ないか?」


することもなく、死ぬことも叶わない。なら、どこにいたって同じだ。この人は身なりがいいから、今よりはましな生活になるだろう。それだけを考えて、俺は陸さんに着いて行くことにした。


陸さんには、3人の子供がいた。双子の姉弟の南と嵐、双子と、4つ離れた妹の唯光。外に出ることが多かった陸さんとその妻理々亜さんは、子守を必要としていた。

だけど正直、俺には手に負えないと思った。双子はやんちゃ盛りで何にでも興味を示すし、親代りなんて務まらない。ましてや家族との団欒が過去になった俺だ。そう陸さんに伝えると、失望も落胆もせず、


「なら、唯光を頼む。あの子は気性も穏やかだし、何より身体が弱いからな。自由に生きるにはお前の助けが必要だろう」


それから俺は唯光の……姫の従者になった。

双子は陸さんの言った通り勝手に育った。同年代の幼馴染達とよく冒険ごっこをして、無茶をして、それをよく叱った。長い年月を経る内に、双子は俺にとって歳の離れた妹と弟のような存在になっていった。

姫だけは違った。化け物になる以前の俺と同じ脆い身体でありながらも、彼女はいつも聡く、穏やかで、毅然としていた。姫のそうした姿は、俺に従者としての自覚を持たせるには充分だった。この人に俺と同じ思いはさせない。この人は、俺が守り抜く。そんな大それた誓いを心の内で立ててしまう程には。


3年前、仕事で海外に出かけた陸さん理々亜さんが乗っていた船が沈没し、そのまま行方が分からなくなってしまった。恐らくは生きていないだろう。俺は彼らの死を伝えることを躊躇った。手に入れた些細な幸せが壊れていくような感覚。伝えなければいけない。俺から伝えるべきだ。それが、彼らから貰った恩を返す方法だろう。だけど、それが酷く恐ろしかった。或いは、自分が死ぬよりも。

きょうだいは、帰ってこない両親と何も言えない俺を見てなんとなく察したのだろう。双子は子供でも出来る仕事を始め、姫は一度だけ「燕はいなくならないで」と、寂しそうに微笑んでいた。

それからは、目紛しい毎日だった。蓄えが全くないわけではなかったが、四人で生き抜くためにはそれなりに金が必要だった。ましてや姫は病気がある。だからと言って、きょうだいに貧しい思いはさせたくない。俺は知り合いの定食屋で働いて、仕事の時以外は近所の手伝いをして、それでなんとかきょうだいと生きていた。陸さん存命の頃よりは劣るが、貧困に喘いでいる、という程ではない。きょうだいの為に働くことは、俺にとって義務感以上に喜びを与えた。自分が化け物だということも、頭の隅に置いて忘れてしまうくらいに。


1年前の夏、双子が13歳になった日、弟の嵐は迷いのない顔で、この家を出ると、俺に告げた。姫は戸惑っていた。南は文句を言おうと口を開きかけて、噤んだ。俺は、否定も肯定もできなかった。親代りを気取るなら、背中を押してやらなければいけないのに。


「大きい街で奉公した方が稼ぎになるだろ。オレだって男だし、働く。宛てはあるしな」


それから数日後、嵐は家を出た。

嵐が奉公に出たのは少し離れた大きな街の商家で、毎日忙しく働いているようだ。いらないと言っても毎月収入のほとんどを家に入れ、たまに近況を報告する手紙を送ってくる。元気だから心配するなと毎度のように締め括り、旅立ってから一度も帰ってきていない。

南はこの小さな町に残り、俺の不在の時間の大半を姫と過ごすようになった。それ以外は定食屋や商店で働き、たまに幼馴染達とも会っているようだ。

そして姫は、床に臥す時間が増えた。病は確実に姫の身体を、蝕んでいった。医者には原因が分からないとお手上げされて以降、あまり当てにはしていない。


何も出来ないまま時間だけが、過ぎていった。


Tsubame02

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