獣人の楽園(5)
「はい、確認しました。
近い内に対策を練らなければなりませんね」
栄遠の銀峰、宮殿の最上階。
現代でも数多の人々から羨望を集めそうな洋室とも質素な和室とも言える個室は獣人達が暮らす城下町の繁栄と平穏を握る現統主、清華の仕事場兼プライベートの個室である。
入浴を終えたばかりの清華から漂う芳しい香料と紙を擦る僅かな音が充満するこの部屋では寝る準備を整えたネグリジェ姿の彼女と勤務を続行する碧櫓が吸吞湖月の件について話し合っていた。
「今回、あの形骸を鎮伏出来たのは人間が助力を申し出て戴きUNdeadに属する所以の実力を示してくれたお陰です。
私は戒律に則り不躾な態度を取った自分を
「それは私にも非があります。
普段から人間と関わるなと口酸っぱく言っているのに窮地を救いたいが為に独断で混乱を招いてしまったのですから」
「ところで統主、一言宜しいでしょうか?」
「どうぞ」
「何故、統主は人間との交流を固く拒むのでしょうか?」
清華の小さな猫耳が小刻みに揺れた。
周りが理解し難いルールも危険で無謀な仕事を言い渡しても深い訳も聞かず尊敬出来る統主からの指令とあらば迷い無く遵守し命を張ってくれた碧櫓から初めて定めたルールの真意を掘り下げに来たのだから。
地底湖での戦いで北里 翠の隣に立った事により獣人達が嫌悪していると思っていた人間が真摯に接しサメノキ地方での問題を自分の事の様に悩み一緒に解決出来るよう付き添ってくれた事が彼の認識を変えてくれたからこそ生じた疑問なのだろう。
「勿論、市民からの要望が一定数あったのは存じていますが・・・・・・」
「碧櫓が仰る通り、それも理由の一つです。
人間に一生を左右された動物達の悲痛な声は私が統主を務める前から聞き届けていましたので。
でも本当の理由は別にあって、そこには私情が含まれているのです」
「私情、ですか」
この際、清華は "人間に関わってはいけない" ルールについて話す事にした。
といってももう一日の終わりも近づいていたので詳細は語れなかったが。
二十年以上前、エクソスバレーに漂流し人間の体を手にしたばかりの清華は同じ境遇に身を置く二匹の獣人と出会う。
一匹は奉仕を好み他人に尽くす事を生き甲斐とする世話焼きな狐の女。
これは碧櫓も知っている現給仕長であり清華が今でも厳格な統主の立場を脱ぎ捨てられる唯一の相手である。
そしてもう一匹は所々がさつでいい加減ながらも悪を許さず一度信頼した仲間を見捨てる事はしない根は熱血的な猿の男。
栄遠の銀峰はこの三匹が理想を語り様々な助力を得て完成した国家という逸話は獣人なら誰もが知っている。
建国から三年が経ち事件は起きた。
猿の男が重罪を犯した。
持ち前の戦闘力と芯の通った義理を生かせる国の防衛を任命されていたある日の彼は突然の出来事に冷静さを失い、十数人余りの罪なき一般人に二度目の命日を齎し彼らが大事に蓄積していた過去と思い出を葬ってしまった。
肩で荒い息を整える盟友と血溜まりの上に倒れ心地好くない液体と同化する様に溶け始めていく霊体。
あの惨状がフラッシュバックした清華は頭を抑えて机に倒れそうになったが持ち前の忍耐を用い寸前で堪えた。
「もう、私は生みたくないんですよ。彼の様な罪人を。
愛すべき市民と向こう側の世界で暮らす人間、互いを自衛する為に設けた苦肉の策、それが人間と関わってはならない戒律の真意です。
覚えてください、碧櫓。我々獣人と人間が互いを認め手を取り合える様になればこの贖罪の戒律は不要となります。
四臣の中心に立つ貴方もそんな世を描く為に力を貸してくださいね」
「・・・・・・その理想、胸に深く刻みより一層今後の職務に励んで参ります」
「では今日の仕事はここまでにしましょう。
貴方も入浴を楽しみ早めに休む事です。明日、北里 翠さんに街を案内するのでしょう?」
「・・・・・・ご存知でしたか」
「主に隠し事が通用すると思わない事です。
今日はラベンダーの香りでしたのでよりよいリラックス効果を得れるでしょう」
「それは期待が持てますね」
油断無い正しい姿勢と模範的な礼を残して碧櫓は部屋の扉を静かに閉めた。
碧櫓からの報告を処理した栄遠の銀峰統主 "清華" は移ろう事の無い月夜を背後に浴びスマホを取り出す。
愛しい家族達に見守られながら目を閉じエクソスバレーに漂流したあの頃より上達した指先の感覚を研ぎ澄ませ必死に大まかな操作を完了させると端末をそっと耳に寄せる。
電話相手は相変わらずツーコール以内に応答してくれる。
『はい、桐葉です』
「清華です。今お時間は宜しいですか?」
『問題ないよ。北里さんとウィンドノートさんの様子はどうだい?』
『今は用意した個室でゆっくり休んでおられます。
晩餐で出した食事も美味しそうに完食していましたので料理担当も嬉しそうに尻尾を振っておりました』
『メニューは鮭のムニエルかい?
君は僕が振る舞ったのを偉く気に入ってくれていたからね。賓客をもてなす時は特別な要望が無い限りそれを提供しているんだろう?』
桐葉の的確な予想通り、豪華な晩餐には鮭のムニエルを並べていた。
数種類のハーブと塩コショウで下味を付けた鮭の切り身に小麦粉を薄くまぶし、バターで焼いてから白ワインで香り付けした極上の魚料理と添えた微塵切りして加熱した玉ねぎと七分茹でた卵を使ったタルタルソースは清華だけでなく四臣も好む。
清華はそれに付け合わせのマッシュポテトと一緒に口に頬張る食べ方を好む事。
余りの衝撃的な美味に保っていた品格が剥がれ落ち子供の様な笑顔を見せた事。
遙か遠くに置かれたはずの建国時の思い出を鮮明に語られ清華の頬は内から発火して行った。
「そんな昔の思い出、良く覚えてますね・・・・・・
って私が電話したのはそんな事を話したいからじゃないですよ。
貴方の社員のお陰で栄遠の銀峰の平穏が守られた事を報告し御礼を伝えたかったのです。相変わらず貴方の真贋を見抜く目は衰えてませんね。流石です」
『ははっ、勿体ない賞賛をありがとう。素直に受け取らせて貰うよ』
信頼に値する仲間に囲まれ組織が巨大化しても互いに変わっていない人柄に安心感が芽生えていた。
感慨にふける二人だったが清華は真剣な面持ちで会話の雰囲気を変える。
「桐葉 透一さん。北里 翠さんとウィンドノートさんに我々の助成を正式に依頼させてください。彼らの都合は大丈夫でしょうか?」
『あぁ・・・・・・ 問題無いが、何か懸念でも?』
清華が発見したポータル周辺を監視する映像が捉えた一部を拡大すると怒りと疑問が歪に混ざった表情と共に植物を踏み荒らしながら進む軍人の男が映る。
その正体は畜生の殲滅を目的とし幻の鉱石、純雪晶(雪菜)を追い求める滅星のリーダー、御造 桃八であった。
「どうやらお二人以外にも予想外の来訪者がいたようです。しかも悪意を宿した巨大な嵐が」
獣人の楽園(5) (終)
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