獣人の楽園(1)
光の亀裂に飛び込むと身体が無重力で浮かび途中の旅路と行先の秘密を隠す様に顔いっぱいに強烈な光を浴びせられる。
僅かな非現実体験の終わりを知らせる足裏からの確かな感触に誘導され防衛本能で閉じていた目を開くと困惑する形相になっていた。
肌に触れる外気は冷たく湿った物では無く日本の秋みたいに快適に感じる穏やかな涼しさで岩肌と鉱石で囲まれていた閉塞の通路は無数の蛍が幻想的に舞う為に用意された夜の森林に様変わりしている。
ささやかな月光に満ちた森林は夜とは思えない程明瞭でとても神秘的で道端の雑草ですら傷付けてはいけない様な緊張と冷や汗が背中を伝って流れる。
古来に記された絵巻の世界を隅々まで再現したこの地方はUNdeadが保有するどの書籍にも載っていなかった。
「ねぇ、ここってどこだろう? 君は来た事ある?」
『俺にとっても未開の地だ。鉱脈の奥深くにが広がってるなど誰が想像出来るか』
俗に言う瞬間移動って奴で連れてこられた別次元は自由にエクソスバレー中を移動出来る霊獣でも全く見識が無くウィンドノートは目に入る神域の景色に首を傾げている。
「危機一髪だったね〜
急にメデルセ鉱脈が騒ぎ出したから何事かと思ったら崩落しかけるなんてねぇ」
どこからともなく炭酸の抜けたサイダーみたいに甘ったるい女の子の声がする。
ウィンドノートと一緒に周囲を見回すと私達の足下にさっきまで追っていた宝石の兎がちょこんと座っているのを視認する。
でも兎が喋るはずないって先入観が働き、目を逸らしかけると兎は私の視線が外れる前に人間と遜色ない口の動きを見せて自分が声の持ち主である事を証明してみせた。
『貴殿は言葉を操れたのか』
「普通に話せるよ。でもこの姿の時は喋らないようにご主人からキツく言いつけられてるんだ」
「この姿?」
"そういや変身解くの忘れてたや" と失念していた兎はその場を高く飛び、青紫の光輝に数秒包まれると私の膝丈にも満たない小柄な兎から恵まれた体格を惜しみなく浮き出したスタイリッシュな軍服を身に着けた女性に変貌する。
化学も魔法も超えた不可思議を経て種族すらも転生した姿に私もウィンドノートも驚くしか無い。
『まさか人にもなれるとは』
「うん。
鳥や虫の自由気ままな対話、
あっ、そうだ。滅星との戦いで疎かになってた連絡を会社に入れておかないと。
雪菜さんからの緩い許可もネットは問題なく繋がる証拠も貰ったし手早く桐葉さんに通話をかけて自分達が見知らぬ地方に飛ばされた事を報告する。
簡単な景観や雪菜さんが見せた不思議な変身を伝えるだけで桐葉さんは馴染みのある場所だと理解しそっと胸を撫で下ろしていた。
『そうか。苦労をかけてすまないね二人共。
元はと言えば僕が無理を言って仕事を引き受けて貰ったのが起因だ。最大限のケアをして貰うよう手配しておくよ』
「あの、桐葉さん。ここってどんな場所なんですか?」
『申し訳ないが説明は近くにいる者から聞いてくれ。この地方を設立し治めている彼女から気軽に口外するなと言われているんだ。
そこの貴方は
少し離れた場所で鼻唄混じりにその場を小回りしていた雪菜さんはビデオ通話越しの桐葉さんに向けて慎ましく手を振る。
「ご主人の約束を守ってくれて何よりです〜
安心して。私がちゃぁんと責任持って説明しま〜す」
『という訳だ。これ以上僕が手助けする
心配はいらない。君達がUNdeadの社員という身分を捨てない限り、統主は手厚い援助をしてくれる』
「あの、そろそろここがどんな場所なのかを教えて戴けると」
椿や菫、杉など日本でも見かける植物が横に並ぶなだらかな砂利道を踏みしめながらこの地方について聞くと雪菜さんは説明してくれた。
「ここは "サメノキ地方" 。獣人達が穏やかに住む古風の森、って言ったところ〜
で今いる森は "共愛願う思想" 。サメノキ地方の玄関口でメデルセ鉱脈のワープに入ると必ずここに到達する」
その昔、病気に犯され安静を余儀なくされた着物少女がいた。
上層の権力に立つ親の審美眼で厳選した一流の人材によって療養生活は運営され衰弱する身体に怯えながら過ごす毎日の中、着物少女の心が安らぐ一時は家で飼っていた多種多様な動物達と触れ合う事だった。
一切の外出も叶わず周りには堅く丁寧に接する使用人ばかり。気の置けない友人すら出来なかった彼女は家族同然に接する動物達と触れ合いながらずっと心の中で願っていた。
『もし貴方と言葉を交わす事が出来たら、籠に隔たれる苦しみも外への憧れも共有出来るのに・・・・・・』
純粋でありながら悲痛が宿った願いはサメノキ地方に奇跡を齎し、動物の魂に人間の姿と言語を理解し対話出来る恩恵を授けてくれた。
それから御伽噺の設定で無ければ実現し得ない幻想の世界に救世主が降臨する。
数多の人々を魅了しまとめ上げるカリスマ性、霰の様に降り注ぐ窮地を跳ね除ける叡智。
卓越した手腕を持つ彼女は瞬く間に獣人達を集め決して揺るがぬ地盤の上に獣人の楽園を築き今も尚、獣人達の平穏を預かる統主として街の中心に立ち続けている。それがサメノキ地方の伝承と今に至るまでの歴史だった。
その流れで雪菜さんも現在の身分を明かす。彼女は統主の右腕として最も近い距離で仕えているのだそう。
って事はUNdeadに入社してから三ヶ月しか経ってない私が気軽に話しちゃ駄目なかなりの上層に所属してる人じゃ・・・・・・
「あはは〜 そういう気遣いは良いよ〜
私、上下関係とか苦手だしもっと気楽に話しちゃってよ〜」
『しかし誇るべきはずの世界を何故、ひたむきに隠そうとするんだ?』
唸るウィンドノートからの尤もな疑問に雪菜さんの明るい表情は少し曇る。
「ご主人が招き入れた霊体の中にはね。人間の身勝手で住処を失った子や愛情を注がれず虐待された子も少なからずいるんだよ。
人に良い心証を抱いていないそんな子達が他人と遭逢しちゃったら逆上してトラブルを起こすかもしれないし、また人間から過去と同じ痛みを受けるかもしれない。だからご主人は建国の初期段階からサメノキ地方の事をみだりに明かさないようにしてたし他の子にも人間と関わらないでって呼びかけてたんだ。
・・・・・・それでも完全に防止出来なかったんだけどね」
家族の様に愛され充実した幸せを掴んだ子。
人間の身勝手な理不尽に巻き込まれた子。
どちらの境遇で生き抜いた子にとっても安心して暮らせる場所を創造し護りたい。
どの情報源にも決して乗らない幻の世界は全ての国民に来訪すべき幸せを求める建国者の願いから誕生したのか。
同じ幸せを求める同士、人間も動物も大した違いは無いのかもしれない。
でも国民の心身と平穏を護る為に余所者を極力受け入れない事情がありながらどうしてUNdeadは容認して立ち入る許可をくれるんだろう。
「う〜ん、ご主人から説明した方が早い気もするけど・・・・・・」
楽しそうに歩いていた雪菜さんの足が軍兵の様に寸分の狂いも無く機敏に止まる。
感知した敵の気配に向ける真剣な眼差しには空の上に浮かぶ雲の様に緩い雰囲気はもう無い。
急に立ち止まった理由は私にも分かる。自然領域には高確率で棲みつく危険な存在が安全を確保していない道を行き交う私達に襲撃しようと茂みを揺らしている。
そこから飛び出てきたのは格下に思える獲物に遊びがいがあるか吟味しながら鞭の様に発達した尻尾をしならせる巨大なイモリ、生物型エッセンゼーレ "イービルテイル" と提灯お化けの姿で周囲を囲む物質型エッセンゼーレ "回游の鬼火" 。
数を揃えれば蹂躙出来るなんて浅はかな考えが透けて見える大多数の相手を前に雪菜さんは聞いてくる。
「スイちゃん、UNdeadの人なら形骸との戦闘は問題無いよね?」
「形骸?」
「ん? 目の前のこいつらだけど」
はぁ、なるほど。
これあれだね。
日本で県を跨いだら方言で物の呼び方が変わるようにサメノキ地方ではエッセンゼーレの事を形骸って呼んでるんだ。
小さな偶然から異文化を知る事も出来たところで虚空から剣を取り出す私に続き雪菜さんも戦闘態勢を取る。
彼女の掌に具現化していたのは二本の曲刀。
寒冷地の奥深くで膨大な時間をかけてゆっくり育った氷柱をそのまま使いやすい刃物に落とし込んだ様な白と水色のグラデーションを持つ美麗の曲刀は雪山の野兎として現世を生き抜いた雪菜さんに相応しい武器であると言える。
勿論、美しいのは武器だけでは無い。
どの側近よりも一番近い距離で付き従い護る統主の右腕として恥じない実力を研磨し続ける彼女の戦闘スタイルは踊り子の様に妖艶に魅せながらも天性の第六感や浮遊する回游の鬼火にも届く曲刀のリーチを活かしあっという間に敵を殲滅させている。
野蛮な戦場を極寒の大舞台に変え氷花が舞台装置になった可憐なショーに度々、目を奪われそうになるけど今は霊体を簡単に屠る力を持つエッセンゼーレとの戦いの最中、遅れを取る訳にはいかない。
ウィンドノートの風の神力を乗せたグレールエッジで回游の鬼火を撃ち落としゴムみたいに伸縮する尻尾を振り回すイービルテイルには霜の反撃を喰らわす。
「へぇ、やるねぇ。私も十八番を見せようかな
"来たれ、
雪菜さんが構え直した曲刀の冷気が緻密に華々しく勢いを増していく。
軽やかに飛び反動の付いた腕を振り下ろし目にも止まらぬ回転を身に纏うと彼女の一撃は悪意に満ちた存在に彗星の様に高速で接近し別次元の冷寒を齎す鉄槌が下される。
「 "天より来たりし氷点、
エッセンゼーレ達は冷たい二刀と銀嶺の上に開いた氷の蓮華に呑まれ範囲内にいた奴は生物を模倣した義体の芯まで凍りつき氷解と同時に黒い霧となって散っていく。
激しい交戦があった戦場は冬の夜の様に静まり返り氷を扱う二人が激しく動いた仕儀として砕けた氷が勝利を祝う紙吹雪代わりに舞い散る。
儚い薄氷が花々に触れ間食程度の糧と消える頃、戦闘を終えて警戒を緩めた雪菜さんが私に歩み寄る。
「いやぁ〜助かっちゃった。ウィンドノート君との相性もぴったりだし流石、シューイチ君の仲間だぁ」
「ありがとうございます」
『身に余る光栄だ』
しかし流石は統主の右腕。
さっきの一戦だけでも姿勢や身体の使い方なんかも洗練されていて武器を振り抜く速度も一瞬の加速ですらウィンドノートを纏った私でも比べ物にならない。
元々、野兎時代に培っていた天賦の才もあるのだろうが人体でも発揮出来るよう上手く落とし込んでるんだろうな。
取り入れられそうな動きもあったし私もまだまだ学ぶべき点は多い。
「この人達ならほんとにご主人の旧友との仲を修復してくれるかも・・・・・・」
そっぽを向いて思索をしていた雪菜さんは気を取り直して獣人の楽園に続く参道に立った。
閑静に満ちた共愛願う思想を抜けるとサメノキ地方唯一の人工領域、手が届きそうな錯覚を受ける程、大きい双子の満月に映し出された "栄遠の銀峰" が私達の目の前に荘厳に聳え立った。
分厚い城門と武装で身を固める獣人の守衛により入場を厳しく制限された城下町はファンタジーに出てくる中世ヨーロッパ風の煉瓦造りの建物や待ち合わせや運試しに使える大きな噴水広場など異国の世界そのままではあるが。
『洋風の街並みでありながら和の要素が多数見受けられるな』
日々、私から日本の話を聞き徐々に日本文化を理解し始めたウィンドノートが植栽された桜や街を散策する獣人達が片手間に食べる団子を見ながら興味深そうに呟く。
「生前のご主人は王室で飼われてた白猫なんだけど日本が好きだった飼い主の影響でそういう文化が好きなんだよ。
だから街並みを創る際、和洋折衷って言う大切にして欲しい理念をお願いしたんだって〜」
統主の理念は国民にも大切にされているようで更に街を進めば施設に銭湯があったり露店では和菓子が売られてたり行き交う人の中には着物で彩られた獣人もいた。
外国人が自国の文化に興味を持ってくれ好きと言ってくれる。こんなに嬉しく誇らしい事は他に無いだろう。
城下町から宮殿まではかなりの距離があったはずなのに獣人達が創り上げた素晴らしい文化を横目に触れながら雪菜さんに付いていくといつの間にか自然領域からでも見えた巨大な純白の宮殿、庭園とも思える美しい造形に囲まれた入口近くに立っていた。
ここが統主のお膝元・・・・・・ そう考えると急に緊張が走ってきた。
重厚な扉は監視カメラで雪菜さんを認識しただけで自動的にゆっくり開く。案内されたエントランスは大きな洋室だったけど扇子や木彫りの熊など日本でもよく見かける小物が飾られていた。
「ご主人〜 雪菜、戻ったよ〜」
外にいた口調に加え甘えも混じった雪菜さんの声に反応して既に出迎えの準備を整えていた人影がヒールを鳴らして階段を降りてくる。
「護送、ご苦労様でした。雪菜」
人の上に立つ為に産まれた様な気品と厳格を合わせ持つ幼さが残った小柄な獣人は踊り場まで着くと黒薔薇の杖を接地させ私達の前に完全に姿を現す。
銀色の軍帽の下には艶と色気のあるショートボブ
未成熟にも見える幼体を包むのは如何なる穢れも受け付けない為にかっちりと着込んだ真っ白な軍服と黒の革手袋。
そして躍動の少ない尻尾と片方の猫耳は彼女が獣人である事を物語る数少ない証拠。
由緒正しき王家で育った気高き白猫をそのまま擬人化した様な小さな女の子が一国の主だって事はすぐには信じられなかった。
「紹介するね〜
彼女こそ栄遠の銀峰の王様でもあって、私が使えるご主人」
「初めまして。北里 翠さん、ウィンドノートさん
私が栄遠の銀峰で統主の任を預かる "
獣人の楽園(1) (終)
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