研修期間(2)
視界が安定し恐る恐る目を開けるとそこはカフェのあった石畳の通りでは無く自然領域、しかもフレンス草原とは全く趣の異なる場所に飛ばされていた。
絶え間なくしんしんと降り続ける雪に命の芽吹きが全く感じられない岩肌の上は白く深く覆いかぶさっている一面の雪原。
ロージアで一緒に買ったレザーブーツでは雪に阻まれていつもと同じ様に動けない。
「ここはエクソスバレー唯一の極寒地帯 "ヴェクルス地方" だよ。降雪量の少ない下の方に降りたら人工領域はあるけど今回、用はないから直接、山の方まで飛ばしたよ」
「あ、あの、エマさん。本当にここなんで、すか? とても初めてに向いてる、現場とは」
調整が可能な室内にいるみんなには想像出来ないかもしれないけどここは超寒い。
マジで凍えそう。
なんでエマさんはこの気温の中でもケロっと涼しい顔してるんだ?
寒さに慣れてるエマさんとは対象に
「そうだよ? 近くにはUNdead公認の研修現場の一つに選ばれてる比較的安全な一峰があるんだ。積雪の道は足腰の鍛錬に向いてるし適度に身を引き締める低温が新人育成にぴったりの場所だー って桐葉社長が言ってたから」
遅れたら置いてくよ。とばかりにエマさんはくるりと登山を開始した。
あまりの気候変動ぶりに思わず弱音を零したが、私は街を散策した際に聞いたエマさんとの会話を思い返す。
残響の空谷で私を襲った奴は "ミニマムボーイ" というエッセンゼーレの中では最弱の部類らしい。
だけどあんな小さな一匹だけでも非力な人達では為す術なく、喰われた被害は少なくない。
私だって最初は恐怖しか考えられず桐葉さんとヘルちゃんが来てくれなければあのやけくそも虚しく被害者の仲間入りを果たしていた。
もし誰かの助けになりたいのなら。
あの化け物に立ち向かうなら。
こんな寒さでへこたれてちゃ話にならない。
絶対強くなって誰かを助ける存在になってやる。
「エマさん!! 待ってくださーい!!」
新たに目指す理想を覚悟に変え、私も積もったばかりの雪を掻き分けて冷風の勢いが増す登山口へ入っていった。
ヴェクルス地方は連なって形成された雪と氷と岩の巨大な山脈が三つ
今回、研修で訪れたのはその中で脅威が弱く山頂までの距離も短い "プカク峰" 。
山脈の中では真ん中に位置するこの山に一歩踏み入れれば静かに降っていた雪も音を掻き消す吹雪に変わり、足首をすっぽり隠す積雪がさっきよりも動きを制限していく。
「プカク峰は登山初心者を連れても三十分くらいで山頂に到着する短い山だよ。スイちゃんは今日は足に負荷をかける事を意識して。ここで彷徨くエッセンゼーレはあたしが全部受け持つから」
と研修の説明を終えたと同時に雪に刻んだ引っ掻き傷から奴がお出ましになった。
数は一体。私が見たミニマムボーイと形状は同じだが体や目の色はまるっきり違う。
雪景色に溶け込む白い体色、寒冷地で数少ない獲物を追い立てようと鋭く血走った赤い目を宿した怪物は雪山に立ち入った命知らずな私達を恰好の愚者と定める。
「あれは "クリスタルベビー" だね。すぐ片付けるから待ってて」
何も無い空間に手を伸ばすとエマさんの要請に呼応した絵筆に似た長槍が彼女の右手にすっぽり収まる。
クリスタルベビーに近付き振るわれたその槍は描いた軌跡が華やかに焦げる摩擦、防戦一方のクリスタルベビーの体力を削ぐ重い一撃。
リーチのある熱を宿した槍を用いた善良な観客を楽しませるショーみたいなパワースタイルの戦闘は、エマさんが芸術に向け続ける熱意と画家として大成する為ならどんな試練も打ち砕く強い信念が合わさって生まれた様にも思えた。
一方、氷柱の様に透き通った爪を武器に襲いかかったクリスタルベビーは熱が極端に苦手だったらしくエマさんの槍から弾けた摩擦に掠っただけでも膝を突き、槍の先端で斬られた左腕を押さえている。
そこにエマさんが生か死に繋がる最後の選択を象った刃先を眼前に向けた。
「どうする? まだやる?」
軽く弄べる命と思い込んでいたクリスタルベビーはエマさんの攻撃を受けてから一変、いつでも自分の命が消し飛ばされる劣勢の立場と認識し慌てて逃走した。
極寒という過酷な環境の一つに包まれたプカク峰ではフレンス草原よりはエッセンゼーレと遭遇しない。けど生息する数少ないエッセンゼーレは何れも雪と氷の世界に適応出来た強者ばかりで比較的安全なこの峰でも油断は許されない。
エマさんが追い払ったクリスタルベビーが集団で襲い来る事も多々あったし、分厚い水色と黒の羽毛で寒さを遮断していた鳥型のエッセンゼーレ "ユキメライチョウ" は自在に落雷を放つ危ない奴だったし、純粋な子供っぽい顔を宿した雪玉が二段積み重なった、エレメント型エッセンゼーレ "恐れ眺める雪玉ブラザーズ" も警戒心が高く遠くから氷塊を投げつける危険極まりない存在もいる。
エマさんみたいにエッセンゼーレに対処出来る強者の同行が無ければ気候で凍え死ぬ前よりもエッセンゼーレの餌食になるだろう。
観光客は決して登山感覚で登らない様に。
心強すぎる護衛に護られながら純白の傾斜を登り続けて二十分ぐらいが過ぎただろうか。
視界と反響を遮る吹雪に反抗する声量でエマさんが首だけ私に向けて感心する。
「凄いよスイちゃん!! こんな速いペースでプカク峰を登りきるのは中々無いよ!! 昔、スポーツでもしてた!?」
「五歳から中学卒業までフィギュアスケートを!! 登りきる。という事はもうすぐ山頂なんですか!?」
エマさんがあれが目的地だよ。と先が見えないトンネルの出口を指差す。
山中より落ち着いた吹雪の切れ間から見えたのは、工事現場にあるA型バリケードで侵入を阻害された滑走路と逆に山小屋代わりに使っていいと言わんばかりのノーセキュリティで歓迎する管制塔。
薄氷を身に着けた滑走路には本来、在るべき飛行機が停泊されておらず未だ吹き荒ぶ雪も相まって虚無が感じられた。
「ここがUNdead研修の目的地。プカク峰山頂の名物、"熱意が冷めた幻想空港" 。パイロットとして飛行機と共に空を駆けた老練の男が盲目にかかり仕事だけで無く生きる気力をも失った心情から生まれた自然領域の一つとされてるよ」
この自然領域の成り立ちを聞いた時、自然と昔の経験に当て嵌めていた。だからこそぽつりと呟いてしまった。
「なんだか・・・・・・ 昔の私みたいですね」
物思いに耽る私を心配したエマさんが鋭く察知する。
「ひょっとして、フィギュアと関係してたりする?」
オリンピック選手では無く一介の学生である私の練習場所はスポーツ公園の一角にあるスケートリンク。
どれだけ少ない時間帯に調整しても当然、娯楽目的で滑るお客さんが少なからずいる。
大会でトップスリーに入賞した翌日の練習、大会で行った振り付けを思い返して滑っていると私の演技に見惚れてくれた小さな女の子が滑りを制御出来なくなり壁に激突しそうになってしまった。
思わず飛び出し代わりにぶつかった私は背骨を損傷し、すぐに病院に運ばれた。
それからは手術してベッドの上で安静。キツいリハビリの後はまたベッドで安静する毎日。オマケに医者から宣告されたフィギュアの禁止。正直、虚無の日々。それよりきつかったのは親と一緒にお見舞いに来てくれたあの女の子の泣きじゃくる姿だった。
あれは私の意思で行った自業自得みたいな物だから君を恨んでもいない、君が無事で良かったって言っても責任を感じて何度も謝っていた。
フィギュアは私の全てだった。だからもう出来ないって言われた時、人生の灯火が消えた感覚を覚えた。
きっと老練の男も同じ心境だったのだろう。
彼はきっと飛行機や空が馬鹿みたいに大好きで誇りを持ってパイロットという仕事に取り組んでいた。
だけど、盲目が全てを奪った。
それ故に心が凍りつく程に絶望し二度と機能しない空港が生まれた。
その気持ちは痛いほど理解出来る。
一歩間違えればこんな光景を生み出したのは私だったかもしれない。
けど、私は彼みたいに熱意を消した覚えは無い。怪我をすると分かってもあの子を助けただろうし、フィギュアなら選手じゃなくても観客目線で楽しめば良い。
それに夏休みを利用して女友達と旅行する新しい楽しみだって見つけてその為にトレーニングも続けてバイトでお金も貯めていた。
人生に救いの手は都合良く差し伸べられない。だからこそ自分が生きる理由は自分で作る。今までも、これからも。
「うん。やっぱりスイちゃんは強いね。前を向き続けられる人間は滅多にいないよ」
「そ・・・・・・ そうですかね?」
当たり前に考えていた思想に混じっりけの無い賞賛を受け、少し照れくさくなっていると突然、発生した大地震で体勢が崩れ私は雪の中に埋もれる。やがて雪山を震撼させる巨大な足音が接近し私達を覆い尽くす。
動く雪山と言うべき規模を持つ紺青の生き物は太く長い鼻をハンマーみたいに振り回し眼前の岩を粉砕し、口から誇示する氷の牙は剣をも凌駕する斬れ味を持つ。凍てつく覇気で眼前の私達を見下ろす形相はまさに強者であり熟練の戦士であっても決して気楽に喧嘩を売ってはいけない存在だと思い知らされる。だけどエマさんはこいつと会えたのが嬉しいのか逃げる素振りを見せず目を煌々と輝かせる。
「おおっ、珍しい。ここらじゃ滅多にお目にかかれない "ニパスを掌握する氷神" だよ!! 本当はすぐに逃げるべき相手なんだけどこいつの牙は超優秀な剣になるんだ!!」
自分より何倍も威圧のある巨体に臆せず、槍を構えて進むエマさん。危険過ぎると私が呼び止めてもエマさんは心配要らないとにっこり微笑む。
「待ってて、スイちゃん。なに戦いはしないよ。ちょっと牙を拝借するだけだから」
エマさんは刃先を雪まみれの地面に突くと作品制作でもする様に雪を溶かしながら思いきり擦る。するとパレットから赤い絵の具を絵筆で掬い取る様に槍には雑魚戦で使った物とは比べ物にならない熱が灯る。
敵から見れば点火したマッチ棒を掲げて接近するエマさんを見て、戦いを挑まれたと察知したニパスを掌握する氷神は手早く終わらせようとまずは雪山全域の格下のエッセンゼーレが怯え逃げ、吹雪を操り雪崩を起こし更なる恐怖を与える普通の象からかけ離れたおぞましい咆哮を大気に伝播させる。
それでも向かってくる敵には空気中の水分を凍らせて作った刃を鼻で吹き飛ばす。刺されば皮膚の貫通、体内から侵食する低温で命の保証は無い。
が、エマさんは常人を超えた反射神経で避けるどころか足場に変えてニパスを掌握する氷神に空中から近付いていく。やがて熱を宿した槍が捉えた先はニパスを掌握する氷神の急所、では無く奴の口にある氷の牙。
刃で飛び移りながらも風で消えない様に、威力と摩擦熱が絶えない様にずっと氷の浮き島で擦り続けて来た槍は猛吹雪の中でも燃え滾る紅蓮へと成長する。
太陽とも見間違う明るい槍から放たれる技は稀代の画家が一作品毎に込める伝えたい信念、閲覧者の心を震わす感動を載せて形造る筆の走り。
水平に緋色の軌跡を描きながらエマさんは静かに技の名を呟く。
「焦げるほどの情熱を。|魂の
高温の槍はニパスを掌握する氷神の牙をレーザーを通した様にすぱっと切断し、欠け落ちた半分(二メートル越え)を墜落する前に片手で掴んだエマさんは雪山に来る前と同じ感じで急いで私の腕を掴む。
「さ、帰るから目を閉じて。あたしもこいつと本格的に殴り合うのは御免だし」
牙を折られてご立腹な象の怒りが炸裂寸前しそうな所で私の視界はまたぐにゃぐにゃ歪んでいく。
激動の非日常を終え、エマさんと別れた私がゴーストに案内されたのはUNdead社内六階。
五~六階は全てが社員寮になっておりエレベーターを利用した先で待つ内装はまんま高級ホテルって感じで働くゴースト達も一頭身に合わせた高貴な給仕服を着ていてすれ違うだけでちょっと緊張した。
若い男性っぽいゴーストは赤い絨毯の上を浮遊して左端にある "012" のナンバープレートが付いた金縁の木製ドア前に到着すると案内を止めて、鍵穴と思われる平たい鉄板を操作している。
「こちらが北里様専用のお部屋になります。施錠、解錠の際は手での認証になりますので北里様の右手をかざしてください」
了承したは良いもののどうかざせば良いんだろ? ぴったりくっつければ良いのかな?
戸惑いながらもそっと鍵穴の上に置くと手の形が認識されたらしく緑の光が複雑に動く。ゴーストも協力のお礼をしてくれてるしどうやら合ってたっぽい。
流石、UNdead。外装だけで無く防犯システムも先を行っていた。
ゴーストによって開かれた客室はとても広く、入ってすぐのソファ(人をダメにするクッション付き)で寛げるリビングに寝室にはダブルベッド、広い浴室にキッチンまで。
オマケに眼下に広がるテツカシティを見渡せる眺めを占拠出来る贅沢。
社員ってだけでこんな部屋に住んで良いのかな。
「本日からこの部屋が北里様の第二の家となります。次の任務までどうぞ、ごゆっくりお過ごしください」
ゴーストが静かに部屋から出ていき誰もいない事を確認してから限界だった私は荷物を適当に置き、高級ホテル以上の格別なベッドに思いっきり飛び込んだ。
「あー つっかれたぁぁぁ〜!!」
やばい、このふかふか具合抜群のマットが疲労困憊の肉体をゆったり受け止めてくれて思わず寝そうになる。
けどもうすぐご飯が来るしまだシャワーも浴びてないからまだ意識を預けられない。
今日一日を振り返ろうと私はふと近くの棚に掛けた武器に目を向ける。
エマさんが採ってくれたニパスを掌握する氷神の冷たい牙と別の鉱脈で採掘された低温の水晶を材料にした刀身が透き通った細身の片手剣はエッセンゼーレとの戦いに使う仕事道具であり私専用の武器でもある。
まさか武器を作る場所が熱と火の粉が舞う鍛冶屋では無く無機質な研究所とは思わなかったけど。
思えばこれ一本を手に入れるまでに有り得ないの連続だった。
交通事故の後で変な世界に飛ばされて桐葉さんとヘルちゃんに助けられて自分達の会社に迎え入れて貰い、社員のエマさんと街巡りした後、雪山で修行し更にはやばい象とも鉢合わせた。
こんな二次元創作みたいな体験は現世では体験できないだろうな。
「冒険活劇ってこんな感じなのかな・・・・・・」
おっといけない。明日も朝早くから研修があったんだった。早くご飯とシャワーを済ませて明日に備えなくちゃ。
プロローグ2 研修期間(2) (終)
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