のぞみ
零
第1話
誰かを愛することに理由がいらないように、誰かを憎む事にも理由は要らないと思う。
どこが好きなのと問われてそれが分からなくても恋が成立するように、どうしてそんなに嫌うのと聞かれて答えられなくても、相手を嫌う事は可能だ。
人はとかく理由をつけたがるけれど、そもそも感情を理論立てて考えようとする方が、無意味だ。
感情は、理性の外側で起きているのだから。
ミオとミネは双子の姉弟だった。ミオは姉、ミネは弟だった。二人は母親の子宮の中から一緒だった。
それならばと、双子の定説に基づいて誰もが彼らが仲が良いと信じて疑わない。初対面の人間であれば、まず、そういう先入観を持って二人を見る。そうして、親戚という親戚がそろって、お祝いだのお土産だのを用意するときはお揃いで用意する。
だが、
親もまた同類で、他の大人と同じようにどうしてもお揃いのデザイン、男女の違いはあるが、を、用意する。それを着せられ、不機嫌さをむき出しにしてミオは言ったものだ。
「こんなのいらない」
と。
それもはっきりと、ミネとお揃いなら着ない、と言う。
ミオは何度も駄々をこね、服も物も投げてしまう。着てしまってからお揃いだと分かると、出先だろうが何だろうがすぐに脱いでしまう。両親は訳も分からず困り果て、何とか仲良くさせようとあえてお揃いを買ってくる。根競べと化した親との攻防は、二人の幼児期が終わると同時に親の諦めで終わった。
ミネの方はと言えば、特に姉に対して嫌いという感情は持っていない。そして、いかに姉に嫌われても持たない様子であった。姉と両親と攻防を見ていた影響か、あるいは天性のものか、いつもおっとりと与えられたものをそのまま受け入れ、にこにこと機嫌良く着たり、使ったりしていた。
そうなると、当然、周りの評価は、わがままな姉と、素直な弟、という評価になる。それがまたミオの心を捻じ曲げ、何としてもミネを嫌いぬいていくのであった。
長じては、心のどこかで自分の感情の所為だと気づいてもいくのだが、だからと言ってそれがどうなるわけでもない。ミオに出来る事は、ただひたすらミネから逃げ続ける事だけだった。
「ねえちゃん」
「ついてこないで」
幼い頃からこのやりとりを、もう何度繰り返したか分からない。無邪気なミネは、姉に邪険にされてもされても、何度でも姉に呼び掛けた。
ミオはミネに対して手こそあげなかったが、話しかけられても無視していたり、ついていこうとすると走りだしたりした。しかし、どういう扱いを受けても、ミネは決して泣かなかった。寂しそうに笑っていた。ミオの余りの態度に、さぞかしミネは傷ついているだろうと、慰める母親に、逆に
「しょうがないんだよ。ボクが悪いんだ」
と、大人びて言う事すらあった。
両親から見れば、意味も無くミネを嫌うミオを父親が叱ろうとすれば、ミネが止める。そんな場面もあった。傍目には姉想いのミネを、殊更に両親は可愛がった。
そういう時すら、姉を気遣うミネ。何かを買ってもらえば、姉にも、という。優しい言葉をかけてもらえば、姉にも優しくしてという。
その姿は、ただただ健気に見えた。逆にミオには、大人に媚びる嫌な奴と映った。どちらも、同じミネが見えているにも関わらず。
「ねぇちゃん」
「ついてこないで」
幼い頃から幾度も繰り返されたそのやりとりを、大学生になった今も、二人は続けている。
二人は、当然、小学校中学校と同じ学校に通った。学年は同じだが、クラスが離れていた。それは学校の方針でもあっただろうが、ミオには少しばかり安心な時だった。それでも、出来の良い弟の噂は聞こえて来て、浮かれた女子がミオにミネのことを聞いてくる。それがどうしても嫌で、クラスの女子と喧嘩になったこともあった。そのために、ミオの株が下がったこともある。
そうして、そういう鬱憤は、余さずミネに向けられた。
そんな義務教育時代を経て、ミオはあからさまにミネを避けるために女子高に進学した。対してミネは、同じ中学校からの進学先としてはレベルの高い全寮制の大学付属男子校へと進んだ。
最初にそれを知ったミオは、少々複雑な気持ちだった。ミネの学力の高さを見せつけられた思いだった。だが、同時に喜びも大きかった。
学校には誰も自分とミネを比べる者はいない。家に帰ってもミネはいない。
不愉快な人間が家にいない。学校にもいない。快適な暮らしが始まった。
ミネの行った高校の方がはるかにランクが上だったことも、普段の生活では忘れて居られた。
だが、その代わりに、夏休みや冬休みにミネが帰ってくると、状況は前にもまして悪化した。少なくとも、ミオにとっては。
離れて暮らす息子を労わる両親の愛情は、一緒に暮らしていた頃よりも大きく、ミネが時折帰省してくると、目に見えて甘やかした。当然、普段から一緒に暮らすミオに対する態度とも大きく違うように見えた。
その時だけは、ミオも以前のようにとげとげしい態度になった。
そうして、恵まれた高校生活を終え、二人は大学進学を迎えた。ミオは努力を重ねた結果、県内トップの大学に進学した。
だが、彼女は知らなかったのだ。同じ大学の、同じ学部に、ミネが易々と合格している事を。
彼女がそのことを知ったのは、入学式の日だった。
それまで、ミネが口止めしていたのだった。そもそも、ミネと話をしようとしないミオである。ミネがどこに進学しようが関係なかった。聞こうともしなかった。どこかで、ミネは県外の、もっと優秀な大学に進むのだろうと勝手に考えていたのだ。
それが、入学式の日、同じ大学に、スーツを着て、胸に花を着けて居るミネの姿を見て、ミオは全てを理解した。だが、そこで騒いでしまっては、昔の二の舞になると、ぐっと堪えたのだった。
ミネとは同じ学部内で、受講している講義も同じ。そうなればどうしても顔を合わせる事になる。
「姉さん」
ミネは同じように無邪気にミオに声をかけてくる。男女の双子で二卵性とはいえ、やはり顔立ちは似ている。苗字も同じ。名前も似通っている。そうなってくると、他人だという方が不自然だった。周りも何となく気づいてくる。
「呼んでるよ?ミオ」
ミオの隣で、女友達のシホが怪訝な顔をしている。シホは大学に入ってからの友達だ。ミオとミネの確執は知らない。ミオは少し待って、ミネが講堂を出ていくのを見てから口を開いた。
「ご、ごめん。ぼーっとしてた」
「あの子、ミネ君だよね。同じ学部の。ミオと名前似てるし、顔も似てるから、姉弟かなって思ったんだけど」
ミオは少し迷った。
しかし、ここで否定すると後からバレた時に面倒だと思った。
「うん。双子なんだ」
「そうなの?」
シホはびっくりして言う。
「私、双子って初めて見た!本当に似てるんだねぇ」
似てないよ、と、心の中で悪態をついた。
似てるなんて、思いたくない。ミオは、ひどく醜い表情をしているだろうと、自分の顔を、そっとシホから遠ざけた。
「と、いうわけで、縄文期における日本では、各地の交流が盛んだったと言われている」
ミオはその日、古代史の講義を受けていた。それは、国文科のミオにとっては特に必要な講義ではなかった。講師が格好いい、ということで、シホが受講するのに付き合わされただけだった。シホも国文科なので、必要ないのだが、どうやら講師が目当てらしい。講座自体は他の学科にも開放されているので、問題はない。
やたらと女子の受講生が多いのはそのせいか、と、ミオは納得した。
当の講師は、と言えば、確かに格好良かった。シホの情報によれば、どうやらハーフらしい。そう言われれば、確かに日本人離れした顔立ちだった。髪の色は一見、黒に見えるが、どうやらダークブラウンのようで、日に透けると金色に見える時もあった。
シホはお目当ての講師の講義とあって、目を輝かせている。一見、熱心に講義を受けているように見えるが、果たして内容を理解しているかどうかは微妙だ。
そんなシホの隣で、ミオは盛大にため息を吐いた。どうせ、講師に夢中のシホには聞こえないと思って、遠慮なく。彼女にここまでの憂鬱をもたらすのは、いつでも同じだった。
そう。例によって、ミネがいるのだ。それも、隣の席に。
今日は運が悪かったとしか言いようがない。たまたま、シホと一緒に講堂に入る時にミネに声をかけられ、先日シホに双子だと言ってしまったばかりに避ける事もできず、こうして並んで受講する羽目になってしまった。確かにそれは、自然な流れと言えばそうなのだけれど。
当のミネはと言えば、意外にもきちんとノートを取って、まじめに受講している。ミネも国文科のはずだが、果たしてこの講義はどうして受けたのだろう。
そんなことを思いながら見るともなく、ミネのノートに目が行った。
(相変わらず、ノート綺麗だな)
大学ともなれば、教授はあまり親切に板書しない。件の講師はそれでも綺麗に板書している方だ。だが、ミネはそれに、講師の言葉も選別してかきこんでいる。このノートを見れば、講義を受けて居なくても、内容を理解できるだろう。
ミオの心に、久しく忘れていた対抗心が燃え上がった。すでに聞き逃してしまった分はどうしようもないが、そこからはしっかりノートを取ってやろうと、必死になって真っ白だったノートを埋め始めた。
それに気づいたミネが小さく微笑んだ。
ミオはそれに気づいていなかった。
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