第68話 米谷幸介 ー 5
幸介は言った。
「神東学園大学……小田原キャンパス。今は閉鎖されていますが、昔からしょっちゅう二人で忍び込んで、天体観測をしました」
「シロ!」
叫んだのは清水さんで、車を出したのはシロだった。急発進の衝撃で座席に体を打ち付けられながら、しかし幸介は丸い目をして清水さんを見ていた。
彼が、シロの名を呼んだのである。
「ニックネーム。君が名付けたんだってね」
感慨深く、彼は言った。
「いい名前だよ。単純だけど、柔らかくて、優しくて、美しい」
直後、清水さんは幸介の腕を取った。手を引き寄せ、ゆっくりと指を開かせた手のひらの上に、先ほどまで額に突き付けていた拳銃を乗せた。
「来るなと言って放り出したところで、君は来るだろうからね。保険だよ。引き金を引けば、弾が出る。相手が魔獣でも、足止めぐらいにはなる」
「……はーちゃんを、相手にするってことですか」
「馬鹿言うな。殺すために使うんじゃない。君が、君自身を守るために使うんだ」
そう言った清水さんは、車窓に体を預けた。外なんて見えるはずもない、マジックミラーの車窓だ。故に、その表情は容易に読み取ることができた。眉根を寄せて、視線はマジックミラーに映る幸介の姿を捉えて。
言葉を選んでいるようだと思った。魔術師が相手ならば容易に説明が可能なその話題を、しかし魔術初心者の幸介に合わせて、極力わかりすい言い回しで。
やがて、清水さんは語り出した。
「君の魔力の話。例えるなら、そう……カフェインの多いコーヒーみたいなものなんだよ」
「コーヒー……ですか」
「コーヒーそのものを魔力。カフェインはその質だと思ってくれればいい。正直、君の魔力量そのものは普通だよ。だけど質が良すぎる。ほんの少量で、大量の魔力の代わりを担えてしまうほど。魔術を使用する際、魔力は多すぎてもいけないんだ。制御ができず、暴走に至る」
ハッとした。理解の及ばなかった事象に、ようやく思考が追いついた。脳裏を過ったのは、十年前の事件のことだった。
女性は風船のように膨らみ、そして破裂した。あのとき、彼女の体内に大量の魔力が流れ込んでいたとしたら。それを制御できず、死に至ったのだとしたら。
加えて、思い当たる事象はもう一つあった。森で会ったシロは、幸介とキスをした後に魔力を暴走させて森を吹っ飛ばした。戸倉さんはシロがキスに驚いたのだと言ったが、仮に事実が異なっていたとしたら。
心臓を含め、肉体を食すことで魔力が補充できるのならば、粘膜的な接触もまた、魔力の補充方法として考えられて然るべきではなかろうか。
昨晩、はーちゃんにキスをされた。
自分じゃダメなんだと、彼女は言った。
「一つ……訊いてもいいですか」
清水さんは車窓を見つめたままでいた。どうぞ、と促され、幸介は言葉を継いだ。
「使役者以外が魔獣に魔力を補給する場合、そこに個体同士の相性は存在しますか」
「……するね」
言葉が出なかった。感情に任せて、シートに左拳を叩きつけた。胸の内からやるせなさが溢れて、泣き出したい気分だった。
はーちゃんは、生きようとしていたのだ。
最後の希望を、幸介に託したのだ。
しかし、相性などという概念の壁が、それを無残にも打ち砕いた。
突き付けられたどうしようもない現実には、慈悲の欠片すら存在していなかった。
ひどい話だよ。誰にでもなく呟いたのは、清水さんだった。
【次回:魔術師の戦い - 1】
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