第15話 内閣府特殊情報局 ー 1


 場所を変えるとは言われたものの、当の幸介はベッドから起き上がるだけでもう一大事だった。


 なにしろ半身を起こしただけで違和感を覚えるほど、体が硬くなっていたのだ。


 痛い痛い。立ち上がるだけでそう喚き散らした幸介は、結局戸倉さんの肩を借りる格好で部屋を出ることになった。


 部屋を出たところは、長い廊下になっていた。部屋の様子から刑務所のような場所を想像していた幸介であったが、清掃の行き届いたシンプルな空間は、刑務所というよりむしろ大学や研究施設のフロアを思わせるそれであった。


 しかし相変わらず施設内に窓はなく、ここが地上なのか地下なのかすらわからない。


 戸倉さんは自らの所属を内閣府だと言っていた。内閣府は東京にあるわけだから、つまりここも東京都なのだろうか。


 試しに質問してみたところ、教えられるかバーカ、と辛辣な言葉が返ってきた。先ほどの部屋での会話の際も所々に雰囲気が滲んでいたが、もしかしてこの人相当口が悪いのではないだろうか。


 いくつかのドアをくぐった。階段を下りたかと思えば、別の階段をまた上った。


 移動距離からして大きな施設であることは理解できたが、その割にまったく他の人間の姿が見当たらない。


 ドアと、階段と、またドアと。そうやって迷路のような施設の中を歩き回った後、一見するだけなら通用口のような簡素なドアの前で立ち止まり、戸倉さんは言った。


「いい? よく聞いて」


 感情を殺した声で、静かに告げた。


「ここから先で見るものは、基本的に全て他言無用だと思いな。万が一情報が漏れたりしたら、そのときは真っ先にあんたを疑うからね」


 幸介の承諾を、戸倉さんは待たなかった。まるで既定事項であるかのように、言葉だけを乱暴に放り投げてドアを開けた。


 そしてそこにあったのは、これまで歩いてきたところと同じようなただの廊下であった。映画やアニメの演出とは異なり、視界が一瞬白く染まることもなく、黄金のような眩しさが飛び込んでくることもない。


 しかしだからこそ、眼前の廊下を行き交う『それ』の姿は、幸介の思考を異質以上の異質さをもって混乱させた。


 


 引っ越し業者のロゴの入った段ボール箱を抱えて。


 思わず訊ねた。


「あれ、ツキノワグマですか」


 戸倉さんはアッサリと答えた。


「いや、ヒグマ。体が大きいでしょ」


 思考が追いつかないとは、まさにこのことであった。当たり前のことだが、熊は引っ越し業者の一員ではない。アリのマークの業者でさえ、作業は人間が行っている。


 だが問題はそこではなかった。多数の人間が行き交う空間の中で、不自然なほど自然に存在している熊そのものがおかしいのだ。三メートルはあろうかという巨体を二本の脚で器用に支えながら、熊は幸介たちの眼前に迫っていた。


 すれ違いざまに声をかけたのは戸倉さんだった。


「ヘイ、トミー。調子はどうだい?」


 熊は戸倉さんを一瞥すると、ボウボウと喉を鳴らしながら去っていった。戸倉さんは笑っていた。よし、上々上々。頷きながらそう口にしていた。


 今のやり取りのどの辺に意思の疎通があったのか、幸介にはまるで理解が及ばなかった。それからトミーというのは、もしかしてあの熊の名前なのだろうか。


 開いた口が塞がらずに幸介が立ち尽くしていると、いつしか歩き始めていた戸倉さんが急かすように言った。


「ほら、行くよ」


【次回:内閣府特殊情報局 - 2】

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