第12話 拘束 ー 2
「改めまして。内閣府特殊情報局、特殊犯罪対策課六係の
ベッド下から取り出した折り畳み椅子に腰かけ、言葉に盛大な溜息を交えて女性は言った。
着替える間もなく洗面台で濡らしたタオルで拭いたスーツと、肩ほどの長さの髪を後ろで縛ったポニーテールの頭からは、仄かに甘い白米と香ばしい卵の臭いが漂っている。
幸介はお粥を食べ切っていた。とはいっても、彼女が最初に持ってきてくれたものではない。彼女が熱い熱いと喚きながら頭を拭き、スーツを拭いてから、再度用意してくれたものである。
苛立ちを表情に滲ませていた彼女は、幸介が粥を食べ終えるや強引にその器を取り上げ、前述の自己紹介を切り出したのだ。
戸倉千明。そう彼女は名乗った。
それは森の中で、少女から聞いていた仲間の名前とも合致する。
「内閣府特殊……なんでしたっけ」
とぼけたように訊き返したら、戸倉さんと名乗る女性はわざとらしく眉をひそめた。
「特殊情報局、特殊犯罪対策課六係。覚えなくていいよこんなこと。どうせ儀礼的なものだし、一発で理解できる方がむしろ怪しさが増すから」
「怪しさ?」
「そ。怪しさ」
戸倉さんは言った。端的に、ハッキリと。そしてスーツの内ポケットに手を突っ込んだかと思えば、取り出した一枚の写真を幸介の眼前に突き付けた。
「単刀直入に訊かせてもらいます。これをやったのはあなた?」
それは、ある場所の航空写真だった。
土地を覆っていたはずの木々はどこかへと消え去り、代わりにお椀状に切り取られた土壌が濃い土気色を露出させている。かろうじて被害を免れた周囲の木々が、それでも放射状に傾いているあたり、土壌の中心でなにかが起こったということだけは明白だった。
一見するだけでもあらゆる異常性に満ち溢れた写真。しかしそれが幸介の心を揺り動かしたのは、状況の異常性ではなく、写真が捉えていた場所そのものの問題であった。
周囲の民家、道路、遊歩道の地形は、部室ではーちゃんからこれでもかというほど叩き込まれた地図情報に合致する。
写真の場所は、幸介が足を運んだ森の一角であった。
困惑の表情を浮かべて、戸倉さんを見た。彼女もこちらを見ていた。どう? と尋ねられたので、首を横に振った。わかりません。呟くように口にすると、戸倉さんはわかっていたというふうに溜息を吐いた。
「でしょうね」
まるで予め回答を予想していたかのような態度で、写真をベッド脇に放り投げる。
「じゃあ次の質問。どうして森にいたの?」
「それは……部活動で……」
「なるほど部活動ねえ。では次」
言葉に間を置いて、戸倉さんは言った。
「森でなにを見た?」
「―――っ」
途端、心臓がドクンと跳ね上がった。捕えられてしまった以上、訊かれることがあるとするならばそれだと思ってはいたが、いざ言葉にされてみると、それは想像以上にリアルな光景として脳内にフラッシュバックした。
死体。
狼。
少女。
ショッキングな光景をいくつも目の当たりにした。だからこそ、咄嗟にそれをどう表現したらいいのかわからなくなってしまったのだ。
そうして困惑に満ちていた幸介の表情は、いつしか動揺の色一色に染まっていた。
戸倉さんが身を乗り出す。翡翠のように艶のある瞳は幸介を捉えたまま、囁くように言葉を繰り返した。
「答えなさい。なにを見た?」
唾を飲み込む。血の味がする。緊張に震えていた歯が、下唇を噛んでいたのだ。鉄の混じったような苦味を舌の根に感じながら、こわばる声で幸介は答えた。
「……人が……死んでました……」
「それで?」
「狼みたいなやつが……それを食べてて……気付かれて……襲われて……」
「襲われて、あなたはどうした?」
「逃げました。……でも、結局追いつかれて……。そうしたら、女の子が現れて……」
「女の子」
「……はい」
「それだけ?」
「……」
幸介は言葉に詰まってしまった。しかし、その先の出来事を答えられないというわけではない。ただ、答えていいものなのか迷ってしまったのだ。
偶然とはいえ、少女と唇を合わせてしまったこと。死神のようなその姿を目にしたこと。
言い淀んだのはたったそれだけのことなのに、それだけのことがとても重大ななにかのように思えてならなかったのだ。
【次回:拘束 - 3】
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