第11話 拘束 ー 1


 目覚めたとき、視界は再び白に染まっていた。


 頭が重く、思考は霧がかかったようにぼやけていた。ピ、ピ、と規則的な機械音が耳をつき、鼻腔は消毒液のツンとした匂いに満ちている。


 最初に理解できたのは、自分はどうやら死んでいないのだということだった。視界を染めていた白は天井で、視線を動かせば、機械音の元らしき医療機器が横たわった自分の側に鎮座している。しかし死んだ人間にこんなものは必要ない。機械をわざわざ置いておくということは、そこにいる人間が生きているということの証拠でもあるのだ。


 医療機器がある場所は限定される。病院か、それともどこかの診療所か。


 どちらにしろ、自分は保護されたらしいということだけは理解できた。


 重い頭を振って、幸介は半身を起こした。しかしビックリするほど体が硬い。骨という骨を鉄パイプにでも入れ替えたかのような硬さだ。服はいつの間にか病院着のようなものに着替えさせられていたが、これもサイズが大きすぎるのかどうにも動きにくい。


 なんとか体を起こしたところで、側頭部に鈍い痛みが走る。森でどこかに打ち付けたのだろうか。だが条件反射のように頭に手をやったところで、幸介はその違和感に気付くことになった。腕の動きに合わせて、ジャラ、と金属の擦れる音がした。


「え―――?」


 思わず間抜けな声が出た。見やると、手首にはめられた枷から金属製のチェーンが伸びている。枷は両手と、それから布団を捲れば両足にもはめられていた。チェーンはベッドの下に伸びている。ベッドの足か、それとも部屋のどこかに固定してあるらしい。


 なんだこれ。


 ぼやけていた思考が唐突に覚める。視線を回して感じたのは、自身が置かれた部屋のあまりの異質さであった。


 まず採光用の大きな窓がない。カーテンがかかっているわけでもなく、パーテーションで仕切られているわけでもなく、六畳ほどの空間が真っ白な壁に囲まれているのだ。


 唯一の出入り口らしきドアには申し訳程度の小窓が備え付けられているものの、鉄格子とマジックミラーに遮られ、こちら側からは外の様子を伺えないようになっている。


 部屋の中には医療機器とベッド以外、まったくと言っていいほど物が置かれていなかった。申し訳程度の洗面台と、それから剥き出しの洋式便器が、真っ白な部屋の隅でいっそう不気味さを醸し出して鎮座している。


 これは、あれだ。


 ドラマで見た牢屋のような場所だと思った。しかし牢屋の方がまだ幾分か扱いが良いような気もする。少なくとも、ドラマの中で牢屋に入っていた囚人たちは、ベッドに四肢を繋がれているようなことはなかった。小さなテーブルが用意されていて、そこで本を読んだり絵を描いたりしている人もいた。


 自由という言葉がその場所に適しているかと問われれば違うと思うが、少なくとも彼らのいる場所には、人間として生きるための最低限度の権利が存在していたように思う。


 しかしここはどうだ。


 四肢は鎖で繋がれ、陽の光を浴びることすら許されない。


 白一色に染まった空間は、それを目にしているだけで眼球が眩暈を覚え、脳が思考を破壊されていく。鉄格子とマジックミラーは、外界から部屋の中の人物を完全に隔離するための手段であり、そのような視点で考えれば、幸介自身の状況は拘束というより監禁に近いようにすら思える。


 わからないことはいくつもあった。


 どうして自分がここにいるのか。誰が自分をここに連れてきたのか。ここはそもそもどこなのか。


 対照的に、わかっていることもあった。


 誰かが自分を捕まえた。医療機器を使用しながらも四肢をベッドに繋いだのは、生かしておく理由と同時に、動かれると万が一にも面倒な理由があるからだ。そしてその理由は、おそらくだけど、森で出会った狼たちと白い髪の少女に関係している。


 考えてみてから、簡単な話だと思った。


 事情がわからないのなら、知っていそうな人間に訊いてみればいい。


 とりあえず大きな声を出してみようと思った。部屋の四方は壁に囲まれているものの、ドアがついている以上、声が外に漏れてくれる可能性はある。それに、マジックミラーをわざわざ用意しているほどだ。部屋の中の様子を確認するため、常に一人か二人、監視の目がついていても不思議はない。


 寝起きの苦い唾液を飲み込み、喉を鳴らした。よほど長く眠っていたのか、喉の奥に痰が引っ掛かるような感覚はあったものの、数度小さな声で慣らしているうちにそれは解消されていった。


 咳払いをする。あ、あー、と声を出す。万全とはいかないものの、一度叫ぶ程度であれば問題なさそうに思えた。


 大きく息を吸い込み、腹に目一杯の力を込めて言葉と音を吐き出す。


 部屋のドアが開いたのはそのときだった。


 小綺麗なスーツに身を包んだ若い女性が、お盆とそれに乗せた器を携えて部屋に入ってきたのだ。


 あ、と思った。


 しかし唇の先まで出かかった声を、今更止めることなどできるわけもなかった。


「ようやく目覚めたようね。インスタントで悪いけど、とりあえずお粥でも食べて―――」


「誰かいませんかあああああああああああああああ‼」


 驚いた女性が、ヒッと腰を抜かす。その拍子に放り出されたお盆が宙を舞う。器が宙を舞う。器の中身が宙を舞う。


 アツアツホカホカのお粥が、狙いすましたように女性の頭上に降り注ぐ。


「ギャアアアアアアアアアアアーッ⁉」


 直後、女性の言葉にならない悲鳴が六畳の部屋の中に響き渡った。


【次回:拘束 - 2】

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