第3話
娘の話を要約するとここは『異界』らしい。
生と死の狭間。死に瀕した生き物たちの堕ちてくる世界。
この地では陽の光に長時間当たると猛烈な渇きに見舞われる。
欲に負けこの世界の物を喰らえば、この地に喰われ人でなくなる。
「元の世界から私やあなたのようにたまに落ちてくるものがあります。そう言ったものでここの住人は食い繋いでいるのです。くれぐれも気を付けてください」
村の者は遠巻きに私のことを見ている。
年寄りと小さな子ばかりでその表情はとても険しい。
なるほど、ただでさえ食料の少ないここで私が歓迎はされまい。
「あの獣もかつて落ちてきた者の成れの果て。食べた者は腹の中から喰われ、人を襲う化け物になるのです」
その話を聞いてぞっとする。
元々化け物の自覚はあるが、醜い姿で人を襲うようにはなりたくはない。
「そう、助けてくれてありがとう。何か私にできることはない?」
信じられないような話だったが、信じるほかない。
目覚めてから一日が経とうというのに夜が来ない。
ずっと黄昏の時が流れている。
助けられた恩を返すため、私は娘の願いを聞くことにした。
「でしたら…… いえ、ないです」
口を開いた娘は何かを言いかけて黙った。言いかけたことの想像は付く。
「思いつかないならこんなのはどう? 私、実は武術の心得があるの。あの程度の化け物なら逃げるのはわけない。食料探しのお手伝いをさせてくれない?」
「危険ですよ? 私も何度も喰われかけています」
私は化け物。理性のない化け物など敵ではない。
それに悪い話ではない。
私に普通の食事の必要はないが、血を長期間飲まねば正気を失う。
そうなれば再び先ほどの獣を襲いかねない。
ここの住人に飢え死にされれば私も危うい。
「でしたら、お願いします。正直、私だけではもう食料の確保が難しくなっていました」
私の言葉に喜色を浮かべた。ああ、その顔はずるい。
もう動いていない私の胸のあたりに温かいものを感じる。
着物がボロボロなのも汚れを落としていないのも化け物から逃げ回り必死に生きてきた証だろう。集落に若く働ける者はこの子だけ。
この子が食料を見つけられねば皆が飢え死ぬ。
この小さい体で多くを背負いすぎている。少女の顔は明らかに疲れきっていた。
そして、元の世界から落ちてきたもので食いつなぐ、文字通り落ち延び者の仲間入りをすることになった。
「見てくれない? 結構取れたほうでしょ?」
娘の仲間となった私は、森に一人入ると空をじっと見上げた。
遠いとわからないが黒い小さいものが時々降ってきている。
あれが例の落ち物だろう。
人以外の動物も落ちてくるらしいが、落ちてから向かってはその間に何かを食って化け物になりかねない。見えた端から落下予想地に走る。
「え、ええと…… よくこんなに集まりましたね?」
娘は戸惑った表情で私の収集物を見つめていた。
吸血姫たる私ならば木々の上を飛び回ることができる。
真っ直ぐ向かえば早い。
お陰でウサギや魚なんかを捕まえることができた。
意外といろいろ降ってきた。木の実や野菜もちゃんとある。
酒樽が落ちてきた時には驚いた。生き物ではないのに。発酵菌は生き物なの?
「ありがとうございます。数日は食事に困ることはないと思います」
娘は私に頭を下げる。集落の他の住人も喜んでいる。
「これでしばらくは鬼が出ることもないねぇ」
集落の最年長らしき老婆がそう呟いた。
「鬼? それは何?」
「人を喰らう者です。この地の化け物よりも残忍で、恐ろしい存在。この方がここに来た時に何度か出たそうで……」
私の質問に老婆に代わって娘が答える。
そんなものもいるのかと思わず顔を顰める。この世界は残酷だ。
「でも、その心配もなくなりました。何か、お礼ができたらいいのですが……」
「ここに招いてくれた恩がある。お礼なんていらない」
「私が何かしたいんです。何かできることはないですか? 私にできることなら何でもします」
その言葉に思わずごくりと喉を鳴らす。
本当に『何でも』いいのなら思うことがある。
「なんでも、ね? なら、一つ頼んでもいい?」
少女は私のただならぬ雰囲気に短く声をあげた。少し震えている、が気にしない。
言質を取ればこっちのもの。私は飛び切りの笑顔で娘に願いを告げた。
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