第7話 再会
9月某日。
部屋の外からは鈴虫の音がする。真夏のピークは去り、秋になった。
深夜になると感傷的になるのはどうしてだろう。無性に寂しくなって、誰かにそばに居てほしくなる。でも俺にはそんな人は1人も居ない。
俺は暗い部屋の中でタバコを吸っている。死んだ目で煙を吐く。
「母さん。どうやら人間は、独りでは生きられないらしい」
猛烈に寂しい。
できたら女の人に抱きしめてほしい。俺は心の安全基地を求めている? 母親のような安心感を求めている?
いや、そんなんじゃない。俺は女の“膣”にしか用が無い。全ての女を“穴”としか認識していない。
はなちゃんだって、矢野さんだって、単なる穴だ。俺は冷酷な男だ。
俺は無表情でタバコを吸いながら、呟く。
「穴だと思って接していれば、仮に好きな女を殺しても、俺の心が傷付かなくて済む」
はなちゃんを俺の手で殺害してから、俺はきっと正気ではない。はなちゃんを失った事が苦しくて、俺はこの世の全ての女を穴として認識するようになった。心の防衛機制か。
俺は何となくスマホの画面の日付を見て、呟いた。
「明日は、母さんの誕生日か……」
──俺の母親は、俺が9歳の時にデーモンに襲われて死んだ。遺体は刃物で切り刻まれて、バラバラになった。
母が死んでも、何故か泣く事はできなかった。俺は薄情な人間なのだと思った。
もう母の命日ははっきりとは覚えていない。だが誕生日には欠かさず母の墓を訪れて、花を供える。去年は白い薔薇だった。今年はどんな花にしよう。母は花が大好きだった。よく母に連れられて花畑を見に行った。
たまに母に会いたくて仕方ない夜がある。もう1度だけでいいから、母に俺を抱きしめてほしい。
だが、もう2度と会うことはできない。
別にそれでいい。
俺はもう26歳だ。独りでもしっかり生きていかなければならない年齢だ。寂しくなんかない。今までずっと独りだったんだ。だから、これから独りでも何も辛いことなんかないぜ。俺は大丈夫だ。
俺は、灰皿に押し付けてタバコの火を消した。
◆
現在深夜3時すぎ。綺麗な虫の声。
今日はやけに感傷的な夜だ。この部屋にいるのが苦しくなってきたから、俺は近所の牛丼屋に行く事にした。食欲を満たせばきっとこの寂しさも消えて、どうでもよくなる。
牛丼チェーン店は24時間営業だから、俺みたいな生活リズムが終わってる奴に優しい。
俺は上下真っ黒のスウェットのままアパートから出て、階段を下った。一応何があってもいいように銃は持っていく。
ここから徒歩5分くらいで牛丼屋に着く。
俺はポケットに手を突っ込んで、歩き始めた。
アパートから出て、すぐにコンビニや牛丼屋の明かりが見えてきた。深夜なので車や人通りは皆無だ。
「……」
──だが、さっきから俺の背後に人が着いてきているのは何故だ?
「誰だ!」
俺は即座にマカロフを取り出して、銃口を向けた。
真っ黒のスーツを着た長身細身の長髪の男が、月や街灯の光に照らされて立っている。男の顔は中年に見える。男は日本刀を持っている。光に反射して、その刀身は妖しく白く光っている。
男からは黒いオーラが出ている。──この男、デーモンだ。
俺は男の頭部に銃口を向けたまま、言った。
「誰だって聞いてんだ。答えろ」
すると男は無表情でこう語った。
「……ここで言う“予測できない”とは、決してランダムということではない。その振る舞いは決定論的法則に従うものの、積分法による解が得られないため、その未来および過去の振る舞いを知るには数値解析を用いざるを得ない。しかし、初期値鋭敏性ゆえに、ある時点における無限の精度の情報が必要である上、数値解析の過程での誤差によっても得られる値と真の値とのズレが増幅される。そのため予測は事実上不可能だ」
「は? 何言ってんだ?」
「──お前はここで俺に殺されて死ぬって事だ」
直後、男は日本刀を構えて、俺を目掛けて斬りつけてきた。攻撃は何度も来る。とても素早い斬撃だが、なんとか全て避けた。
一瞬の隙を見て、俺はすぐにマカロフの引き金を引いた。
──パァン!!!!!!!!!
その瞬間、男の頭部を弾丸が貫通し、顔面はめちゃくちゃになり周囲に血が飛び散った。そして男は倒れた。
俺は遺体を見下ろしながら言う。
「お前めっちゃ弱いな。俺は今から牛丼を食べに行くんだ。邪魔すんな」
幸い、返り血は付いていない。俺はマカロフをポケットにしまって、踵を返して歩き始めた。
歩き始めて30秒くらいが経った時だった。
「──あ」
──なにかが、俺の体を突き抜けた。
すぐ視線を下に落とすと、俺の腹に突き刺さっている日本刀が見えた。刀身が真っ赤に染まっている。
それを認識した瞬間、俺の背中から腹まで、今まで経験した事のない痛みが走った。
立っていることができなくて、俺は激痛の中でその場に倒れた。
「言っただろう。お前はここで俺に殺されるって」
「……がはっ!」
俺は口から血を大量に吐いた。
俺は何とか声のする方へ視線を上げる。すると、さっき俺が頭を撃ち抜いて殺したはずの男が無表情で立っていた。頭は元通りに復元している。
やがて、日本刀が俺の体から引き抜かれた気がした。痛すぎて、何もわからない。
「俺は命が1000個あるデーモンだ。1度殺したくらいじゃ死なない」
命が1000個……? そんなデーモン、聞いたこと無い。
だんだん、意識が朦朧としてきた。
俺はここで死ぬのか? 死にたくない。まだ死にたくない。
「明日は、俺が愛した女の誕生日だ。だが俺は組織に命令され、自らの手でその女を殺した。俺がデーモンとして生きる上で、優秀なデーモンハンターであるその女は単なる“障害”だった。そういえば、その女には幼い息子がいたな。息子は殺し損ねたが」
「……」
「俺が殺したのはな、お前の母親だ」
──その言葉を聞いて、今まで感じたことの無い憤りが俺の心を支配した。
──だが、俺の意識はそこで断絶された。
◆
なんだか、とても長い夢を見ていたような気がする……。
目覚めた俺を包んでいたのは、柔らかくて、暖かくて、懐かしい光だった。
その光の中には、笑顔の母が立っていた。
「お母さん!」
思わず俺は母の元へ走った。母は笑顔で両手を広げている。俺が近づくと、母は優しく俺を抱きしめてくれた。
その瞬間、何故か俺の目から涙が溢れてきて、鼻水や嗚咽が止まらなくなった。
俺がずっと探していたものがやっと見つかったような気がしたからだ。
「●●に会えてよかった」
と母は優しく言った。
「●●、どうして泣いてるの?」
俺は鼻水を啜って、言った。
「今までずっと寂しかったんだ。お母さんにずっと会いたかった」
すると母が俺を抱きしめる力が強くなった。
「今まで寂しい思いさせてごめんね。ごめんね」
「いいんだよ。お母さんは何も悪くない」
「お母さんもずっと●●に会いたかったよ。もうすっかり大人になったね。私の身長だってすっかり追い越しちゃって」
そう言って母は笑った。
俺は泣きながら笑った。
「お母さんに会えて良かった。ずっと会いたかった」
「お母さんも同じだよ。だけどね、●●はまだここには来ちゃいけないんだ」
「えっ、なんで?」
「ここは“死んだ人が来る世界”なの。●●は、まだギリギリ間に合うみたい。だから、今までいた世界に帰りなさい」
「やだ。帰りたくない。帰ったら俺はまた独りぼっちだ。もう独りは嫌だ。もう寂しいのは嫌だ」
「●●、よく聞いて」
「なに?」
「生きてる限り、人間には無限大の可能性がある。●●は今は独りぼっちかもしれない。でも生きてさえいれば、いつか絶対に幸せになれるよ」
「本当に?」
「うん。お母さんは幸せになれた」
「……」
「●●、幸せになってね。それがお母さんの唯一の願いだよ。いつか●●がおじいちゃんになってまたここに来た時、お母さんにたくさん土産話してね」
「うん」
やがて、母は遠くを指さして、こう言った。
「あそこに白い光が見えるでしょ? あそこに向かって走って。まだ間に合うはずだから」
ホワイトホールのような、あるいは月のような、白くて巨大な光がある。
俺は母から離れて、意を決して言った。
「じゃあ、お母さん。俺は元の世界に戻るよ。まだやらなきゃいけないことがある」
「わかった。じゃあ、またね」
「ありがとう。またね」
「幸せになるんだよ」
「うん。絶対幸せになる」
最後に俺は母と握手した。
俺は踵を返して、光に向かって走った。その間、1度も後ろは振り返らなかった。
そして俺は、白い光に飲み込まれていく──。
◆
──目をゆっくり開けると、俺の視線の先には真っ白の天井があった。知らない天井だ。ベッドの感触が伝わってくる。ここは、病院……?
「あっ! ●●さんが起きたー!!!」
矢野さんが椅子から立ち上がって、俺の顔を覗き込んでいる。
「工藤さん、工藤さん! ●●さんがやっと起きました!!!!!」
「お、本当か!?」
「はい!」
すると、工藤さんも俺の顔を覗き込んできた。
「お前が死ななくて本当によかった……」
俺は状況が掴めなかったので、工藤さんに聞いた。
「あの、俺は一体どうなっていたんですか?」
すると工藤さんは苦い顔になって言った。
「お前は、日本最強のデーモンに出くわしてしまったんだ。通称、“不死身のデーモン”と呼ばれている男だ。奴は日本で唯一、邪神と契約を結ぶことに成功した男だ。その結果、1000の命を得た。そのデーモンは神出鬼没でな。俺もまだ詳しい生態は分かっていない。お前は最強のデーモンと戦い、ギリギリの所で一命を取り留めた。血まみれで倒れてるお前を見た民間人が救急車を呼んで、お前は手術を受けて助かった。あと5分遅れていたら命は無かったそうだ」
「そうなんですか……」
「体は痛むか?」
「はい。ズキズキします」
「しばらくは入院して、安静にすることだな」
「あのデーモン、こう言ってました。お前の母親は俺が殺したって。俺のお母さんは、あいつに殺されたんです」
「そうなのか……」
「俺はいつか、あのデーモンを殺します。そして母の仇を取ります。あいつだけは許せない。絶対に復讐してやる」
俺が小さい声でそう言うと、矢野さんが元気な声で言った。
「それなら私も手伝います! ●●さんはこの前、ドラゴンスネークのライブに一緒に行ってくれたし、そのお礼も兼ねて!」
「矢野さん、ありがとう。でもあいつはマジで強かった。今より何百倍も俺たちが強くならないと絶対に倒せない」
「強くなったとしても、お前ら2人で不死身のデーモンを殺すのは難しい。奴を狩る時は俺も力を貸す」
工藤さんもそう言った。
──なんだ、俺は既に独りぼっちなんかじゃないじゃないか。
俺は少しだけ笑った。
「そういえば俺、死後の世界に行きかけました。あそこは天国だったのかな。俺は17年ぶりにお母さんに会えました。色んな話をしました。お母さんは、『まだここは●●の来るところじゃない』って言いました。最後に俺に、『幸せになるんだよ』って言ってました。だから俺は、頑張って幸せになります」
矢野さんと工藤さんは優しく笑った。
8話に続く
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