第3話 青い空

 初めてリアルの世界で出会ったその日の夜から、はなちゃんは俺のアパートに居候することになった。デーモンである彼女をデーモンハンターの脅威から匿うためだ。

 俺の住むアパートは1Kで9.5畳。2人で住むには手狭かもしれないが、はなちゃんを守るために仕方ない。少しの不便さは我慢してもらうしかない。はなちゃんもそこは同意してくれた。  

 ──現在、深夜の3時。

 居酒屋で散々酒を飲んで、カラオケに行って2人で歌いまくって、2人とも疲れ果てて、タクシーで俺のアパートまで帰宅したが、はなちゃんと俺はコンビニでまた酒を買って、2人で3次会をしていた。

 はなちゃんも俺もベロンベロンに酔っている。四角くて小さい木製のテーブルのそばに2人で隣同士に座って、酒を飲んでいる。

 俺は言う。


「はなちゃんって酔うと顔が真っ赤になって可愛いね」

「私すぐ顔に出る体質なんだよ。●●くんは顔に出ないよね。ほんとに酔ってるの?」

「酔ってるよ。そういえば、はなちゃんってあの人に顔が似てる。誰だっけ」

「え、誰誰?」

「あの可愛い人。あ、思い出した。森菜々だ」

「森菜々? 私あんなに可愛くないよ」

「俺の赤ちゃんを産んでくれ」

「やだ!!!!!!」

「ここでタバコ吸ってもいい?」

「いいよ」

「タバコタバコ、タバコはどこだっけー。あった。目の前にあったわ」


 俺はタバコの箱とライターを手に取る。

 俺が酒を飲みながら「ラッキーストライク」という銘柄のタバコを吸っていると、はなちゃんが「私もタバコ吸ってみたい」と言ったので、俺は彼女にタバコの吸い方を指南した。


「コホ! コホ!」


 はなちゃんは上手くタバコを吸えなかった。


「ははは」


 俺は笑った。

 その後、はなちゃんは何とか人生初のタバコを吸い終わった。


「──タバコって本当においしいの? 全然おいしくないんだけど」

「ラッキーストライクは初めての人にはタールが重すぎたかもしれない。ごめんね」

「慣れたらおいしく感じるんでしょ?」

「うん。慣れたら、これ以上うまいものは無いって感じるくらい、うまい」

「そうなんだ。──あ、トイレ借りてもいい? うんこしたくなっちゃった」

「うん、いいよ」


 はなちゃんは、立ち上がり、部屋を出てトイレに向かった。

 このアパートは家賃がめっちゃ安いが、風呂とトイレは付いている。はなちゃんと生活する上でアパートにトイレと風呂が無いのはキツイから、あってよかった。

 しばらくすると、はなちゃんはトイレから戻ってきた。

 それから30分くらいが経つと、俺もうんこがしたくなってきたので、便所に入った。


「!?」


 はなちゃんはうんこを流し忘れていた。

 便器のふたを開けると、大きなうんこが鎮座していた。

 小柄なのに、うんこは大きいんだな。それも可愛い。

 俺は、はなちゃんのうんこを流してから、自分のうんこを放った。

 俺が戻ると、はなちゃんは嬉しそうな笑顔で俺にこう言った。


「私のうんちがあったでしょ?」

「あ、うん。流し忘れてたね」

「流し忘れてたわけじゃないの。私、男の人に自分のうんち見せると凄く興奮するの」

「あ、そうなんだ。かわいいね」


 俺は、はなちゃんをとても愛おしく感じて、笑った。


「私のうんち、かわいかった?」

「うん。超かわいかった」

「ありがとう。嬉しい!」


 はなちゃんも笑った。

 だけど、彼女の体からは黒いオーラが出ていて、俺は少し悲しい。


 ◆


 翌朝、俺は床で目覚めた。

 俺は服も下着も着ていない。全裸だ。

 体を起こして、ベッドの方を見ると、はなちゃんも全裸で寝ていた。タオルケットを雑に掛けて、アクロバティックな寝相でぐっすり寝ている。

 裸のはなちゃんを見て、俺は呟く。


「そっか、俺もう童貞じゃないんだ」


 童貞を卒業したら俺の世界が180度変わった。というわけではなかったが、俺は今、はなちゃんが大好きで仕方ない。人を愛するということがこんなにも尊くて心を満たす事だなんて知らなかった。

 締め切った窓の外ではセミの声が聞こえてくる。今日も晴れている。

 エアコンをつけた状態で寝たから、部屋は割と涼しい。夏は熱中症に気をつけないといけない。

 テーブルの上のスマホを見ると、時刻は朝の10時34分だった。

 今日は7月11日の火曜日。

 そういえば、はなちゃんは大学生だ。大学には行かなくていいんだろうか。

 起きたら、聞いてみよう。

 とりあえず俺は、朝のシャワーを浴びて、髪を乾かし、適当な服に着替えた。俺がシャワーから部屋に戻ると、はなちゃんも起きていた。

 はなちゃんはクローゼットを漁ったのか、俺の黒い無地のTシャツとハーフパンツを着ていた。小柄なはなちゃんが着ると随分ぶかぶかだ。


「あ、おはよう。勝手に●●くんの服借りちゃった」

「おはよう。全然いいよ。俺の服臭くない?」

「いい匂いがする」


 はなちゃんは、おもむろに部屋の窓を開けて、広がる景色を見つめながら呟いた。


「今日も夏だね〜〜」

「うん」

「これから2人で色んな思い出作ろうね。どこか行きたい場所ある?」

「行きたい場所かー」


 正直どこでもいいが、どこでもいいという返答はあまり良くない。


「俺は、海とか行きたい」

「私も海行きたい。あんまり行ったことないから。あと動物園とか水族館とか行きたい。たぶん私はあんまり長生きできないから、生きてる間に色んな思い出作りたい」

「長生きできないって、どういう事?」

「デーモンなんて、本当は今すぐに死んだ方がいいんだと思う。だってデーモンは定期的に人の命を食べないと生きていけないんだから。私なんて、死んだ方がいいんだと思う」

「そんなことない。はなちゃんは何も悪くない。俺が守る。だから安心して」

「ありがとう。嬉しい」

「あ、そういえば、今日はどうする? 大学行く?」

「大学は中退する。●●くんとずっと一緒にいたいから」

「わかった。ありがとう」

「それに、私はいつデーモンハンターに殺されるか分からないし、ずっとこのアパートに居る」

「うん」

「ごめんね」

「全然いいよ」


 ◆


 そのあと、部屋でダラダラ喋っていたら、突然俺のスマホが振動した。見ると、工藤さんからの電話だった。俺のスマホに電話をかけてくる相手なんて世の中に工藤さんくらいしかいない。


「俺の上司から電話が来た」と、はなちゃんに伝えて俺は渋々電話に出た。


「はい、もしもし」

『おい。お前の目の前にいるデーモンを今すぐに抹殺しろ!』

「え?」

『今すぐだ。やれ!』

「え、なんで分かるんですか。俺の部屋にデーモンがいること」

『詳しい説明は後だ! 今やらなければ、お前がその女に殺される!』

「殺したくありません! 俺の初めての彼女なんです! 俺はこの子を愛してるんです!」

『クソ、もっと早く伝えるべきだったか。冷静に聞け。そいつはな、通称“童貞狩りの女デーモン”だ。今まで我々の組織の童貞達がその女に誑かされて総勢30人以上殺されてきた。その女は童貞だけを狙って殺す習性がある。お前は格好の餌食になったわけだ。とにかく今すぐそいつを殺せ。組織の為にも、お前自身の為にも』


 俺は、はなちゃんの目を見る。

 ……はなちゃんがそんな悪いことをする女の子にはどうしても思えない。

 俺は激昂し、工藤さんに初めて逆らった。


「ふざけるなクソが!!!! もう今この瞬間をもって、俺はこの組織から抜けることを決めました! お前のことずっと嫌いだったんだよ。このクソ野郎が!!!!」


 俺は一方的に通話を切った。

 そしてすぐ、はなちゃんに伝えた。


「はなちゃん。俺のアパートは危険だ! 多分、この部屋が組織に監視か盗聴されてるんだ! 今すぐ2人で逃げよう!!!!!」


 すると、はなちゃんは楽しげにケラケラ笑った。


「あははは。モテない男ってなんでみんな頭悪いの?」

「えっ?」

「電話の声聞こえてたけど、●●くんの上司が言ってた通りだよ。私、童貞狩りが大好きなデーモンなんだ」

「え……なんでそんな酷いことするの?」

「だって楽しいじゃん。私のことが大好きな男の気持ちを弄ぶの。よかったね。私で童貞卒業できて。幸せだった?」

「うん」

「よかった。じゃあ私、今から●●くんのこと殺すね。童貞はみんな私のこと簡単に好きになってくれるから、殺し甲斐がある」


 その直後、はなちゃんは苦しそうな顔を浮かべて、蒸気を発し、両肩から巨大なガトリング銃を生やした。

 

「●●くん、私の快楽の為に死んで」


 その瞬間、俺の中で何かが崩壊する音がした。

 俺はテーブルの上に置いてあったマカロフを即座に手に取り、キレた。


「この野郎! 俺の純情を弄びやがって! ぶっ殺す! 俺の童貞を、返せ!!!」

「えっ──」

 

 ──パァン!!!!!!!!!!


 俺は瞬時にマカロフの照準をはなちゃんの頭部に狙い定めて、迷わず引き金を引いた。

 直後、はなちゃんは「人間」から「物」と化し、俺の部屋中が鮮血に染め上げられたのだった。

 部屋の外では、セミが鳴いている。


「……」


 俺は脱力し、銃を手から落とした。それと同時に、心も落としたような気がする。

 俺はスマホを取り、工藤さんに電話をかけた。

 珍しく工藤さんはワンコールで出た。


「工藤さん」

『ん?』

「今、デーモンを殺害しました」

『そうか。よくやったな』

「えっ」


 俺はこの仕事を半年やっていて初めて工藤さんに褒められたので、戸惑ってしまった。


「あっ、あとさっきは失礼なこと言ってすみませんでした」

『気にするな』


 そこで電話は切れた。

 俺はタバコとライターを持って窓を開け、ベランダに出て、広い空を眺めながらタバコの煙を吐き出した。

 今日も、鬱陶しいほどの快晴。

 消えたくなるほどの青い空だ。


「俺は、これから死ぬまで独りで生きていこう。もう何もかもどうでもいい」


 ラッキーストライクの煙を空に向かって吐きながら、無表情で呟いた。


「もう夏か」






 4話に続く

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