第1話
「
「あ、春海、うん。いや?えっと髪切ったの!?」
「あ、そう!髪切ったの!」遅れて驚いた宇宙を見てゲラゲラ笑いながら春海が答えた。「いいでしょー」
目を細めながら口角を上げてそう言ってみるがこらえきれず満天の笑顔をこぼしてしまう。宇宙にも笑顔が伝わった。
「うん。すごい似合ってるよ。あの、うーんとすごい似合ってる」
宇宙はうまく表現できなかったことを悔しく思いながら幸せな顔を崩さなかった。
春海は少しだけ目を細めて今度は穏やかに笑った。ありがと、と人懐っこい声で言った。
「結構疲れたでしょ」
「うん、よく覚えてないんだけどね、とにかく格闘だった」
春海は冗談を言うときはいつもわざとらしく笑った。
「だよねー、お疲れ。」軽く受け流した。「島に公園があるからあとちょっと歩いて休もう」
春海はこんな優しい言葉が好きだった。
江ノ島にある公園に向かう橋の上でとにかく今日は暑いという話をした。
春海は友達が多かったがクラスでは少し浮いていた。発言のすべてが正直で無遠慮だった。宇宙はその偽りのなさが気に入って声をかけた。そこから二人は知り合った。
若年性認知症。春海の光を奪う闇。
3年前、8月。春海はほとんど毎夜家をそっと抜け出して外の空気を浴びるために散歩をしていた。初めて夜歩きをしたのはその年の7月だった。公園のブランコを軽くこぐ。冷たい風がふんわりと通り抜ける。満足して眠たげに、およそ300mの家路についた。彼女は薄暗い雲を見ていた。眠っている運転手が乗ったトラックの顔が彼女の華奢な体にぶつかった。
左側頭部に打撲・出血、脳震盪、頭を守った右腕は大きく擦り剝け出血、右の肘関節骨折。外傷の完治に3ヶ月がかかった。脳に後遺症、右腕の肌には火傷跡のような大きな傷が残った。
葉っぱの影ができた四角いベンチに腰掛ける。二人は溜まった熱を放出するように深く息を吐いた。
「ハル、飲み物持ってきた?」
「あ!わすれたあ」四角い口と下げた眉で分かりやすいがっかりした表情を作った。
「だと思ったから持ってきたー」にやにやしながら低い変な声で言った。
「まじ!?ありがとう!」眉をあげ目と口と鼻の穴を大きくして喜んだ。
宇宙がバッグから2Lのペットボトルに入った麦茶と薄いプラスチックのコップを出した。彼は昨晩から思いつく限りの事態を解決するための持ち物を周到に用意してきていた。彼がマジックペンを取り出してハルと書こうとしていると、その行動を察した春海は言った。
「もったいなくない?」二人分を分けて使うのは。
え?と自然に声が出た。彼は彼女の目を見た。なんの躊躇いもないまっすぐな目。唇の筋肉が痙攣した気がした。慣れすぎていないか?
「たしかに」
手に持ったままのコップに麦茶を注いで飲んだ。麦茶よりも酸っぱい味に感じた。春海は葉っぱに透けた太陽を見てぼうっとしている。
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