Chapter 5
耳元に不快感がわだかまっている。どことなく覚えのある、音と振動。振り払おうと手を伸ばすと、着信を知らせる携帯に触れた。これだ、正体は。
頭から布団を被り、コールが切れるまでやり過ごす。ようやく止んだと思ったら、テキストメッセージの通知がポップした。仕方なく、少し間を空けて確認する。
電話もメッセージも、同級生の
身を起こすと、辺りは薄暗い闇に包まれていた。カーテンの隙間から、オレンジ色の空が覗いている。
この頃は、いつもこんな感じだ。何かやらなければと思うのに、気づけば日が暮れ、夜が来て、朝になる。私だけが時間の流れから取り残されたように、認識の外側で一日が過ぎてゆく。
思いの外沢山の人が、気遣ってくれている。私は人に恵まれたんだなと、改めて自覚する日々だった。特に依莉ちゃんは、どきどきこうして連絡を寄越してくれる。彼女は良い子だ。どうかそのリソースを、他のことに向けて欲しい。なんて、身勝手なことを思う反面、そうした人の気を揉ませ続けるのに、申し訳ない気持ちも抱いていた。いい加減、夏休みから抜け出さなくちゃならない。それは、良く分かっていた。
ヘッドボードに手をやって、取り上げたスマートウォッチを眺める。退院祝い兼応援として、つくしちゃんから貰った時計。コースの記録とタイムの計測でも随分お世話になっているけれど、今この中に記録されているベストレコードは、私のものではない。最高記録は、もう二ヶ月近く更新されていなかった。
あの日、つくしちゃんがはめていったときの記録が、今もまだ、タイム順でソートすると一番上に表示される。彼女の言葉を借りれば「やっすい奴」だったことが幸いしたのか、時計は彼女のタイムをそのまま、私のものとして記録した。ゴーストは、過去の自己ベストを参照して生成され、連動するグラスにARとして投影される。だから、毎朝私が追い続けているゴーストは、私を参照したアバターでありながら、つくしちゃんの記録を反映したものだった。
渋々始めたランニングは、今や私の生活の中に刻まれた、ある種のビートのようなものになっていた。どんなにリズムが崩れても、朝が来れば外へ出て、海辺を走る。サボったあの日を取り戻すように、あれから一日も欠かさず走り続けて来た。その習慣だけが、過去の日常と私とを繋ぎ止めてくれるような気がしていたから。同じ日課を繰り返すことで、なんとなく、あの夏とこの秋との連続性が保たれるように思えたから。
そうやって走り続けて、明日で七週間。いつの間にか、一緒に走った時間よりも、一人で走った時間の方が長くなっていた。
それでも、私はまだ、或いはだからこそ、自分の記録を超えろというつくしちゃんの要求には応え切れずにいた。
スマートウォッチの画面が点灯する。携帯から転送されたメッセージが表示されて、霞んだ視界に、「待ってるね」の文字が踊った。
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