第26話 足りない用紙
中等部校舎四階の空き教室で俺たち兄弟とアイドルの田中絵梨香、彼女のマネージャーの平木さんが向かい合っている。
「灰色の封筒を誰から渡されたか憶えていないかな、田中さん」
「朝に教室で準備をしているときに机の中に入っていたんですけど、なにかあるんですか、あの手紙」
「もうひとつ先に聞かせてください。君が高等部校舎でうろうろしていた理由はなんですか」
「えっと、見知らぬ封筒に、高等部校舎の生活指導室へ来るように、って書かれていたので。なかなか探しても見つからなくて、結局学園長室に向かったんですけど」
「平木さんは付き添わなかったんですか」
厚い眼鏡越しに平木さんの目を見据える。
「学校の業務については、私の与り知らぬところですから。事務所からも学校の業務には口を出さないように言われております」
「学園長からですか。じゃあ僕たちが田中さんと会うのは、学校の業務に入らないから付き添われているということですか」
「さようです」
平木さんは左手で眼鏡の端を上げている。
彼女が田中絵梨香の発言をコントロールする可能性もありそうだな。うまくかい潜りながら質問しないといけない、か。時間も限られていることだし。
「時間もないし、直接聞くけど。田中さんは僕たちに手紙を出していないんだよね」
「はい」
即答だな。これで彼女が嘘をついていたら、思わぬ大女優と向き合っているのかもしれない。
「え、じゃあ僕に来た手紙って絵梨香ちゃんからじゃないんだ。今まで絵梨香ちゃんだとばかり思っていたのに」
「ごめんなさい。仮に私だとしたら手紙を書いている段階で止められると思うの。平木さんに。アイドルは恋愛禁止だって、社長も徹底しているから」
「じゃあ僕たちと会うだけでも事務所からなにか言われるかもしれないわけか」
「会話はすべて録音し、社長へ報告することになっております」
そういうと平木マネージャーが手元からなにやら小型の機器を取り出して机の上に置いた。
「それって、ボイスレコーダーですか」
「ええ、そうです。これで絵梨香さんの会話はすべて録音しております」
「ということは、スケッチブックでも持ってきて筆談でもしないかぎりは記録に残るわけですね」
「そういう場合はスマートフォンのビデオカメラで録画しますので」
誰かと付き合うのを阻止する対策は万全というわけか。
「聞いた話では、田中さんは好きな人がいるとか。お姉さんを命懸けで救ったヒーローだとお聞きしております」
田中絵梨香は平木さんを見て顔色を窺っている。すぐに平木さんは首を縦に振った。
「はい、ただ私はあくまでもお姉ちゃんのヒーローが気になっているだけで、その人が見つかったらお姉ちゃんに優先権があるの。もしお姉ちゃんが付き合わないのなら、その理由も鑑みてお近づきになれたらって思っています」
子どものように自分の好きを押し付けてくるのかと思ったが、どうやら思慮分別はしっかりしているようだ。これならあえて俺たち兄弟にラブレターと思われる手紙は出さないだろう。
「レコーダーの証拠もありますのでもう一度お尋ねしますが、僕たちにこの手紙を出した人物は田中さんじゃないんですね」
俺が懐から件の手紙を差し出すと、靖樹も同様にした。
「失礼致します」と言って平木さんが差し出された手紙を一通ずつ確認している。
「とくにラブレターや暗号の類ではなさそうですね。よく見てもファンレター。絵梨香さん、文面をご覧になりますか」
「お願いします。私に届いた手紙と同じか、確認すればお二人もご納得いただけるかなと」
二通の文面がまったく同じことを確認すると、平木さんは俺の手紙を田中絵梨香に渡した。田中絵梨香が目を走らせると、ひとつため息をついた。
「これはほとんど同じだと思います。社長にもお見せしたのですが、処理はこちらでやっておくと言われました。」
「ということは、事務所の社長さん、つまり学園長が処理できる内容なのですね」
「だと思います。私にはなんのことか、さっぱりわからないんですけど」
なにかひらめきそうなのだが、それがなにか漠然としている。
中等部の生徒に出された手紙は、高等部の俺たちと同様。だが俺たちの手紙には「高等部の生活指導室へ行け」という内容は書かれていない。
もしかすると、俺たちが高等部生だからあえて「高等部の生活指導室へ行け」と書かなかった可能性はある。また差出人が入れ忘れたのかもしれない。
であれば、生活指導室になにか鍵があるのだろうか。それとも学園長ならこの手紙のことを知っていることも考えられる。
「ちなみに、高等部の生活指導室へ、という内容はこれと同じ紙に書かれていましたか。それとも別紙でしたか」
「たしか別の紙だったはずです。手紙はすでに社長さんにお渡ししているので記憶でしかないんですけど」
「それになんの意味があるんだよ、兄貴。まさか紙が別であることが差出人を特定する鍵になる、とか」
「別紙だった。とすれば、俺たちの手紙には入れ忘れていた可能性が高いようですね」
そう。田中絵梨香から話を聞いていて、俺たちへの手紙と決定的に異なる点は「高等部の生徒会室へ行け」という文言のあるなしだ。
もしかすると、彼女宛の手紙を誰かがまねて俺たちに出した可能性も考えられる。そしておそらく田中絵梨香はそのことを知らないはずだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます