第21話 学園長室の前で

 学園長室は五階にあった。校長室は職員室と同じく二階にあるので、それより上ということを内外に示したいのだろうか。

 田原とおさとともに五階へ上がると一角だけ赤いじゅうたんが敷かれたところがある。

 初めて訪れたのだが、あそこが学園長室だろう。

 ゆっくりと近づくと、ふかふかに毛足の長い絨毯の上を歩くことになる。

 ここでならスライディングをしてもケガひとつしないのではないか。そんな感想を覚えつつ、廊下の角を曲がると、学園長室と書かれたプレートのそばに郵便受けのようなものが置かれている。

 箱の下には机が設置されており紙の束と鉛筆が備え付けられていた。


「これが目安箱か。徳川吉宗が市井の声を集めるために設置したんだったよな」

 田原の話を聞きながら、紙の束から一枚抜き取る。どうやらこれが請願書らしい。

「とりあえず生活指導の先生を増員してください、と書いておくぞ」

「いいんじゃないのか。それが目的なんだからさ」

 長田に言われたように、用件に生活指導の先生を増員と書いておいた。理由の欄があるけど、さてどうしたものか。


「さすがに理由欄で監視カメラの映像をチェックしたいから、とは書けないよな」

「生活指導を必要としているけど、忙しいようだから相談できないってことにしたらどうだ」

 なるほど。豊橋先生が忙しそうだから相談できない、ということを書けばいいのか。さっそくそう書き込んでいく。書き上げたらすぐに目安箱に投函した。これでどのくらいの速さで増員されるのかは、学園長のやる気次第かもしれない。

 ただ予算もあるだろうから、急な増員は難しい問題ではあるな。


「とりあえず目的は果たした。教室に戻ろうか」

 階段へ引き返して硬い廊下の床に降りる。なにか心もとない。教室にも絨毯があればよさそうだけど。


「さすがにここの毛足ほどでなくても、各教室と廊下に絨毯を敷いてくださいってお願いしたくなるな」

「確かにそう感じるけど、実際掃除の時間を考えてみろよ。ほうきはかけられないし雑巾で磨けない。毎日掃除するときに掃除機が必要になるから効率が悪くてしょうがないだろう」

 言われてみれば確かにそうだな。掃除の時間が長引くような提案はしないほうがよい。少なくとも在校生の負担が増えるのであれば愚策もいいところだ。


「たとえ絨毯がなくても、エアコンもテレビも電子黒板もある。他の学校よりよほど居心地がいいはずで、そんな先輩方の思慮で教室と廊下に絨毯が敷かれていないわけだから、おそらくそういうことなんだろう」

 そういうものか。確かにエアコンを全教室に導入するほどだから、学園生活を快適にする提案はひととおりなされていると見てよい。




 教室へ戻ってくると、田原はさっそく手近な生徒から情報収集を始めた。

「あいつのまめさには頭が上がらないな。ああやっていつも最新の情報を集めているんだから。田原並みの情報ネットワークを構築するのは並大抵のことではない」


 女子生徒から話を聞いた田原がすぐにこちらへ帰ってきた。

「どうやら、昨日高等部校舎で田中絵梨香ちゃんを見たっていう生徒から、どのあたりをうろうろしていたか聞いた人がいるんだってさ」

「三階にいなければ関係ないと確定できるんだが」

「どうやら一階から順に廊下を歩いて、階段を昇って四階まで行っていたらしいんだ」

「四階って生活指導室と視聴覚室と体育館があったよな」

「いや、五階の学園長室に行ったのかもしれない。なにせ学園が誇る中学生アイドルだからな。学園のよいところをマスコミに話すよう言い含められた可能性もある」

 長田が口を出してきた。


「そもそも見かけた時間がわからないことには、本当に俺や靖樹に手紙を出したのか、特定できないと思うんだけど」

 話によれば高等部校舎にいたことは確かだろうし、実際封筒を持っていたことも事実なんだろう。しかしそれが俺が教室を空けていた一限と三限でなければまったく無意味な情報ということになる。今必要な情報は時間だ。


「時間だな。見た生徒に聞いてもらうように頼んでくるよ。おそらく次の休み時間までにはわかるはずだ」

 田原が先刻の女子生徒たちに話しかけてなにやら頼み込んでいた。いったい彼女たちとどんなつながりがあるのだろうか。素早く座席に戻ってくる。

「今頼んできた。女子連中は絵梨香ちゃんが来たという事実を重視していて、時間までは気にしていなかったんだとさ。女子ってそんなものかね」

「まあ男は直接見たいやつが多そうだからな。女子はアイドルが同じ学園に在籍していれば、どこに出没したかで話が盛り上がるらしい」

 長田はさも物知りげだ。


「直接見たいっていうのは確かにあるな。できれば握手をしたいしサインも欲しい」

「それって確か学園側から禁止されていたはずだろう。彼女の学業に差し障るから、あいさつくらいはいいとして、握手やサインは求めないようにって」

「ああ、そういえば始業式で学園長が言っていたな。彼女の邪魔をしたら評価を下げられるかもしれないって話だったな」

 俺の話に田原が食いついた。

「学ぶのに最適な学園として売り込みたいんだろうな。うまくすればアイドルが何人も入学・編入してくるかもしれないから」


 これだけ学び舎として快適な学園に仕上げたのに、所属するアイドルがひとりだけ、というのも期待外れなのかもしれないな。


「言われてみれば、学園としては今のところ絵梨香ちゃんしかアイドルがいないよな。まだ何人もの芸能人に入ってほしいのであれば、芸能界から一定の評価をしてもらいたいところだろうし」




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