第三幕:Feel So 冥土

 雨音。私を突き刺すように水滴が落ちる。それが無数にある。ただ無関心に干渉してこないほうがずっと良かった。今はひどく痛い。最後に残った理性が逃走という可能性を示す。私はただ従う。後ろから声がする。ひどく耳障りで、私の心を蝕む。そうだ。こいつらから逃げなきゃ。目の前には鳥居、そして、扉。眩しい。扉を開けたのだ。眩しいが暖かい。傷だらけの私を包み込むように声が、声が。

「起きろ、起きるのじゃ」

 ツヴァイが目を開けると、その目と鼻の先にきゅーちゃんの顔があった。

「ぶっはぁっ!?今何時!?延暦寺!?」

 ここは神社などではなく、ただの講義室である。室内にはツヴァイときゅーちゃんの他にもう一人、黒衣の少年がいた。彼はツヴァイの方を見ながら、顔に心配の二文字を浮かべている。さらにきゅーちゃんが続けた。

「ほれ、そこの少年が柄にもなく心配しておったぞ」

 きゅーちゃんはその近くに座っていた少年、玄武を指した。

「んなっ、あれは酷いうなされ方だったぞ!心配しないほうがおかしい!」

「大雨の日はいつもこうじゃからのぅ」

「前に比べればだいぶマシになったんじゃないかな?」

 眼鏡をかけ直しながらツヴァイは言う。

「あれで!?お前ら正気か!?」

「…それで、どこまで話したんだっけ」

「…まだ俺の情報を開示しただけだ、お前らからは何も聞いてないぞ」

「眠っておる間は箸にも棒にもかからぬ雑談だったからのぅ」

 そう言いつつ、きゅーちゃんはにやにやしている。

「ふ~ん…何だろ」

 ツヴァイが詮索しようとすると、玄武が露骨に焦りだした。頬が心なしか赤く見える。そして、きゅーちゃんに向かってしきりに「しゃべるな」という仕草を見せている。

「まぁ、恋敵が増えた…と言っておこうかのぅ」

「……さて、話を本題に戻すぞ」

「いやぁ~~、では…もう一回、君の情報を教えてくれないかな」

「さては忘れたのじゃな」

 ツヴァイはにやけながら肩をすくめた。そうした後に、ため息をつくわけでもなく、むしろ自慢げに聞こえるような声で玄武は話し始めた。

「俺は玄武六甲げんぶ りく、依塗矢出身ではないが例の淫魔を追いかけてここまで来た。俺が使うのは岩を生み出す呪術だ。そこら辺の積層型とは違う、より高度な再結晶型を採用している。俺はこの呪術の方式のことを『君に手向けた岩ウィー ウィル ロック ユー』と呼んでいる」

「どっどっちゃん?」

「さっきもやったぞ、そのくだりは。…だがその通りだ」

「あ~思い出してきたよ、それでもって黒いシルクハットの男を追いかけてもいるんだ、そういえば忙しぃねぇ的なことを言った記憶がありますねぇ」

 ツヴァイはふざけた調子でそう並べた。

「それならばもう俺から開示するものはない、今度はそっちの番だ」

「ではわらわから」

 と言ってきゅーちゃんが手を挙げる。

「わらわは九尾の妖怪で、戸籍上はクレナイ・キューブリックという名で通っておる。憑依型の妖怪なもので、実はこの体も貰い物じゃ。あとは、そうじゃな、今は爪と炎が使えるのぅ。ちょっと前にわらわの半分を他の身体に移してしまったせいで、力も半分なのじゃ」

「憑依型ならば、もとの身体の持ち主の意識もあっていいはずだが、それはどうした」

「…死んでしもうたのじゃ」

 これ以上は話したくないという感じで、きゅーちゃんはそっぽを向いてしまった。

「じゃあ私の情報をば」

 と言って、ツヴァイもしゃべり始めた。

「私は双葉弐来ふたばにこ。でもこの名前よりかはツヴァイって呼んでほしいかな。それにどっちも本名じゃないし」

 光の速さで玄武が口をはさむ。

「ちょっと待った、じゃあ本名は何なんだ」

「地球の言語だと発音しづらいんだけど、近い音で言うなら繝�Χ繧。繧、繝ュ繝ウ繧ョ繝後せ、とかかな」

「…お前は何なんだ?」

「私は双葉…」

「じゃなくて、出生とかだ」

「ええと、銀河B-28のC6系、そこの第7惑星で生まれて…」

「もしかして宇宙人か?」

「それだ!!今度からそう言おっと」

 そう言ってツヴァイは立ち上がり、咳ばらいをした。

「では改めて、私はツヴァイ。宇宙人です!母国の技術を制限付きで使えるよ。今使えるのは記憶域侵入くらいかな。対象に触れることでその者の直近の記憶を入手する第一種記憶域侵入と、許可がいるけど対象に触れずにかなり前の記憶を入手したり譲渡したりできる第二種があるよ」

「以前のアレは第二種ってことだな」

 ひとしきり話して玄武が考え込む。そして何かを思い出したように声をあげた。

「そうだ、もう一人いたよな、白い髪のヤツが」

「…せっかくじゃ、今から会いにゆくか」

 いつからか食べていたツナ缶を片付け、きゅーちゃんは立ち上がった。



 依塗矢市民病院、その一室に、その青年はいた。日の光が入り込み、白く輝く病室。そこに溶け込むかのように青年は眠っていた。ツヴァイはその手を取り、祈るかのように額に押し当てている。きゅーちゃんと玄武の二人は開いた窓にもたれかかっていた。

「こいつがお前の言う青年、緑屋三蔵みどりやさんぞうじゃ」

「…なるほど、魂が抜かれ動力を失った無意識系統の代わりに、乗り移ったお前の半分が身体機能の最低限を動かしているということか」

「…わらわは、またこいつと、サンゾウと話がしたい」

「そのために、あのシルクハット野郎をぶちのめす…と。利害は一致している」

 思考をまとめようとするかのように、玄武は窓の外を見やる。下を見ればそこは駐車場だ。そこにぽつんと立つ人影を見て、玄武の髪が逆立った。

「……あいつは!何故ここに!?」

「っちょ、何をしておる!?」

 きゅーちゃんが止める間もなく、玄武は窓から駐車場へと飛び降りる。それを追い、きゅーちゃんも駐車場へ降り立った。きゅーちゃんの姿を見たシルクハットの男は、右腕を横に突き出した後に短く言葉を放った。

「待っていたぞ、九尾。その身体を返してもらおうか」

「……!?」

 その右腕、その右手首につけられた歪な銀色の腕輪が鈍く光る。

「これはとある冥土の使者の力だ」

 そう言って男は銀色のカプセルを懐から取り出し、左手に持つ。そのカプセルは青く輝いていた。それを腕輪のくぼみに嵌め、その右手をきゅーちゃんに向けて伸ばした。

「その魂よ、冥土へ飛べ」

「……逃げろ狐!!」

 玄武の叫びはついに届かなかった。きゅーちゃんは意識を失い、その場に力なく倒れた。

「安心しろ、これは青龍や白虎にやった魂の回収ではない。憎き九尾の力など、死んでも使わぬ」

「……一人でも、やるしかねぇ」

 玄武が手を構える。その隣に、彼の知らない者が降り立った。

「正当防衛ですか?だったらワタクシも力を貸しますよ」

 その者、黒いフードを被った者が言う。そうして紺色の巨大な鎌を取り出した。

「先ほどの力、あれはワタクシの同僚のものです。原理は知りませんが、非常にワタクシは今不愉快です」

「……どうやら、あのシルクハット野郎は"奪った魂の持ち主の力を使う"ことができるようだな」

 その会話を聞き、シルクハットの男は呟く。

「予想より手の内が見透かされるのが早い。だが逆に出し惜しみはしなくて良くなったということでもある」

 男は、今度は懐からカプセルを3つ取り出した。それぞれが違う輝き方をしている。

 それを見て、二人は身構える。玄武がフードの者に声をかけた。

「行くぞ、……何と呼べばいい?」

 フードの者が答える。

「死郎と、お呼びください」



 目が覚めると、きゅーちゃんは見知らぬ公園にいた。

「ここは……?」

「ここは生と死のすきま」

 声の方角には、顔のない少年がいた。

「そうか、もうすぐ死ぬのじゃな」

 そうきゅーちゃんは零す。少年は近づいてきてこう言った。

「ねえ、だったら遊ぼう?」

 少年に手を引かれ、きゅーちゃんは遊具へと招かれた。

 全ての遊具と遊戯を洗った頃、きゅーちゃんは少年に語りかけ始めた。

「……わらわはまだ生きねばならぬ。やはりそういう気がするのじゃ」

「さみしいな」

「……次会ったら倍は相手してやるからのぅ」

 そう言って、きゅーちゃんはあてもなく歩き出す。公園を抜けたころ、その足が突然重くなった。

「いかないで」

 見れば、少年が足をつかんでいる。しかしその力は尋常ではない。全力を出し、右足を上げると、やはり少年の手はついてくる。いや、手だけがついてきた。

「ひっ!?」

 少年の、右足をつかんでいる方の腕はどろどろに融け、形を保っている手と本体を繋ぐように糸を引いている。

「いたいよ、いたいな」

「……すまない、……すまない……ごめん、…………ごめんなさい、……ごめんなさい」

 一歩ずつ、足を進める。幾度となくそれを繰り返すうちに、今度は全身が重くなった。耳元で少年の声が聞こえる。その背中で人の体温を感じる。

「いたいよ、いかないで」

「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい」

 次第に少年の全身が融けていくのを感じる。ますます全身が重くなる。それでもきゅーちゃんは歩き続けるが、しまいには膝から倒れこんでしまった。

「これで、いっしょだね」

 それでも、きゅーちゃんは立ち上がろうとした。

「まだあきらめないの?」

「そうじゃ、サンゾウを取り戻すまでは……!」

 立ち上がろうと前を見上げる。その視界に、人影が映った。それは、自分と同じ足。それは、自分と同じ身体。それは、自分よりもっと優しい顔。頭についているはずのゴーグルもなかった。その姿を見て、きゅーちゃんは目を見開き、体を強張らせる。

「……一香いちか

「ひさしぶり、私を殺した張本人ちゃん」

 どこか冗談めいた口調で一香はそう言った。

「そうじゃ、どう償っても仕方がない」

「じゃあ、償い代わりに私のお願い、聞いてくれる?」

「なんでもする」

「……生きて。そうして、あの男を止めて。あの子が人の命を奪うのは、もう見たくない」

「お前のことじゃ、殺すのはナシと言うのじゃろ?」

「ふふん、よくわかってるじゃん」

 そう言って一香は指を鳴らす。きゅーちゃんに纏わりついていたものはたちどころに消え、その身体も元の軽さになった。

「……できることなら、お前を生き返らせたいのじゃ」

「そういうワガママは私のお願いを完遂してからね」

「わかった」

 辺りが眩い光に包まれる。それはきゅーちゃんを暖かく包み込んだ。



「……劣勢!?この玄武が劣勢だと!?」

「テンプレですか?この状態だと笑えませんよ」

 2対1にも関わらず、シルクハットの男は二人を圧倒していた。

「くだらぬ茶番は終いだ」

 そう言ってシルクハットの男が新しく銀色のカプセルを取り出す。それは強く緑色に輝いていた。それを腕輪に嵌め、手のひらを玄武に向ける。

「消えろ」

 その手から緑の雷光が放たれる。それが玄武に届く直前、雷光は黒い尾によって防がれた。その尾の持ち主は、目覚めたばかりのキューブリックだった。黒い髪には真っ赤な毛が混じり、頭からは耳が生えている。そしてその尻尾は、五本あった。

「死郎、玄武、下がれ。ここはわらわに任せるのじゃ」

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