Eyes on Me

10-1

 こうした具合で数週にわたり、聞き出したバーをいくつか回り終えたあかつきには、店の等級ランクが下がってゆくのと反比例するように、神父は常よりもいくぶん陽気でかつ饒舌になっていた(もちろん、あとで懺悔が必要になるほど酩酊してはいなかっただろうが)。

「――あら、あんただったの、見違えたわよ!」

 アイリッシュ・バーとは名ばかりの、アイルランドらしいものはなにひとつない店でカウンターに立っていた赤毛の娘――おそらくその髪も染めたものだ――は、人いきれで曇った眼鏡をはずしたマクファーソン神父の顔をひと目見るなりそう言った。

「人違いでしょう。私はここに来たのは初めてだ」

 神父は驚いた様子もみせずににこやかに応えた。

「ううん――商売柄、あたし、お客さんの顔覚えるのは得意なんだあ」

 娘はべたつくカウンターにそのゆたかな胸ごと身を乗り出し、馴れ馴れしさがすぎると思うほど神父に顔を寄せ、わざとらしくまばたきした。その様子ときたら、神父がすぐに眼鏡をかけ直し、わずかに身を引いたのも無理はない。

 しかし娘は小首をかしげ、

「あれェ、あたしのカン違いだったかなあ――そっくりだけどなんか雰囲気違うしィ、それに、ツレの人のシュミはあんたのほうがずっといいし」

 今度は私に向かってすばやく目配せウィンクしてみせる。

「……それはどうも」

 どんな相手を連れていたのか訊くと、「五十くらいのスケベそうなオヤジ」だとぬかした。

「私に似た人――というのはどんな人だったんです?」

「ええ~? うーん、顔はホント、双子みたいに瓜ふたつだったよ。金髪だったけど。うん、それにさあ、そんなカッチリした服とか着てなかったもん、なんかこう、おヘソが見えそうなスケスケのセーターだったもんなあ、だからやっぱあたしの見まちがいだね」

 術をかけているわけでもないのに、娘はぺらぺらとよくしゃべる。

 前触れもなく、薄い黄金色の液体が入ったタンブラーがふたつ差し出された。

「――?」指をさすと、

「人違いしちゃったから。あたしのおごり。〈ブッシュミルズ〉」

 先祖の墓に誓うまでもなく、嘘だな。

 情報提供の見返りにこちらが一杯おごると、赤毛娘は背後の棚から安酒の瓶を取り出して自分でグラスに注いだ。賭けてもいいが、私の心臓が止まっているのと同じくらい、ラベルと中身が別物なのは確実だ。

 カウンターに置かれた札を受け取るついでに私の指先に思わせぶりに触れた娘は、電流でも走ったかのようにその手をひっこめた。

 なにか得体の知れない存在ものと相対していることにようよう気づいたのか、神父のほうに体を寄せる。

「でもその、私に似ている人って、そんなにそっくりだった?」

 神父が話しかけると、娘はあからさまにほっとした表情でうなずいた。

「うんマジで。だからあんたが入ってきたとき、今回はいいカモを見つけたんだなって思ったんだあ――」

「実は私たちもその人を探しているんだ」神父が気安く続ける。

「なんで?」

「小さい頃に生き別れた兄弟かもしれなくてね。――この人は私立探偵なんだけど」と私を指す。「亡くなった祖父の遺言で、私のほかにもうひとりの遺産相続人を探しに来たってわけなんだ」

「あぁ、だからそんなカッコで、しゃべりかたもコッチの人間ひとみたいじゃないんだね」

「そうだよ」

 神父の、穏やかで上品な、わずかにイギリスイングランドふうのアクセントを含んだ声音は、たしかに娘の警戒心を解く効果があったようだ。娘は一層神父のほうに体を傾けた。

「ぶっちゃけ、風紀課サツの連中じゃないかなって思ったんだよ――特にソッチの人」私のほうをちらりとうかがう。

 これまで様々なものに化けてきたが、官憲と間違われたのは初めてだ。

「だけどさ、もしホントに兄弟だったとしても、あんたみたいな人とアイツじゃ、それこそ住む世界が違うってやつだと思うけど」

「どういう意味?」

 差し出された十ドル札バックをすばやくひったくり、娘が二杯目のグラスをカラにする。

「だからあ――お上品なあんたとはそもそも不釣り合いっていうか、会ってみてビックリってことになるかもっていってんの」

「こういう仕事をしている人と一緒にいるんだから、今さらなにを聞かされても驚かないよ」

 神父が片手の親指で私を指し示す。――まったく、それは少々芝居がすぎるというものじゃないか?

「やめといたほうがいいと思うな」

 娘は布巾クロスをいじり回したが、グラスを磨くさえしてはいなかった。

「言ったろ、ちょっと小金を持ってそうな女とか――男もだけど――食い物にしてるって。そいつらとなにしてるかまでは知らないよ。でも前にその、近くに座ってたときに耳に入ってきちゃったもんだからさ」

「その人がどこにいるか知っているなら教えてほしいな。この街で巡り会えたのも神のお導きかもしれないし」

「けど……」

「――お嬢さん」

 娘の注意をひこうとした私の右袖に、神父が無言で片手で触れる。

「君から聞いたなんて言わないよ。私たちはただ――たしかめたいだけなんだ、その人が私たちの探している相手かどうか」

 即興の演技アドリブとは思えない神父の言葉と、教皇の指輪の蒼玉のように澄んだ双眸は擦れ枯らしの酒場娘の心にもそれこそ催眠術のごとく作用したらしい。娘は髪と同じ色に頬を染め、

「じゃあ、ほんとにあたしがバラしたっていうのはナシだからね」と声をひそめた。

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