7-4

「彼はあなたのなんなんだ、神父ファーザー?」

 こうも同じ問いかけをされるとは思わなかったので、我知らず体が一瞬硬直した。

 ノーラン氏のそれは嘲るような響きではなく、単純に好奇の……あるいは憐れむような感じといってもよかったかもしれない。

「……彼は地の塩ですよ」

 ヴァンパイア氏はまたあの内心のうかがい知れない表情でこちらを見つめた。その視線が居心地悪く目線を外す。

「あの坊やを愛しているのだと思っていたが」

 静かな口調だった。

 彼の声に、肺から心臓、胃までがねじれ、締め上げられるかのような痛みを覚えた。

 自分でもなぜ――なにが――そんな反応を呼び起こしたのかわからなかった。失態を犯して血の気が引く感覚は何度も経験したし、苦痛で意識を失う前兆とも違う。誰かに冷たい手で内臓の一部をつかまれ、そのまま臓器を引きちぎられそうになっているかのようだった。

 幸いにしてそれはすぐに治まったけれども。

「……」

 彼は以前私に読心術が効かないのを残念がっていたけれど、仮に効果があったとして、自分の内心を完全に理解しているといえる人間がどれだけいるのだろう。

 私は言った。

「彼は私たちの教区の人間ではありませんよ」

 ノーラン氏はそれ以上なにも聞かなかった。その代わりにか、先日のように、送っていくと申し出た。

 断ると、

「ここまではタクシーで来たんだろう?」

「ええ、そうですが……」

「貧しい教会には手痛い出費だ」とおどけたように言って、卓上の呼び鈴のようなものを押した。

 ややあってやってきた黒服の給仕ボーイにキーを渡し、何事かささやく。

「――さ、行こう。車を裏へ持ってこさせた」

 こちらの背を押すようにして、入ってきたほうとは反対側へ行かせようとする。

「まだ乗るだなんて言っていませんよ」

「誓ってなにもしないとも。――先ほどの非礼と」

 少しの沈黙のあと、彼は低く、真剣な声で、絞り出すように、

「……侮蔑の言葉を吐いたことは謝罪する」

 並んで廊下に出る。飾り戸棚に見えた行き止まりに彼が手をかけると、そこが奥にひらいた。内部には蛍光灯に照らされたコンクリートの通路が続いている。

「従業員と、表から出ていくのを見られたくない客用の出口だ。まさか君がそんなクソ真面目な格好で来るとは思わなかったものだから。それでは聖職者だと喧伝しているようなものだ」

「これしか持っていないんですよ」

 ふつうの格好で来てかえって絡まれるのも嫌だ。

 打ちっ放しの床に靴音が響く。

 十数ヤード歩いた先には鉄製の扉があり、それを引き開けると目と鼻の先に黒い車が停まっていた。車の脇に立っていた、店の従業員らしき人物からノーラン氏はキーを受け取り、チップを渡した。相手はかるく会釈してすぐにその場からいなくなった。

 運転席のドアを開けながら彼が言う。

「私と一緒に店を出て車に乗ったからといって、あなたの名誉が傷つくなどということはないよ。彼らは――まあ私のおかげをもってしてだが――口は堅い。昨今流行りのSNSとかいうものまで責任はもてないがね」

 吸血鬼には少々やりづらい時代だよ、と肩をすくめる彼の姿に可笑しくなる。

 車の中はやはり百合の香りがした。

「真面目な話だが――」人ごみを避けてだろう、ナビも使わずに、彼は裏通りを勝手知ったる様子で片手でハンドルを操る。

「私の生活の一端を見たろう。人狼の坊やなら、バーカウンターにある酒瓶の一本でもバケツ一杯の涎を垂らしそうな品だ。の選択肢は極端に限られるとしても、そのほかの五感を愉しませる事柄ことがらには事欠かない……救世主メシアの再来を二千年待つことができるなら、数百年など瞬きをするあいだのようなものだろう」

「そうかもしれませんね」私は答えた。「問題は、私がそういった奢侈ぜいたくに美的関心以上の興味がないということと、あなた自身がそれを心から楽しんでいるようには思えないことです」

 ノーラン氏は真っすぐ前を向いて運転していた。街灯や行きかう車のヘッドライトが青白く、この短時間でまた老いたように口許に皺の刻まれた顔に光と影の線を描く。

「真面目な話ですが」彼の言葉をなぞる。

「まったく希望がないわけではありません。司教座聖堂カテドラルに助任司祭がいるのですが――フランス人の」念のため先に言っておく。

「私などよりよほど学識も経験もゆたかなかたです。もちろん……あなたほどの年月を生きてこられた人ではありませんけれど。実は一度あなたのことを、その……吸血鬼ヴァンパイアだとかいうことは全く抜きにしてですよ……相談したことがあったんです。そのときに、よければそのかたを大聖堂にお連れになっては、と言われていまして。あなたを神父にひきあわせることができれば、もしかしたらなにか道がひらけるかもしれません。ことわざにもいうでしょう……」

「ひとつの頭よりふたつの頭のほうがまさっている――たとえひとつが羊の頭であろうとも」彼はにこりともせずに言った。


 ノーラン氏は教会の一ブロック手前で車を停めた。

「さっきの話だが……考えておくよ」

 ここまでの三十分近く、互いの口にしたことといえばその話題だけだった。

「しかしあの坊やの厳しい監視の目と鼻をどうやってかいくぐって、私を大聖堂に忍び込ませようというんだね? クレオパトラのように絨毯じゅうたんにでもくるまってか?」

「……どうにかしますよ」私は苦笑した。「それより、あなたの……は、いつまで抑えていられるのですか?」

 ノーラン氏はこちらを見なかった。

「あなたの世話にはならないように、どうにかするさ」

 私の心を読んだかのように彼は言った。憐れみをかけられるくらいなら死を選ぶ、と言っているようにも思えた。たとえこの先も生き永らえるために罪を重ねるとしても――彼はその重さを背負っていけるだけのつよさをもった人間だ。

「ノーランさん――」

「六百年も地上をさまよったあげく、狼にばらばらにされるのは、いい死にかたとはいえないからね」

「言わずもがなだが、寝る前にシャワーを浴びたほうがいい」お礼を言って車を降りようとしたとき、うしろから声が追ってきた。

「服もすぐに洗濯するべきだ」

「ディーンはそんな」

「あの坊やは吸血鬼が嫌いな以上に、私のことが嫌いなんだよ。理由はわかるだろう。――まったく、哀れと言うほかないがね!」

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