7-3

 祈りの言葉ではなかったから、彼に効いたのかどうかわからなかった。

 けれどノーラン氏は私の服を剥ぐ手を止め、グレーのを大きく見開いた。その表情からは、呆れているのか怒っているのか判別できない――

 と思った次の瞬間、彼はふっと表情筋を緩めた。よく目にした、皮肉めいたわらいではなく……これまで見せたことのない、はにかむような微笑みだった。

 だがそれも目の錯覚かと思うくらいの短い時間で消え、次にはおとがいをのけぞらせて大笑いしていた。

 言っていたように防音がされているようで反響したりはしていないものの、耳元で大声をあげられるのは結構こたえる。

 常人ふつうの人間ならとっくに息が切れて咳込んでもおかしくないくらいの時間、ヴァンパイア氏は同じペースで笑い続けていた。

 それが突然ぴたりとやむ。と、炯々けいけいとした双眸がひたとこちらに向けられた。狼のものとはまた違う、冷たい、けれどどこか好奇に満ちたまなざし。

 ノーラン氏は括ったときと同じくらい、どうやったのかこちらにはわからないすばやさで、手首を縛っていたものをほどいた。が、体を離そうとするより早く今度は抱きすくめられた。

「今のは、“この世の終わりまで私はあなたとともにいる”と聞こえたが」

 彼は愉快そうに言った。ぜんぜん離してくれそうにない。先刻さっきまでの凍るような怒りは消えているが……なにかべつのものを感じる。カナリアを食べた猫のような雰囲気だ。

「そういうつもりで言ったのではありません!」これ以上マズいことになる前になんとかいましめを解こうともがいたのがいけなかったのか?

「大体そんなことができるはずがないでしょう、私は吸血鬼じゃないんですから!」

「たしかにな」ノーラン氏がくつくつ笑いながら、こちらの肩口に顔を埋める。ひやりとした感触と、針葉樹の林に入ったときに感じる、ぴりりとした香木の香り、それから古いなめし革のような……。

「だが前にも言ったろう、私ならそれができる……」声がくぐもる。「私は悪魔ではないから代償は求めない……あなたはハイアイ・ドゥと言いさえすればいい。そうすれば、私は持てるものすべてをあなたとわかちあうだろう……」

(……なんだか結婚式の誓約みたいだな)

「ノーランさん、ひょっとして酔っているんですか?」

「私の呼気検査をしたところで、マウスウォッシュ程度のアルコールしか検出されないよ」

 酔っているのか(そもそも吸血鬼が酔うことなどありえるのだろうか?)、それとも通常の状態が戻ってきているのか、とにかくあの人をそらさない愛想のよさで彼は言った。が、冷たい唇がうなじをくすぐっている……のはおそらく気のせいではないだろう。

「……ノーランさんミスター・ノーラン?」

「なんだね」今度は軽く歯を立てられた。まちがいない、これは確信犯だな。

「……我々は友人ですよね?」

「そうだな、あなたの認識では」

「友人はふつうこういうことはしないものですよ」

「私はするんだ」

「私はしません」

「昨日までは、だろう」

「今日も明日もその先も、ですよ!」

 無駄な抵抗かもしれないと知りつつも、なんとか腕を引き抜き、相手のシャツの襟首をつかんでひっぱる。彼はようやく、こちらの首筋に構うのをやめた。

「つれないな、神父ファーザー

 ついさっき、自分は誰にも好かれていないと自虐的に口にしたのと同一人物とは思えないほど、この世の誰も自分の魅力に抗えないと確信しているような表情と自信に満ちた口調だった。あるいは全く悪気のない、少年こどもじみた、といってもよかったが。

「それはお互い様でしょう。もう少しで本当に主の加護を求めようかと思いましたよ」

 ノーラン氏が腕の力をゆるめたので、両腕を突っ張って抜け出し、乱れた服装を整える。彼も落ちていたジャケットを拾い上げて埃を払い、何事もなかったかのように、いつもの、洒落好きの紳士の見本のような装いを取り戻した。もっとも、しわの寄ったネクタイは丸めてポケットに突っ込んだけれども。

「そんなことはしないと信じているとも。それに、私がいつあなたの頼みを断った?」

 彼は完全に優位を取り戻していた。

「……やめましょう、これ以上あなたと話していると、心にもないことを言ってしまいそうだ。私は昼の人間なんです。もう帰らないと。ディーンあの子にまた心配をかけたくない」

「なにかというとあの人狼の坊やを気にかけるんだな」

「彼には借りがありますから」

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