6-2

 眠りに落ちようとしていたところを、かすかな振動音に目を覚まさせられた。机の上に置いておいたスマートフォンの画面が点滅して震えている。

 固定電話の子機ではないことに少しほっとしながら、立っていって電話を取る。

「――はい」

『久しぶりだな』低い声が言った。『起こしてしまったか?』

 口調からすると緊急の用件ではなさそうだ。

「まあ寝ようとしていたところではあるのですが」

『眠る者は夜眠るというわけか』

「あなたは今どこにいるのですか? このあいだあなたのアパートメントを訪ねたら――」

『私は目を覚ましているが、慎んではない』

 電話越しでもわかる冷ややかな声に背筋に冷たいものが走る。

 彼はなぜ今ごろになって、この時間にかけてきたんだ?

 ヴードゥーの死神からの警告がよみがえる。

「……さん、本当にあなたですか?」

 思わず名前を呼びかけようとして、口に出す寸前でやめた。電話の向うの相手が幽霊ゴーストでないとどうやって証明できるのだろう?

『私がどこにいると思う?』

 彼の声は昏く、投げやりで、それでいてどこか……。

 背後の音に耳を澄ませる――なにも聞こえない。少なくとも、手がかりとなるようなものはなにも。声が途切れたりはしていないから室内なのだろうが。家、だろうか、それとも?

 彼は(私以外の)誰かを自宅に招くことはないと言っていたけれど、それが本当かどうかはたしかめようがない。彼がなにを考えて――企んでいるにせよ、危険なしるしに思われた。

「心配していたんですよ」できるだけ口調を変えずに問いかける。「その、先日のようなことがあったあと、あなたがどう――」

『飢えた吸血鬼がどうしているか想像してみたこともないというのか、神父?』彼は完全にこちらを馬鹿にしてかかっていた。

 あるいは脅しに。

『今夜心配すべきなのは私ではない、私の目の前にいる運の悪い相手だ』

「まさか――」想像と言葉が喉元で固まったまま出てこない。

「そんな、まさか、待ってください、あなたが」

 口の中で舌が渇き、もつれる。

「今あなたはどこにいるんですか、教えてください」

 そのとき不意に、不明瞭なうめき声のようなものが聞こえた。それから、「しいっ」というような、あるいはなにかがこすれるようなかすかな音。

『……に、神はいない』ささやくような声。

 ハンズフリーにでもしているのか、少し離れているようだ。とすると、彼はこの電話に集中しているわけではないことに――……

『聞いてどうする』今度ははっきりと声がこちらへ向けられていた。

「そこへ行きます」

『来てどうする』その声には嘲りと苛立ちと、それからもうひとつなにかべつのものが混じっていた。ように感じた。

 ――主よ、どうかまちがっていませんように。

「いいから教えてください」

 再び、カサカサという音がして、彼はある通りの名前をあげた。耳にした覚えはあるが、訪れたことはない場所だ。

『そこにある、〈蝶と花〉という店だ。――ではおやすみ、神父。良い夢を』


 数十秒考えたあと、アプリでタクシーを呼んだ。

 クローゼットを開け、一瞬迷って、シャツとカラー、ジャケットを身につける。

 部屋を出ようとしたところで思い立って急いで引き返し、メモを書きつけた。

〈病院に呼ばれた。心配しないで。〉

 それから、さらにもう一行書き加えた。

〈朝には戻る。〉

 書いたことが現実になるようにと祈りを込めて。

 メモを部屋のドアの外にテープで留め、ディーンが起きてくる気配のないことをたしかめて、静かに玄関ドアを開けて外に出る。

 教会から少し離れたところにタクシーが停まっていた。

 行き先を告げると、メキシコ系移民と思われる運転手は大げさに片方の眉をあげて、さも心得たように、

「――まあ、ね、わかってますよ、牧師さん。人間、たまには気晴らしも必要だ」

 誤解を訂正するとさらに面倒なことになりそうだったので、心の中で赦しを求めるにとどめた。

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