5-4

 告解は嫌いだ。……あの礼拝堂付司祭チャプレン

 週に一度顔を合わせるたびに、彼が司祭服スータンの下でなにをしていたのか今ではわかるようになった。その意味を知ったのは、卒業して……彼が異動になってからだったし、今でこそ、生理的欲求の不適切な発露だと思えば理解できなくもないのだけれども。あのころは彼がどうしてそんなことをするのかわからなかったし、もしかして自分が悪いのではないかと思ったものだ。

 今でも告解室以外で司祭と向き合うと緊張する。理由のひとつはそれだが、もうひとつは……。

 リュカ神父は格子の反対側にいるはずなのに、驚くほど静かだ。狭い空間での衣擦れや、かすかな呼吸音も立てない。静謐な、という言葉がぴったりくるその様子に安堵をおぼえると同時に、心を騒がせてばかりの自分が恥ずかしくなる。

 格子の向うでかるい咳払いが聞こえた。

「さて。神のいつくしみに信頼して、あなたの罪を告白してください――と、言うところですが」

 思いがけない言葉に面食らい、ひざまずいてこうべを垂れた状態から顔をあげて次の言葉を待つ。

「もちろん私は告解を聴きますよ。ですがもしかしたら、あなたが私に話したいのは罪の告白だけではないのではないかと思ったものですから。カーク司教ではなく、わざわざ私に連絡をくださったところをみますとね――余計な勘繰りだったとしたら申し訳ないのですが」


 ノーラン氏との一件について赦しを求めるのは、こう言ってしまえばさほどむずかしくなかった。もちろん、彼の名誉のために、名前や、氏が何者で、過去これまでに教会や私とどんな関わりがあったのかを明かすのは控えたけれども。

「……そのかたは定期的に告解に訪れるかたなのですが、それまではその……我を忘れかねないほどの不謹慎インディセントな行為に及ぶようなことは」

 “魔女の薬”云々はさすがにおくとして、まるで自分がなにかのうつわにでもなったような感じだった。それこそレナのいう……憑依されたような。

「ええっと……そのときは“裸で”?」

「いえ服は着ていました」

 おかしいな、英語でもフランス語でも、誤解されるような単語ではないはずだけど。

「そこから先の記憶がちょっと……離人症のようではっきりしないのですが……」

「自分の罪に真摯に向き合おうとしないのは感心しませんね」

 リュカ神父は格子窓の向うで溜息を漏らした。

「……すみません、そういうつもりでは……」

「それで?」

 “彼”と口づけを交わしているところをディーンに見られてしまったのだと告げると、

「……ああ、それはあの子にはさぞやつらい光景だったでしょうね」

 “つらい”? 私が吸血鬼ヴァンパイアと――リュカ神父はノーラン氏の正体を知らないのだからやむを得ないとして――キスをしているのを目撃してディーンが抱く感情といえば、私に肉体的な危害が加えられたのではないかという心配と、一族の敵への憎しみだろうに。彼が教会の倫理にとらわれていないことは知っているし、それで彼が聖職者に対して失望するなんていうことにはならないはずだけれど……言葉の選択をまちがえたのかな。

「ええ……については申し訳なく思っています。それにそのうえ、私は彼に」

 これを口に出すときにはさすがに勇気が出なくて、思わず十字を切った。汝姦淫するなかれ、だ。たとえ未遂に終わったのだとしても。

「彼が私を正気に戻してくれたのですが――教会法で裁かれてもおかしくない失態です、ああ、でもそれはいい。それは当然のことですから。ですが最大の問題は、彼は私が――教会が預かって面倒をみている状態で、あの子自身はまだ学生なんです。事情があって……生家にも帰れない。せめて彼が高校を卒業するまでは支えてやりたいと思っています。けれど私がまたこんな、その、言うなれば、情欲の発作、に襲われたら……」

 リュカ神父は型どおりの罪のゆるしを与えるでもなく、しばらく静寂のうちに座っていたが、

「あなたがよければ、私が彼と話してみてもいいですよ。もう十八歳なんでしたっけね? じゅうぶん大人です。彼の意志も尊重すべきです」

「……ええ、そうですね、おっしゃるとおりです」

「ブレナン神父の話では、彼はたしかキリスト教徒クレティヤンではないということでしたね。もし彼が気にしないというなら、それはあなたの中だけの罪になります、マクファーソン神父」

「ですが」

「あなたは彼を誘惑したと言いますが、人を誘惑することもできないような者は、人を救うこともできないのですよ」

 おっと、これは私が言ったことではなくてキルケゴールの言葉ですけどね、とフランス人神父はおどけた調子で言った。

「それに主イエス・キリストだって、父母兄弟を捨てて私についてきなさいだのと、しょっちゅう誘惑しているでしょう」

「リュカ神父、あなたというかたは……」

 いけないと思いつつも失笑してしまう。

「私の言っていることが冒涜だとお思いならそれはそれで構いませんよ。私は父なる神以外にどう思われようと気にはしません。もし主が私の発言にお怒りなら、私は今ごろ塩の柱かなにかになっていてもおかしくない、でもそうなっていないのがなによりの証拠じゃあありませんか?」

 さすがにこれに同意するわけにはいかなかったが、完全に笑いのツボに入っていた。

「それからあなたの発作のことですが」

 冷静な声にはっと我に返る。

「これまでにそういった経験がなく、器質的な異常でもないというのでしたら、『詩篇』第七十九篇に頼るのがよいかもしれませんね。天使に加護を求める祈りです」

 彼はまた黙ったあと、

「すべては信仰フォワの問題です」

 と静かに言った。

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