2-6

「――なにやってんだよ、オッサン!」

 神父がすべてを言い終わる前に怒号がそれをかき消した。

 ふりむいた視線の先に、黄色い両眼に怒りの炎をたぎらせている人狼の仔がいた。戸口からここまでゆうに二十ヤードはあるだろうに、全身の毛を逆立たせているせいでパスカヴィル家の黒犬ほどに巨大に見える。

 小僧は総身に殺気をみなぎらせ、これまでにないすばやさで狼の姿に変じ、一足飛びにこちらに飛びかかってきた。

 咄嗟に神父の体を突き放す。手近にあった真鍮の燭台をつかみしめ、間髪入れずにやつの凶悪なあぎとち込む。

 小僧はキャンともギャンともいわなかった。空中で器用に体をひねって態勢を立て直し、神父と私のあいだに着地する。

「小僧お前――」

 鋭い牙の並ぶ口が耳まで裂けているかのようなさまはまさしく悪魔ワイルド・ハントの猟犬だ。鼻からは今にも硫黄の煙を吹き出すかと思わせる。喉から漏れるうなり声はそれこそ地獄から響いてくるかのようだ。太い爪が床の石材を削る。

 長い人生でこうも短期間のうちに二度も人狼を相手にすることになろうとは!

 柱の陰の神父にちらりと目をると、どうやら放心状態でいるらしかった。いつもなら割って入ってこられるところだが、足腰の立たない獲物を担いだまま人狼の攻撃をかいくぐって車にたどりつけると思うほど、小僧の気概は甘くない。殺した兄と同じく、完全に殺戮者の眼だ。

 小僧がこちらへ一歩踏み出す。

 私は半歩下がった。

「誤解だ」私は言った。「神父を傷つけたりはしていない」

 殴っておいて誤解もないものだが、私だってこんなところで消滅する死ぬのはごめんだ。

うるせえシャット・ザ・ファック・アップ、この色ボケのカス野郎ファッキン・バスタード。その臭え口から一セントの価値もねえ言い訳垂れ流すヒマがあったら、さっさとテメエの汚ねえケツを守ってずらかったほうが身のためだぜ」

 黒い狼がまた一歩こちらへ近づき、私も一歩下がる。

「どうした、耳にクソでも詰まって聞こえなかったのかよスケベジジイ、今出ていかねえならこの場で殺す。戻ってきても必ず殺す」

 ここでこいつを殺してもいいが……多少手傷を負ったとしても、すぐ手の届くところに霊薬エリキサがあるし……。

 しかし万が一にでも先に神父の気がついたら、可愛がっている仔犬に私に同道しようという心持ちはきれいさっぱり失せてしまうだろう。

 そういえば私は傭兵だったのを思い出した。機を見て退却するのは恥ではない――生き延びればまた機会チャンスはあるのだから。

 前触れなしに投げつけた燭台をやつは間一髪で避け、聖堂に響き渡った金属音に一瞬ひるんだ隙に、私は教会を抜け出した。

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