3筆目 スクロール



「あ、あの~?」

「………あ。スマセン」



 俺はひたすらに彼女の頭の上でピコピコと愛らしく動く赤毛のネコの耳に夢中になっていた。

 だが、流石にそんな俺がキモかったのか…彼女がおずおずと掛けてきた声で何とか我に返ることができた。


 …恐るべし、ネコミミの魔力よ。



 だが、一体何だってんだ…ココは?


 俺はオカンに言われて、年甲斐もなく習字教室を体験見学に来たはずだというのに…。



「しかし…一体こりゃあ何事なんですか?

 おわ!? 内装も凄いことになってるし…!

 てか、凄い自然に動いてますね? 滅茶苦茶作り込んでるじゃないですか、ソレ!」

「はい?」



 バーミリオンオレンジのローブ風衣装を纏った彼女のコス度がエグイ。


 動きがリアル過ぎるネコミミなんてハリウッド級の特殊メイクか精密機械だろう…どんだけ金が掛かるもんなんだろう。

 というか、この習字教室って無料って話だし…余程金銭的な余裕があるのか?


 …はて?

 そう言えば、オカンから習字教室を開いているのはだいぶ高齢の女性だと聞いてるんだけど。


 どう見ても――彼女じゃあないだろう。



「ええと…この教室の先生はいらっしゃいますか?」

「教室? あ。術長・・であれば、先日から体調を崩されましたので…。

 ――その助手であるわたくしが本日の担当となっております。

 …ですので、足らぬ事があるかと思いますが…宜しくお願いしますっ!」

「アッハイ。

 …………。

 ……ジュツチョー?」



 術長って言ったのか?

 初耳なんだが。

 もしかして、書の先生って意味かな?

 もしくは塾長とかか。

 あ~…そっちの方が何となく正しい気がするかも。


 まあ、大事なのは、彼女が本日の俺を担当してくれるスタッフらしい。



「では、早速ですがコチラの製作机ワークベンチへ――賢者・・様」

「ん?」

「はい?」



 どうやらオカンが事前に連絡してくれたのは間違いないらしい。

 が、如何せん細やかな行き違いがあるようだね?



「すいません…ケンジャじゃなくて、ケンジ・・・…なんですが」

「…? …賢…、様でしょうか?」

「はい。

 どうにも、ガキの頃からそう揶揄われることが多くって…。

 初の顔合わせで何か面倒な事を愚痴ってしまって、申し訳ないです」

「……いえ」



 あ。何かビミョーな顔されたわ~。

 絶対キショイ奴って思われたわ~。

 ヨワヨワメンタルの俺には大ダメージですわ~。

 あ~早く帰ってゲームしたい。



 俺が案内されたのは……何だ?


 非常にアンティークな机…なんだけど所謂いわゆるスピーチ台みたいになっていて、机の面が平じゃなくてコチラに向って坂になっている。

 その机の隅にはこれまた凝った意匠の壺型のシェードランプがキラキラと宝石のように輝いている。


 というか、今更だがこの部屋の中は普通じゃない…。


 そもそも多分壁紙だと思ってたんだが…見た感じ、本物の石のレンガの壁だ。

 因みに方々のランプ以外の照明は見当たらないし、窓もない。

 下手したら牢獄のようにも感じてしまうくらいだ。

 仮に閉所恐怖症の者なら相当ヤバイかもしれない。


 俺が入って来たはずのドアは何故か鉄扉になっていた。

 マジで何なんだ?

 本気で擦り硝子越しに液晶モニターを取り付けてまで無駄に演出してたんかい。

 

 他には並べられた机の奥に古びた木製のドアと、その反対側に……階段?

 しかも昇りの。

 流石におかしくないか?

 この建物は二階建てで、ここは二階だ。

 これ以上の階層はないはずだが…元は三階まで作る予定だったか、リフォームした時に三階を撤去でもしたのか…。



「では、どうぞお掛けになって下さい」

「…はい」



 俺がその階段の先を訪ねる前に机へと見事に誘導させられてしまった。

 …やるなあ。



「先ず、確認ですが…スクロール作成の為の道具はお持ちになられているようですね」

「…スクロール?」



 スクロール?

 泳ぎ方の型じゃなくて?

 …習字か書道の世界での専門用語だろうか。

 ん~…そんな難しい言葉をイキナリこんなビギナーな俺に言わないんで欲しいんだが…。



「インクと羽根ペンは当方でも御貸しすることはできますが……その場合は幾らか費用が掛かりますので」

「インク…羽根ペン? ああ! 墨と筆のことですか?」



 俺は破顔して持参した習字セットを取り出して見せる。

 てか、何だよその言い回しは?


 結局、良く解らんが…俺は習字セットを約十年近く振りに開ける。


 うわあ…汚い。

 そらそうだ、ろくすっぽ整理してなかったからなあ~。

 ロマンチックに言えば、ちょっとしたタイムカプセルを開いたってとこかな?


 横目で彼女の表情を伺えば…ものすっごい怪訝な顔で俺と習字セットを見ていた。

 うん。

 コレはきっと良い印象じゃなかったね。

 てーか、事前に家でちゃんと中身を検めれば良かったと思いました!



「ふ~む?

 …お。

 良かった、墨汁と筆は新品だ」



 そういや、習字の授業で…ふざけて鼻の穴に筆を挿して女子達に俺の舞を披露していたら、オコの担任から空手チョップ(当時はまだ体罰の概念が緩かった)を喰らって筆を折ってしまった上に墨汁を全てぶちまけてしまうという悲劇が起こってしまった。

 流石にオカンも怒ったが、まだ習字の授業があるから新品を揃えて貰ったんだった。

 だが、結局はその後、俺は学校に習字セットを持ってくるのを忘れ続けて隣の席の善意に甘え続けてしまいましたとさ。

 めでたし、めでたし。



「げ…しまった! 半紙がグチャボロの擦り切れで使いモンにならんかった…」



 だが、全てが上手くいかないのが世界の真理…。

 残念だが、ビニールから剥かれた半紙の束は乱雑に折られ、セット内で長年エコノミー症候群に晒され、無残な最期を遂げていた…南無。

 しかし、参ったな。書く紙が無いとは。



「インクと筆があれば問題ありませんが?」

「アレ?

 そうなんですか?」

「は、はい…。

 事前にお伝えしたいた通り、スクロール自体は当方で用意したものをお使いになって下されば結構ですので…。

 今回使用して頂くスクロールは机の下の棚にあります」



 な~んだ、良かった。

 …いや、スクロールって半紙のことかよ?

 もしかして造語かな。


 俺は早速少しだけ身を引いて机の下を見る。

 薄暗くて良く見えないが…確かに何かが収まっているようだ。


 俺は手を突っ込んで手探りでそれを掴んで取り出す。



「どうぞ、御自身の目で検めて下さい」

「…………」



 だが、またしても俺は動きを止めてしまった。

 何でって?


 だって、俺の手にしたブツはどう見ても半紙じゃなくて――巻物だったからさ。



 

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