第8話
瀬名にお願いした後のこと。
俺たちはすべての講義が終了してから待ち合わせ、大学から一緒に俺のアパートへ帰ってきた。
鍵を鞄から取り出してシリンダーへと差し込んだところで、ふと『そういえば永遠に連絡してなかったな』と思い出す。
一瞬、さすがに何も言わないのは可哀想かなと思ったが、ここまで来てしまった以上いまさらどうしようもない。
それに先に伝えてしまうとどこかへ逃げてしまうかもしれないし。
普段は大人しく引き籠っているくせに、こういうときだけ無駄な行動力を発揮するのが永遠だ。
「ただいまー」
そんなことを考えながらドアを開けて玄関に入ると、バタバタと部屋から永遠が駆けてきた。ちゃんとこの前買った部屋着を着ていたことに、安堵する。
危なかった。
もし下着姿で出てきたら、瀬名に変な勘違いをされるところだった。
「おっかえりー!」
そんな永遠の顔には満面の笑みが浮かんでいた。
何があったか知らないが、どうやらずいぶんとご機嫌なようだった。
「ねーねー、夕霧! ちょっと聞いてよ! 実はさっき最近ハマってるソシャゲのピックアップで――」
と永遠がそのままテンション高めに何かを伝えようとしたところで、後ろにいた瀬名が俺の背中からひょこっと顔を出した。
途端、永遠の表情と口がわかりやすく凍る。
「えっと、こんにちは?」
瀬名は簡単に挨拶するとそのまま一歩踏み出し、俺に並ぶように立った。そのまま折り目正しく礼をする。
「空岡の大学の友人で、瀬名
だが、瀬名が最後までセリフを言う前に永遠がくるりとターンを決める。
まさに電光石火の早業だ。脱兎のごとく部屋の中へ戻っていった。
バタンッと荒々しくドアの閉まる音が響く。
そして俺たちの周囲は静寂に包まれた。
瀬名は首を傾げ、背中越しに振り返って俺の方を見た。
「……私、何か間違った?」
「いや、間違ってない。間違ってるのはあいつの方」
ため息を一つ。俺も靴を脱いで中へ入る。
廊下を歩き、部屋のドアノブに手をかけると、鍵など設置されていないのに、ずいぶん鈍い感触が返ってきた。
どうやら永遠が向こう側からドアを押さえているらしい。
「……おいっ。永遠、開けろ!」
「や、やだ……っ! その人誰!?」
「さっきの話聞いてなかったのか? 俺の大学の友人で――」
「私は『何でここに来たのか』って訊きたいの! ……ハッ! もしかしてもう次の彼女作ったの!? 絶対前の子と期間被ってるでしょ! 夕霧の節操なし!」
「
「わかった! じゃあニート更生施設とかそういうところの人だ! 夕霧にあんなバリキャリ系美人みたいな友達がいるはずないもん! お金だまし取られるよ!」
「誰に対しても失礼だぞ、それ! だから永遠に料理を教える先生として連れて来たんだよ! 俺なんかよりよっぽど料理できるから、どうせ習うならその方がいいだろ」
言葉を激しく応酬させながら、ドアを挟んで攻防する。
ドアを開けようとする俺と、開けまいと抵抗する永遠。
さすがに本気を出せば力は俺の方がだいぶ強いが、あまり力を入れすぎるとドア自体が壊れてしまう。結果、意外と拮抗していた。
「いーやーだー! 私は夕霧が教えてくれるっていうから渋々OKしたの! だいたいあれだけ啖呵切っておいて、結局他人に頼るって情けないと思わないの!?」
「う……っ! それは……っ!」
痛いところを突かれた。自分のことを全力で棚上げしつつ、永遠は続ける。
「そもそもねぇ! 私は自炊なんて出来なくてもいいの! Ub〇r 〇atsがお金かかりすぎるっていうなら、別にスーパーの半額弁当でもなんでもいいんだから! そりゃあたまにはちょっとくらい贅沢を言うこともあるかもしれないけど、お金なかったらないなりのものしか食べないよっ!」
何か言い返してやりたいが、上手く言葉がまとまらない。
確かに永遠は与えた分こそすべて使ってしまったが、過剰に要求することはなかった。
俺の食糧を持って行ったこともあったが、その理由は食欲が昂ったのではなく納得できない状況に対する抵抗のようなものだった。
そもそも永遠を真人間にするということ自体、永遠にしてみればただの面倒なお節介なのだろう。
俺は永遠の未来に責任を持てる立場ではないのだから。
「とにかく! 私はぜぇぇぇったい会わないから! せっかくここまで来てくれたあの人には悪いけど帰ってもらってよ! 知らない人にいきなり料理を習えとかハードル上げすぎ! そんなに私に期待しないで!」
永遠の拒否感は想像していたよりも強いものだった。
やはり荒療治すぎたのだろうか。
何を言っていいかわからずながらも硬直状態を続けていると、背中を軽く叩くような感触があった。
振り返って見てみると、いつのまにか瀬名がすぐそこまで来ていた。
「空岡、あのさ」
「え、なに? ごめん、ちょっと今忙しくて」
「そのことなんだけど、私、お邪魔みたいだし今日のところは帰るね?」
「お邪魔なんかじゃ――」
咄嗟に否定しようとした俺に、瀬名が玄関の方を親指でぐっと差して合図してきた。
外について来いということだろうか。
俺は後ろ髪を引かれる思いながら引き合っているドアから力を抜き、瀬名について行く。
永遠は当然、出てこようとしなかった。
俺たちは玄関から外に出る。するとすぐに、瀬名が訊いてきた。
「加奈と別れたきっかけの浮気? って、もしかしなくてもあの子とのことよね?」
不意の質問に、俺は「あ、ああ……」と言葉を濁すほかなかった。
「なるほど、ねぇ……」
瀬名は少し考えるように俯いてから言う。
「過去のことを蒸し返すようで悪いけど、加奈にあの子のことを話したことはあった?」
「えーっと、どうだろう」
思い出そうとするが、記憶にない。
ただ今までの――小学校から高校までの思い出話などは何度かしたから登場していてもなにもおかしくないように思う。むしろ話していない方が不自然か。
「覚えてないけど、多分」
「そう……――ま、いいわ。とにかく、今日のところはひとまず帰るわね。教えるにしても、本人にここまで拒否感が強いんじゃ、無理よ」
「悪い、本当に」
「ううん、別に。ただ、あの子とは一度きちんと話し合ったほうがいいんじゃないかしら? 多分、空岡にもわかっていないところがあると思う」
「……俺も改めて自覚した。外に出ることは出来るから、対面するくらいはなんとかなると思ってたんだけど」
反省する。 『〝真人間〟にしてやる』なんて簡単に言ったけれど、道のりは遠そうだ。
「じゃあ、また大学で。あの子と話し合ってみて、もし私が必要になれば声かけてくれればいいから」
瀬名はそう言ってあっさりと去ろうとする。
だが、俺はそんな瀬名の背中に声をかけた。
「なんでそこまでしてくれるんだ?」
瀬名が振り向く。
「別に。
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