第9話

 部屋に戻ると、永遠はベッドの上で布団に丸まり、顔だけを出していた。


「ガルルルルル……」


 その永遠が歯を剥き出しにして威嚇している。

 猛獣でもイメージしているのかもしれないが、せいぜいイキった子犬くらいにしか見えない。

 そんな永遠に近づき、俺は躊躇なく脳天にチョップを落とした。


「――痛いっ! ひどいっ!」

「アホなことしているからだ」


 涙目で抗議する永遠とにらみ合う。

 すると永遠が慎重そうに俺の背後を伺ってから、確認するように言った。


「さっきの人は……帰ったよね?」

「ああ、帰ったぞ」


 永遠があからさまにほっとした様子で胸をなでおろした。

 そして、布団から這い出てくる。


「はぁー、よかった。本当に」


 心の底からすっきりしたように安堵する永遠。

 そんな永遠に、俺は問いかける。


「……永遠ってそこまで他人が苦手だったっけ?」

「え? 私が対人恐怖症のコミュ障なの、夕霧はよく知っているでしょ?」

「にしても昔よりも症状が悪化しているような……。なんだかんだ言いつつ高校には通ってたし、必要に迫られれば最低限のコミュニケーションはとってたじゃん」


 そうでなければ高校生活を送ることなど出来はしない。

 ほら、グループワークとか、体育で二人組を作ったりだとか、いろいろあるじゃん?

 とはいえ、出来ていたかと問われても素直に頷けはしないのだが。


 しかし永遠は、目をまんまるにして、きょとんとした顔になった。


「だってそれは、あくまでも『学校』での話でしょ?」

「……どういうこと?」

「『外』で知らない人じゃなかったから、ギリいけただけ。『中』はダメだよ」


 どう違うのだろう? 

 俺の感覚としては、『中』――つまり家のことだろうが、むしろそっちの方が落ち着くと思うんだけど。


「いい? 夕霧。私にとってこの家の中は唯一のアンチなの」

「アンチ?」


 急に出てきた謎用語に、戸惑って訊き返す。


「アンチっていうのは安全地帯のこと。つまり外で必死に着ている鎧を脱いで、楽になれる場所なの。そんなところに『敵』を侵入させるなんてどうかしてる。会敵するのはフィールド上じゃないといけないの。おわかり?」

「瀬名は敵なんかじゃ……」

「いーや、敵だね。私の領域を侵す敵! 言っておくけど、あの人が『良い人』か『悪い人』かなんてことはこれっぽっちも勘定に入ってないの。この場に誰かが存在したということは、多かれ少なかれその記憶が残る。ふとした瞬間にそれを思い出すだけで、嫌な気分になる。アンチじゃなくなる。だから、ここだけは勘弁して」


 永遠が切実な様子で訴えてくる。

 どうやら本心で言っているらしい。


「ねぇ、夕霧」


 永遠は俺を見つめた。


「ここがなくなったら、私には生きられる場所がなくなっちゃうよ」


 本心から吐き出されたような響きが、部屋に沁みていく。


 本当に、こいつは……。


「面倒くせぇよなぁ、お前」

「何を今さら」


 つい漏れ出た俺の軽口に、永遠も軽口で返した。

 それだけで部屋の重苦しい空気が霧散していくようだった。

 なので――


「つまりさ」

「ん?」

「永遠は瀬名が嫌ってわけじゃなく、ここに他人を入れるのが嫌ってことだよな?」

「まぁ、別に嫌悪感はないよ。だって顔と声くらいしか知らないし」

「じゃあここじゃなくて、外で関わる分にはオッケーってことだよな?」


 話から導き出された当然の帰結に、永遠はにんまりと笑みを深くした。


「やだ」

「なんっでだよ!」

「やだやだやだ! ふつーにやだ! 何が悲しくて高校を卒業してまで赤の他人と関わらないといけないのさ!」

「生きるためだよ!」

「小学校から12年間も頑張ったんだからもう勘弁してよ!」

「普通は死ぬまで続けなきゃいけないんだよ!」

「地獄か!」


 言葉に反して永遠はなぜか俺を諭すような、穏やかな顔つきになった。


「夕霧、そういう固定観念で決めつける癖、本当によくないと思う。『よそはよそ、うちはうち』って小さい頃におばさんから言われたでしょ?」

「その言葉、使い方あってる?」

「それと時代に合わせてアップデートしなきゃ。今は他人と顔を合わせなくても生きていける時代なんだよ? ほら、スマホ一台あればいろんな遊びができるし、仕事するにしても内職とか在宅ワーク? とかいろいろあるでしょ? もう何年もしないうちに就職なんだから、夕霧もそろそろ世の中への感度上げてこ?」

「何をわかってるふうに……」


 永遠は憐れむような目を向けてくる。

 正直めちゃくちゃ腹立たしい。

 こいつの自己弁護のための詭弁はどこから湧いてくるのか。


 それに俺もそれほど理解していないが、永遠自身が自分の言っていることを多分よくわかっていない。この場を回避出来ればいいと思っていそうだ。まさに今を生きてる。


「ま、でもわかった。ここに連れてくることはもうしない」

「よかった、わかってくれて」

「けど、永遠の〝真人間化〟を諦めたわけじゃないからな。覚悟しとけよ」

「うげぇ」


 永遠は全力で顔を顰めたが知ったことではない。

 とは言いつつも、新たな策はない。

 

 俺は思っていた以上に遠そうな道のりに、天井を仰いだ。

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