第6話

永遠のお母さんおばさんから生活費いただいたので、朝食のパンが4枚切りになりました」

「わーい! お母さんらぶ! 愛してるぅ」


 出かけた次の日の朝。

 言われた通り生活費が振り込まれていることを確認した俺は、さっそく永遠の希望通り食パンの厚みをグレードアップさせた。

 なんでもかんでも言うことを聞くつもりはないが、まあこのくらいはいいだろう。


 バターを溶かしたトーストに大口を開けてかぶりつく永遠。

 幸せそうに頬を緩ませている。

 トーストごときでこれだけ喜んでもらえるなら、早起きして買いに行ったかいがあるってもんだ。


 満足感を覚えつつ、俺も自分の分を手に取って口に運んだ。

 うん、美味いな。

 出来映えに満足しつつ咀嚼していると


「――ねぇ」


 と永遠がこちらをじとっとした目で見て話しかけてきた。


「ん? なんだ?」

「あのさ、何で夕霧クンは……一人だけサンドイッチを食べてるのカナ?」


 俺の手にあるのは玉子サンドだ。

 それほど手間がかからないわりに、わりとしっかりしたボリュームに加え栄養もあるので、ときどき作って食べている。


「だってまだ8枚切りがまだ余ってたし」


 昨日、俺が一枚と永遠が三枚食べた。

 まだ四枚残っていたので、使い切るのにちょうどよかった。


「私の分は!」

「トーストあるじゃん」

「ちっがぁう!」


 何が不満なのか永遠は「ムキーッ!」と威嚇するように睨んでくる。

 別になんでもいいだろ。

 4枚切りの食パンなら一枚でもそれなりにお腹膨れるし。


「いいですか、夕霧クン。世の中にはね、やっていいことと悪いことがあるの」


 永遠が俺を諭すように語る。


「悪いことの一つはね、家族の間で食事に差をつけること。そりゃあ小さな子供と大人で食事の量が違うのは仕方ないと思う。けれど大きくなった者同士で差をつけるのはあまりに寂しいし、不公平。そういうことをしていると、虐げられた方はどんどん劣等感を覚えて自分を矮小な存在だと思い込んじゃう。そうやって負のスパイラルに陥り、いつの間にか自己肯定感がなくなっちゃって、立ち上がれなくなっちゃうの。だからいくらニートが相手でもそういうことをしちゃダメ。わかる?」

「まあ、なんとなくわかるけど」


 別に差をつけたつもりはないんだけどな。

 永遠の希望通りだし、足りなかったら追加で焼けばいいだろ。

 そこまで制限するつもりはない。

 それ以前にそもそも俺と永遠は家族ではないし、さらに言えば永遠から自己肯定感がなくなるなんてことあるのか?


「だからね、このサンドイッチは没収します。平等にして公平。これこそが民主主義です!」


 そう言うと永遠は俺の皿からサンドイッチを一つかっ攫った。


「あ、おい――」


 そして止める間もなく一目散にかぶりつき、あっという間に胃袋へ消えていく。

 食べ終わった永遠は、実に満足そうな笑みを浮かべていた。

 結局のところ、食べたかっただけなのだろう。

 だったら素直にそう言えばあげるのに。


 それはそれとして、勝手に持って行ったことに対しては、朝食が終わった後に軽く蹴っておいた。



 食事が終わった俺は後片付けもそこそこに、大学へ来ていた。

 永遠をアパートに置き去りにしてきたが、あいつは引きこもりのプロだから問題ないだろう。

 一応、俺がいないときのしばらく分の食費として、ある程度の金額を置いてきたし。


 午前の講義を終えて昼食を確保しに購買へ向かっている途中、俺を呼ぶ声が聞こえたのでそちらを向いてみると、友人の瀬名せながこちらに歩いてきていた。


「空岡、ちょっといい?」

「なに?」

「あんた、加奈と別れたって本当?」


 もう話が出回ってんのか。


 ……いや、そもそも瀬名は元々加奈ちゃんの友達だ。

 本人から聞いたのかもな。


「具体的に言葉にしたわけじゃないけど――そうだな、フラれた。その話、加奈ちゃんから?」


 瀬名は首を縦に振った。

 やっぱりか。


「それで、浮気したって本当?」


 淡々と、責めるというよりも事実を確認するかのように訊いてくる。

 やっぱりそんな感じに伝わってるんだな。


 うーん、何と答えたものか。


「いや、俺は浮気していない。――けど、そう見えても仕方なかったと思う」


 さて、なんと言われるだろうか。

 罵倒でもされるだろうか。

 ビンタの一つでも飛んでくるかもな。


 と覚悟したのだが


「そう。なら、いいわ」


 と瀬名の対応は意外にもあっさりとしたもので、逆に面を食らってしまった。


「加奈ちゃんじゃなくて俺の言葉なんて信じていいのかよ」

「馬鹿言わないで。別にあなたの言葉だけを一方的に信じたわけじゃないわよ。加奈はあなたが浮気したと思ってる。あなたは浮気してないけどそう見えても仕方なかったと言ってる。何も矛盾はないじゃない。……それに、私はあなたがあっさりと浮気をするような下衆なやつだとも思ってないから」


 なるほど。

 普通、こういう話のときはより親しい方の意見にバイアスがかかるものだ。

 それなのに瀬名は両方の話を聞いた上で、自分で判断したということになる。

 立派なものだ。


 感心していると、瀬名は続けて

 

「で、もし復縁するつもりなら仲を取り持ってあげてもいいけど、どうする?」


 と訊いてきた。

 俺は少し考え、首を横に振った。


「いや、いらない。これも一つの縁だからな」


 一度切れてしまったものは仕方がない。

 他人を入れて無理に繋げたところで、きっとまた綻びが出るだろう。

 あのとき二人で解決出来なかった時点で、もう終わっていたのだ。


 俺の返答を聞いた瀬名の反応は「そう」とこれまたあっさりしたものだった。


「それなら加奈には私から上手く言っておくわ。――何か伝えたいことがあったら伝えておくけど?」

「じゃあ『悪かった』とだけ」

了解りょーかい。もしも今後何か私にして欲しいことがあったら遠慮なく言ってね。力になるわ」


 その言葉に俺は目を見開き、思わず「お前いいやつだな」と呟いた。


 それを聞いた瀬名はフッと笑い「そうよ。私、いいやつなの」と言った後、真剣な顔つきで


「あなたが本当に浮気をしていて、それを悪びれる様子もなかったら、一発ぶん殴ってから考えられる限りの地獄を見せてやったけどね」


 と俺の胸を拳でコツンと叩いた。


「それは……怖いな。肝に銘じておく」


 やけにリアルに想像してしまい、つい頬を引き攣らせると、「冗談に決まってるじゃない」と瀬名は不満気に口を尖らせた。



 午後の講義を終え、アパートに帰って「ただいま」と言うと「おかえりー」と永遠が奥から駆けてきた。

 どことなく犬っぽくて面白い。


「ご飯用意してあるよ!」

「え? マジ!?」


 まったく予想していなかった言葉に、本気で驚く。

 部屋に入ってみると、ローテーブルにまるで店で買ってきたかのような料理がいくつも並べられていた。


「おおおお。マジかこれ。すげえ」

「さっ食べよ、食べよ」

「おう! っとその前に」


 急いで手を洗ってからテーブルに着く。

 意気揚々と手を合わせて「いただきます」と合掌し、さっそくおかずに箸を伸ばして食べる。


「おお。美味いな、これ」

「だよねー。美味し!」


 永遠も一緒に舌鼓を打つ。


 俺は感心し、涙が出そうだった。


「いやー、まさか永遠がこんなに料理上手だったとはな。正直言って、侮ってたわ。おばさんに習ってたのか?」


 ご飯が用意してあるなんてまるで思わなかったし、ましてやどれを食べてもこんなに美味いなんて……!

 俺なんて足元にも及ばないレベルだ。


 しかし永遠は「ん?」と小首を傾げた。


「いやいや。私が作れるわけないじゃん。これ全部Ub〇r 〇atsだし」

「へ?」

「この辺ってすごいいっぱいお店あるんだねー! 選び放題で楽しくなっちゃった。ほら、地元にはあんまりお店ないでしょ?」


 永遠は楽しそうに、配達可能圏内のお店が表示されたスマホを見せてくる。

 

「……永遠が作ったんじゃねーの?」

「え? ムリムリ。生活能力皆無のニート舐めないでよ。絶対指落とすからって包丁すら持たされたことないよ?」

「何でえらそうなんだよ……」


 ちょっと胸を張って言う永遠。

 感心した俺がバカだった。

 と思ったところで、ある懸念に思い至り背中に冷や汗が流れる。


「というか……これだけ注文するのにかなり金かかったんじゃ……」

「それはほら、今日食費として夕霧がくれたじゃん。あれから出したし、ちゃんと足りたよ!」

「……残金は?」

「ないない。だから明日もまたちょーだいね! はー。ここは本当に天国♡ 出てきて正解だったよ~。明日のお昼は何食べよーかな♪」


 楽しそうにふんふん♪ とリズムを取りながら左右に揺れる永遠。

 俺は拳を戦慄かせた。


「――バッカ野郎!」

「うわっ! 何!?」


 驚いた永遠が、身体をビクリと震わせる。


「あれは数日分の食費だ! 一日で使ってんじゃねーぞ!」

「え……」


 永遠の顔から血の気が引く。


「だ、だって夕霧、そんなこと何も言わなかったじゃん!」

「普通言わなくてもわかるだろ!」

「わかんないよ! ニートの金銭感覚舐めないで! お昼代って渡されたら全部使うに決まってるでしょ!」


 こいつは……!


「もうUb〇r 〇atsは禁止な! 永遠には自炊を覚えてもらう! ついでにその狂いまくった金銭感覚も矯正してやるからな!」

「――ッムリムリムリ! そもそも買い物行けないし!」

「いーや、大丈夫だ。明日、一緒に買いに行ってやる。いいか? 『美味い料理』を作れなくてもいい。『食える料理』を目指せ!」

「うぇぇええ……」


 顔に大きく『面倒くさい』と書いてあるのがわかる。

 けど、俺は妥協しない。

 俺は永遠に向かってビシッと指をさして宣言した。


「せっかく親元を離れたんだ。ここにいる間に俺がお前を〝真人間〟にしてやるからな!」

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