第3話

 目を覚まし、ベッドから身体を起こす。床を見れば永遠が気持ちよさそうにぐうすか眠っていた。


 もちろん永遠を一晩泊めたくらいでなにか起こるわけがない。実に平和な朝だ。


 昨夜、永遠は当然のようにベッドを使おうとした。しかし俺がさっさと追い出して床で寝かせたのだ。


 泊めてやるんだから文句は言わせない。家主権限だ。


 永遠は一度調子に乗れば延々とつけあがるきらいがある。いつまでいるか知らないがしばらくはいるみたいだし、下手な配慮をすればそのままベッドを乗っ取られかねない。


 なんとなく、永遠を眺めてみる。

 相変わらず容姿は抜群にいい。


 それに深い谷間はがっつり見えてるし、長い脚も惜しみなくさらけ出されている。

 大事なところ以外は全て見えているといったところだ。


 なのになんだろう……この高揚感のなさは。


 加奈ちゃんと別れていなければ今頃は

 腕枕した彼女の重みで腕に痺れを感じながら(妄想)

 ちょっとクサい台詞なんか吐いてみたりして(妄想)

 照れた彼女に愛おしさを感じ朝からもう一発(妄想)

 ……とかそんな未来もあったかもしれないのになぁ。


 ま、現実なんてこんなもんか。


 俺は虚しさとともにあくびを噛み殺してからベッドを降りる。朝食を調達するため、簡単に着替えてから近くのコンビニへ向かった。


 コンビニに入ると、らっしゃっせー、とやる気なさげな店員の声を聞こえてくる。横耳で聞き流しながら、パンコーナーへ。


 物色していると、やたら砂糖のついた甘くて丸いデカいパンを見つけた。


 確か永遠あいつこれ好きだったよな。


 そう思って手を伸ばしかけるが、思いとどまって引っ込める。


 うん、いらないな。居候には贅沢だ。

 代わりに食パンを手に取った。8枚切りの薄いやつ。これで十分。


 一応、飲み物には永遠が高校時代によく飲んでいた豆乳を選んでおいた。好きだと聞いた覚えはないが嫌いなことはないだろう。

 俺の分は水出しの麦茶が冷蔵庫にあるし、それでいいや。


 物資を整えた俺が帰宅すると、相変わらず永遠は幸せそうな顔で眠っていた。

 眠気覚ましに買ってきたばかりの冷えた豆乳を首に押し当ててやると「ぴにゃっ!?」と変な声をあげて飛び起きた。


「な、ななななな……」

「おはよ。飯食おうぜ、買ってきた」

「え? ん? ありがとう?」


 強制的に覚醒させられてまだ脳の働いていない様子の永遠が、多分反射でお礼を言う。


「ってかさっき何当てられたの?」

「豆乳」


 ほれ、と軽く投げてやると「うわわわわ」と慌てながらもなんとか落とさずに受け取った。ナイスキャッチ。


 受け取った豆乳を見た永遠は「あー……」となぜか微妙な顔をしてから、側面にくっついたストローを剥ぎ取って挿して飲み始めた。


「え、豆乳嫌いだった?」

「そうでもないけど、久しぶりに飲むなー……と」

「あれ? よく飲んでなかったっけ?」

「高校生の頃はねー。ほら、成長期だったから」


 そう言って、ドヤと永遠は胸を張る。

 意図がわからず首を傾げていると、永遠が不思議そうにした。


「え。夕霧、巨乳好きでしょ?」


 一瞬、何の関係があるんだと思ったが、そういえばなんか豆乳には女性ホルモンに似た物質がうんたらとかいう話を思い出した。


「もしかしてそのために飲んでたん?」

「そうだよ? でもこれ以上っきくなると、さすがに邪魔だなぁって」


 まぁ飲むけど。そう言って永遠はちゅーとストローを吸った。


「それは……ご苦労なことだな」


 意外にこいつもそういうところ気にしてたんだなと感心する。

 ただ神に恵まれただけでなく、努力もしていたらしい。

 目の前にある双丘が一段尊いものに見えてきた。


 つい拝んでやると、永遠は得意そうに鼻を鳴らした。


「で、どうなん?」


 永遠がおもむろに問う。


「何が」

「巨乳」

「大好き」

「だよね」


 調子に乗った永遠が、うりうりーと胸を押し付けてきた。遠慮なく掴んで何度か揉んでやる。手から溢れる大きさに、柔らかながら弾力ある感触が心地いい。うむ。よきかな。


「――ギニァァァアアアー!」


 自分から仕掛けたくせに、何かされるとは思っていなかったらしい。永遠が叫びながら、ベッドへと逃げ込んでいく。相変わらず、イキるだけで耐性のないやつだ。


 そんな永遠のことは放っておいて、袋から取り出した2枚の食パンをトースターに放り込む。

 二分半ほどしてチンと鳴ると、トーストが狐色に焼き上がった。

 バターを一片のせておくと、香りにつられた永遠が布団から這い出してきた。


「私、4枚切りがいいなー。分厚いほうが美味しくない?」


 文句を言いながら永遠はトーストに噛り付いく。


「贅沢者め」

「夕霧はいつも8枚切り?」

「6枚切りかな」


 答えると、永遠は首を傾げた。


「え、じゃあなんで今日は8枚切り?」

「居候の永遠にはもったいないだろ?」

「ちくしょー!」


 永遠はスピードをあげてトーストを食べきると、二枚追加で袋から出して焼き始めた。

 そして焼き上がった二枚を重ねてかぶりつき、何とも言えない表情をする。


 そりゃ、8枚切りを二枚重ねても4枚切りにはならないからな。


 豆乳は早々になくなったらしく、飲みこむのが苦しそうだったので麦茶を出してやると、ぐびーっと勢いよく飲み干した。


 しかしどうやら朝から8枚切りとはいえトースト3枚は食べ過ぎだったようで、苦しそうにお腹をさすっている。

 調子に乗るからだ。


「で、永遠。今日は何か予定あんの?」

「あるわけないじゃん」

「だよな。じゃあ、買い物行くぞ」


 俺の言葉に、永遠は目を丸くした。


「え? 何? デート?」

げぇ。お前の必需品買いに行くんだよ。しばらく泊まるなら布団とかいるだろ」

「用意してくれるの? ありがとー。実はちょっと身体痛かったんだよね。でも、私お金ないよ?」

「俺もない。けど、当てはある」


 何それ? という永遠を無視して、部屋を出て電話をかける。プルルルという呼出音を数秒聞くと、目当ての人がでた。


『――はい、時原です』

「おばさん? お久しぶりです。夕霧です」

『あら。夕ちゃん? 久しぶりねー。元気?』


 電話先は、永遠の実家だ。もちろん俺のこともよく知っているから、ここにかけるのが一番話が早い。


「はい。おかげさまで」

『ごめんね、永遠がお世話になっちゃって』


 申し訳なさそうにおばさんが言う。


「あれ? 家出先、知ってたんですか?」

『知ってるも何も、あの子が行くところなんて夕ちゃんのところ以外ないものーオホホホホ』

「それはそれは……」


 説明する手間が省けたのはありがたいが、この分かってる感に納得したくない。

 ただの意地だけど。


『それで今日電話してきたのは永遠のこと?』

「はい、一応しばらくうちに泊めることにしたんですが、その、恥ずかしながらお金がなくて……」

『あぁー! 大学生の一人暮らしだものね。大変でしょう。あの子一文無しだもの。いいのよ、蹴りだしてくれても』

「あはは……。そういうわけにも……」


 実の娘に容赦ねぇなこの人!

 俺が言葉を濁していると、電話口から笑い声が漏れてくる。


『うふふ、ごめんね。夕ちゃんがそんなことしない子だってちゃんと知ってるわよ。じゃあ夕ちゃんの口座に当面の生活費振り込んでおくから。振込先は沙織さん(俺の母親)に訊けばわかるわよね?』

「すみません、ありがとうございます。でも、俺じゃなくて永遠に振り込んでくれたらそれで……」

『駄目よ、あの子お金遣い荒いもの。すぐに無くなっちゃうわ。夕ちゃんに振り込んだ方が、よっぽど安心』

「あはは……」

『じゃあ永遠のこと、よろしく頼むわね』

「はい」


 話を終えた俺が電話を切ろうとしたところ『――あ、そうそう夕ちゃん』と声が聴こえてきて、慌てて返事する。


『……永遠のこと、いっそそのままもらってくれちゃってもいいのよ?』


 神妙な調子でそんなことを言うおばさんに、俺はきっぱりと言う。


「お断りします」

『相変わらずねぇ~、夕ちゃんなら一番安心なのに。でも、気が変わったらいつでも言ってね。ばいば~い』


 今度こそ通話が終了する。

 微妙に釈然としないが、これで軍資金を確保できた。


 それに永遠の居場所も伝わったので、余計な心配をかけることもないだろう。

 言わなくてもわかっていたみたいだけど。


「おばさん、永遠の生活費振り込んでくれるってさ」


 部屋に戻って、永遠に告げる。

 すると永遠は「うちのお母さんに電話してたの?」と言いつつ少し考える。そして何か思いついたらしく、顔面に喜色を浮かべて「やっほい!」とガッツポーズを作った。


「臨時ボーナス――ゲットだぜ!」

「残念だったな。永遠じゃなく俺の口座に振り込むって言ってたぞ」

「なんで!?」


 普段の自分の行動を振り返ってみろ!

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