第2話

 わいわいがやがや、学生で賑わう安居酒屋の角席。

 向かい合って酒を飲む男女が二人――もちろん俺と永遠だ。


「ねー悪かったって」


 永遠が言葉に反して悪びれた様子なく、俺の肩をぽんぽん叩く。


「久しぶりに幼なじみの家を訪ねたら、それがまさか待望の彼女を連れ込む日だったなんて思うわけないじゃん」

「うるせぇな……」

「いい加減元気出してよ。せっかくこうして罪滅ぼしにやけ酒付き合ってやってんじゃん。全部夕霧のおごりだけど(笑)」

「このクソ野郎!」


 俺は涙目でジョッキを呷った。

 喉に弾ける炭酸が、ぷちぷちしゅわりと喉を傷めつけてきて、まるで俺の心の中みたいにチクチクする。


「にしても」


 ぼりぼりとおつまみきゅうりを延々口に運ぶ永遠が、こらえきれないといったふうにプププと笑った。


「惜しかったね、夕霧。もうすぐで脱☆童貞できたかもしれないのに」

「だからうるせぇなぁ! ブッ飛ばすぞ!」


 心から楽しそうな煽り顔を向ける永遠に、手元のおしぼりを投げつける。

 永遠はひょいと軽く首を傾けて避けた。

 運動なんてしないわりに無駄に反応がいい。

 奥の壁にあたってペタンと畳に落ちたおしぼりを無駄に丁寧に畳んで俺に渡しながら言う。


「そんなに心配すんなって。女なんて星の数ほどいるんだから。いつか夕霧の童貞を貰ってくれる運命の人がきっと現れるよ」

「それをさっきお前がぶち壊したんだけどぉ!?」

「だからそれは悪かったって。よし、じゃあ今度女の子紹介してあげるから。それでチャラね」

「いらん。永遠の紹介してくれる女なんて、全員俺の知り合いだろうがこのクソニートが」


 俺はまたぐびーっとビールを飲み、ぼやっとしてきた視界で永遠を見る。

 何が楽しいのか、永遠はけたけたと笑っていた。


 永遠はニートである。

 高校は卒業したものの、そのまま進学も就職もせず、家に引きこもった。


 優しい永遠のお父さんおじさんお母さんおばさんは、永遠こいつに家を出たくない理由でもあるんじゃないかと思ったらしい。しばらくは何も言わずに様子を見ていたようだ。しかし一年を過ぎて、ようやく自分の娘がただの怠け者だったということを思い出したらしい。

 それで今さらになって喧嘩して、家から飛び出してきたんだとか。


 高校の頃、同じような理由で何度も留年の危機があったのにな。

 所詮、人間は喉元を過ぎれば熱さを忘れてしまうのだろうか。


「ま、夕霧にとっては不幸なことかもしれないけどこれで問題はなくなったわけだから」


 永遠は両手を合わせてウィンクした。


「しばらく泊めて♡」

「やだ」

「はぁぁぁああああ!?」


 即座に断ると、一瞬で永遠がキレた。


「夕霧に追い出されたら私はどこ行けばいいのさ!」


 理不尽極まりない純然たる逆ギレ。

 でも全く怖くない。

 こんなのいつものことだからな。

 俺は平然と返す。


「実家に帰れよ」

「やだ。実家に帰ってもまた説教されるだけだし。だいたい今さら『進学しろ』とか『就職しろ』とか無理に決まってるじゃん。娘のことをなんだと思ってるの」


 お前がなんだと思ってんだよ!

 永遠はジョッキを呷り、会社帰りのおっさんみたいに「カァ――――ッ」とか言って机に置いた。

 通りがかった店員に声をかけて中ジョッキを追加してから、なぜか俺に対し幼い子に言い聞かせるように言う。


「いい? 夕霧。私は自由に生きたいの。親への義理と世間の目のために(かろうじて)高校は出たけど、これ以上は無理。私は誰にも縛られずに生きるし、誰の指図も受けない」

「でも生活はどうするんだよ? 学校はともかくとしても働かないと金入って来ないだろ」


 俺が至極まっとうな問いをすると、永遠は小憎たらしく小器用に片眉を上げ、当然のように言い放った。


「子供を養うのは親の義務でしょ。何言ってんの」

「お前が何言ってんだよ」


 アホか。


「扶養義務は二〇歳までだぞ。つまり今ここでお前が酒を飲んでいる時点で、親の義務は終わってるんだよ」

「親の脛をかじって今まさにモラトリアムを謳歌してるやつが何か言ってる(笑)」

「俺はちゃんと大学に通ってるからいいんだよ!」


 もちろん親には感謝してるし、成績だってトップではないけどそこそこ良いところをキープしている。

 バイトとかはしていないけれど、ただのニートの永遠に比べたら何倍もまともなはずだ。


「まぁ、そんなことはどうだっていいし、私を泊めないっていうならそれもいい。けど、夕霧。ちょっと考えてみて?」

「何を」

「私は家に帰らない。それで夕霧に追い出されたら、行くところがない。つまり養ってくれる人を探すしかない。いいの? 私がどこぞのきったないおじさんの慰み者になっても」


 見て、と永遠は手を広げた。

 大袈裟な仕草がかえってモデルみたいで、無駄にさまになっている。


「私は何も出来ないけど幸い、見た目だけには自信があるから。ネットに写真の一つでもあげれば、血に飢えたハイエナのように、砂糖に集う蟻のように、性欲にまみれた男共が群がってるのは必然のこと。つまり、生きていくだけならどうとでもなるんだよ」


 余裕たっぷりに鼻を鳴らす永遠。


「ずっと一緒に育ってきた幼なじみがそんな爛れた生活を送ろうとしているなんて……夕霧は不憫に思わないの?」


 良心に直接問いかけるような言葉を向けてくるが、俺もまた余裕たっぷりに鼻を鳴らして笑い飛ばす。


「お前が俺以外相手に何とかなると思ってんのか? この対人恐怖症のコミュ障クソビビりが。どうせネットに写真なんてあげられずにその辺でのたれ死ぬのがオチだわ」

「わかってんなら泊めてよ!」

「うるせぇ! いっぺん死んで来い!」


 涙目になる永遠に、俺も暴言を返す。

 そのままギャーギャー言い合っていると、店員が先ほど頼んだ中ジョッキを持ってきた。

 もらって、すぐにぐびーっと飲む。永遠も飲む。酒が回る。ため息とともにアルコール臭い息を吐きだす。


 なんかだんだん、どうでもよくなってきたな。

 加奈ちゃんと別れたことは悲しいけど、まだ付き合ってひと月ほどしか経っていない。

 合コンで出会ってからまだデートは数えるくらいだし、好きだと思ったから付き合ったけど、それほど深いわけじゃない。


 だいたいこちらの弁明も聞かず一方的に消えて、すぐに着拒だ。

 近い将来、同じようなことになっていた可能性が高い。


 永遠を見る。

 俺と同じく酔いが回ってきたらしく、目がトロンとしてきて頭がふらふらしている。

 こいつのせいで別れることになったのは間違いないけれど、こいつとギャースカやっていたおかげでショックを覚える暇もなかった。

 感謝するというのもおかしいが……もういいか。

 

「おい、永遠」

「なに?」

「立て。帰るぞ。もういいから今日はうちに泊まってけ」

「え、いいの?」

「いいか。ずっとじゃないぞ。今日だけだ」


 永遠の側まで行って手を差し出すと、永遠は「ん」とその手をとった。


「いいよ、それで。来週いっぱいね。わかったわかった」

「あれれー? おっかしいなー。もしかして俺の日本語通じてない?」


 ま、いいか。

 少しだけだし、たまの非日常イベントだと思って面倒見てやろう。


 俺たちは会計を済ませると、居酒屋を出る。そして、ふと思い出した。


「そういえば、もしさっき俺が女紹介してって言ったら誰を紹介するつもりだったんだよ?」


 永遠は胸を張って自信満々に答えた。


朝霞あさか

「俺の妹じゃねーか!」

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